エホバの証人はなぜ「母の日」の祝いが禁止なのか? | JW 2世の保健室

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(2019年投稿記事を加筆訂正)

 

今日5月12日は母の日。なぜエホバの証人は母の日の祝いを禁止としているのか調査してみました。

 

「母の日」については、ここ50年間で資料で言及された回数は以下のとおりごくわずかです。


 

 

 

最後に言及されたのは1993年で、それ以降はまったくなし。新しい信者層は「母の日はエホバの証人の禁止事項」とは知らない可能性すらあります。

 

 

「禁止理由」について言及している資料は、50年以上の資料をかき集めても以下の①~⑥に限られます。

 

①「ふれ告げる人々」(1993年) 『彼らは世のものではありません』

エホバの証人は家族や友人と楽しい時を過ごします。しかし,(復活祭,正月,五月祭,母の日といった祝日のように)異教の神々と関係のある祝日や祝いには加わりません。

※この記述を最後に、以後約30年間は沈黙しています。

 

 

上記のとおり「異教関連の祝いだから禁止」ということですが、何とどう関連しているのかを具体的に説明しているのは次の②~④で、いずれも1959年のブリタニカ百科事典の説明のみを主たる根拠にしています。

 

 

②「聖書から論じる」(1989年)『祝日』
母の日を設ける風習にはどんな起源がありますか

ブリタニカ百科事典はこう述べています。「古代ギリシャで行なわれた母親を崇拝する風習に由来する祭り。神々の偉大なる母キュベレもしくはレアのための儀式を伴う,母親を崇拝する正式の祭りは,小アジアの至る所で3月15日に執り行なわれていた」―(1959年版),第15巻,849ページ,英文。

 

③学校とエホバの証人(1985年)『祝祭日と祝い』

母の日: 「古代ギリシャの母親崇拝の習慣に由来する祭り。神々の偉大な母,キュベレあるいはレアのための儀式を伴う正式の母親崇拝が小アジアの至る所で3月15日に行なわれた」― ブリタニカ百科事典(1959年版,英文),第15巻,849ページ。

 

④目ざめよ!1974年5月8日号『それらは無害な祝いですか』

...母の日はどうですか...起源について,大英百科事典(1959年版)は次のように述べています。


古代ギリシャの母親崇拝の習慣から出た祭り。神々の偉大な母シビリーもしくはレアに対して祭儀を行なう正式な母親崇拝が3月15日に,小アジア一帯で行なわれた」。


母の日がアメリカに採り入れられたことについては,1953年5月10日付のニューヨーク・タイムズが次のように伝えています。


「中世において……シビリーの人気が高く……母をたたえる行事が時おり行なわれていたとはいえ,感傷,理想主義の高揚,および現実的な商魂がほどよく結びついた意見に押されたアメリカ合衆国議会が,5月の第二日曜を母の日と定めたのは,1914年になってからのことである」。

 

④には1953年のニューヨーク・タイムズの論説らしきものが追加され、「異教の祭りがアメリカで5月に母の日として制定されたいきさつ」を示したいようです。※日本語Wikipediaでは別の説明がされている。

 

 

⑤ものみの塔1968年6月1号P342『信仰の仲間に対して善を行なう』

真のクリスチャンにとって「母の日」,「父の日」,クリスマス,復活祭などこの世の祭日は必要ありません...クリスチャンは,異教の起源を持つ祭日と結びつくような与え方によってそれが汚されたものになることを避けます。

 

 

ただし以下の⑥を読むと(ちょっと長いですが)

 

母の日の祝いが禁止になったのは当初は「異教の儀式だから」ではなく「被造物崇拝になるから」という理由だったようです。

 

1976年エホバの証人の年鑑 『第2部 ― アメリカ合衆国』
祝いと祭日

...初期の時代には,献身したクリスチャンたちは誕生日を祝っていました。そうであれば,イエスの誕生日とされている日を祝っても不思議はない...ラッセル師の時代,ペンシルバニア州アレゲーニーの古い聖書の家ではクリスマスが祝われました...「...ベテルの食堂にクリスマス・ツリーを飾ってクリスマスを祝う習慣がありました。いつもは,『みなさん,おはよう』と言うラッセル兄弟が,『みなさん,クリスマスおめでとう』と言いました」...


聖書研究者がクリスマスを祝うのをやめたのはなぜですか。リチャード・H・バーバーが次のように答えてくれました。「わたしは,(ラジオの)中継放送を通してクリスマスに関する1時間の話をするよう頼まれました...その話は,クリスマスが異教に起源を持っていることを指摘していました。その後,ベテルの兄弟たちは決してクリスマスを祝いませんでした」。


...続いて廃止されたのは,被造物崇拝の色がさらに濃い,誕生日の祝いと母の日でした...

 

まとめると:

 

協会の二代目会長ラザフォードは、絶対的権力を振るっていた1920年代、とにかく禁止事項を見つけてはそれを課すことに優越感や快感を感じていたと思われます(それによってキリスト教世界と差別化を図り、キリスト教世界を攻撃する根拠にもした)。

 

まず狙い撃ちされたのが、クリスマスの祝い(1928年)でした(十字架の排除もこの頃。ほぼ独断的思いつきで「エホバの証人」の名称を採用したのも1931年)。

 

「イエスの"誕生日"すら祝わないのだから、一般人を讃えるなどありえない」ということで、

 

当初は人物崇拝的であることを理由に誕生日の祝い母の日を禁止

 

母の日については百科事典に「異教に源流がある」と思わせるような記述があったので、「これは使える」ということでそれを根拠として採用するに至った。ちなみに誕生日も後付け的に説明を追加。

 

情報が多くなった現在では、「母の日の起源」については実際には諸説あることが知られるようになりながらも(日本語Wikipediaだと「起源や日付は国ごとに異なる」という説明)

 

組織内で禁止が長年の伝統となってしまったので、今さら見直すこともできず説明もせずそのまま放置

 

だいたいそんな感じのようです。