あの日から38年 | JW 2世の保健室

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教室に行けなくなった人のために

1985年6月6日、川崎市で10才のエホバの証人家庭の児童が交通事故に遭い、エホバの証人である親権者が輸血を伴う治療を拒否したため、医師たちが適切な治療を施すことができず亡くなった日です。生きていれば今年で48才でした。

 

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毎年この日に関連した記事を書いていますが、

 

今年は「宗教二世問題」が大きくクローズアップされて初めてこの日を迎えることになり、

 

これからはその事件に、社会的に別の光も当たっていくのではないかと思っています。

 

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Twitterのほうには次のような投稿をしました。

 

今日6月6日は

 

1985年に川崎市でエホバの証人家庭の10才男児が事故後に輸血拒否で治療できず亡くなった日です

 

少年は

 

 「生きたかった人生を生きられなかった」 

 

わけですが

 

その表現は、程度の差はあれ他の多くの二世たちにも当てはまり

 

それこそが「宗教二世問題」の本質だと思っています

 

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今までは、あの少年に降りかかった不幸な出来事が「自分には降りかからなかった」という

 

「違い」を見つめていましたが

 

今の時代の文脈で改めて「あの事件」を振り返るときに

 

「宗教二世として生きることを強いられる"同じレール"上に少年も自分もいたのだ」

 

という思いを強めています(昨年の投稿記事でも似たような考えを書きましたが)。

 

 

38年という長い年月が経ちましたが

 

「宗教二世に生まれたが故の不幸」の象徴的な一例として

 

少年のあまりにも短い人生を悼みつつ

 

これからも風化させず語り継いでいくべき出来事でしょう。

 

 

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