こんにちは。

今回は、聖書の預言書に書かれてる当時の人々の様子と現代の世間の様子を重ねたり、聖書の学びによるわし自身の変化等を挙げたりして、改めて聖書こそ真理であり全人類が知るべきなのだと知ってもらうための内容にしました。

 

 

一、本題に入る前に 

 

当ブログでは、以前から「日本はイスラエルである」事実を理解するのに役立つ媒体(真の聖書福音と預言 【第八回】日本はイスラエルである (bitchute)ほか)を紹介し、現代の日本人も古代イスラエルおよびユダヤの人々と同じ過ちを繰り返してる事実や日本人が聖書を学ぶ必要性について、過去記事「聖書は日本人にこそ関係する(出エジプト記から)」等でも示しました。ですが、依然として聖書に関心を持って真剣に学ぼうとする人がごく少数なままです。その原因として、やはり「聖書は西洋の宗教(キリスト教徒)の教典であり、自分たち日本人はキリスト教徒でない限り関係無い」という誤解が根強いと考えられます。聖書を自身でまともに読んだこともないのに、同じように聖書に無知な人らの戯言や妄想、例えば「聖書は支配層の計画書」「聖書は信用ならない程に改ざんされている」と信じて譲らない頑固な人も少なくありません…。んな人間であれ、聖書を意図的に避けて読みもしないなら、得られるものが何もないどころか、世の権威による洗脳から完全に脱却する機会を失うことになります。世の悪の実態を認知するだけで悪に抵抗できるわけではないからです。

 

現在の世の中では、「今後何が起こるか分からないし、どんな行動を取るべきか確信が無く不安だ」と思うのも無理はありません。ローマ教皇や偽ユダヤ人等の支配層の言いなりになって与野党グルで売国や日本の破壊に勤しむ多くの公務員、企業、その他各組織の実態だけでなく、民衆も多くがどうでもいいことに精を出すのに肝心の政治等に無関心である事実を見聞きして、わしは将来が不安でしかなかったし、確かな信念も持ってませんでした。早急にその状態から脱却するのが望ましいです。わしのブログに来訪してくださる方々のほとんどは、少なくとも「今の世の中おかしい」と常々感じていると思います。「真の聖書福音と預言」から、聖書の真髄を知るに至って、聖書が世の悪に抵抗する上でも欠かせない理由に納得でき、新たな価値観や自分自身にできることを知って不安が解消されていきました。この経験をもとに、聖書の真実性をなるべく多くの人に早期に知ってもらい、誤解を解くのを助けたいと考えています。

 

現時点で、特に聖書をどうしても信用できないと考えてる人が居るなら、どの点でどんな理由で信用ならんと考えてるのか、率直に考えを共有していただければ幸いです。その他のご意見やご感想等もお気軽にご投稿ください。お互いに新たな発見があるかもしれません。

 

 

ここからは、おもに預言書から、現代の世相から考えて一致してる事柄について述べます。聖書の真実性を認識するきっかけにしていただきたいです。

 

二、金持ちや彼らに与する者らは昔も今も邪悪である 

 

【邪悪な(神に反逆する、罪深い)者どもに挙げられてる特徴】

罠を仕掛けるように見張って(破滅に陥れる)計略を立てて人を力ずくで捕える、鳥がいっぱいの籠のように、彼らの家は欺きが満ちている→邪悪な者どもは強大になって富む

肥え太ってる、滑らかでつやがある、悪事に限りなし、嘆願を聞き入れ適切な裁きをしない、貧しい人々の権利を主張し立証しない

(エレミヤ書五章二十七節~二十九節 参照)

分かり易い例だと、詐欺集団が狡猾に計略を立てて人々から大金を騙し取る詐欺、日本の政治家が散々国益を損いながらも欧米の支配層に従順故に安定した地位で富んでる実態があります。自民党の裏金問題からも、公務員らが不当に裏金を作って金銭を騙し取ってる実態が昔から普通にあるのだと改めてよく分かったと思います。約四年前からのコロナ犯罪で、人間の遺伝子をも組替える史上最悪のワクチンの実態を隠して「コロナの感染予防に効果ある」等と猛烈に宣伝をして世界中で大勢の人に接種させたり、「感染症検査」と嘘をついてPCRで人々の遺伝子情報を盗み取ったりして、医師や製薬会社やPCRに携わった者らが大儲けしました。近年に限らず、昔から、あらゆるワクチンによって病気の予防どころか新たに病気が作られ、偽ユダヤ人らの金融資本や戦争屋が意図的に戦争を起こして莫大に儲け、食品製造販売会社が安さで釣って有害な商品を買わせたり「健康志向」を強調しながら原材料に人工の有害な添加物や遺伝子組み換え食品を使用したりしています。また、暦まで悪魔崇拝者によって詐欺制度、すなわち太陽暦(グレゴリオ暦等)が広められ、現在までずっととんでもない詐欺が長年行われています〔詳細:太陽暦は悪魔崇拝の暦であり詐欺制度 | 真の聖書福音と預言 (ameblo.jp)〕。太陽暦が世間的には「当たり前」となった現在では、残念ながらこの邪悪さを実感する人が中々居ませんが、太陽暦の実態を知ることで、世の悪を知ってもなお気付けてない世の欺瞞が数多くあるのだと気付くことにもなるはずです。世の洗脳から脱却するためにも無視できない事実です。例を挙げたらたくさんあり、このようにいつの時代でも金持ちは自身の欲望のために悪事を重ね、社会的弱者に耳を傾けることもほぼ無く、人々の人権も平気で踏みにじっています。仮に人々の権利を擁護するのなら、企業が人件費を出し惜しんだりせず、人材派遣会社が中抜きしたりせず、平気で粗悪品を流通させたりせず、劇薬を人々の体内に入れたりも絶対にしません。

彼らの見かけとして、確かに贅沢して見た目も肥えてる者が居ますが、「肥え太る」を意味する語が、イザヤ書六章十節で「この民の心を太らせ(直訳した場合)」という言葉で使用され、この聖句の内容がマタイによる福音書十三章十五節で引用されています。

そして、イザヤの預言が彼らに実現された。それ曰く、「聞くことで聞くだろうが、決して理解せえへん。見るには見るだろうが、決して認めへん。この民の心は愚かにされ、耳には鈍く聞き、彼らの目を閉じた。彼らは目で見ず、耳で聞かず、心で理解せず、悔い改めへん。そして、我は彼らを癒して完全にせえへん。」

マタイによる福音書 十三章十四節〜十五節(引用元:現実逃避をやめよ | 真の聖書福音と預言 (ameblo.jp)

すなわち、「肥え太る」というのは、単純に肉体が太るという意味だけでなく、内面的にも「愚かである」のを意味すると考えられます。実際、「人殺しである悪魔」(ヨハネ八章四十四節参照)がもたらすこの世での儚い権力や富に目が眩み、この世で好き放題して良い思いをするが、最終的には神による厳しい罰を逃れられないことに気付かない世の悪人は愚かと言わざるを得ません。支配層といった極悪人だけでなく、現世での生活に固執してお金の為なら多少の悪事も厭わない大多数も同様です。神による真の正義や永遠の命等よりも、有限で儚いこの世での利益ばかり求めるからです。直接的に詐欺を行ってないとしても、世の権威(政府、官僚、御用医師、学校教育、富豪や有名人等)を盲信して、彼らが形成した偽りの「常識」をいつまでも捨てず、コロナ犯罪然り世界的な詐欺に加担して、これらに反対するまともな人を「異常者」と看做し、極悪人に与している人ばかりです。憲法二十五条に反する外国人への生活保護や不正受給が問題であって生活保護の制度自体は何ら問題無いのに、正当に受給してる人にも攻撃する者、あるいは貧困を自己責任で片付ける無慈悲な者も見られます。

また、「滑らかでつやがある」というのは、それを意味する聖書ヘブライ語(עָשַׁת)の使用例が聖書本文中にわずかなため、詳しい意味は不確かですが、分かる範囲での意味合いとしては「肥えたこと由来の滑らかさ、輝き」の感じです。内面的な品性こそ重要なのに、金銭的にそれなりに余裕がある場合、金と時間を掛けて外見ばかり取り繕う有様も当てはまると考えています。また、他に思い浮かんだのが男性の「髭剃りが常識」という洗脳です。これについては後程も触れます。

 

富んでないとしても、上記引用したエレミヤ書にある邪悪な者の特徴に当てはまる人間が、特に現代では多数派だと言えます。悪から完全に離れるためにも、聖書には神が人間に何を求めておられるか明確にわかり、聖書を無視して悪から離れないなら地獄行きは不可避です。

 

以前、X(旧ツイッター)にて、株価が高くても恩恵があるのは一部の大企業やその株主らであって、大抵の庶民には無いこと(日本は景気が良いわけではなく、むしろ売国が進んで亡国してもおかしくない危機的状況であるのを示すための一環)を述べたことがありました。その返信にて、こちらが金持ちに嫉妬してそのように発言したと一方的に決めつけた者が居ました。しかし、こちらは世の悪について学び、聖書の理解に努めてから、金持ちを羨ましいとは全く思いません。この返信をした人の頭の中では、「金持ち=羨望されるべき存在」という概念が根強く、こちらが決して嫉妬ではないと言ったのが信じられなかったのだろうと推測します。当然ながら金持ちが羨望の的となるべき存在ではなく、世の現実からも、そして主イエス・キリストが「金持ちは天の国に入れない」(マタイ十九章二十三節ほか参照)と仰った意味が聖書の様々な箇所からよく理解できます。金持ちに憧れる、お金こそ重要だ等と考えてる人は早急に考えを改めるべきですし、自分に嘘をついてまで金を稼ぐために自身を消耗させることも避けるのを勧めます。

 

 

三、不法者・邪悪な者ばかりである大衆|古代イスラエルやユダの滅亡直前の時代と似た状況の現代日本| 

 

聖書の特に旧約時代の預言書を読んで、書かれてる古代イスラエルの国や民の様相、それによる災いの内容には、現代の日本にも大いに当てはまってる部分が多いと認識しています。現在の市販の聖書の中で、旧約時代の預言者が書いた書は十六あり、その中でイスラエルの人々の堕落ぶりを示した箇所はざっと数えて六十か所以上あり、その大半が「現代も似たような状況だな」と思わせられる内容ばかりです。全部は列挙不可能なので、特に現代にも当てはまる、現在の世の動向と併せて伝えたいものを挙げました。

 

①悪を善と言って善を悪と言うこと、闇を光として光を闇とすること、自分の目には知者で賢いと自惚れること(イザヤ書五章二十節~二十一節 参照)

かつて、イスラエルの人々の間でも、善悪の基準が崩壊し、そのくせ自分こそ正しいと考える人が多く、災いを招く大きな要因の一つとなったのでしょう。近年では、「多様性」を建前に日本ではLGBT法を作りもして人々に違和感を持たせないようにしているし、最近ではギリシャで同性婚が合法化された(正教会の国家初)という報道(BBCニュース)を耳にしました。いくら人間がもっともらしい理由で合法化しようとも、結婚した男女以外の性関係(性的倒錯を含む)が神の嫌悪に変わりありません(レビ記十八章より)。身体は男なのに「心は女」と自称するのを認めたら性犯罪の危険性が高まるし、あらゆる面で性的倒錯してない人々の安全性や権利を脅かすことになります。神にとって嫌悪である事柄(特に反律法)が広められても、人々にとって有害でしかなく、特に不自然なまでに聞こえの良い建前を使って推進される事柄には何であれ要注意です。

善悪の基準が狂ってる例として、男性の髭の件もあります。髭は男性らしさを表し律法で剃るなと規定がありますが、「憲法の人権意識を強く持ち、神の秩序を守れ〔真の聖書福音と預言〕」から、髭を否定的に見る世間の異常な風潮を実感する機会となりました。この記事で取り上げられてる、髭を理由に不当に人事評価を下げられた旧大阪市営地下鉄(現大阪メトロ)職員の事例から、日本や世界各国の無秩序さを思い知れます。また、髭を剃るのがあたかも常識のように仕向けられてる理由や、髭を嫌う人の心理を知りましたし、徳川幕府の時代の髭禁止令の背景からも男性から髭を奪ってはならんこと、そして神の律法の意義の理解が深まりました。

また、過去にも何回か言及していますが、世の中おかしいと気付いても、未だ世の権威を盲信してこの地が動いておらず平面である事実を認めない人が多いです。宇宙等の概念を信じてる人は、もれなく支配層による強烈な計画である青い光線計画にまんまと騙されることになります。中には、正当な根拠も無いのに、この地が平面であるという主張こそ支配層による誤誘導と言ってる工作員もしくは洗脳民が居ます。頑なに世の偽りの常識を信じるような人々、正当な根拠も無く正しい事柄を中傷する人々は、皆「自分は賢い」と思って考えを改めない人ばかりです。考えを改める人が現れることを願います。

 

②周囲の国々の民に倣って喜んでること

(エゼキエル書十一章十二節、ホセア書九章一節 参照)

神の律法に通ずる要素が含まれている日本古来の文化や精神性を捨て、外国に倣ってかぶれること、とりわけ西洋かぶれがどう災いなのかを学び、学びを基に自分なりに過去記事でも考察してきました。「外国の慣習もすんなり受け入れる日本人は寛容だな」ではありません。神の律法を無視して正しい善悪の基準や信念が無い故の見境無さです。買う物を事前に考えず、買い物で愚かにも衝動買いしまくる感じに似てると思います。確かに、外国にて日本には無かった良い要素があって、それを取り入れるだけなら問題無いのですが、現代の日本人も古代イスラエル・ユダヤの人々と同様に不信仰で、神の律法、掟、戒めを反故にして異邦人に積極的に倣ってきた結果、亡国にも繋がり得る致命的な問題を引き起こしてる現実を知って〔参照元:日本人の問題点 一 | 真の聖書福音と預言 (ameblo.jp)から続く連載〕非常に危機感を覚えました。日本の将来を考慮したり、自身が世の洗脳から完全に脱却したりするのに、この現実を知らずには居られません。

 

古代イスラエルの人々の多くは、自身をエジプトの奴隷から解放した主なる神を忘れ去って背いた結果、放縦になって悪事を行い、それが国や社会の悪化と混乱を招き、周辺国家から攻められる機会を作ってしまいました。同様に、現代の日本人の根本的な問題は、聖書理解をしようともせず、不信仰のままであることです。「古代イスラエルの状況が現代日本に重なる」で、神の律法や掟に忠実だった王の治世ではイスラエルの民の王国は安定し、神に忠実でない王の治世では王国に災いがあり、この歴史からの教訓が現代の我々にも当てはまることを示しました。世相がどんどん悪化してるせいで生きるのも嫌になる気持ちは分からなくないですが、だからと言って「楽しく生きれば良い」等と現実から目を逸らすのは賢明ではなく、待つのは日本と貴方自身の破滅です。特に、かつてのイスラエルの人々の過ちを繰り返してる日本人が、同じように憂き目に遭うのも時間の問題です。先祖が罰せられたのに現代では罰を逃れられるはずはありません。むしろ、歴史から学ばない分、より激怒が甚だしいと考えられます。

 

 

四、これまでのまとめと、自分自身の変化でもたらされたことについて 

 

聖書には将来の予告ばかり書かれているわけでも、創作の神話が書かれているわけでもなく、最初の男アダム以降の人類史(特に古代イスラエルやユダヤの人々の歴史)がありのままに書かれ、世の実態を合わせて知ることで現代でもイスラエルの惨めな歴史と同じようなことが繰り返されてると理解できます。悪魔や悪魔崇拝者が神の律法、掟、戒めに反した秩序を広めてるのであって、聖書には彼らにとって好都合な内容は無く、聖書が彼らの予告書だとか信用ならん位に改ざんされてるなんてあり得ないです。わしが聖書を真剣に読み始めた頃、最初は神に逆らう人々に降る厳しい裁きや地獄行きの運命に恐ろしいとばかり感じていました。「悪いことをした人は地獄行き」という意識は世間的に広く意識の中にあり、神はきっと存在するとは考えてたのですんなり納得できたものの、その「悪人」の該当者が多数派であることにはかなり衝撃的でした。以前は、人間が制定した法律を守り、人に親切にし、人は元々不完全なので出来る限りの善行をすれば良いと思ってたからです。もちろん神の厳しい裁きを受けるのは誰であれ恐ろしいと感じるでしょう。しかし、自分がそれをただ「怖い」「何でそこまでされねばならんのだ」という感情や疑問を払拭できたのは、聖書全体を通読して神の律法をはじめとする神の秩序が人間にとって普遍的に必要なものばかりであること、神(主イエス・キリスト)が示した慈愛と揺るぎない義を知り、大きく心動かされたからです。主イエスが模範となって示された生き方は、どんな人徳者よりも遥かに高潔で、これに倣う他無いと思えました。神の義を学習することで、それを無視して自分勝手に放縦に生きることの罪深さを理解するのにも繋がっています。

それから、聖書、ミカエル氏の「真の聖書福音と預言」、および同じく信仰を共にする兄弟方の発信内容から学びを積み重ね、自分でも世の動向を追っていったお陰で、今回の本論(二、三の項目)で示したような人類の本質も理解できました。その結果、自分の考え方で変わった面があります。一つ目は、他人に虚しい期待は抱かなくなったことです。他人に対して疑心暗鬼を生ずるわけではなく、例えば口だけの政治家や有名人に期待しないこと等です。これにより、いくら彼らが裏切者であっても、自分が感情的になったり、絶望したりすることも無くなりました。師はキリストお一人だけという意識があるからです。二つ目に、聖書から今後起こることがよくわかり、慌てたり一喜一憂したりせんようになりました。最終的に世相がどうなるかは聖書預言から読み解くことは可能で、ミカエル氏が既にある程度の聖書預言の内容を公開しておられて理解の助けになっています。世界的に電子決済等が急速に普及していき、徐々に庶民に慣れさせ、最終的には支配層の完全なる家畜に成り下がった人間(特に黙示録の「獣」であるローマ教皇の秩序に従う者)だけが電子通貨を使用できる状態に向かっています。黙示録十三章にある、獣の刻印を受けないと売買できないという状況です。獣の刻印を避けられるのは、最期まで神(主イエス・キリスト)への信仰を保持して神の掟を守り続ける真のキリスト者だけです。このように、聖書の内容の理解に努めていけば、最悪どんなことが起こっても、「世の終わりが近付いてる、聖書からしっかり自分のすべきことを日々し続けよう」と確かな軸を持って冷静で居られると思います。悪への抵抗を諦めることとは全然違います。悪いことは悪いと声を上げ続け、周知も継続していきますが、最悪の事態も想定しながら、主イエスのたとえにもある「岩の上に建てられた家」(マタイ七章二十四節参照)のような状態を目指して維持するのです。

 

画像引用元:https://ameblo.jp/leo085/entry-12835978692.html

 

悪人に与する悪人が大多数で、世の好転が見込めないのは、世の中おかしいと気付いた人なら既に多くの人が悟ってるのではないでしょうか。まだわしもどんどん成長に励む所存ですが、少なくとも聖書の真髄を知らんかったら、世の悪化に不安ばかり覚えていたと思います。あるいは、もう投げやりになって、できるだけ楽しく放縦に生きればいいやと思って自ら破滅に向かってたかもしれません。

 

今回の記事が、皆様にとって、聖書の価値に気付き、わしのような凡人でも良い方向に変わっていけてるみたいに良い方向に変わっていくきっかけになればこの上なく幸いです。