『ひめゆり』と沖縄戦⑵ | 井坂茜ブログ!あかねこ★進化論*。
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◯「ひめゆり学徒隊」以外に、私の心に残る痛ましい記憶があります。「さよなら沖縄」というアニメ映画にもなった、約1500人もの学童たちを乗せて本土へ向かっていた対馬丸がアメリカの潜水艦に撃沈されたことです。


『ひめゆり』をご観劇くださった、教員経験のある方から頂いた感想メールの一部です。

対馬丸事件のことは、沖縄戦を勉強していると度々目にしました。映画「あゝひめゆりの塔」にも出て来ます。

1944年7月サイパンが陥落し、政府は沖縄のお年寄りや女性、子どもたちを本土や台湾に疎開させることを決定します。ですが、「戦時海運管理令」という法律で民間の船も軍に徴用されるようになってから、米軍は日本の補給路を断つために軍民の区別なく日本の艦船を攻撃していました。沖縄上陸より前から、海はすでに戦場でした。

海は危険だし、年寄りや女子どもだけで見知らぬ土地へ疎開しても生活に困る・沖縄から疎開先へ送金はできるのかなどの生活の不安点、そしてどんどん日本軍が沖縄へやってくる上に「日本が必ず勝つ」と繰り返し言われていたので、住民たちは沖縄は軍が守ってくれるから大丈夫だろうと思い、疎開計画はなかなか進まなかったそうです。このあたりは、以前も載せた島田叡県知事の動画などにも取り上げられています。( ◠‿◠ )



現在、那覇には「対馬丸記念館」があります。記念館のホームページによると、対馬丸に関する正確なデータはひとつもないそうです。それは、正確には何名が船に乗ったのか、どのような状況で攻撃を受けたのかなどがきちんと調べられなかっただけでなく、生存者にも事件のことは口外しないようにと言われていたからだそうです。


さて、『ひめゆり』には対馬丸のシーンは出て来ません。が、台本には「対馬丸」という単語がちゃんと載っています。

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冒頭で民衆が歌うナンバーの歌詞のところに、注釈で対馬丸のことが書いてあります。

☝︎最後の「民衆の男たち、武器を持ち戦う覚悟」という一文。シーンとしては一瞬ですが、ここについても


◯民間人の男の人たちがスコップを持ったり、男の子が木の棒を持ったりして歌っているの、どんな武器でも戦うんだなぁと印象的だった。


というツイートがありました。凄く細かく観てくださってますね!

民間人、学徒たちも竹槍の訓練をしたり、ひめゆり学徒隊も最初の仕事は壕掘り作業だったそうですがもちろん機械などないので、つるはしなどの道具で手作業でした。当時のアメリカ軍と日本軍の戦車とか見比べると、日本軍のものがおもちゃに見えるくらいです。それでもみんな日本の勝利を信じて疑っていなかったのですから、当時日本にとって不利な情報が流れないように徹底されていたことがよくわかります。

あとは、沖縄の人々が急ピッチでつくっていたもの。飛行場です。伊江島に東洋一の規模の飛行場を、本島には4つの飛行場を建設する計画でした。島民たちもそれこそスコップやつるはしで建設を手伝っていましたが、アメリカ軍が上陸間近になると一転。飛行場をアメリカに奪われるとそこを拠点にしてどんどん攻撃されてしまうので、奪われない&使わせないために、壊すようにと命じられたそうです。せっかくつくったのに壊さなければならなかった人の気持ちを考えると、なんともやるせないですね。


『ひめゆり』には、民衆のナンバーは2曲ほどですが、でもいたるシーンに民衆が出てきます。1幕で学徒が最初に出てくる朝礼のシーンには「国防婦人会」の女性がいたり、特攻兵の出征をお祝いするシーンにもたくさんの民衆が出てきます。1幕ラスト〜2幕あたまにかけては軍や学徒隊と一緒に島の南へ向かって避難していたり、「小鳥の歌」のシーンでは壕の中で様々なドラマが繰り広げられています。

わたしがお稽古場などで特に注目してしまう「民衆」は、2幕で壕の中で身を寄せ合っている老夫婦です。おばあちゃんが何かを思い出して壕の外に出ようとするのを、おじいちゃんと日本兵が優しく引き留めてまた一緒に座る。それだけの動きなのですがつい毎回目で追っていました。そしてラストシーン、白旗を持って米兵の前に投降してくる人々の中に、おじいちゃんは一人で歩いてきます。おばあちゃんの姿はありません。。いろんな想像がはたらいてしまって、わたしの涙ポイントのひとつでした。

実際に沖縄戦を体験した方の証言の中には、「お年寄りたちは、自分がいると足手まといになるからと言って家に留まったり、一緒に逃げていても途中で置いていくようにと言ったりする人がいた」というものもあります。



○2幕の壕の中のシーンで、トントン相撲やあやとりをしたり、本を読んでいる学徒がいて驚いた。あのちいさい鞄になにを入れてくるのか。みんな宝物を入れてきたのだろうなと思った。


こちらも隅々まで舞台を観てくださっている感想ですね。嬉しいです。

ひめゆり平和祈念資料館には、学徒たちが陸軍病院へ行く時に持って行っていた筆記用具などが展示されています。みんな戦争は日本の勝利ですぐに終わり、また学校に戻って勉強ができると思っていたんですね。他の学徒隊だったかもしれませんが、日本が勝った時に着るように綺麗なもんぺを持ってきていた学徒もいたというのも聞きました。



○褌姿の兵士の姿が印象的だった。


この役は、「脳症兵士」です。月組公演では横田剛基くん、星組公演では輝海健太くんが演じていました。2人は反対の組の時は杉原上等兵役です。

脳症兵士は、頭や顔などに負った怪我から脳に炎症を起こしてしまった兵士です。高熱が出たり、幻聴が聞こえたりもするのか敵兵が来たと思い込んで「突っ込めー!!!」と叫んで暴れたり、他の寝ている重症患者の上を平気で歩き回ったりしていたという証言が残っています。

とても学徒たちの手に負えず衛生兵を呼ぶと、脳症兵士たちは壕の奥の方へと連れていかれたそうです。そこは学徒たちは入ってはいけないと言われていたところで、一度連れていかれた脳症兵士には二度と会うことはなかったそうです。



○杉原上等兵が根室出身ということに驚いた。


♪すずらんの咲く根室です
と歌う杉原上等兵。キミちゃんとのあのやりとりは実話なんです。ポレポレ東中野で上映されていたドキュメンタリー映画「ひめゆり」を観た時にビックリしました。元学徒隊の方の証言の中にありました。

沖縄戦に参加した兵士たちは県外出身の方も多くいました。

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各都道府県の慰霊碑がある、というのは『はるの級長日誌⑷』でも書きました。ずらりと並んだ慰霊碑を前にすると、沖縄戦は沖縄だけのことではなくて日本全体のことなのだから、わたしたちもきちんと学ばないといけないんだなぁと改めて感じました。



また続き書きます😊




あかね・はる




AKA LIVEvol.2~探せども、探せども~」

谷口あかり・井坂茜・久田菜美(pf)

①~海を越えて~

7/25(火)18:30open/19:00start

②~山を越えて~

8/13(日)12:00open/12:30start

@レストランパペラ(新宿御苑)

¥4,000+お食事¥1,500

2daysセット割−¥1,000

http://ameblo.jp/a-k-a-n-e-m-u-s-i-c-a-l/entry-12276395386.html




MerryCreationNote

8月

18(金)19時

19(土)13時 / 19時

20(日)13時

@調布市せんがわ劇場

一般 4,000円 / 学生 3,500円

⬇︎詳細はこちら!

http://ameblo.jp/a-k-a-n-e-m-u-s-i-c-a-l/entry-12281222302.html

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