こんにちは。

 

今回は、サウル、ダビデ、ソロモンをはじめとする古代イスラエルの王たちの記録を取り上げ、現代を生きる我々に通じる教訓を考えていきます。時折、当時の様相を現代の様相とも重ねています。時代も民族も関係無く創造主なる神に立ち返って従順であることこそ真の幸いだと理解していただけたら幸いです。古代イスラエルの王に関する記録があるのは、聖書のおもにサムエル記、列王記、歴代誌(いずれも上下巻あり)です。

 

古代イスラエルやユダの王たちの言行録は、決してただの遠い昔の外国の歴史に過ぎないものではありません。前提として、中東にある白人の現イスラエル国家ではなく、日本こそイスラエルの民がやって来て成立した国であり、真正のイスラエルなのです。そのことがはっきりと分かるのが、こちら(Bitchute)。神道の起源、(古くからの)神社関連、聖書預言、言葉、文化、ユダヤ系関係者の証言等から、日本がイスラエルである確かな数々の証拠が紹介されています。現イスラエル国家や白人のユダヤ教徒は聖書のイスラエルの民とは無関係であり(詳細:現イスラエル国家は聖書のイスラエルではない(真の聖書福音と預言 (ameblo.jp)))、日ユ同祖論は正しくありません。ですが、日本が真正のイスラエルである事実は、否定する余地もありません。たとえ多くの人が歴史の一説にすぎないと考えたり、都市伝説的なものだと捉えたりしようと無意味です。世の常識を盲信せず正しい歴史に関心があるなら、容易に理解できると思います。

 

 

最初の王サウルから 

 

では本題です。はじめに、イスラエルの民が王という指導者を求めてから、神に選ばれてイスラエルの最初の王となったサウルについてです。特に、彼がイスラエルの王の地位だったころに犯した罪に関して取り上げています。サウルについて改めて考えた結果を示すにあたり、「サウルとダビデの違いとダビデと主イエスの関係(真の聖書福音と預言 (ameblo.jp))」を参照しています。生涯神に従順だったダビデと比較し、サウルが神に逆らった要因と結果がわかりやすくまとめられており、その教訓を学ぶ上でも有益だからです。

サムエル記十一章~十二章にあるように、サウルは即位して二年程度の期間、主なる神に従順で、イスラエルの民の前で立派に語りました。しかし、サウルの善い姿勢は長く続かず、周辺の異邦人であるペリシテ人やアマレク人との戦い(サムエル記十三章、十五章参照)の時に神の御意志に反することを行いました。ペリシテ人との戦い(サムエル記十三章)では、預言者サムエルが約束の日に来ず、民がサウルから散っていき、ペリシテ人との緊張が走る中でサウルは不安に思ったのか、主なる神に嘆願や懇願するわけでもなく、彼自身の勝手な判断で焼き尽くす献げ物をしました。旧契約での献げ物の規定は、出エジプト記やレビ記等に書かれており、それに反した行為は無意味どころか、無駄に動物の命を殺すことになります。「我はいけにえではなく敬虔さを喜び、焼き尽くす献げ物よりも神の知識を喜ぶ。」(ホセア書六章六節拙訳)のように、いけにえや献げ物自体は本質ではなく、重要なのは神への服従や慈愛です。アマレク人との戦いでは、戦いの際にアマレクにある全てのものを滅ぼすよう、神は預言者サムエルを通してサウルに命じました。しかし、サウルや人々はアマレクの上等なものに目が眩んだのか、それらを残して、結果として神に逆らってしまいました。神に逆らって自分勝手なことをしただけでなく、その後のサウルの態度も問題でした。ペリシテ人との戦いでも、アマレク人との戦いの時でも、サウルは自分の行いを悔いて改めるのではなく、自分自身の行いを正当化しました。更に、サムエル記十三章では、約束の日に来なかったサムエルに責めるような物言いをし、同書十五章では、主の御命令に従ったと譲らず、サウル自身も共犯なのに行動を共にしたイスラエルの人々だけのせいにしました。サムエルが先程引用したホセア書と同じ旨の言葉を伝え、サウルの行動を断罪し、サウルが主なる神に逆らって王位から退けられるのを明確に告げたことで、ようやくサウルは自身の罪を認めます。無意味な言い訳なんかせず、素直にすぐ過ちを心から悔い改める姿勢を見せれば、サウルの運命も少しは違ったかもしれないのに。たとえ人間が自分を正当化しようと、罪を犯した事実は変えられないし、自分の犯した罪を他人のせいにはできんのだと覚えておかねばなりません。世間的にも、言い訳がましい人は嫌われます。言い訳がましい人の特徴(参照:こちら(マイナビニュース))を調べると、自分を正当化したい、自分を守りたいといった心理が挙げられており、納得ですね。少し意外だったのが「自分に自信が無いから」というもので、具体的に言うと、周りから失望されるのを恐れて自分の居場所を保とうとする心理だそうです。先程から紹介している「サウルとダビデの違いとダビデと主イエスの関係」では、サウルの心理状態として、不安だった(神に不忠実なのが原因)、自分のことばかり考えていたこと、人を恐れる弱さを持ってたことが考察されています。「言い訳がましい人の心理」として紹介された内容と概ね同じだと思いました。どの時代であれ、人間の性質は変わらないですね。変わらないからこそ、歴史を遠い昔の出来事と他人事に思ったりせず、教訓にしていくのが有益です。

不安や自信の無さについて。今日では、世界的なコロナ偽騒動および犯罪、日本でも台湾有事がどうのといった戦争の兆候、日本国民の所得が下がってるにも拘らず度重なる増税や外国へのばら撒き、…と、庶民の自由な暮らしがどんどん脅かされています。先の第二次世界大戦や、ここ数年のコロナ偽騒動では、大衆の恐怖や不安の心理が悪用されました。不安を抱くことは不幸です。今後、更なる偽感染症騒動が煽られたり、世界的な戦争が起きたり、人工的な災害、5Gや6G等の強力な電磁波を用いて人々(特にワクチン接種者)を操作したり、偽造食品流通や意図的な飢饉、気候変動詐欺、監視管理社会構築といった、様々な支配層による悪事も予測されます。世の中がおかしいと強く感じて世の邪悪な実態に気付いた人だと、今後世の中どうなってしまうのだろうと思うでしょう。不安になってもどうしようもないから、ド田舎に逃れて自給自足の生活をしたり、少しでも安全な国や地域に移動したりする人も中には居るかもしれません。機会に恵まれるなら、そういう選択も有りだとは思います。しかし、動機が自己保身なら、自分のことばかり考えたサウルと同じようなものであり、いくら実行しようと無益です。そもそも、サウルが不安に陥ったのは神に不忠実なのが原因であり、現代の人間が抱える不安の原因も、根本的には一緒です。聖書を学んで理解せず、神の律法、掟、戒めを守って服従しないから、今後の世の動向を掴めず、自身の相応しい分や生き方に気付けず、真の善悪の基準も分からずに彷徨います。悪に抵抗する勇気も得られません。嘘つきだらけの世の権威を疑うのは必要だけど、聖書を理解して善悪の基準を十分に把握しなければ絶対的に正しいことさえも疑う危険性が高いです。神に逆らう人間は、サウルと同じく、不安を抱えて「自分が正しいと考えること」に従って行動し、今は反支配層の考えであっても、彼らが強力な惑わしをすれば容易に取り込まれるに違いありません。わしも、世の中がおかしいと分かっただけの時は、今後の様相に不安が募るばかりでした。しかし、聖書とミカエル氏の「キリスト道 (themedia.jp)」(「真の聖書福音と預言」のブログや動画を含む)から学んで実践するようになってから、今後の世の動向を知って備えながら自分にできることを頑張っていこうと決め、不安も薄れました。理由として、人間の性質や分、過去も将来も世の中は聖書通りに動かされてること、地獄行きの運命が決定した悪魔が悪魔崇拝者を使って多くの人間を地獄の道連れにしようとしてること、主イエス・キリストによる偉大な生き様とその模範により悪に抵抗できること、そしてキリストの再臨(世の終わり)での死者の復活と後の世の希望を認知できたからです。自分勝手な思いや欲を捨て、神への揺るぎない確かな信仰を抱き、神の律法、掟、戒めに従い、神の御意志に適う善い行いが自発的にできる状態なら、人の目を過度に気にせず、流されず、不安や恐れも無くなると思います。「完全な愛は恐れ締め出す」(ヨハネの手紙一 四章十八節参照)と言われてるとおりです。まして、保身に走って言い訳することも無くなるのでしょう。心理学に詳しい人のお陰で、人間の心理や小手先の対処法は知れても、聖書を知らない限りは根本的な解決策は決して見出だせない事実にも気付いてください。

 

 

エッサイの子ダビデから 

 

次は、サウルの後に油注がれて王となったダビデについて。ここでも、サウルの話題の時に参照した「サウルとダビデの違いとダビデと主イエスの関係(真の聖書福音と預言 (ameblo.jp))」から参考にしています。サウルとダビデの違いだけでなく、ダビデと主イエス・キリストの関係についても、主イエスの生涯や教えの理解を助ける興味深いものであり、しっかり読まれることを勧めます。

おもに、ダビデの人間として見習うべき姿勢を幾らか取り上げます。まず、ダビデが罪を犯して預言者ナタンから叱責を受けた際の態度です(サムエル記下十二章参照)。人間の生まれながらの性質上、誰しもが一度は罪を犯してしまうのは避けられないと思われます。しかしながら、その後の意識や行いによって、我々人間の運命は変わってくるのです。ダビデの姿勢から、そのことを知るに至った記憶があります。ダビデはサウルとは異なり、叱責を受けても言い訳も他人のせいにもしませんでした。素直に自身の罪を認め、悔い改め、その後神への従順さを貫きました。この姿勢を見習うべきだと考えます。

サウル、ペリシテ人の強力な戦士ゴリアト、ベニヤミン人のシェバ、ダビデの息子アブサロムと、ダビデが戦った敵の多さにびっくりした覚えがあります。ペリシテ人のゴリアトとの戦いで、ダビデは自分より装備も体格も圧倒的なゴリアトに対し怖気づく様子も、周囲に「お前じゃ無理だで」と思われても諦める様子も無く、果敢に戦って勝利したのは驚くべきことです。しかし、注目すべき点は次のとおりです。ダビデは自分の力で勝利したのではなく、神への確かな信仰を持ち、神の御名によって勝利しました。このことは信仰生活にも当てはまると思います。黙示録や福音書で主イエス・キリストが仰せになったとおり、世の中は反キリストばかりである以上、キリスト信仰の故に迫害は避けられないですし、まず自分の内面にある自我や欲望といった苦い敵を克服しなければなりません。決して、人間自身の力だけでどうにかなるものではないです。個人的に、自我の克服に努める上で、それは大いに実感しました(自分の力だけでやろうとしても、自己判断に頼って妥協するようになる)。また、支配層がワクチンによって人間の遺伝子をも組み換えて支配層の所有物にする等の史上最悪の出来事がどんどん起こる終末時代、支配層が本気で目指す新世界秩序(NWO)の構築は近く、黙示録十三章に書かれた「獣の刻印」を押されなければ売買もできなくなるような社会は、普通の人なら耐えられず、ほとんどの人は自己愛のために悪魔崇拝者どもに屈するでしょう。神(主イエス)に繋がってないなら、キリスト者として実を結べず(ヨハネによる福音書十五章五節参照)、正しくは在り得ないからです。如何なる敵にも怯えず、神への信仰によってあらゆる敵に勝利したダビデの記録から、何があろうと恐れたり落ち込んだりしてられんと励まされてるように思います。

悪霊によって狂ったサウルから散々な目に遭いながら、サウルやその一族(シムイ等)に復讐せず、主イエス・キリストが説かれた「敵を愛する精神」(マタイによる福音書五章四十四節参照)を体現したダビデの姿勢に心動かされました。完全な慈愛を持つなら、我々にも不可能ではありません。また、サムエル記下や詩編の言葉から分かるように、ダビデは苦難の中で神への信頼は揺るがず、数々の勝利を重ねても驕り高ぶらず神に心から感謝し、神に栄光を帰しました。過去や現在の世俗の為政者たちとは雲泥の差、というか比較すら憚られる程です。

 

 

ダビデの子ソロモンから 

 

ダビデの次の王となったソロモンの記録からも、様々な学びや気付きが得られます。ソロモンの即位する前、ソロモンの異母兄アドニヤは高慢にも自身を高めて王になろうとしました。彼は、自分の行動で父親のダビデを不快に思わせたり悲しませたりせず立派で(列王記上一章六節参照)、ちょうどダビデの長男アムノンと三男アブサロムは既に死んでいたからです(サムエル記下十三章二十九節、十八章九節参照)。しかし、ソロモンが次の王になるのが神の御計画であり、アドニヤの狙いは挫かれました。神の御計画でなければ、人間がどう頑張っても実現しないのがよく分かります。人の心の中に、多くの企み。しかし、主の御計画、それこそが実現する。」(箴言十九章二十一節拙訳)と明確に言われてるとおりです。

ここからは、ソロモンの姿勢を幾つか抜粋して、学びとなる点や気付きを書いていきます。ソロモンの実績等の詳細は、列王記上や歴代誌下をご覧ください。

外国の女たちにたぶらかされて神の道を逸れる前のソロモンは、父ダビデのように神に従順であり、多大なる神の知恵に満ちていました。お陰で、現代でも、神による知恵の必要性や人間の本質を端的に言い表した箴言を読めています。ソロモンが神に依拠しており、ソロモンの願いが利己的なものではなく、裁きや訴えを聞く理解力や分別を求めたからです(列王記上三章より)。「栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった」(マタイによる福音書六章二十九節参照)と言われただけあります。強欲にならず、分を弁えながら王としての必要な要素を求める姿勢は、他の為政者とは正反対です。悪魔崇拝者であるローマ教皇、イエズス会、偽ユダヤ人を中心とする支配層とその傀儡(政府、官僚、地方行政、報道各社、芸能人や有名人、富豪、大企業、その他各機関)は実際に皆が強欲で、自分たちのことしか考えません。政治目的のために意図的に戦争を起こして莫大に儲け、PCRで不正に人々の遺伝子情報を盗みつつ多くの儲けを出し、ワクチンや遺伝子組み換え食品をはじめ毒物で人々を不健康にしたり殺したりして儲けており、悪魔を拝んで莫大な富や権力(この世で生きてる間しか持てない儚いもの)を得ています。一般庶民の多くも例外ではありません。支配層と同じように拝金主義となり、自分さえ良ければ他人はどうでもいいと考え、高級な銘柄品や資産を自慢し、内面を蔑ろにしながら外面だけ着飾ることに必死になり、聖書を学んで神の律法、掟、戒めを守ろうともしないのに厚かましく願掛けします。パウロは使徒だ、律法は守る必要ない等と洗脳されたパウロ狂信者も多数派と同様です。神に反逆する人間に限ってこの世の富を求めることから、神と富の両方に仕えることはできない(マタイによる福音書六章二十四節、ルカによる福音書十六章十三節参照)と言われる意味もよく分かります。「求めなさい、そうすれば与えられる」(マタイによる福音書七章七節参照)という主イエスの御言葉がありますが、「願ごても得られへんのは、自分の欲望に使うために不適切に願っとるからや。」(ヤコブの手紙四章三節 引用元:世の悪に抵抗しなさい | 真の聖書福音と預言 (ameblo.jp))のとおりでもあります。良心のある方は、悪の支配下にある世の中に期待せず、聖書から人間として正しい道を見出だし、日々の生活を変えてください。それがご自身のためにもなります。

そして、神がソロモンの願いを聞き入れてお授けになった知恵により、列王記上の三章十六節から続くソロモンの裁きも正しいものとなりました。誰をも傷つけたり損害を与えたりせず、訴訟に関する律法の規定(出エジプト記二十三章、申命記十章十七節ほか参照)にも抵触してないと思います。これなら冤罪も起こり得ないですね。少なくとも現在の社会では、警察や司法が正しい証言を聞き入れない場合が多く、賄賂も横行し、不当な判決や冤罪も絶えません。バチカン、イエズス会や偽ユダヤ人ら支配層の意向に従順な者や上級国民なら、どんなに追及されようとも不起訴になる事例、あるいは外国人の犯罪者が何故か不起訴処分となった事例もありますね。つい最近も、こちら(gooニュース)のように、外国人不起訴の事例があります。言葉の壁がどうのなんて、幾らでも対策はできるはずです。こんなことで日本の治安が脅かされるなんてあってはなりません。まともに日本語が通じず良識の無い外国人なんて何するか分かったもんではなく、日本に住む日本人の安全を守るべく最初から入国拒否すべきではないかなと思いました。しかし、イエズス会どもの意向に従う日本政府が移民政策を止めることはありません。司法もまともに機能してません。このように、神の律法を無視する人間だらけの世の中に、平和なんて全くありません。

ソロモンは神に従順で、イスラエルの国は栄華を極めました。創造主なる神の律法や掟を守り、神の道を歩むことこそ正しいと、当時のイスラエル周辺の人々にも示す形になったはずです(列王記五章十一節等から判断できる)。この記事を書くにあたって列王記を再び読んで、ソロモンの神への反逆がソロモン統治時代の繁栄とは凄まじい落差で、一層残念に思われます。列王記十一章二節にあるような内容が、出エジプト記二十三章三十三節、三十四章十五節~十六節、申命記六章十四節をはじめ繰り返し書かれてるにも拘らず、ソロモンはまさか自分が外国の女達に惑わされて外国の忌まわしいもの(偽の神々、偶像)の虜となるなんて思いもよらんかったのかもしれません。周辺の全ての国々に知られる程の知恵に、いつの間にか自信過剰になっていたのかもしれません。ソロモンの教訓は、そのまま我々にも活きます。現に、日本人も西洋諸国(特に英米)という外国の文化や言葉に内心憧れを持ち、虜になり、美意識の基準も西洋の白人であり、西洋かぶれも末期状態です。そして、西洋が由来の誤った常識や価値観を捨てず、自分こそ正しいと思い込み、日々の生活、仕事、娯楽等を「偶像」(神より大事にするもの全般)としてます。ミカエル氏の「真の聖書福音と預言 (ameblo.jp)」程、日本人の西洋かぶれの問題を論証してやめるように訴えかける媒体は見たことありません。世界中で西洋文化や価値観が浸透し、英語が世界共通語かのようになり、日本古来のものが破壊されている理由を各記事から知ることができます。とりわけ、「日本人の問題点 一(真の聖書福音と預言 (ameblo.jp))」からは、まさにソロモンが外国の忌まわしい偶像の虜になったのが災難に繋がったのと同じく、西洋かぶれによって日本人は不幸になったと学びになるものです。西洋かぶれの何が悪いのかピンと来ない人であっても、認識ががらっと変わると思います。また、西洋かぶれがいかにおかしいかを実感するには、西洋かぶれと逆行するのが最適だとわしは考えています。房付き和服を普段から着れば、洋服を着るのが当たり前の社会の異常さを認識でき、世間で勝手に決められた美の基準なんかに囚われなくなり、正しい日本語を使うように努めるなら格好付けて片仮名英語を使おうとも思わないし、食生活も和食を中心とするとその良さを感じられます。イスラエルの面影があった昔の日本の方がまだ合理的です。西洋かぶれの悪さを理解すれば、主イエス・キリストが何故「異邦人の道に行ってはならない。」(マタイによる福音書十章五節参照)と十二使徒に命じたのか分かるようになります。西洋かぶれから脱却する最善の行動は、聖書を読んで主イエス・キリストを信じて神の律法、掟、戒めを遵守することです。

 

 

【ソロモンの場合】

画像引用元:真の聖書福音と預言 【第八回】日本はイスラエルである Bible, Jesus Christ, The true biblical Gospel and Prophecy (bitchute.com)

 

【現代の日本人の場合】

 

 

最後に 

 

ソロモンが神に反逆してから、イスラエルの王国は北の十部族と南の二部族(ユダ族とベニヤミン族)の二つに分裂しました。ソロモンに仕えたヤロブアムという者が北イスラエル王国を統治し、子牛の偶像を造って神に見立てる悪事(出エジプト記三十二章に書かれたイスラエルの民の悪事の繰り返し)を行い、勝手に祭りをでっち上げ、後のイスラエルの王はほとんどがこのヤロブアムの悪事を繰り返し、南ユダ王国よりも早く周辺のアッシリアに滅茶苦茶にされました。ユダの王には、アサ、ヨシャファト、ヒゼキヤをはじめダビデのように神に従う王が居ったものの、偶像の虜となって神の御前で罪を繰り返す王や民が多く、結局はイスラエル十部族同様に外国から侵攻され、バビロン捕囚までされる羽目になりました。現代の日本の状況も酷似してます。悔い改めず、創造主なる神ではなく悪魔崇拝者が立てた世の権威や世の偽りの常識を信じる罪は重く、申命記二十八章にある神の呪いが降りかかってもおかしくありません。

 

画像引用元:https://x.com/kohionagasu/status/1703912143610093886?s=20

 

日本には不名誉な一位が並んでおり、今ではコロナワクチンの接種率も世界最多という惨状です。支那人をはじめ外国人が日本の水源や不動産を買い漁り、不良移民がどんどん増加してるのに、多くの日本人は危機感が全くありません。また、台湾有事をはじめ戦争の兆候もあり、欧米の支配層の意向により憲法改悪をして日本が再び戦争できるように仕向けられてます。しかし、日本に対する連合国の敵国条項は未だ削除されておらず、反日の常任理事国を中心に、敵国条項を適用して日本に攻め入るための口実が作られる可能性もあります。旧約時代の各預言書や哀歌に記録されたイスラエルの荒廃の状況が繰り返され、神の激怒も諸外国より甚だしいかもしれません。世の悪を暴露する人は多いですが、それだけでは不十分で、悔い改めの呼びかけと福音伝道こそ隣人を真の幸いに導く働きです。

聖書の学びに、ミカエル氏による「キリスト道 (themedia.jp)」を併せて理解することを推奨します。ご自身でも世の中の動向を追ったり聖書を理解したりすれば、ミカエル氏が論証する内容の確実性を知るでしょう。

聖書を信用ならんと思う人が少なくないが、聖書を理解せず神に逆らう者こそ悪魔崇拝者の支配層の秩序や意向に加担してます。神を第一に愛し、心から感謝し、神の秩序(あらゆる有効な律法や掟)を守り、神の御意志や隣人にとって役立つ善行をする、そんな真のキリスト者こそ、悪を完全に避けます。全てにおいて、キリスト信仰(世の諸教会のパウロ狂信者ではない)だけが唯一の根本からの解決策です。こちらが聖書を盲信してこのように申し上げるわけではありません。

今回の記事でも、わしが学んできたことを活かし、皆さんにとって聖書を読んで理解するきっかけや後押しとなれば幸いです。