遺影を手離す | タロットのささやき、こころの景色

タロットのささやき、こころの景色

大田区・東急沿線にあるプライベートスペースで、
マルセイユタロットリーディングをおこなうHARUです。
おやつとお茶を楽しみながら、じっくりゆっくりタロットを介してじぶんと向き合う時間。
月に数回、定期的にカフェ鑑定も行ってます。

またこちらのブログ放置してしまいました。

にもかかわらず、
訪問してくださっている方々に感謝です。
食べ歩きブログは定期的に書いてます。
 
 
 
外出自粛につき、
休みの日には粛々と
 
 
 
片付けを。
 
 
 
ようやく遺影を手放すことにしました。
 
 
 

 
これは遺影の裏側です。
 
 
 
 
 
居間の鴨居に5体の遺影をかけていましたのです。
 
父方の祖父母と伯父、そして両親。
 
ずらりと。真顔
 
 
 
しばらくは「見守られている感」にほっこりしておりましたがラブラブ
 
 
 
 
遺影ってでかいですよね、サイズが。
 
しかもモノクロですよね、写真が。
 
 
 
5体並んでると
 
 
 
もう、
 
なんか、
 
重苦しい、
 
暗い。
 
 
 
 
 
で、
 
 
2年前に全部の遺影を押し入れにしまいこんだのですね。
 
 
 
 
壁の余白がさびしい感じ。
少しの罪悪感もありましたし。
 
と同時に
 
 
 
なんともいえない清々しさ、
そして不思議な解放感が。
 
 
 
 
 
 
でもしまい込んでおいたところで、
どうなるんだろう。
額縁の裏の板がふやけて埃がこびりついている。
 
 
 
でも写真を捨てるって罪悪感半端ないですえーん
亡き肉親たちの顔が
顔が実物大に紙焼きされてるのを捨てるなんて。
 
 
処分するためにお寺に魂抜きを依頼するとどうなるか調べたら、
1体につき5000円というケースもありポーン
 
 
 
写真一枚に5000円って ゲッソリ
 
 
 
 
 
 
でもようやく吹っ切れましたわ。
 
 
遺影は遺影。
「遺された」「影」でしかない。
 
 
影は影。
彼らのDNAを私はこの体に受け継いでいるのですから
影に執着する必要はない。
 
物は物。
魂は魂。
 
 
 
 
 
 
額縁はすべて解体し釘を抜き燃えるゴミの日に出しました。
 
遺影は次の収集日までに細かく裁断して処分します。
 
ありがとうございましたと唱えながら、
お清めの塩と一緒に。
 
 
 
物を処分すると
逆に自分の体に流れる血を強く意識するようになりました。
流れる血に両親や祖父母や先祖を感じるようになりました。
 
私の中に亡き人たちがいて、
私は彼らであり彼らは私である。
 
 
 
 
そしてより軽やかな気持ちになりました。
 
 
 
 
 
 
できれば、
その意識を超えてさらに自由になってみたいものです。
 
 

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