✏️はるの級長日誌⑷ | 井坂茜ブログ!あかねこ★進化論*。
沖縄2日目の、つづきです。

ひめゆりの塔を後にして
車で向かったのは、
ひむかいの塔の近くに看板があった
「米須霊域」

{50E98F8A-33F1-4B77-830B-B4402C5DC5FD}

米軍が侵攻してきて
南部に撤退した日本軍や学徒隊、
沖縄の人々は、
ひめゆりの塔がある伊原や
米須あたりの壕に避難していました。

そしてこのあたりで
命を落とした人々がとても多いのです。

沖縄戦で亡くなった日本兵たちは
いろんな都道府県の出身です。
米須霊域と、平和祈念公園の中に、
ほとんどの都道府県の塔があります。
でも、遺骨は入ってないそうです。
どの遺骨が、どこの出身者のものかは
わからないからだそうです。

開南健児之塔は、
開南中学校の生徒たちが動員された
開南鉄血勤皇隊の塔です。
正確な動員数は不明ですが、
182名の生徒と4名の教師が
犠牲になったそうです。

沖縄県の塔とも言える、
魂魄(こんぱく)の塔

{6905D7A7-B13D-4B8F-B48F-711E52D6674B}

米軍に保護された真和志村の住民が
戦後、米須の地に移動してきました。
作物を育てなければいけないが、
あたりには頭髪や皮膚が付着したままの
遺骨が散乱していました。
米軍に遺骨収集の許可をもらい、
拾った遺骨をうず高く積み上げ、
米軍から資材を提供してもらったりして
骨塚がつくられました。
こうしてできた魂魄の塔には、
3万5千体が納骨されました。
すべて身元は不明です。
復帰後、摩文仁の丘の国立戦没者墓苑に
ほとんどの遺骨が移されたため、
現在はわずかな遺骨しか残されていません。

米軍に遺骨収集の許可を求めたり、
資材の提供を申し入れた
真和志村の村長・金城和信さんは、
娘2人がひめゆり学徒隊に動員され
亡くなっています。


魂魄の塔からさらに南へ向かいました。
こんな道本当に通れるの?
というところを通りたどり着いたのは
荒崎海岸。
ひめゆり学徒隊散華の地です。



{CC94E3BB-00C8-4AE3-8AEF-5644ABE4535B}

伊原第三外科壕にガス弾が打ち込まれ
脱出した学徒数名と教師は
この海岸まで逃げてきました。
でも、見てわかるとおり
もう逃げ場はありません。
米兵の銃乱射攻撃を受ける中、
生徒たち9名と教師1名が手榴弾で
自ら命を経ちました。


この場所にくるまで、
ほんとう〜〜におだやかな
さとうきび畑が続いています。
この場所から見える海も、
なにもなかったかのようです。
でも、ほんの72年前
この海岸には数えきれない程の
死体が転がっていたのです。

民宿のおかみさんが言ってました。
今でも、沖縄のおばあの中には
砂浜のサンゴが人骨に見えるから
海には行けない、と言う人がいると。
裸足で死体を踏んで逃げ回った時の
足の裏の感触が忘れられないと。

これが、あの戦争が遺した現実です。


おかみさんから、ぜひ行ってみてと
教えてもらった場所に向かいました。
平和祈念公園のすぐ脇に建つ
沖縄師範健児之塔

{966F66E9-C944-45DF-9A40-25462961AD1E}

{36B1BCB7-A6B6-4FE0-B3A2-4DF79B1CEF16}

師範鉄血勤皇隊として動員された
沖縄師範学校男子部の生徒226名と
教師19名を含む同窓生290名を祀っています。

残存兵とともに、「斬り込み」を
命じられた学徒もいたそうです。

平和祈念公園の中で有名な
平和の礎や資料館からは離れた場所で
裏手にあるので、
あまり人はいませんでした。
車を降りて歩いていると
地元の方と思われるおじさんに
「静かでいいところですよ。
当時の雰囲気も残っているので
ぜひ行ってみてください」と
声をかけてもらいました。

高校の修学旅行で来た時も
平和の礎には行ったのですが、
まだまだ知らないことも沢山あり
今回知ることが出来てよかったです。

本当に想像を上回るほどに、
たくさんの人生が奪われている。
今回いちばん感じたこと。

数字で言って仕舞えばそれまでですが
そのひとつ、ひとつに、
もっと生きられたはずの人生があった。
日本軍も、学徒隊も、民間人も、
米軍も、関係なくそれは同じですよね。


健児之塔から、なにやら
山奥へ続いている階段があり…
登ってみることにしました。

{9E1FD5B9-93C2-4827-B883-3ADE9C5CF53B}

{E008C4F5-EAE5-4C62-9581-EA521DEE11B1}

登りは大変すぎて
それどころじゃなかったのですが
帰りに数えてみたら396段でした(笑)
由貴ちゃんと2人ではぁはぁ言いながら
登りきった先は、摩文仁の丘でした。

{926B5FC4-EE08-416A-AE4A-2817BFA2E24C}

{60A35231-9197-419A-B88B-4FEA42EA6EB1}

勇魂の碑と、黎明の塔です。

第32軍司令部が最後に辿り着いた
自然壕があった場所のようです。
ここで司令官・牛島満中将が自決し、
沖縄戦終焉の地となりました。

こんな崖まで追い詰められて、
逃げ場をなくした日本軍。
司令官の自決で組織的抵抗は終えましたが
米軍の攻撃はやみませんでした。

いま読んでいる本が
沖縄戦の作戦を考えていた
参謀・八原博通大佐の本なので、
「牛島軍司令官」「長参謀長」
と刻まれた名前を見て
妙な現実感に襲われました。


{CE1304E7-FBD1-4276-B1A7-C6695F08D130}

陸軍軍医大尉・清松義親戦死之地
と、書いてあります。
その右手はちいさな洞窟になっていて
入れるように階段がついてました。
少し、中の方まで行ってみました。
ここにもきっと、わたしの想像を超える
厳しい現実があったのでしょう。


公園のメイン入り口の方へ周り
あまり時間がなかったので
園内を案内してくれるミニバスで
ぐるっと霊域をひとまわりしました。
さきほどの米須霊域になかった
都道府県の塔があります。
どちらの場所で多く出身者が
亡くなったか、で場所が違うそうです。

平和の礎の入り口あたりに、
全学徒隊の碑があります。

{7381359D-C88F-4001-BDAF-4579978CC3E0}

この碑はつい最近できたものです。
調べてみると、今年の3月14日に
除幕式が行われたようです。
学徒隊というと、ひめゆり学徒隊が
いちばん有名ではありますが、
これだけの数があったのだということ。
広く知っていただけたらと思います。

国籍や民間人、軍人を問わず
24万人余の沖縄戦戦没者名が刻まれている
平和の礎を抜けた、景色。

{57103F1B-4653-4E22-AEF0-AD6DCEDE7790}

ここから多くの女性が身を投げた、と
案内バスのおじさんが教えてくれました。

綺麗に整備された芝生や平和の礎の
すぐ先がこのリアルな岸壁で、
そのギャップが余計に生々しく
当時の凄惨さを残しているように
感じられました。

☝︎こちらに資料館や平和の礎、
摩文仁の丘など多くの説明があります。



ひめゆり学徒隊の最期を
多く語ってくれた糸満市に別れを告げて、
南風原陸軍病院壕跡のある
南風原町へと向かいました。

ミュージカル『ひめゆり』でも
南風原陸軍病院でのシーンが
多く登場します。

またもやとても長くなってしまったので
南風原のことはまた次回にします。



あかね・はる




ミュージカル座「ひめゆり」

星組はる役で出演いたします。

7月

13(木)18:30〈月組〉

14(金)18:30〈星組〉

15(土)12:30〈月組〉/ 18:00〈星組〉

16(日)12:30〈星組〉/ 18:00〈月組〉

17(月)13:00〈月組〉

18(火)13:00〈星組〉

@シアター1010(北千住マルイ10階)

SS席 / 9,800円

S席 / 7,800円

A席 / 5,800円

B席 / 3,800円

⬇︎思いの丈を綴りました♡

http://ameblo.jp/a-k-a-n-e-m-u-s-i-c-a-l/entry-12268098824.html
⬇︎全キャスト情報などはこちら!

http://www.musical-za.co.jp/stage/ひめゆり2017/
ご予約はメール akane_musical_ticket@yahoo.co.jp

またはLINE@から承ります。




AKA LIVEvol.2~探せども、探せども~」

谷口あかり・井坂茜・久田菜美(pf)

①~海を越えて~

7/25(火)18:30open/19:00start

②~山を越えて~

8/13(日)12:00open/12:30start

@レストランパペラ(新宿御苑)

¥4,000+お食事¥1,500

2daysセット割−¥1,000

http://ameblo.jp/a-k-a-n-e-m-u-s-i-c-a-l/entry-12276395386.html




MerryCreation「Note」

8月

18(金)19時

19(土)13時 / 19時

20(日)13時

@調布市せんがわ劇場

一般 4,000円 / 学生 3,500円




井坂茜LINE@

友達追加はこちら⬇︎(`_´)ゞ

https://line.me/R/ti/p/%40wew6427k