こんにちは。

 

今回は、聖書のおもに列王記や歴代誌下から、北イスラエル王国と南ユダ王国を取り上げ、得られる教訓を考え、神に依拠して律法を守る意義をお伝えします。

 

前回記事では、古代イスラエルの王のうち、サウル、ダビデ、ソロモンを中心に取り上げました。今回は、ソロモンの背信のせいでイスラエルが南北に分裂してからの時代です。やはり、歴史から学ぶことは重要で、純日本人の祖先である古代イスラエルの記録からは現代に通ずる点が多々あります。人物によって記述の量の差はありますが、いずれも興味深い内容ばかりです。前回記事でも紹介したように、日本こそイスラエルの民がやって来て成立した真正のイスラエルだと知るためには、こちら(Bitchute)が間違いなく参考になります。

以前、わしは古代イスラエルの王の歴史が書かれた部分について、「淡々と当時の記録が書かれてるだけだな」と思って少し軽んじてた面がありました。しかし、じっくり読んでいくと、自分自身への教訓になったのは勿論、当時活躍した預言者たちによる預言書をより理解するのにも繋がったと思います。点と点が繋がったようにすっきりした感覚でした。この記事をご覧になってる皆様に、わしが頂いてきた学びや気付きを共有し、聖書に強く関心を持っていただければ幸いです。イスラエル王国やユダ王国の王たちの当時の状況と、現代までの日本の状況とを重ねて考えたので、聖書は宗教の本なんかではなく日本人にこそ深く関わると認知して欲しいです。求道者や、世の悪を知ったけど不安である方々にも必見の内容ではないかと思います。

 

 

王からの気付きや教訓 

 

ソロモンの次の代から分裂した二国の王に、最期まで神への信仰と正しい行いを貫いた人物は僅かでした。聖書には王の規定が神の律法(申命記十七章十四節~二十節)に書かれてるのに、生涯の内に律法違反、すなわち罪を繰り返してやめなかった王ばかりです。当記事では、全員ではないですが、特に印象に残る王たちを複数取り上げています。我々にとっては、「人の振り見て我が振り直せ」のとおりに彼らから教訓を得て自分の行動に活かすことができます。

 

※凡例:王の名前(統治した王国、南北分裂後から数えた即位の代)

 

レハブアム(南ユダ、初代)

 

レハブアムはソロモンの子であり、ソロモンの死後に王となりました。特に印象に残ったのが、全てのイスラエルが集まり、レハブアム王に願いを申し出た場面です。内容は、ソロモンが人々に課した過酷な重労働や重い軛(特に、自由の束縛)を軽減するように願うものでした。ソロモンは様々な事業を行ったものの、同胞であるイスラエルの民を奴隷扱いはしなかった(列王記上九章二十二節、歴代誌下八章九節参照)と分かり、ソロモンが神の知恵を求めて統治していた頃に無慈悲な振舞いはしてなかったでしょう。重労働の記録の詳細は見当たらないですが、おそらく、ソロモンが異教の偶像の虜になって主なる神に逆うようになってから、彼の民に対する振舞いが悪くなったと考えられます。罪の原因として、「むしろ、すべての人が自分自身の欲望に引かれ、唆されて、誘惑されるんや。それから、欲望が孕んで罪を生み、罪が成熟して死を生みます。」(ヤコブの手紙一章十四節~十五節、引用元:罪について | 真の聖書福音と預言 (ameblo.jp))と書かれてます。神に逆らう人間は、神の律法、掟、戒めの中で最も重要な項目である神への愛と隣人愛(マタイによる福音書二十二章三十七節~三十九節参照)よりも自分の欲望を優先して罪を犯すので、罪を愛する王が自分勝手に民を圧迫するようになるのも不思議ではないです。ソロモンが書いた箴言の一つにある、「指導者が知性を欠いてると、多大な圧迫がある。」(箴言二十八章十六節、引用元:日本人の問題点 二 | 真の聖書福音と預言 (ameblo.jp))を結局は彼自身で体現してしまいました。これは、遠い昔の歴史というわけではなく、過去から現在まで同じです。世界各国の為政者や公的機関は支配層が構築を目指す新世界秩序に向けて足並み揃えています。日本国憲法第十五条二項では、公務員は皆が全体の奉仕者であって一部の奉仕者ではないと書かれてるのに、完全に違反して欧米の支配層に従ってます。そんな彼らが悪事を繰り返すのも、根本的には、創造主なる神ではなく悪魔や悪魔崇拝者に従い、自らの保身ばかり考えて隣人愛の欠片も無いからです。それで、ソロモンの子レハブアムも、「もし貴殿がこの日、人々の奉仕者になり、彼らのために仕え、応え、望ましい言葉をかけるなら、彼らはどの日も貴殿の僕となります。」(列王記上十二章七節拙訳)と助言した長老のまともな意見を蔑ろにし、自分に都合の良いこと(より軛を重くすること)を勧めた者らに従い、イスラエルの民にその意向を伝えました。そして、ユダ族とベニヤミン族以外のイスラエル人は、レハブアムから離れていきました。この件は、主なる神が事前に予告されたとおり(列王記上十一章十二節~十三節および三十一節~三十六節、歴代誌下十章十五節参照)ではありましたが、民への圧迫を増大させようとしたレハブアム本人に傲慢といった悪意があったのは間違いないでしょう。現代でも、政府が増税や税金の無駄遣いをしたり、倫理観が欠如した闇企業(ブラック企業)の経営者側が社員を安くこき使い、日本国憲法で保障されてる基本的人権や、労働基準法はじめ法律を無視したりするのをやめないのは、彼らが悪意に満ちているからです。何かと課税したり、繰り返し増税したりするのに、最近では水道管の老朽化を建前に(以前から分かり切ってたこと)不当に料金を値上げしています。電気代やガス代、ガソリン価格も同様です。こちら(TBS news23)を見ると、その値上げ幅も1.2~1.4倍とかなり大きい数字です。今後はもっと凄まじい上げ幅かもしれません。ガソリン価格高騰に関しても、こちら(Yahooニュース)では、鈴木財務相が「トリガー条項発動すると買い控え起きる」という支離滅裂な発言をし、何が何でも国民の益になることを嫌がるようです。ヤフーニュースの投稿欄にも怒りの声が多数ありますが、その先の大規模な抗議といった具体的な行動は何も無く、公務員側は違法行為も厭わずやりたい放題をやめません。

レハブアムから得られる教訓は、他人に助言や意見を貰う際、慈愛の性質を持たず自分の身勝手思いで真っ当な助言を退け、自分に好都合な意見に拘るのは不幸でしかないことです。ワクチン信者が「ワクチンは劇薬で猛毒だ」と正当な根拠を示しつつ忠告する言論を嘲り、国や自治体や御用医師や報道機関等を盲従して進んで接種した結果、免疫機能が著しく低下し、癌等の発病の危険性が極めて高くなり、死亡数も激増しています。また、PCRで多くの人の遺伝子情報が不当に盗まれ、接種者は遺伝子が組み換えられて支配層の所有物と化し、酸化グラフェン等によって強力な電磁波(特に5Gや6G)を用いて思考や行動が操作されます。この世の無秩序具合がますます悪化し、監視管理社会への導入も進むでしょう。世の中がおかしいと気付いても、政治家や報道機関について文句を言うだけで終わり、「日本人の問題点 一 | 真の聖書福音と預言 (ameblo.jp)」の連載のように日本人の問題点とその原因の分析や解決方法や勧告を無視するせいで、日本の状況は一向に改善されず、悪事を重ねる公務員等によって日本国民がますます圧迫され、破滅に向かうばかりです。聖書を読んで理解し、律法違反全てを悔い改めて主イエス・キリストを固く信じて従うべきだと強く勧める言論に従わず、「聖書は支配層の計画書」「聖書は支配層に都合の良いように改ざんされまくってる」「カトリック等の蛮行から考えて、聖書そのものに問題がある」といった全く根拠無き無知な人々の戯言を信じるせいで、この世の本質に気付けず、何が正しいかや善悪の基準も知らず疑心暗鬼になって絶望してしまいます。せっかく聖書に出会って読むようになっても、パウロやパウロ狂信者の実態を明らかにされても(参照:パウロは偽使徒 | 真の聖書福音と預言 (ameblo.jp))感情的に拒絶し、偽使徒パウロによる律法廃止論やイエズス会らがでっち上げた世の神学由来の偽教義と偽解釈の虜になって離れないなら、神から吐き出され(黙示録三章十六節参照)、どんなに自己弁護して願い出ようとも完全に拒絶される(マタイによる福音書七章二十三節参照)運命がもたらされます。有益な言論を軽視して拒む代償は大きいと言えます。

 

 

ヤロブアム(北イスラエル、初代)

 

元々はソロモンに仕えた立場でしたが、ソロモンに反旗を翻しました。ヤロブアムは、神が預言者アヒヤを通して告げられたとおり、ユダとベニヤミン以外のイスラエル人の王となりました。預言者を通して神が言われたように、ダビデの子孫を懲らしめて主こそ神であることを知らしめるためにも、ヤロブアムが北イスラエルの王となるのは神の御計画どおりでした。しかし、主なる神の御啓示を忘れたのか、信用できないと判断したのか、神に従うどころか、金の子牛の偶像を造って神に見立て、イスラエルの人々を惑わしました(列王記上十二章二十八節~三十節参照)。更に、神の律法に反してレビ族出身以外の民を祭司とし、律法に規定の無い第八の月の十五日の祭りを定め、自ら祭壇に上りました(列王記上十二章三十一節~三十三節参照)。生まれた時から本物の神を知らない異邦人ならまだしも、ヤロブアムは元々ソロモンに仕えてた身分で、預言者から神の御言葉を聞いたのに、イスラエルの人々を惑わした罪は甚だ大きいです。しかも、イスラエルの民がエルサレムの主の神殿に上っていけにえを献げればユダの王レハブアムに心を向けるのではないかという奇妙な理由でした。神に従えばダビデのように神から恩寵を受けると信じず、目に見える人間の目を過剰に気にしたのかもしれません。客観的に見れば、彼の考えと行動は非常に愚かと言わざるを得ませんが、人間は目に見えることにばかり意識が向きやすいのだと学べます。牛の像を造ったのは、出エジプトの際にモーセが山から中々下りて来ないのに不安を覚えてしびれを切らした人々とアロンの行動(出エジプト記三十二章参照)にそっくりです。一世紀当時でも、ユダヤ人たちは主イエス・キリストにしるしを求めて試したり、ファリサイ派を恐れて主イエスを信じると公言しなかったりしました(ヨハネによる福音書十二章四十二節~四十三節参照)。現代でも、聖書に書かれたキリスト(神)の御言葉よりも目に見える奇跡やしるしに魅了される者が少なくないし(福音書の主イエスの御言葉にもその旨がある)、唯物主義で、自分の目で見たことだけを信じ、人間が単なる肉体的存在ではなく霊的な生き物だと認識しません。そのような人々は、聖書を心から信じず、主イエスの警告に逆らって目に見える奇跡や業の類に魅了され、この世で発生する災害や飢饉や悪疫の騒動に翻弄されるに違いありません。

主なる神に反逆したヤロブアム王の家はその子ナダブの代で滅ぼされたのですが、その滅ぼした側であり次の王となったバシャ以降の王も、結局ヤロブアムと同じ罪を繰り返しました。そして、イスラエルの民衆も彼らに従ってヤロブアムの犯した罪を改めませんでした。そして、アッシリア等の周辺の外国に侵攻され、南ユダ王国よりも約百五十年も早くに首都が陥落させられ、彼らは散り散りになりました。悪人が指導者になると、人々にもその悪行をするよう仕向け、騙す側騙される側共にどんどん堕落していきます。もし大衆が非常に賢明なら、悪人が指導する側になっても早々に罷免させられるのですが…。歴史上でも、民衆が邪悪な独裁者に従って憂き目に遭ってきました。また、多くの人がコロナウイルスは存在せず、PCRは感染症検査ではなく遺伝子収集に使われており、マスクもワクチンも有害無益だ等と早々に気付けばコロナ犯罪は絵に描いた餅だっただろうに、多数派は実態に気付かず、どんどんコロナ犯罪を助長し、大衆は自ら自由を放棄しました。多くの人が世の悪に気付いて抵抗しないままなので、支配層の新世界秩序構築に向けた動きは止められません。聖書に記録された歴史から分かるように、諸悪の根源は多くの人々が神に逆らって理解力を失い、善悪の区別もできない程に堕落してることです。

 

 

アハブ(北イスラエル、第七代)

 

このアハブという王は、それまでのイスラエルの王とは異なり、ヤロブアムの罪を繰り返すだけでなく、バアル(古代フェニキアの太陽神であり、太陽神の起源は神に反逆してバベルの塔を建てようとしたニムロド)崇拝を行って一層堕落しました。シドン人(古代フェニキアの都市シドンの人)の王エトバアルの娘イゼベルを妻としたのが元凶でした。「エトバアル」の名は「バアルと共に」の意味合い、「イゼベル」の名はおそらく「バアルは狂喜させる」の意味合いで、彼らは名前からして根っからのバアルの狂信者です。列王記を読むだけで、イゼベルの精神病質具合が分かります。主なる神の預言者を殺害したり、アハブ王に対してぶどう畑を譲らなかったナボトについて嘘の証人を用意して殺害させたりしても、平然としていた程です。

アハブが妻イゼベルをバアル崇拝から離れさせればまだ良かっただろうけど、イゼベルが巧みに誘惑したのか、アハブは太陽神バアルの虜になってしまいました。律法の書にも、外国の神々や偶像の虜にならないように戒める言葉が複数あります。それ程に、異教崇拝や偶像崇拝は多くの人々が極めて容易に陥ると分かります。これは、現代日本人にも当てはまる、というより現代人は当時のイスラエルの人々よりも内面や行いが悪いと言えるでしょう。アハブでさえ、預言者エリヤから自分と妻の恐ろしい最期や子孫の運命を告げられた時、主なる神に対し少しだけ自身をへりくだったことがありました(列王記上二十一章二十九節参照)。しかし、現代の日本ではどうでしょうか。人々は自らの出自(日本こそ真正イスラエルである)を無視し、聖書を理解せず、自国の古き良き文化を蔑ろにし、西洋由来の文化や価値観の虜になっている人ばかりです。外国の異教である仏教由来の慣習を当たり前のように捉え、日本固有のものではないアニミズムや八百万の神といった自然崇拝や多神教がまともだと勘違いする者も見られます。「神が存在するなら、この腐った世の中をどうにかしてみせよ」とでも言うような傲慢不遜極まりない者も少なくありません。「自分は無宗教だ」と考えてても、自分こそ正しいと自己崇拝に陥り、仕事や学業や娯楽に貴重な時間のほとんどを費やしており、宗教の信者のごとく芸能人に貢ぐのも単なる「趣味」の一環と軽く考える人が多いです(完全に偶像崇拝なのに)。ミカエル氏の「真の聖書福音と預言 (ameblo.jp)」の各記事から、世の中間違いだらけだと分かり、神への不信仰や西洋かぶれが諸悪の根源になってると気付けるのに、世の中に不満は感じながらそこまでは全然関心を示さない人がほとんどですね。西洋かぶれを脱するよう努めもせずに、悪魔崇拝者の支配層の策略を回避し切ることは不可能です(詳細は、ミカエル氏の記事や動画をご覧になってください)。コロナの欺瞞すら認められない位にまで堕ちた多数派のせいで、日本が滅亡してもおかしくない危機的状況なのに、危機感を抱いて悔い改めの呼びかけやその他有益な勧めに従わず、自分こそ正しいと思い込んで自分の生きたいように呑気に生きようとする人、世のあらゆる欺瞞や真相に関してちょっと知っただけで自分は多数派とは違うと自惚れる人、支配層が用意した庶民の味方の振りした工作員を安易に信じて偽りの安心感に浸る人、いずれも改めねばその先に待つのは永遠の地獄、絶望です。

他にも、アハブは神に遣わされた預言者に憎悪感情を向けました。バアルは虚しく主こそ本物の神であると示した預言者エリヤの件を妻イゼベルに告げ、エリヤの命を狙ったり、王に対し率直に運命を預言した預言者ミカヤを憎んだりしました。エリヤは神の名でしるしを見せ、バアルの預言者たちを殺しはしたが、律法に照らして違法ではなかったと考えられます。複数の民が預言者エリヤとバアルの預言者たちとのやり取りをその目で見てたので、刑法として死刑に値する罪を犯した者を死刑に処するのに必要な二、三人の証言(申命記十七章六節参照)は満たしており、「イスラエルの中から悪を取り除け」という掟にも沿ってるからです。したがって、預言者エリヤを憎んで命を狙ったアハブは大間違いです。また、アハブが預言者ミカヤの耳触りの悪い預言を拒絶したのも、決して他人事で片付けられません。何故なら、耳触りの悪い真相よりも耳触りの良い偽りを好む人が多いからです。自分はキリスト者だと名乗っても、律法廃止論や艱難前携挙をはじめとする反聖書的な甘い偽福音に魅了される人が多いです。良心があるのなら、正しいことを言う人の発言を喜んで受け入れ、「日本人の問題点 五 | 真の聖書福音と預言 (ameblo.jp)で「主なる神への不信仰が諸悪の元凶で、要改善」なんだと解説されてる内容を理解し、聖書を理解して創造主なる神に立ち返りましょう。矯正や正しい知恵を拒む愚か者でありたくなければ。

それにしても、アハブとイゼベルの最期は、神が預言者エリヤを通して告げられたとおりに、惨めなものでした(列王記下九章三十三節~三十七節参照)。自業自得です。今後、真のキリスト者さえも迫害される世の中になっていけば、神(イエス・キリスト)を心から信仰して神の掟に従う正しい生き方を貫いても、望ましくない死に方をするかもしれません。大事なのは死に方ではなく生き様なので、思い煩いは不要です。ただ、彼らの最期の様相から考えると、生前は好き勝手して良い思いをしてきたようでも、この世での短い生涯を終えた後にその重い代償があることを示してるのではないかとも思いました。

 

マナセ(南ユダ、第十四代)

 

彼はバアル等の異教の偽の神の祭壇や偶像を再建し、異教の慣習に倣い、他にも神の律法違反である占い、魔術、霊媒といった悪事を繰り返し、潔白な者の血を流し、とても罪深い者でした。歴代誌三十三章九節には、マナセがユダ王国の住民を惑わし、住民は諸外国の人々よりも行いが邪悪だったことが書かれてます。「日本人の問題点 一 | 真の聖書福音と預言 (ameblo.jp)」でも言われてるとおり、日本の環境を世界一劣悪にしてる多くの日本人の状況に重なります…。悪事を尽くした王には、民を自分らと同じく罪を犯すよう仕向けたという共通点があり、民衆はこれに従い同じく悪を行います。これはいつの時代も同じです。マナセの重罪の結果は残ったまま、神の怒りは消え去らず、後の代でのバビロン捕囚にまで繋がりました。後の代では孫のヨシヤ王を除いて神に逆らい、律法に書かれてるとおり神を拒絶する者に父祖の悪、罪を子孫の三代、四代までも問われる(出エジプト記二十章五節ほか参照)ことになりました。神の恩寵を受けたイスラエルの系譜である日本も、あまりに神を無視して放縦に生きる人が多すぎて、先祖が受けた災いを再び受けてもおかしくありません。単なる歴史的事実では片付けられません。

ところが、マナセはアッシリアに攻められて災難が自身に降りかかると、主なる神を求めるようになりました(歴代誌下三十三章十二節~十三節参照)。そして、後に異教の神々の祭壇や偶像を取り除き、人々に向けて主なる神に立ち返るように命じました。この点が、生涯悪事を尽くした他の王とは異なります。マナセが散々なことをしながら神は彼の心からの願いを聞き入れたことから、我々もたとえ自らの犯してきた罪が大きくとも、全ての罪を悔い改めるよう必死に努めるなら神が憐れんでくださるのかもしれません。何事も無い時には大抵の人間が平和ボケし、自己本位になりやすいもので、目に見えて災難に遭わないと中々変わりません。現在日本人が憂き目に遭うのも、神が我々の立ち返りの願っての懲らしめの意味もあるのでしょう。現代の日本人も、支配層によって完全に自由が奪われる前に悔い改めて神に立ち返るべきです。

 

 

神に従う王国には平穏がある 

 

ユダの方には、先祖が行った異教の偶像崇拝等の罪の源を除去し、神の律法に従って王国を改革した王も存在しました。レハブアムから数えて第四代目のヨシャファトは、偶像を取り除いて人々を主なる神に立ち返らせ、律法の書等に基づいた教育を徹底し、裁判も一切の不正や賄賂を許さず、各役職にどこまでも神を畏れて努めを果たすよう徹底させました。極論どうでもいい知識ばかり詰め込ませ、支配層にとって不都合な事実は隠し、まるで軍隊や刑務所のように統制させる学校教育、国益ではなく欧米の支配層の意向に従う行政、冤罪だらけで為政者の悪事は全く追及しない司法とは実に真逆です。また、第十三代目のヒゼキヤは、ヨシャファトと同様のことをし、神殿や儀式の制度を律法の書に準拠して改革したり、国全体で過越祭はじめ律法どおりの祝祭を復活させたりしました。結果、周辺の諸国が攻めてこようとしても、ユダの王国が敵の手に渡されず、周辺の国々を恐れさせ(主なる神の御力を見せつけ)、平穏がありました。全ての悪を取り除いて神の律法、掟、戒めに従うことでもたらされる幸いが分かりやすい形で見せられており、神の秩序こそ正しいと理解できると思います。

 

 

最後に 

 

今回の記事で、古代イスラエルの王を何人か取り上げ、王の生き様によって社会の状況は大きく変化すると感じられたのではないでしょうか。当時の記録を改めて読んでみると、民衆は堕落しやすく、神への絶対的な服従を貫く立派な為政者が居らんと民衆の姿勢は改善されないこともよく分かった気がします。人類史はほとんど、戦争、圧政、その他あらゆる社会悪に満ちた様相の記録ばかりです。それだけこの世は悪人だらけな証拠です。過去、白人の大侵略時代に不幸なことに蹂躙され滅ぼされた国もありましたが、そんな国々も、仮に聖書に基づき神に従ってたとしたら、運命は全然違うものだったに違いありません。日本も全く例外ではなく、日本の没落の有様を実感する人は多いでしょう。没落どころか、移民が勢力を増して乗っ取られる危険性があるし、憲法が改悪されれば基本的人権、平和主義、国民主権は実質無いものとなり、戦争ができるようになれば、未だ敵国条項のある日本が反日だらけの連合国の常任理事国を中心に何されるか分かりません。亡国は有り得ないと言う方こそ無理があります…。民意を全く反映しない悪政に嘆き、先行きにとても不安を感じるかもしれません。それなら、聖書の歴史に学び、悔い改めて神への立ち返りを目指してください。他に方法はありません。国力が強大で経済的に豊かな国があるじゃないかと思う人も居られるでしょう。だからと言って、正義や真の幸福があるわけではないです。悪魔崇拝者が世界中でやりたい放題してる米国や、新世界秩序の実験場となってる支那等、国としては強力でも、その国民が平穏で幸せとはお世辞にも言えないでしょう。現代の日本よりは多少マシな場所があっても、現在は全世界で足並み揃えて新世界秩序構築に向かってる以上、国家関係無く世相は確実にどんどん悪化します。 

過去の過ちを繰り返さないための教訓を得るだけでなく、歴史から学ぶことでこの世や人間の本質に気付けます。そうすれば、この世に期待なんてできなくなりますが、だからといって絶望なのではなく、イザヤ書や黙示録等で言及されてるとおり、今の天地の世界が一掃された後に実現する後の世への期待があります。それは主イエス・キリストによって永遠に統治され、苦しみも悪も悲しみも死も無く、平和と正義に満ちた世界で、今のこの世とは比べ物にもなりません。自浄作用の無いこの世に期待を置くより、イエス・キリストに倣って後の世に入るに相応しい人格を目指すのが遥かに賢い道だと気付いてください。最期まで忍耐して神に服従し続けるなら全ての罪を赦して救ってくださる神に心から感謝し、まずは是非とも聖書を真剣に読むきっかけにしていただければ幸いです。

 

これは、聖書に関心がある人に向けて。レハブアムやアハブの教訓を活かし、助言や指導を受ける相手を間違えないようにしなければなりません。残念ながら、カトリック、プロテスタント、正教会、その他キリスト教を名乗る教派ほぼ全て「パウロ教」です。「キリスト者」「クリスチャン」と名乗ってる人のほとんどは、神の律法、掟、戒めに従い主イエス・キリストに倣って生きるキリスト信仰者ではありません。神学漬けのパウロ狂信者の指導者が、聖書の一貫した真理に則った指導が出来るはずありません。「盲人が盲人の道案内をすれば、二人とも穴に落ちてしまう」(マタイによる福音書十五章十四節参照)と主イエスも明確に仰いました。それだけでなく、異教の慣習に嵌ったイスラエル及びユダの王たちみたいに、聖書に無い間違った礼拝や悪い行いに加担させられるでしょう。そうならんように、世の諸教派に一切無関係で完全に聖書に依拠するミカエル氏による必要な情報が網羅された「キリスト道 (themedia.jp)」、ミカエル氏が運営する教会(神のイスラエル教会)を強く勧めています。この縁を無駄にする理由はありません。「キリスト道」のサイトやブログ、動画の正当性は、わしも過去記事で何度も示してきたので、参考になさってください。

皆様が後悔しない道をお選びになることを願います。