昔、夜の六本木から東京タワーを見た時の感動は忘れない。
みかんの日に、和歌山インターから高速に乗って海南市の下津まで行ってきました。
まず向かったのは六本木・・・・じゃなくて
六本樹(ろっぽんじゅ)の丘です。
通称:ろっぽんぎと呼ばれているそうです。
有田みかんも有名だけれど、下津地域の下津みかんも古い歴史を持ちます。
車で走っていると、あちらこちらでオレンジ色に色づいたみかんが見られました。
「曲がり角はどこやったっけ~?」
と、広い道から右折する道を探し、曲がり角に案内板を発見。
この舗装された山道をしばらく上って行きました。
曲がり角から2~3分ぐらいで、六本樹の丘に到着しました。(海南市下津町橘本)
以前来た時に、六本樹の丘があるのは知っていたのだけれど、
福勝寺(ふくしょうじ)さんの参道、石段下あたりにあるのに気がつかなかったのよね。
わくわく編集部のロケハンという地元番組で紹介されて知ったのですが、
橘の木を6本植えて、みかんの発祥の地にふさわしいように、
2019年から整備をされたそうです。
ここは日本で最初にみかんの原種である「橘(たちばな)」が移植されたと云われる場所です。
そして「橘の根元」の意味で、この地域は橘本(きつもと)と呼ばれています。
橘はみかんの原種と言われているとともに、「菓子」の起源とされていることから、
『みかん・お菓子発祥の地』
とされています。
説明板に田道間守(たぢまもり)について書かれています。
西暦71年頃、第11代垂仁(すいにん)天皇の時代のこと。
田道間守は、垂仁天皇の勅命を受けて、不老不死の霊果を求め海外に渡りました。
10年余りの歳月をかけて常世の国から
非時香菓(ときじくのかぐのこのみ:現在の橘)を持ち帰ったのですが、
垂仁天皇はすでに崩御されていました。
田道間守は持ち帰った橘の半分を皇后に献上し、残りの半分を帝の御陵に捧げ、
嘆き悲しみながら亡くなったといいます。
垂仁天皇の御陵は、宝来山古墳(奈良県)ですが、
この時に田道間守が持ち帰った果実を最初に移植したとされるのが、
橘本神社(きつもとじんじゃ)の旧社地「六本樹の丘」だと伝わり、
同社には、田道間守がお祀りされています。
見晴らしの良い丘に6本の橘の木が植えられているということなので、
数えたらやはり6本ありました。
かつてもっと荒れ地の中に、橘を6本植えられたと思われており、
植えたのが6本の木だったことから「六本樹の丘」と名付けられたそうです。
残念ながら橘の実はなっていなかったけれど、
裏山はみかん山で、黄色いみかんが色づいていました。
みかんのルーツを巡る旅も面白いですね。
みかんの白い部分、とる?とらない?
あまりにも多い場合はとるけれど、基本とらないです。
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