(真の幸福とは?)
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〈「幸福の宮殿」は自分自身の生命に〉 1
(長野県総会、1990年8月)
多くの人びとが求めてやまない「幸福の宮殿」、永遠不滅の「幸福城」は、どこにあるのか。どうすれば自分のものとすることができるのかー 。
日蓮大聖人は「御義口伝(おんぎくでん、相伝書)」で次のように仰せである。
「南無妙法蓮華経と唱えるは、自身の宮殿に入るなり」と。
どのような人の生命にも、仏界という金剛不壊の生命の境涯がある。それは、いわば、まばゆいばかりに無量の”財宝”で飾られた、永遠不滅の幸福の「宮殿」である。
信心をし、題目を唱えることによって、その生命の宮殿に入っていくことができると教えられているのである。
世間には、人それぞれの「宮殿」がある。財産や社会的地位を求める人もいる。また、名声や人気や流行などにあこがれることもある。
しかし、それらは、確固不動の大山のように永遠性のあるものではない。移ろいゆく人生のなかで、ホタル火のごとく、美しく点滅しては、いつしか消え去ってしまうものである。
はかなく消えゆく世間の栄えを求める人生も、またむなしい。いつかは無常に帰す虚像の幸福に、あれこれと心を動かすことも、またわびしい。
大聖人の仰せのごとく、自身の生命の最高の境涯ー これこそが、永遠にして不滅の「宮殿」であり、「幸福城」なのである。