『ひめゆり』と沖縄戦
▼今年書いている続き。
今年も、はるかなみさの3人娘シーンのご感想を書いてくださってる方が沢山いらっしゃって、とても嬉しく思っています。
○はる、かな、みさの3人組はやはりこの舞台に必要だと思った。コミカルな中で真実があり面白かった。
過去に『ひめゆり』に出演されていた方のご感想…!これ、とてもとても嬉しい…!
「コミカルな中での真実」
これはまさしく、私たち3人が目指していたところです。生きるべきか、死ぬべきか。真剣に悩みすぎて、真剣に死のうとしすぎて、でも真剣に生きていて、だからこそ観ている人には滑稽で面白い。2年目のはる役でしたが、やはりとても難しかったです。
「真実」をお届けするために、私はわかりやすく、生存者の方々の「証言」に出てくることをやってみる。という方法をとりました。ご感想で頂いたものを証言と一緒にご紹介したいと思います。
○石垣の植物を口にされるシーンがリアルでした。
よく見てくださっていて恐縮です…!
これは、稽古終盤に実際のセットでお稽古した時に、あ!草生えてる!と思って、突然やりだした芝居です(笑)
当時の食糧事情はもちろん良くないです。米軍上陸前に沖縄県知事が疎開計画を急いだのも、島民の安全確保ももちろんですが、それ以上に食糧不足が懸念された為だそうです。
食糧についての証言は
・昨年わたしが沖縄へ行った時にお世話になった民宿のおかみさんのお話
母たち民間人は食べるものも本当になくて、草をヤギに食べさせて毒がなければ自分も食べたり、ほんの少しのかつお節を何日もしゃぶったりしていた。
・西平英夫著「第三版 ひめゆりの塔〜学徒隊長の手記〜」への寄稿、本村つる「沖縄戦と西平先生」より
(南部撤退後のようす)各壕では自給のための食糧調達が主な仕事になった。私達も西平先生と毎日夕方になると食料探しに出かけた。その時間帯は空襲は止んでいたが、海からとんでくる曳光弾がうす暗い丘の上を、人間の高さ位の高度で尾を引くように「ヒューヒュー」と飛んできた。それを避けながら、畑の中に残ったさつま芋や大豆等を取ってきた。量は少しでも先生と一緒に分けあって食べることは嬉しかった。
・戦場体験放映保存の会主催の戦場体験者の方にお話を伺う茶話会にて、名護市にお住いの方のお話
艦砲で母親を亡くし、3ヶ月になる赤ちゃんと2人きりになった。避難所にいたが、おっぱいも無いから子どもが泣くと、敵に見つかるから殺すと言われて、赤ちゃんと一緒に人のいないお墓に逃げた(沖縄特有の亀甲墓という大きなお墓)。お墓にあるお茶碗にたまった水を、赤ちゃんが着ていたガーゼに浸して吸わせたら、最初はひもじいから良く吸うけど後になったら吸わない。それで部落に帰って、人の畑から取り残しの芋を取って炊いて、それを汁にしぼった。飲むかなと思ったんです。でも3ヶ月の子どもが飲めるわけない、これ飲めば生きられるよと言っても分からない。
・稲垣武著「沖縄 悲遇の作戦 異端の参謀八原博通」より
(首里の司令部壕の食糧事情について)食糧は千人以上を数ヶ月まかなえるものが洞窟内に集積してあった。三度三度、白い飯が食べられ、おかずもカンヅメが原料ながら、長参謀長が福岡から呼び寄せた板前の手で調理され、なかなか美味だった。菓子職人もおり、おやつまで出た。
第一線部隊の食糧は、軍司令部ほど潤沢でなかったのはいうまでもない。しかし二十年四月一日の米軍上陸時、軍には約三ヶ月分の食糧がストックしてあった。
一般住民の場合は、はるかに悲惨だった。戦場をあてどなく彷徨する避難民は、手持ちの食糧をたちまち食い尽くし、サトウキビをかじったり、芋畑の掘り残された小さな芋を必死になって探すような状態で、多くが飢餓寸前だった。米軍上陸前に、島の北部に疎開した養老婦女子も、飢餓に苦しんだ。運輸機関が絶望的に不足していたために、疎開者用の食糧集積ができなかったからである。北部は山地がほとんどで、農地が少なく、芋ぐらいしかできなかったことが事態をさらに深刻にした。少数だが、実際に餓死者が出た例もある。
○学徒たちが集まっているシーンで、級長が号令をかけていましたね!
はい!そうです!学徒が整列する朝礼のシーンになった時、「気をつけ!前ならえ!直れ!」と号令をかけているのは級長のはるちゃんです(o^^o)
余談ですが…昨年も書きましたが、実際にはるちゃんのように卒業式で答辞を読んだ方がいらっしゃって、(私はその方をはるちゃんのモデルだと思っているんですが)その方は南風原陸軍病院でも本部付きでした。本部は全生徒の状況を把握し管理する役割があって、本部付きの生徒は各壕(『ひめゆり』でも、ふみちゃんの妹ルリは第二外科にいると言っていたように、壕はいくつかありました)への伝令と、各壕の生徒の状況を調べることで、壕内での看護活動はしなかったそうです。
○ラストのアメリカ兵に連れて行かれるシーン、はるちゃん手榴弾持ってましたっけ?アメリカ兵に取り上げられてましたよね?
こちら公式LINE@で頂いたご感想の中から…(o^^o)ありがとうございます。
昨年、はるかなみさを「最後まで生きるべきか死ぬべきか悩み続けている3人組」にしたくて考えた結果…投降のシーンでも手榴弾を持ってみました!何度もみさ役を演じてこられた先輩の藤澤知佳さんに「あのシーンではるが手榴弾持ってるのすごく好き」と言って頂いたのが嬉しすぎて、今年もそうしました(笑)
これも、米兵に囲まれて、捕虜になるくらいなら!と手榴弾のピンを抜いたけれど不発だった。というような証言を読んで、やってみたことです。
・宮良ルリ著「私のひめゆり戦記」より
いよいよ最後の時がきたのです。私と安谷屋さんの二人は抱きあって、安谷屋さんの持っていた手榴弾の信管をぬき、地面にたたきつけました。しかし、爆発しませんでした。不発だったのです。
私たちはすぐに14〜5名の米兵に取りかこまれました。二人とも死んだふりをしていたら、米兵たちは私たちの額に手を持っていき、生きているのを確かめ、腕をつかんで「ゲラップ、ゲラップ」と言い、私たちを地面にすわらせました。
(中略)私は、もうどうにでもなれという気持で腹がすわっていました。「水があるというなら、飲ましなさい」と言うと、周囲に転がっていた日本軍の使っていた泥まみれの食器に水を入れ、私に渡そうとしたのです。「たとえ捕虜になっても、大和撫子はこんな汚い茶碗では水を飲まない」と私ははねつけました。すると、隊長らしい兵隊が笑いながら自分の携帯用のコップに水を注いで飲ませてくれました。
・香川京子著「ひめゆりたちの祈り 沖縄のメッセージ」より
「焼かれるぐらいなら、射たれて死のう」と、二人は米兵に見つかるように、わざと足音をたてて、腕をしっかり組んで歩いていきました。やがて、木の下に寝ころんでいた米兵がこちらに気づきました。二人は覚悟して目をつぶりました。
しかし米兵は、射ち殺すかわりに近寄ってきて、何人かで取り囲み、水や菓子をすすめるのです。
「もし手をふれたら、舌をかみきって死のう」と身構えているのですが、米兵はニコニコするばかりで、一向に危害を加えようとはしません。「これどうなってるの。どうして敵である私たちに親切にせんといけないの」どうせ死ぬならと、二人は水を飲み、一週間ぶりの食べ物である菓子にも口をつけるのでした。
6月21日の夜明け、兵隊たちについて歩いていたとき、島袋さんは大腿部と胸と手に、ほかの二人も胸や顔に重傷を負いました。「いきなり、鉄パイプでぶたれたような衝撃を感じて、気がつくと、血が流れているので『やられたんだ』と思い、『だれか殺してください』と兵隊たちに頼みましたが、『女はダメだ』と、とりあってくれません。重傷の兵隊たちは手榴弾でどんどん自決していました」
照屋さんも、山城の丘で集中攻撃されたあと、いったん海岸に出るのですが、「切り込み隊を編成して敵中突破をする」という、一人の将校に率いられた兵隊や住民の一隊に会い、「これで米兵を刺せ」と銃剣を渡されました。
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ひめゆり学徒は、切り込み隊(斬り込み隊)まで命じられた人もいたのかと衝撃でした…
沖縄師範学校の男子部など、男子学生で編成された鉄血勤皇隊も、切り込みや、爆弾を背負っての敵戦車への体当たり攻撃を命じられていました。若い命が、いとも簡単に犠牲になっていたのです。
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・戦場体験者の方にお話を伺う茶話会にて、現糸満市にお住いの方のお話
アメリカ兵が最初にしたのは、腰に下げていた水筒を出して、われわれに「飲め」って言うんですよ。しかし誰も、死んでもいいと思ってる、死になさいという教育なんだけど、毒じゃないかと飲まない。彼は自分で一口飲んでみせて、われわれにやったわけです。喉が渇いているから我先に飲んだんですけどね。
○井坂さんの笑顔が印象に残っています。
とてもとてもとても嬉しい…( i _ i )
はるちゃんにとって、『ひめゆり』という作品で描かれている事は、はるちゃんの戦争体験のほんの一部でしかないのだとおもうんですね。
毎公演、幕が降りると、「あぁ、これから73年間の戦争が始まる」と思わずにいられないのです。幕が降りてから、私は震え出してしまって…カーテンコールで再び幕が上がるまでの時間すら耐えきれず、かなやみさの肩に手を置いてみたり、キミちゃんが手を握ってくれたり。
あの後、洞窟の中でたくさんの級友たちが亡くなったと聞かされた時のはるちゃんの気持ち。亡くなった級友のお母さんに顔向け出来ない気持ち。その後の人生で戦場がフラッシュバックしてくる時の気持ち。
まだまだ続いていくのだ、と。
だからこそ、はるちゃんが笑える時には思い切り笑ってあげたかった、という気持ちが大きいです。
長々と綴ってきましたが、
今年の沖縄戦ブログも
これにてひとまず終了にします😊
昨年出演した舞台
『チンチン電車と女学生』は
戦時中の広島で
チンチン電車の運転士をしていた
女学生たちのお話でした。
その作品の勉強のため
広島へ行ってきた時のブログも
よかったら読んでみてください😊
沖縄のことも、広島のことも、
まだまだ勉強していきたいと思っているので
またブログにまとめられそうなことがあれば
書いていこうと思っています。
作品との出逢い、
役との出逢い、
お客様との出逢いに感謝して。
私にできる限りの生命の表現を
これからもしていきたいとおもいます。
改めまして、
2018年ミュージカル『ひめゆり』
沢山のご来場誠に有難うございました!
はるちゃん。
もう、終わったわ。
またね。
あかねはる
「AKA LIVE vol.5」
@GRAPES KITASANDO
8月5日(日)
1st 「初心にかえる」アレンジ0ライブ
Open12:45 Start13:30
2nd 「初心忘れる」アレンジ全開ライブ
Open17:15 Start18:00
各回 ¥4,500(別途飲食代)
♪セット割 両回お申し込みで ¥1,000割引
⬇︎詳細・お申込みはこちら🎤
https://ameblo.jp/a-k-a-n-e-m-u-s-i-c-a-l/entry-12382403773.html
夢麻呂フェス8月公演
「サンパチ
~とある漫才師が起こした4つの奇跡~」
@高田馬場RABINEST
8月23日(木)19:00
24日(金)19:00
25日(土)13:00/18:00
26日(日)14:00
前売・当日¥3,800
U18(18歳以下)¥2,500
⬇︎夢フェス特設ページはこちら
https://teamyyy.wixsite.com/yumemaro-fes/8
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