時間が微妙に余ったので、六本樹の丘から車だとすぐの橘本神社(きつもとじんじゃ)へやってきました。

 

熊野古道の王子社跡に鎮座する神社で

 

お菓子の神社として有名なのです。

 

橘本神社は、明治40年(1907)に神社合祀令により、

熊野古道九十九王子のひとつである所坂(ところざか)王子跡に、

塔下王子社、橘本王子社を合祀し、橘本王子神社(現:橘本神社)となっています。

 

境内の説明板によると、この所坂王子社名を、

 

藤原定家(ていか)は「トコロ坂」

藤原頼資(よりすけ)は「薢坂」

 

と日記に記されているそうです。

 

薢は植物の野老(ところ)のことで、

この付近に野老が多く自生していたことからこの名が付けられたようです。

 

野老とは、植物の野老で、山野に生える、ヤマノイモ科の蔓性(つるせい)の多年草です。

根茎にひげ根が多く、これを老人のひげにたとえて野老(やろう)とよび、

正月の飾りに用い長寿を祝うとありました。びっくり

今でもこういう風習をされる所はあるのかしら?

 

また、橘本から市坪へかかる坂を「ところ坂」と言い、

『紀伊続風土記』では、「所」の字を当て、所坂王子社と呼んでいるとのことです。

ところ坂を調べてみても地図には載っておらず、

なんとなくそうだったんだな~と思える程度でした。

 

手水鉢の吐水口がみかんの形になっています。

 

階段を上がり切った場所。境内の様子です。

 

御祭神は、田道間守神(たぢまもりのかみ)と、熊野坐大神(くまのにますおおかみ)です。

 

お菓子の神様・田道間守神がお祀りされているので、

毎年4月第1日曜日には全国から菓子業者が集まり、

商売繁盛を祈願する全国銘菓奉献祭が開催されます。

 

境内には御神木である橘が植えられています。

 

今から1900年前に、田道間守が垂仁天皇の命をうけ、

常世の国から持ち帰った非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)が、

 

この橘樹であり、今のみかんの原種です。

 

橘はその後さまざまな改良が加えられて、やがてみかんとなりました。

現代のように、おいしいお菓子がなかった昔は、

お菓子代わりに橘の実を加工して食べていたようです。

 

このような故事にちなんで、

橘本神社はみかんとお菓子の神様として、田道間守をお祀りされています。

 

橘の木を見るとちっちゃな実がなっていました。

まだ青い実が多かったので、そろそろ黄色く色づいているころかしら?ニコニコ

 

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