くにまさのブログ

くにまさのブログ

知っていただきたいことを、主に記していきます。

     (『新・人間革命』第10巻より編集)

             198

           〈桂冠〉 49

 

 

 やがて、彼女は、男子部の幹部で建築家の藤矢英雄と結婚し、さらに、一児の母となった。

 

 環境の変化があると、懸命に頑張り抜いて来た人であっても、多かれ少なかれ、信心の勢いを失ってしまうものだ。

 

 だが、彼女は、結婚後も一歩も退くことなく、広布のために奔走し、女性リーダーとして、ますます力をつけていった。

 

 そこで、本格的な広宣流布の新時代を迎えるにあたり、伸一は、彼女を女子部長に推したのであった。

 

 青年部長の谷田、男子部長の渡、学生部長の立松、そして、女子部長の藤矢弓枝と、創価の新時代の黎明を告げる青年リーダーが、今、さっそうと躍り出たのである

 

 

 三月五日、東京地方は好天に恵まれ、春らしい、うららかな一日となった。

 

 山本伸一は、この日を、胸躍らせて待っていた。

 

 二月二十七日の本部幹部会で発表された壮年部の結成式が、夕刻から、学会本部で行われることになっていたからである。

 

 執務中も、伸一は、壮年幹部の顔を見ると、嬉しそうに、何度も話しかけた。

 

 「いよいよ壮年が立つんだね。これで、本格的な広宣流布の時代が幕を開けるぞ・・・」

 

 広宣流布という壮大なる建築の柱は壮年であると、伸一は確信していた。日蓮大聖人の時代、在家の中心となって活躍したのは、いずれも壮年信徒であるからだ。

 

 たとえば、鎌倉の中心人物であった四条金吾が、竜の口の法難(一二七一年九月十二日、日蓮大聖人が、敵対する極楽寺良観や幕府権力の策謀により、鎌倉の竜の口で斬首刑に処せられようとした法難)で、殉死の覚悟で大聖人のお供をしたのは、四十歳ごろである。

 

 そして、極楽寺良観の信奉者であった主君の江間氏を折伏し、所領を没収されるなどの迫害が打ち続くなか、果敢に戦い抜いたのは、四十代半ばからである。

 

  しかし、四条金吾というと青年信徒の印象が強い。それは、彼が大聖人に帰依したのが二十七歳ごろであったせいもあるが、何よりも広宣流布への一途さ、真剣さ、大情熱が、青年を思わせるからであろう

 

 

 

 

 

『人間革命』は、くにゆきのブログより→

 

 その他は、ゆきまさのブログより→