九代目七右衛門の徒然日記 -8841ページ目

沖縄旅行 行きの様子 静岡~羽田

今日から勤続20年のリフレッシュ休暇を利用して家族3人で沖縄旅行に出発しました。朝3時15分に起床して、4時に家を出ました。6月4日に開港した富士山静岡空港を利用する手もあったのですが、1日1便しかなく12:05静岡発、14:50着では初日が無駄になってしまうと思い、羽田空港7:55発の便にしました。途中小田原を過ぎたあたりで、正面から朝日が上がってきました。今日は良い天気のようです。
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港北パーキングエリアでトイレ休憩をした頃には、すっかり夜が明けて青空が広がっていました。
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レインボーブリッジです。(家内撮影)
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6時前に羽田空港に到着しました。
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ほとんどのレストランが7時からで、唯一開いていた3階のウエストパークカフェエクスプレスでサンドウィッチを食べました。
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:55発のANA121便で沖縄に向けて出発しました。
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満席との事で、出発は30分くらい遅れました。後の便にはまだ空きがあり、便を変更すると一万円の謝礼を進呈するという掲示がありました。

明日から沖縄旅行

金曜日の最終新幹線で、静岡に帰ってきました。そして明日から30日までリフレッシュ休暇で沖縄に家族旅行に行ってきます!帰ってくるまでしばらくブログの更新はお休みになります。白馬レポートもまだ書き掛けですが、帰ってきたら書きますね~。

「白馬スノーハープ」夏季は陸上競技場に 白馬村が整備を検討

昨日の中日新聞webに、長野冬季五輪競技会場の白馬クロスカントリー競技場「スノーハープ」(白馬村)の夏季利用で、白馬村が陸上競技場の整備を検討していることが分かったという記事が掲載されていました。22日、白馬村役場で開かれた利活用検討委員会で村が報告したとの事でした。

記事によると、「白馬スノーハープクロスカントリー競技場は現在、冬季はクロスカントリースキー、夏季は天然芝を敷いたメーン会場(2.3ヘクタール)をサッカー大会などに貸し出し、活用を図っている。しかし、維持管理費が年間1500万円ほどかかるのに対し、使用料収入は年間150万円程度にとどまっている。さらに、メーン会場はサッカーコート3面を確保しているが、芝の保護を目的に利用を制限しており、運営は効率的とは言えないのが現状だ。村では今のところ、メーン会場に雨の日も利用可能な400メートル6レーンのトラックを整備し、陸上部の合宿などで貸し出したい考え。サッカーコートは1面に縮小されるが、施設利用者とともに村内宿泊客の増加も期待できるとしている。ただ、クロスカントリースキーの圧雪整備からトラックを守る対策が必要で、建設費は概算で2億円ほどかかるなど課題も多く、村は慎重に検討を進めていく姿勢だ。利活用検討委員の観光・競技関係者らからは「トラックを造ることは賛成だが、多目的に利用できるようにすべきだ」などの意見のほか、サッカーコートの縮小は疑問といった発言が出た。村では8月下旬にも次回委員会を開き、議論を続ける方針だ。」との事でした。

今日の大糸タイムスにも同様の記事が掲載されていました。

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これだけ立派な設備があるのですから、きちんと整備して有効に活用し、それが新たな集客につながれば良いと思います。

白馬スノーハープクロスカントリー大会の新聞記事

私が出場した第12回白馬スノーハープクロスカントリー大会の記事が新聞に載っていました。まずは主催した信濃毎日新聞の19日の記事です。タイトルは、「スノーハープを駆け抜けろ 白馬でクロスカントリー大会 」でした。

写真は、ぬかるんだコースを力いっぱい走る小学生たちが写っていました。芝布の上にできた水たまりの中を走っていく様子でした。

記事によると、北安曇郡白馬村の白馬スノーハープを走る「第12回白馬スノーハープクロスカントリー大会」(大会実行委員会、長野陸協、信濃毎日新聞社主催)が18日、2日間の日程で始まった。2日間で過去最多の延べ約2500人がエントリー。初日の駅伝には県内外の312チーム、計1346人が出場し、長野冬季五輪クロスカントリースキーコースを舞台にたすきをつないだ。駅伝は小学生、中学生の男子・女子、一般の男子・女子、消防署や消防団ごとにチームをつくる「ファイヤーマン」など9部門。このうち小学生は計9キロを6人でたすきリレーした。あいにくの雨模様でコースはぬかるんでいたが、スタートの合図とともに子供たちは泥水をはね上げながら元気に走った。同村から参加した松沢帆奈さん(10)は「走りにくかったけれど楽しかった」。下伊那郡松川町の山岸鈴加さん(10)は「いつもは平らなコースばかり走っているけれど、今日はアップダウンがあって面白かった」と話した。19日は個人種目が行われる。との事でした。

月曜日と火曜日が休刊日だった大糸タイムスには、今日の記事に乗っていました。タイトルは、「五輪コースで力走 白馬クロスカントリー大会」でした。
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記事によると、白馬村の白馬クロスカントリー競技場スノーハープで18と19の両日、長野五輪コースを走る「第12回白馬スノーハープクロスカントリー大会」が開かれた。県内外から昨年を300人以上上回る過去最多の2500人余の選手が参加。開会式では千葉県の野田ジュニア陸上クラブの関口大樹くんと川岡風月さんによる力強い選手宣誓が行われ、選手たちは個人やチーム種目で日ごろ鍛えた健脚を競い合った。初日は小学生と中学生チームによる1.5㌔×6区間と、一般男子と女子、全国の市町村の消防署職員や消防団員による4㌔×4区間の駅伝が行われた。雨が降るあいにくの天候となったが、選手は雨にぬれてぬかるむコースで1本のたすきをつないで力走した。との事でした。

来年も挑戦してみようと思います。

部分日食

今日は部分日食が見られるとのことで、10時半過ぎから仕事を一時中断して職場のみんなと中庭に出てみました。テレフォンカードで透かして影を作ってみると、太陽がどんどん欠けてきているのがわかりました。
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携帯電話のカメラで覗いても欠けている様子がよくわかりました。ところが、シャッターを切ると、ご覧のように欠けている様子はわからず、普通に写ってしまいます。
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11時頃日食は最大を迎えました。広島県では86%くらいが月に隠れるとのことでしたが、あたりは夕方くらいの暗さになりました。
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黒いビニール袋を2枚重ねにして太陽を見ると、太陽がまるで三日月のように見えました。これも写真に残そうと挑戦しましたが、うまく取れませんでした。
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後でニュースを見ると、待ちかまえていたのに悪天候で見ることができなかった人たちが大勢いたと言うことを知り、たとえ部分日食でも、晴天の中で見ることができて良かったです。
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次回は26年後、長野と新潟では皆既日食が見られるとのことです。
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白馬帰省 帰りの様子 金沢~広島

金沢からは特急「雷鳥18号」に乗りました。
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特急雷鳥は、1964(昭和39)年12月、「しらさぎ」と共に485系(当時は481系)の誕生と共にスタートした記念すべき列車で、485系の歴史そのものと言える特急だそうです。2006(平成18)年度末には引退が予定されていましたが立ち消えとなり、2011(平成23)年春まで延期されたそうです。乗ったのは489系でした。
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雷鳥のマークが入っています。
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大阪行きですが、京都から新幹線に乗り換えました。
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深夜1時過ぎに自宅に到着しました。昼間は広島県全域に大雨洪水警報が出ていたそうですが、到着した頃には雨も上がっており、電車の遅れもなく順調に帰ってくることができました。初日二日目と天気が悪かったですが、最終日は晴れ上がり、しっかり充電できました。

金澤旬料理 八兆屋「駅の蔵」

金沢駅で45分間の待ち合わせがあったので、一旦改札を出て駅ビルで夕食を食べることにしました。せっかく金沢まで来たので、郷土料理を食べようと思い、百番街くつろぎ館3階をうろうろしていたところ、金澤旬料理と書いた店を見つけました。
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金澤旬料理 八兆屋「駅の蔵」という店でした。早速中に入りました。
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店内は和風の落ち着いた雰囲気でした。
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窓際の席に案内されました。窓からは金沢駅前を見下ろす事が出来ました。
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一品料理のメニューを持ってきてくれたので、短時間で食事がしたいとお願いして、食事のメニューを持ってきてもらいました。
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6種類の取れたての海産物が入っているという「海鮮丼」を注文しました。
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プリプリの魚がたくさん乗っていて美味しかったです。
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食事をしていると、どんどん辺りが暗くなっていき、夕焼けが綺麗に見えました。
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食事が終って外に出ると、隣は素敵な待合室になっていました。
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白馬帰省 帰りの様子 南神城~金沢

いつも帰りは周遊切符を買って名古屋まわりで帰るのですが、今回は往復切符を買って、北陸周りで帰ることにしました。いつもより1時間早く、15時33分 南神城駅を出発です。
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爺さんが駅まで送ってくれました。
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2両編成の列車が入ってきました。
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手を振って見送りしてくれた爺さん(父)です。
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車内は登山客で混雑していました。
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南小谷駅で乗り換えです。
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駅前には茅葺き屋根の案内表示板がありました。
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ここからキハ52気動車に乗り換えました。
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日本国有鉄道 新潟鉄工所 昭和41年製と入っていました。私と同じ年くらいです。
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糸魚川駅の赤レンガ車庫です。
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大糸線の各駅の案内が掲示されていました。

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糸魚川駅からは、特急「北越8号」金沢行きに乗り換えました。後方です。
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前方です。
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行き先表示です。
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北陸線には読めない字の駅がたくさんありました。これで石動(いするぎ)です。
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金沢駅の少し前で、夕日が沈んでいきました。
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とても綺麗でした。
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田んぼをやめることになりました

アイスクリームを食べながら、爺さん婆さん(両親)から話があり、我が家は今年で田んぼ(水稲作り)をやめることになりました。爺さん(父)も婆さん(母)も脊椎管狭窄症により足が動かず、水稲作りの多くが人任せとなって費用がかさみ、人に頼めない除草剤撒きや、水の管理なども身体の負担になっているとの事で、やめる事を決断したそうです。

私が家にいれば良いのですが、そうもいかず、とても残念ですが了承しました。私が小学生の頃は1町2反歩(約1.ha)の田んぼのほとんどに稲が植わっていましたが、今では田んぼ2枚、3反歩ほどに縮小してしまいました。まわりの家も同じような理由で田んぼをやめてしまい、いまでは内山地区の田んぼの7割近くが休耕田になっています。休耕田での蕎麦づくりや、ひまわり、菜の花の栽培などの村の政策も継続せず、荒れ果てた田んぼが多くなっているのは淋しい限りです。

なんとか昔のように春は各所で田植え、夏は青々とした稲が育ち、秋には一面黄金色になるような景色を取り戻す方法は無いものでしょうか。

白馬帰省 お米を土蔵へ

帰宅後は、すっかり晴れ上がっていました。
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シャッターチャンスなので、ホームページのトップメニューやブログのスキン用にと思い、
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何枚かアングルを変えて、写真を撮りました。
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その後はまた「お仕事」です。
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冬の間は、縁側にお米を置いていたのですが、夏になると縁側の中まで日差しが入ってきて、お米が悪くなってしまうので、土蔵に運びました。

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土蔵にはいると、外は暑いのに中はひんやりしていて、これなら秋まで新鮮なまま保管できます。
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羽目の中に8袋のお米を入れて、羽目板をしました。
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お米を運んだ後は、私の部屋で3日間で撮影した写真を印刷しながらアイスクリームを食べてお茶を飲みました。
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