会期終了していますが
自分振り返り用として。
六本木・森美術館。
「ロン・ミュエク展」
2006年現代美術館の「カルティエ現代美術財団コレクション展」で
はじめてのロン・ミユエク。
2008年に金沢21世紀美術館へ観に行ったのが
はじめてのひとり旅。
十和田現代美術館では
「スタンディングウーマン」にも出会えました。
「枝を持つ女」
重さゆえなのか枯れ枝の痛みゆえなのか
顔を歪めて。
腕にはすり傷も。
妥協のないリアルさと同時に「なぜ?」が浮かぶ。
それが私にとってのロン・ミュエクの引力。
そしてこれが
彼の最も有名な作品ではないかと。
「イン・ベッド」
眉根を寄せてベッドに横たわる女性。
眠ろうにも眠れないのか
起きても動きたくないのか
この作品の強烈さは
サイズ感。
全長が6.5メートル。
どれくらい巨大かというと
これくらい。
なのに恐ろしいまでのリアリティ。
この二の腕の
血管の透ける感じ
湿り気をたたえるようなぷるんとした柔らかさ!
私は
ジメジメとした長雨の暗い朝、
重く憂鬱な出来事が頭を離れない
そんな人生のある時期のある朝、
という印象を受ける。
作品のリアルさに同化しながらも
この不自然すぎるまでの巨大さに
鑑賞する私の肉体そのものが
あやふやな存在になっていくようで。
「若いカップル」
ひよろりと痩せ細った
ティーンエイジャーの恋人たち。
ちょっと冴えない2人の
冴えない表情。
後ろ姿の腕の掴み方と
掴まれた手のひらの緊張感に
思春期特有の
軸のなさ、ぶれやすさ、傷つきやすさ、その暴力性が現れているよう。
「ゴースト」
こちらも思春期の冴えない水着姿の少女像。
痩せっぽっちで手足ばかり伸びて
心と体のバランス、その急激な変化に
暗く戸惑っているような。
腕の産毛!
この足先のリアルさ!
「舟の中の男」
なぜ裸…
ボロボロの舟はオールもなく
腕を硬く組んだままの男に
何かを目指すという意志よりも
ただ流れにまかせて流されていくような
その諦めの表情?
身を守る物はただこの小舟だけ。
「チキン/マン」
これもシュールで不思議な作品。
テーブルをはさんで
下着姿の老人と雄鶏が向かい合う。
緊張感。
食べるものと食べられるもの。
襲うのか襲われるのか。
双方がどちらの立場にも見える。
老人の柔らかくたるんだ皮膚と
透けるように薄い綿の下着が
リアル。
一瞬の永遠。
「買い物中の女」
寂寥感が皮膚にも心にも染み込んでくる。
重い買い物袋を両手に
育児と日々の生活に疲れ切った女性。
母親を見上げる赤ん坊と、
心の余裕がない母の視線は交わらない。
いい靴だ。
街で偶然見かけた信号待ちをしている女性。
その姿を急いでスケッチしたものが
元になっているらしい。
「マスクⅡ」
ロンミュエク自身の横たわった顔なのだとか。
微妙にひしゃげた感じもリアル、
なのだけど
圧倒されるほどの不自然な巨大さ。
ひげが!
1本1本の髭が!
まゆげが!
もちろん髪の毛も!
裏側は…
「マス」
巨大な髑髏が展示室いっぱいに。
どれくらい巨大かというと、
これくらいに。
積み上げられた髑髏は
汚れのない本当に純白で
生きているはずの私のほうが
無駄に汚れて
わい雑な存在に感じられてしまう。
残虐の果ての死であるかもしれないのに、
死が清浄に見えてしまう。
それは
死というものが
だれにも平等に訪れるものだからなのか。
それでも
圧倒されるように展示室いっぱい埋められた「死」
は
静かにじわじわと染み込むような恐怖にもなる。
「ダークプレイス」
小さな暗い空間に
望洋と浮かび上がる
巨大な顔。
重い沈黙
重い悲壮が迫ってくる。
人の悲壮に容易に同情することを
拒む深い深い暗い井戸のよう。
「エンジェル」
この作品を見て
誰もが微笑んだのでいた。
大きな羽根を悠々と広げている天使は
なさけない顔のおっさん。
その表情とポーズが
「エンジェル」らしからぬ姿。
誰もが
天使さえも
矛盾と葛藤を抱えて
そして誰もが情けない。
制作過程のビデオが1時間弱の長いものだったけど、
アーティストの孤独、
超人的な忍耐力と作業の緻密さに
恐ろしくなるほど
見応えのあるものだった。
またいつか、
会いたい作品たち。
タロットカフェリーディング募集中です。






















































































