(真の幸福とは?)
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〈長野県総会〉 2 完
どんなに立派な家に住み、多くの富に恵まれていても、心が卑しく、境涯が低ければ、決して幸福とはいえない。それでは、「不幸城」に住む人となってします。
たとえ今は、どのような環境にあっても、心美しく豊かで、境涯の高い人は、必ず物心ともの幸福を開き、築いていくことができる。
これは、依正不二の原理として説かれている通りである。
依正不二とは簡潔にいえば、依報である環境と正報である主体、自分自身とが一体不二の関係性にあることである。
また、自分自身の生命の宮殿を開いていくことが、やがて他の人びとの幸福の宮殿、社会の繁栄の宮殿を開いていくのである。
自身の生命の宮殿を開きながら、それが他の人の生命の宮殿を開いていくという連動性ー ここに、仏法のすばらしき方程式がある。
現代のように複雑で、ともすれば悪の蠢動(しゅんどう)に巻き込まれがちな社会では、人生を聡明に生きていく知性が大事である。
一方、信心は幸福への境涯を開くものである。この信心と知性の両者を磨き深めた人こそ”人間王者”の姿であり、人生の王道を歩みゆく生命の勝利者なのである。
ともあれ、信心によって、自分自身の生命の宮殿を三世永遠に輝かせてく。その人こそ最高の幸福者である。
皆さま方は、広布の活動によって、日々、みずからの生命の中に幸福の「宮殿」を築き、開いておられる。
ゆえに、一生成仏(=一生の間に成仏すること)は間違いないし、必ずや宇宙大の生命の宮殿に住む”幸福の王者”となっていけるにちがいない。
どうか、その強い確信と誇りをもって、明るく、堂々と信心の大道を進んでいただきたい。