癒しの和歌山 ~麻巳子の和歌山探検ブログ~

『 和歌山県指定文化財 


 史 跡 藤代塔下王子跡

 指定年月日 昭和四十九年三月二十九日


 この地は熊野九十九王子の一つ塔下王子の跡である。

 この王子跡は藤白王子と橘本王子との中間に位置し別名を若一王子とも呼ばれイザナギノミコトを祭神とする社があったが明治四十年(一九〇七)に橘本神社に合祀された

 橘本神社には現在でも若一王子と刻まれた石燈籠などが残っている。』


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延命地蔵として親しまれている、

地蔵峰寺のお地蔵さまを拝観したあと、

塔下(とうげ)王子跡へ行きました。(‐^▽^‐)


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といっても、本堂からすぐそこです。(;^_^A


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画像正面に見える建物は休憩所でした。


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「藤白塔下王子跡休憩所」と看板を掲げていましたが、

鍵がかかっていて中に入ることはできませんでした。(´・ω・`)


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こちらは休憩所前から見た地蔵峰寺です。

地蔵峰寺の境内に塔下王子があるという感じですね。(*^▽^*)


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「藤代塔下王子跡」の説明板です。


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『 藤原定家(ていか)の日記、建仁元年(一二〇一)十月九日条に見える王子社で、今「塔下」は、峠の当て字と思われます。

藤原頼資(よりすけ)の日記、承元四年(一二一〇)四月二十五日条では「道塚」王子と記されています。

この王子社は、明治時代に橘本(きつもと)王子社と共に、橘本王子神社(現、橘本神社)に合祀されました。

ここからの和歌浦方面の眺めは素晴らしく、応永三十四年(一四二七)九月足利義満の側室、・北野殿の熊野参詣に随行した僧・実意(じつい)は「こまやかな風情は絵に描きとどめがたい。いくら眺めても、飽きない島々の景色だ」と、日記に書いています。

北野殿も、よほど気に入ったのでしょう、昼食抜きで、長時間眺めていたようです。

その場所は「御所の芝」と呼ばれ、案内板の裏手にあります。

今では、休息できるよう整備されています。』


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休憩所の隣というか境内の奥の方に

「県指定史跡 塔下王子跡」とありました。


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『 この地は藤白峠を越えた熊野街道沿いにある熊野九十九王子社の一つで跡地は地蔵峰寺の境内にあり、町内に入って第一番目の王子社で「塔下王子」という。

 建仁元年(一二〇一)の後鳥羽上皇「熊野御幸記」の十月九日条に藤白王子を発って「道崔嵬 有恐、又眺望遥海非無興、参塔下王子」とある。』


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中には小さな石像が祀られていました。

こちらの像についての詳しい説明はなかったです。


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風化して判別しずらいけれど、

お地蔵さまというより武神像のようです。

こちらも素朴な像で和みますね。(*^▽^*)