11月25日
2回目のスタンプラリーに行ってきました。
朝から行きたかったのですが、職場の方が親族に不幸ごとあり2人欠員ができてしまったので、急遽2時間ほど仕事に行ってきました。
なので仕事が終わってからお昼前にスタンプラリー巡りに出発しました。
最初にやってきたのは下津インターから近い橘本神社(きつもとじんじゃ)です。
たぶん前にもブログに書いたかと思うのだけれど・・・もうどこまで書いたか覚えていないわ・・・、一度ブログも整理しないとね、と思いつつ。
みかん(柑橘)や菓子の神様をお祀りする神社です。
手水の吐水口もみかんのデザインなのが珍しいですね。
本堂前の境内にはみかんの木が植えられています。
みかん、というよりみかんの原種の橘ですね。
ちょうど時期がよくてたわわに実っていました。
本堂と橘。
旬のみかんが、有田や下津のあちらこちらで黄色く実っていてかわいいかったです。
下津のインターを降りたところでも、みかん山が歓迎してくれているようでした。
スタンプは本堂の外にあるテーブルに設置されていました。
スタンプは「藤白坂からの海景色」でした。
橘のスタンプかと思いきやそっちですか!
ここは海南から有田・湯浅へ抜ける熊野古道にある王子社です。
橘本神社(所坂王子)は、明治40年に塔下王子社、橘本王子社、所坂王子社をあわせて合祀されました。
橘本神社からは海の景色は見えないけれど、
海南の有名な藤白坂は、万葉の頃から海の景色は抜群だったはず。
今と違ってその当時は人工的な物は無かったでしょうね。
次は時間があったので、有田市の得生寺(とくしょうじ)にやってきました。
中将姫(ちゅうじょうひめ)ゆかりのお寺です。
中将姫伝説は奈良の當麻寺や、橋本にもあり、どこが本家なのかは謎ですが、そこはロマンということで。
スタンプは「得生寺の中将姫会式」でした。
スタンプは本堂の外、屋根の下に設置されていました。
得生寺では毎年5月14日に中将姫会式が行われます。
當麻寺でも行われますが、こちらは子供たちが菩薩のお面をつけて歩いています。
お渡りの撮影では、一般人はお渡りの橋の下からの見上げる角度になるので、後方で脚立に乗って撮影する写真愛好家もいられました。
ギャラリーは観光客より保護者の方が多い様な気がしました。
会式が始まる前に、中将姫御影堂内で展示されていた楽器なども当時見ることができました。
お昼ご飯は有田の行きたかったカフェは全滅。
駐車場が満車で待人がいたり、ランチが完売していたので、有田のガストで遅めの昼食を食べました。
有田市文化福祉センター4階のみかん資料館にやってきました。
江戸時代のみかんの出荷などが分かるみかんの資料館です。
昔よりスペースが縮小されて、なんだか寂れたような雰囲気になっていました。
隣の郷土資料館の方をメインにしているようです。
みかんの形をしたジオラマも、高かったそうですがもう不要の物のようです。(無くなると少し寂しい・・・)
館内にいる警備員さんに、スタンプ場所をお聞きすると2階(玄関のエントランス)に設置してあるとのこと。
私と同じく間違えられてここまで来られる方が多いそうです。
みかん資料館から奥の扉を開けた休憩室から見える有田川。
お天気が良かったので川もきれいでした。
2階のエントランスに戻るとスタンプ台がありました。
前を通っているのに進む方向しか見ておらず気づいていませんでした。
スタンプは「有田みかん」のスタンプです。
有田といえば有田みかんですよね。
スタンプラリーのパンフレットにはスタンプ設置場所は「有田市みかん資料館」
『 有田市文化福祉センター内
9:30~17:00(最終入館16:30)
定休日 水曜、年末年始
入館料 無料 』
となっていますが、この場合スタンプ押印時間はどっちの時間なの?と思ってしまいました。
次は海南市の藤白神社にやってきました。
史跡 藤白王子社跡(現・藤白神社)は熊野詣での礼拝所で、熊野九十九王子のうちの格式の高い五躰王子のひとつです。
境内には立派な楠が御神木としてお祀りされており、藤白神社のクスノキ群は海南市指定文化財 天然記念物となっています。
昭和の中頃まで、この地方では子供の名前に楠神にあやかって「楠」という字を入れて名前をつけることが多かったそうです。
神様から「楠」「熊」「藤」などの名前を授かる人も多かったそうで、「熊」と「楠」の二文字が入っている博物学者で世界的に有名な南方熊楠(みなかたくまぐす)もその一人というのはわりと有名な話ですよね。
スタンプは社務所の向かいに設置されていました。
スタンプは「熊野古道」でした。
藤白神社は南方熊楠にもゆかりがあるので、そちらかと思いそうですが・・・。
スタンプラリーの冊子には100のストーリーが記載されています。
3番目のストーリーには
『悲劇の皇子 有間皇子(ありまのみこ)と藤白坂』
のタイトルになっていて、スタンプ設置場所が藤白神社となっています。
藤白神社の境内奥に、有間皇子神社が建立されているので行きました。
悲劇のプリンスといわれている有間皇子は、蘇我赤兄(そがのあかえ)に謀反をそそのかされ、藤白坂で絞首されてしまいます。
この時19歳の若さといわれています。
(詳しくは、和歌浦の万葉館内にある紀伊万葉シアターで。漫画家の里中満智子さんのイラストで紹介される話は分かりやすいです!)
冊子にもモデルコースとして記載されていますが、藤白神社から南へ約200m歩いたところに、
有間皇子の墓と有間皇子が詠んだ歌碑も建立されています。(画像は過去に撮影したものです。今回は藤白神社だけしか行っていません)
そこから徒歩すぐで藤白坂です。
アスファルトの坂になっているのでどこからが藤白坂なのかよくわからなかったけれど、山道に入る道の入口には熊野古道と刻まれた石碑がありました。
ここから古道らしい本格的な山越えコース!
歩いても歩いても山の中。
途中で見えた海の景色。
少し登りすぎた感が。
山越えしてしまいそうなので、途中で引き返しました。
ルート的にはこの道を歩いて藤白坂を越えて行くと、先ほどの橘本神社の方面へ行くわけです。
囚われの身でこの峠を越えた有間皇子。
実際は白浜から戻ってくる時に藤白坂で絞首されたわけなのですが、そう思うからか寂しく思えた道でした。
次は藤白神社から車で近い伊勢部柿本神社にやってきました。
鳥居をくぐってすぐ左に見えている社務所に
スタンプが設置されていて自分で押しました。
スタンプは「紀州廻船」でした。
「江戸への経済を支えた紀州廻船 ~和歌山から江戸へ~」
と冊子のストーリーにはタイトルが付けられています。
ペリー来航より62年前にアメリカの商船、レディ・ワシントン号とグレイス号が串本の大島に来航したころ、日本の船は廻船が代表的な船で、大阪や江戸へ向けての大量物資輸送が行われていました。
境内に建つ参集殿には千石船雛形と日方廻船絵馬を展示されているそうです。
後でスタンプラリーのパンフレットを読んで気づいたので見せていただいていないのですが、見学希望者は事前に電話連絡確認をとありました。
主祭神に天照皇大神をお祀りし、元伊勢と伝えられる古社です。
夫は湯浅生まれですが、子供の頃は海南で育ったので柿本神社にもよく来ていたそうです。
久々に訪れる柿本神社を懐かしんでいました。
なので夫から話はよく聞いていたのだけれど、私は訪れるのはたぶん初めてだと思います。
境内には海に関係する神様が多く祀られているなという印象でしたが、この奉納されていた船とスタンプラリーのパンフレットを読んで納得しました。
商売繁盛、交通安全の守護神としても古くから崇敬を集め、船乗りたちが海上での安全を祈願したことでも知られているそうです。
そうそう!御朱印をいただきに来られた方々も何組かいましたよ。
こちらは御朱印も有名なのですね。
水占いの庭で水みくじを夫とふたりでやってみました。
水みくじといえば、京都の貴船神社の水みくじは有名ですよね。
夫は水みくじが初めての体験で、水みくじがなんなのか分かっているのかいないのか、文字が出ても驚いているのかそうでないのかわからない微妙なリアクションでした。
私の水につけたおみくじです。
ふたりともおみくじは結んで帰りました。
今回は海南エリアで終了の予定だったのですが、和歌山市の竈山神社前を通った時に、ここもスタンプがあったのでは?と思い、通り過ぎてから冊子を確認するとやはりあったので引き返してきました。
神門入口の所にテーブルがあってスタンプが設置されていました。
スタンプはそのまま「竃山神社」です。
竈山神社は、初代天皇である神武(じんむ)天皇の長兄・五瀬命(いつせのみこと)の御霊をお祀りする神社です。
県外でも風習が残っている地域がありますが、和歌山でも3つの神社に詣でる風習が残り、初詣には三社をお参いりします。
「西国三社参り」と呼ばれ(我が家では単に三社参りといいますが)、和歌山市にある日前宮と伊太祁曽神社、そして竈山神社を詣でるが一般的です。
竈山神社で名付けていただく方も多いです。
実は私も竈山さんで名付けていただいたそうです。
実家にいたころ、名前の候補が書かれた竈山さんの紙が出てきたのですが、その中から家族が選んだ名前は、今では多い名前だけれど当時は珍しかった名前だったので決めたそうです。
2回目のスタンプラリーはここで終了。
今回は午後から6ヶ所を巡ることができました。
残り89ヶ所!