“Magic Beat, Magic Life” 鼓動と共に 亞希のブログ -17ページ目

“Magic Beat, Magic Life” 鼓動と共に 亞希のブログ

先天性心臓疾患により手術繰り返すも 命の鼓動を打ち繋げてきています

一歩前へ踏み出したい時
心ほっこり癒されたい時

パーカッション・筆文字・言葉から溢れる Beat (鼓動 / リズム)を通じて HeartにMagicを そして Magicな(魅力的な / 素晴らしい)人生を

これまでの人生で

富士山にどれだけ助けてもらってきたのだろう。

 

今日は富士山の日なのですね。

思いを馳せてしまいました。

 

 

富士山登ったことある?

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富士山には実際登ったことはなく
眺める側の人間ですが、
 
私にとっては人生のターニングポイントで
富士山の御力をいただいてきています。
 
 
心臓手術では人工心肺を使い
心臓を止める為、
 
再び鼓動を打ち返してきた私の身体は
 
これまで幾度と死んでは
生き返らせてきてもらったようなものです。
 
 
 
入院中の術後苦しかった時に見た
朝焼けに染まり
神がかったかの美しき富士山。
 
心身に走る感動が
身体に走る痛みをも超えたのか
 
あの時だけ不思議と
苦痛が消えていました。
 
 
 
手術日の朝も
富士山を眺めていたのですね…
 
再び命いただき
やれた事もあるけど、
後の検診の際に
宣言したことは出来てないわ。
 
当時から年代も変わり
もはや「まだ」とは
言い難い歳になってしまっておりますが、
 
それでも尚 どこかで未だに
この海の向こうへの想いがあるのか
富士山を通して
忘れていた当時のことを

蘇させられるのかもしれませんね。

 
 
 
昨年訪れた場で見た富士山からも
大きな御力をいただきました。
 
image
 
向こうに薄っすら見える富士山。
 
image
 
まるで、スプレーアートのよう。
 
 
本当にそこに存在しているのか
別次元から浮かび上がってきているのか。
 
時代・世代が違う隔世ではなく
 
神々の地とも彷彿させる
どこか不思議な
 
この世との隔たりすら感じます。
 
 
 
富士山は、
麒麟に例えられることがある私にとって
(身長が?)
 
何度死のうが生まれ変わらせてもらい
 
目には見えない
不死麒の御力をくださっている
不思議な存在。
 
 
拝みて感謝です。
*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆

ふと、目に入って来た

これ。↓

 

 

夏目漱石の作品読んだことある?

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そういえば、夏目漱石の本って
学生時代の授業で使われた
『こころ』を
一部読んだだけで、
きちんと全部読んだ事ないのですよね。
 
ぶっちゃけ、私自身は所謂
"本好きの人" ではなく。
 
本を愛する人が好きなのだと
気付かされつつあり。
 
でも、本は読みますよ。
(積ん読。)
 
 
このご時世、入院中でも病棟に
パソコン持込みやスマフォが
当たり前になって
そっちに時間使うこと多くなりますが
 
昔は、入院中は身体辛くとも
ゆっくり心向き合い
読書が出来る時間でもあり。
 
当時、親友から贈られた本。

本の中で書かれてあった言葉は

今も心に残っています。↓
そういった面からも
私は本に助けてきてもらってますね。
 
 
そうそう、
祖父が生前、昔のお札を
綺麗に並べて保管していたのを見た記憶があり。
 
私は全くそういうのに興味なく
普通に使っちゃうので
一つも昔のお札や硬貨は無いな。
 
と思ったら、
たった一枚、これのみ持っていました。
 

 

 
夏目漱石好きでもないし
古札集め趣味でもないし
 
でも、不思議と
近代日本文学の代表的作家である
この御方のだけは持っていたいという
衝動ともいえない
何かを感じたのでしょう。

 

 

 

話は戻り、

『こころ』の中にあった言葉。

 

「おれは策略で勝っても人間としては負けたのだ」

 

ここに関しては

教科書の模範解答みたいな

読み取り方がほとんどで。

 

どう感じるかは人それぞれですよね。

 

 

人は、限りなく美しく

誰にも壊してほしくない

純粋なものもあれば

 

醜さで辟易してしまうもの

コントロールしがたいもの

 

混濁してしまう時もあるのが

人間なのではないでしょうか。

 

 

他者に対して

清濁併せ吞むことができれば何よりですが、

 

最終的には

自分自身にそれができるかどうか。

 

 

スポーツや他競争技での勝ち負けはともかく、

人間としてどうこうになると

 

自身の中でゆるぎない

哲学的思想をしっかり持っている人や

繊細なこころを持つ人程

苦しみ苛まれるのかもしれません。

 

 

全肯定で受け入れて生きていく

というのは

なかなか難しい。

 

だからこそ、

 

赦しや愛を

共に分かち合っていくことが

大切なのかなと想う、

漱石の日でした。

゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆

 

 

夏目漱石 関連記事

2月20日は、母の誕生日。
 
かなり高齢なので、
最近ほんとに物忘れが激しく
 
電話したら、
 
「何日か前までは覚えてたのに、
 今言われるまで
 今日だと忘れていたわ。」
 
とのこと。
 
 
同じ忘れるでも、
歳で忘れるになったのが
 
いつの間にか
そういう年代となり
 
あれから長い年月が経ったのだなぁと。
 
 
 
大学卒業時、
心臓手術で入院中に
母の誕生日となり。
 
こちらの投稿『どんな時も』
に当時のことを書いていますが
 
苦しがってる私を見ながら
お母さんが代わってあげられたら…
と呟いていた毎日だったので
 
それどころではなく
ほんとに忘れちゃってた様な感じでした。
 
 
あの時は桜餅で
 
今年は、
昨年訪れた場の帰りに見かけた
母が好きなので購入した栗鹿ノ子、
 
年始帰省しなかったので
誕生日に一緒に送れたらなと
思っていて
 
またしてもケーキではなく和菓子。
 

これ美味しくて私も好き♡

なんで女子(などとは とうの昔の歳なったけど)は

芋栗系好きなんだろね。

 

 

 

先日、

知人の書いた投稿を読ませてもらった際、

幼い頃に親に言われた言葉って

良いも悪いも

結構覚えているのを知り。

 

自分に置き換えてみた時、

確かに幼い頃はスポンジ吸収で

 

そのまま疑いもなく

受け入れていた言葉あったなぁと。

 

 

一聴すると、

悲しくマイナスな言葉でも、

 

その裏には

 

我が子が将来傷つかないよう

母なりの愛があったから

敢えて言ってたのだろうと

今となっては思えます。

 

 

ま、

自分の誕生日忘れてる位なので

恐ろしく昔に言った言葉なんて

本人覚えてる訳もなく..。o○☆

 

 

表面的な言葉だけで

一喜一憂することなく

 

その裏にある想いや思いやり

 

どんな時も根底にはある

無償の愛を

 

親子関係に限らず

出逢う人との言葉に内包されている

心を通じて

 

感じ合っていけたらいいですね。

゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚