質問者
「残念なことなのですが、苦難に遭うと不幸だと思い、邪険になり、卑屈になっていく人が多いようです。」

シルバーバーチ
「それは結局のところ、その人の人生に確固とした土台がないからです。
人生観、宗教観、それに物の観方が確固とした知識と基盤としておれば、いかなる逆行の嵐が吹きまくっても、動じる事は無いはずです。
これも人生の1コマだ、すべてではなくほんの1部に過ぎないのだと言う認識ができるからです。
私はこのシルバーバーチの言葉に強く共感します。
全ての人に声を大にして伝えたい。


私は苦しみさえすれば、自動的に人間性が磨かれるとは決して申しておりません。

苦難は地上にいる限り、耐え忍ばねばならない、避けようにも避けられない貴重な体験の1つで、それをが人間性を磨くことになると言っているのです。

(中略)

悲しみを味わってこそ幸せの味もわかるのです。

困難が人生とは何かをわからせる手段となることがよくあります。

困難、悲哀、病気、危機、死別こうしたものを体験して初めて霊的な目が開くのです。

それが永遠の実在の理解に到達するための手段となっているケースがたくさんあります。



苦しみにはそれ相当の目的があります。
苦しみはなくてはならない大切なものなのです。
なぜなら、それを通じて、魂が目が開かされ、隠れた力を呼び覚まされ、その結果として、霊的にときには身体的にいっそう強力になって参ります。
そうなるべきものなのです。
多くの人にとって、苦しみは、全人生を全く別の視点から見つめさせる大きな触媒となっています。

連帯関係にある霊団がいくつもありそれぞれ一人のリーダーがいます。
その全体の総指揮に当たっているのが、かのナザレのイエスで今なお、地上世界の発展のための事業に関わっております。
そのイエスのもとで地上なら、さしずめ首脳会議にあたるものが開かれます。
ご存知のように、時折私もその会議に出席するために、一時的に上層階に引き返し、それまでの計画の進展具合を点検し、連帯関係を確認いたします。審議会のようなものです。

マスタープランというものがあり、私たちに役割分担があてがわれております。
霊格の高さゆえに、地上の事業に関与できる「光り輝く存在」をひと目ご覧に入れたいと思うのですが、残念ながらそれはできません。
そうした霊団の他にも、他の形態の生命に関与している霊団もありますが、私が関与しているは、地上人類のための事業です。 

睡眠中は肉体を離れて一時的に死ぬわけです。
そうすることによって徐々に霊界生活に慣れていきます。
そうしないといよいわ本当の死が訪れたときに何のことが理解できず、新しい生活環境に順応するのに長い時間を要することになります。
地上にいる間の夜の霊界旅行での体験は、全部潜在意識の中に収められています。
それがいつか意識に上ってきて、霊界があまり不思議に思えなくなります。

過ぎ去った日々の中に悲しい命日を設けて個人を思い出すとおっしゃいますが、一体何のために思い出すのでしょう。
そんなことをしてその霊にとってどんな良いことがあると言うのでしょうか。
何一つありません。
過ぎ去ったことをくどくど思い起こすのは良くありません。
それよりも1日1日を1度きりのものとして大切に生き、毎朝、霊的に成長する好機の到来を告げるものとして希望に胸を膨らませて迎えることです。それが英志の道です。


地上では死を悲劇と考えますが、私たち霊の立場からすれば悲劇ではありません。
解放です。
なぜなら魂の霊的誕生を意味するからです。
地上のあらゆる悩み事からの解放です。
よくよくの場合を除いて、死は苦労への褒章であって罰ではありません。
死は何を犠牲にしてでも避けるべきものと言う考え方は改めなくてはいけません。
生命現象に不可欠な要素であり、魂が自我を見いだすための手段とみなすべきです。

肉体は霊が自我を表現するための道具です。
存分に発揮したいと思われれば十分な手入れをしなくてはなりません。
疲労が重なると本来の機能が発揮できなくなります。
そこで神はその無限の叡智によって肉体を休息させ、活力を取り戻させるための睡眠を用意したのです。
ちじの四季の移り変わりをよくご覧なさい。
秋になると大自然は冬の眠りのための準備をし、春になると再び目覚め夏にその壮観を披露します。
人体も同じです。休息によって元気を回復しなければなりません。
休息はぜひとも必要です。