こんにちは。

コロナ偽騒動が本格的に始められてから、かれこれ三年も経過しました。法的に「マスク着用義務」(←発令されても違憲故に無効)なんか無くずっと任意ですが、今では国が「マスク着用は個人の判断の自由だ」と言ったものの、大衆は相変わらず有害無益なマスク着用をやめません。医療関連施設を中心に、強要が完全になくなっているわけでもありません…。報道機関によるコロナ関連の記事への投稿を見ても、「ワクチン接種をし、マスク着用率がほぼ百パーセントだった日本でも、あんだけ感染者が増えていたのだからマスクやワクチンなんて意味無かったんじゃないの」といった意見があったり、頑なにマスクやワクチンの効果を盲信する投稿には共感されなかったりと、以前とは人々の考えが多少違います。しかし、新型コロナウイルスが嘘で、マスクが有害無益であること、コロナワクチンが人類の遺伝子を組み替える前代未聞の危険な劇薬でニュルンベルク綱領違反の大罪だと理解する人が増えたわけではないし、マスクの着用についても全然自分で考えずに「厚生労働省の方針」が行動の根拠になっているのが大半です。決して大勢がコロナ推進派の大罪を弾劾したのではありません。支配層にとって、ワクチン接種をしたりPCRで大量に遺伝子情報を盗んだりできたし、コロナ犯罪とは別の手段で悪魔の悲願である「新世界秩序(NWO)」実現を目指すつもりではないかと思います。

昔から世の中の実態を調べたりしていた人、二千二十年からすぐにコロナ偽騒動を疑って調べた人、有志達の投稿のお陰で早くに欺瞞だと理解した人にとっては、「逆に何故今までワクチンや無意味な感染対策に対して疑わなかったの」と疑問だらけではないでしょうか。特に昨年とか、欧米では様々な規制が撤廃された中で、日本ではずっと「感染対策」という名の人権侵害が行われてきました。奇妙な理由を付けて頑なにマスク着用をやめない姿勢に呆れた人も居られるはずです。コロナの真相を知った方々にとっては、同調圧力をはじめとした日本人の性質の異常性について、このコロナ犯罪以降、よりはっきり気付く機会にはなったと思います。

ところが、ある程度世の真相に気付いて周知したりしている人であっても、世界中が異常ではあるがとりわけ現代日本人がおかしい理由は何か、その本質について真剣に考察している人って少ないと思います。何故なら、不平不満を呟くだけの不毛な会話、ただ諦めているだけの人、または大した根拠も無く「今後はどうにかなる」と大層楽観的に考える意見も結構多いからです。現代の日本を構成する現代の日本人の性質にどのような問題があるのかを把握できなければ、いつまでも解決に向けて動けないのは容易に分かると思います。確かに、インターネット上を見ても、今起こっていることやよく知っている情報を無償で共有してくれる人々、独自で調べて何が起きているのか分かりやすく解説してくれる人々は見られる(勿論、支配層の駒である両建て工作員の存在、嘘や誤誘導も少なくないので注意が必要ですが)けれども、現代の日本人の問題点を徹底的に掘り下げて詳細に解説している媒体ってあまり見かけたことがありません。

わしは、日本人の問題点 一〔真の聖書福音と預言 (ameblo.jp)〕をはじめとした、「日本人の問題点」と題して記事ごとに特定の主題を中心に説明している連載ブログ記事を皆さんに読んでもらい、今一度日本が置かれた現実を直視してもらいたいと思います。多数派の日本人が特に明治時代以降間違った西洋由来の価値観や文化に染まった事実と現状、日本の賃金がもはや「先進国」とはとても言えない程に低い有様で、且つ労働環境も劣悪であるという事実を中心に語られているとが分かるでしょう。日本の賃金や労働水準の劣悪さに関しては、筆者ミカエル氏の主観ではなく、様々な媒体を検証して有益と判断された媒体に基づいて、主張が裏付けられています。ツイッター等で周知された情報も画像付きで取り上げられているので、一目見て事例もわかりやすいです。何故日本の労働環境、国民性、政治をはじめ様々な物事が狂っているのかという疑問を解消できるに違いありません。そして、他のブログや記事では触れられない根本的な原因を認識し、悪いのは権力者だけでなく多くの一般人も同様であると真剣に受け止めていただきたいです。世の中がおかしいと気付いた我々がどう考えて行動すべきか判断する参考になると考えています。

 

「日本人の問題点」を十分理解してじゃあどうするか、ってなった時に最も重要なのが、各記事内でも時折触れられているように、世の中のほとんどの人間が聖書を読まず(表面上読んでも全体を理解しなければまったく意味が無い)悪魔とその手先である支配層の思惑通りに振舞い、どうしようもない程に堕落した状態になっていると気付き、支配層や各国政府や各機関の悪事に抵抗し、聖書から学んで実践することです。特に、日本人の問題点 四〔真の聖書福音と預言 (ameblo.jp)〕では正義感と愛の欠如という問題、日本人の問題点 五〔真の聖書福音と預言 (ameblo.jp)〕では、主なる神への不信仰が諸悪の元凶であることがまとめられています。増税しまくって庶民を苦しめ、平気で血税を外国にばら撒き、悪魔崇拝者である支配層に仕えて売国行為をし続ける日本政府や官僚(特に上層)、彼らに対して抵抗しない、政府や地方行政や報道機関の悪事を知っても何もしない大多数の日本国民に正義が無いと言えるでしょう。世の真相論を知って動向を追う人であればすぐにお分かりになるはずです。政府や官僚は、日本を潰したいと考える英米やその背後にいる偽ユダヤ人らの支配層(悪の筆頭はローマ教皇、イエズス会)の意向に逆らったら自分達の地位や命が無いとばかり考えていると思います。仮に、彼らに正義感があり国民の利益を第一に追求するのであれば、たとえ重税であってもその分非常に手厚い行政労務を提供し、謎すぎる海外へのばら撒きばかりしないでしょうし、コロナ犯罪、洗脳教育、監視管理社会の構築を目指すマイナンバーカードの推進、意図的な少子高齢化、憲法改悪、及び売国法案の成立なんかまず行わないですよね。国民の多くも、特にコロナ犯罪について理解した人であれば、大多数が正しい情報を調べようともせず、丁寧に伝えてもはぐらかしたり酷い場合は「陰謀論だー」等と貶したりし、政府や報道機関や御用学者の言うことに正当な理由も無く従うのを何度も認識しておられるでしょう。正当な根拠を示しても、「自分の考えが正しい」と思い込んで相手の諭しを簡単に間違いと決めつけてまともに取り合わないのが、自己中以外に何と言えるでしょうか。コロナ犯罪に加担した人々の中には、自分自身が熱心に有害無益なマスクを着用するに飽き足らず、他人にも厚かましく着用するように要求するのも普通に居ました。彼らはそもそも感染症の予防にもならないマスクに虚しい信頼を置いており、日常的に着用しない普通の人の意見や考えを思いっきり無視し、「マスクに対する信仰心」を押し付ける有様は自己中そのものです。幾ら「他者に移さない為に…」と自分の行動を正当化したとしても無駄で、そもそも新型コロナウイルスとやらがでっち上げであり、わざわざ他人に向かって咳やくしゃみをする非常識な人は滅多に居らんでしょうし、普通の会話で飛沫が飛ぶとしてもそれが病の源になるという証拠はどこにもありません。証拠も無いのに、「あんたは病原菌だ」とでも言うかのようなマスク狂信者の態度は他者への中傷も甚だしく、身勝手な着用の強要は日本国憲法で保障されている基本的人権の規定(特に憲法第十九条)に反しており非常に悪い行いです。政府が「マスク着脱は個人の判断だ」と勝手に宣言した今、マスク狂信者の中には、今度は「『マスクを外せ』と強要するな」、「外さないのも勝手でしょ」と偉そうに言うのが見かけられます。人間の身体がマスクを普段から着用するように出来ているはずはなく、特殊な作業や業務の場合を除いてマスクの有害無益さを伝えるのは、正義感のある人なら当然です。それを「強要」と勘違いしているのかわかりませんが、マスク狂信者が人権侵害をしてマスク強要を散々やってきたのをまるで忘れたかのように平気で棚に上げているなと感じます。マスク狂信者の運営する店舗及び施設がマスク着用を強要したことへの謝罪は一切無く、ただ国の意向に従うというだけで、結局は本当に自分たちのことしか考えていないと分かると思います。相変わらずマスクの害にはきちんと目を向けず、子供の発達への悪影響や脳や呼吸器等への悪影響も無視していますよね。

マスクの件はほんの一例であり、多くの人が目先の利益ばかり、金銭や社会的地位や保身の為なら悪も厭わない、身内や親しい人までが幸せならどうでもいい等の自己中心的な考えを持ち慈愛が無いことを知っていただきたいです。日本人の問題点 四〔真の聖書福音と預言 (ameblo.jp)〕では、正義感も「愛(慈愛)」に基づくことに気付けます。そして、記事にもあるように、人々に本物の愛が無い根本的な要因は、聖書を読まず神(主イエス・キリスト)を信じて律法や掟や戒めを実践しない、すなわち主なる神への不信仰です。世のあらゆる事象を考慮するにしても、最終的に主なる神を畏れて御言葉を実践することが何よりも重要であるということ。この旨は聖書のコへレトの言葉の結論にあります。何故、そう結論付けられるのか、確かに聖書の内容をまともに知らんだったらピンと来ないのも無理はないかもしれません。「日本人の問題点」の連載を一から全部読んでいけば、理解の手掛かりになると思います。

記事の中で世の実態を考察したりしているのに、時折聖書の内容に関することが挟まれていて不思議に思うかもしれませんが、実は日本人の問題点、それだけでなく全世界の真相を知って適切に備えるのに聖書理解が最も欠かせません。周囲の人々が悪徳政府の悪事に気付かず疑いもせず加担する様子を見れば、このままでは世の中の好転があり得ないのが容易に想像出来るでしょう。支配層が悪魔の意向に従ってどんどん新世界秩序を進めていき、人々の自由を完全に奪うのも時間の問題です。今は良心を持って世の真相に気付いて情報提供したり周知活動したりしている人々も、今後締め付けが強まり、特にヨハネの黙示録の「獣」であるローマ教皇の秩序に従わなければ命さえ奪われるかもしれない世相になった時でも、良心を保っていられると自信もって言えるでしょうか。経験上、口では何とでも言えるのですが、命までも惜しまず正義を貫くのって物凄い覚悟が必要だと思います。聖書において、ダニエル書三章に出てくる三名が、世俗の王の命令を断固拒否できたのも、神への確固たる本物の信仰があったからと言えます。平常時ではなく、自分の身の危険に晒された時や非常時に人間の本性が出るからです。分かりやすい例として、普段は冷静でも追い込まれた時に態度が豹変する人が身近に居たりしませんか。あるいは、貴方自身がそんな性格ですか。人間より遥かに賢い悪魔は、人間を何千年も観察し、人間の本性がどのようにして現れるか等も熟知しています。だから、時の支配者の人間を使って、恐怖で無理やり従わせようとしたりするのでしょう。聖書本文でも、例えばヨブ記一章~二章に悪魔(サタン)が人間の性質をよくわかっているのが窺える記述があります。ダニエル書三章の三名だけでなく、福音書でも主イエス・キリストは神でありながら人間と同じ性質を持ってこの地に来られて御自身を犠牲にして神の御意志を徹底的に行って全人類の模範となられたと分かり、ペトロをはじめとした十二使徒達も「人間に従うより神に従う」(使徒言行録五章二十九節参照)という姿勢でした。醜い自己愛なんかではなく、偽りのない慈愛、正義感を持って生きるには、聖書にある神の御言葉を実践し、神(主イエス・キリスト)への揺るぎない確信と信頼を持つことです。これは宗教の信者になることではなく、人間としての普遍的な生き方です。ただ、世俗の人間達が聖書を「宗教の本の一つ」等と看做して勘違いしているだけです。

現在世の真相に気付いている方々は、日本の問題を見聞きしてきて、恐らく「一体この先どうなるんだろう…」と不安になるのではないでしょうか。悪人どもに屈するのが嫌、正義を貫きたいと思うのであれば、聖書を今からでも必死に学んで実践してください。人間が神に近づく為の必須項目の一つ、神の律法があります。神の律法は、天地創造の時から変わらない不変の真理で、神の秩序であり、主イエス・キリストによる新しい契約下においても旧契約時代の一部の規定を除いて(福音書に説明がある通り)有効なものです。わしは、神の律法を知って実践していく程に、律法に反映された神の義や慈愛の性質、そして人間にとって如何に有益で必要であるかを実感するに至りました。ここからは、最近起こった事例を取り上げながら、人々の心理がどう反聖書的で、その結果どう悪影響を及ぼしているのかを幾らか考えていきたいと思います。未だ聖書の内容をよく知らない人でも、神の律法の必要性を想像していただきたいと願っています。

画像引用元:https://twitter.com/nagunagumomo/status/1646305950733836289

 

画像引用元:https://twitter.com/nbe222/status/1646433895917953025?s=20

 

PCRが遺伝子検査であって感染症の診断用ではなく、PCRを悪用して人類の遺伝子情報を収集し複製(クローン)や人間の遺伝子組み換え等に利用するのが目的であり、そもそも「新型コロナウルス」が存在しない。そういつまでも理解せず、邪悪な各国政府、御用医師、学者、世界保健機関(WHO)、製薬会社等の言うことを正しいと信じ切る故に、いつまでも多くの人がコロナの実態に気付かず、嘘や悪事が弾劾されずにいつまでも引っ張られます。上記の七十五歳以上の保険料引き上げも然り、国が国民をどんどん締め付けをやめません。そんな悪事ばかり行う政治家、各機関、大企業を浅はかにも「信頼に足る」と信じています。「3S政策」も相まって、ここ五十年は日本で大規模な抗議が起こった事例がほぼ無いですね。彼らの上に立つイエズス会や偽ユダヤ人らは悪魔崇拝者であり、悪魔の意向を行っているので、彼らの手先である政府も同じく悪魔崇拝者、従う庶民も同様に悪魔崇拝、すなわち一種の偶像崇拝(十戒の第二条に禁忌として規定)を行っていると考えます。また、好きな歌手や軽音楽団(バンド)の生演奏とか、野球等の観戦には、仕事をしている人であれば休みを取ってでも熱心に行ったりするのに、政治や法に関心を持たず、政治家の違憲行為、違法行為、その他悪政には黙り。最近のWBCの号外での人だかりが、何故悪徳政治家への怒りの時には実現しないのか不思議で仕方ありません。それこそ、自由な日常が無くなったら、締め付けが極まって生活が非常に苦しくなったら、世俗的な楽しみどころじゃなくなるのに。ほぼ間違いなく、特定の誰かの支持者(ファン)となる人が、聖書を真剣に学んで理解するはずもなく、否応なく「偶像礼拝」に相当することをしていると言えます。「偶像」の意味は幅広く、聖書全体を学べば「あらゆることを神よりも優先したり、大切にするものはすべて偶像」(引用元:今後の社会情勢と神の裁きへの備え〔真の聖書福音と預言 (ameblo.jp)〕)だと認識できると思います。神より自分を愛するのも、偶像礼拝に相当するのでしょう。自己愛というのは、自己の保身による臆病さ、隣人愛の欠如、醜悪な欲、怠惰さ等と聖書で厳しく戒められている悪い性質の根源です。人間が聖書とキリストを無視し、聖書に反する不義を行い、結果として自分たちの首を絞めることになります。

加えて、神の律法の項目を色々と参照して考えてみます。

  •  レビ記十八章をはじめとして厭うべき性的関係、すなわち夫婦間以外の性的な行為(心の中で他者に対し淫らな思いになるべきでもない)が世界中で思いっきり無視される故に、望まない妊娠、性犯罪、不倫等が当たり前に存在している
  •  出エジプト記二十三章他記載の訴訟や法廷における律法が無視され、冤罪、賄賂、偽証が絶えない
  • 神への愛、隣人愛(申命記やレビ記、及び福音書での主イエス・キリストの御言葉に説明有り)が無く、自分だけ、今だけ、金だけの自己中心的で冷酷無慈悲な人間が多く、悪人がやりたい放題

その他多数

 

以上の例から、様々な人間の身勝手な思いや行いが、聖書で教えられている神の律法や主イエス・キリストの御言葉の内容に適わないからこそ、これ程までに悪魔崇拝者どもがやりたい放題で、悪を弾劾する人も居らずどんどん世の中が悪化に向かっていると言えます。聖書の箴言にもあるように、神に従わない人間に真理を判断する理解力が与えられず、確固たる信念も無いまま世の常識や価値観に騙されます。たとえ、支配層に対する怒りの気持ちがあろうとも、確固たる信念が備わるわけでも、騙されなくなるわけでもありません。不信仰且つ無法者ばかりである全世界に対し神の激怒が注がれて、大きな災いが起こるのは避けられないでしょう。世界が真に平和で正義に満ちている状態であるには、民族、年齢、環境無関係で神の律法、掟、戒めを守って従う必要があるということです。しかし、この現在の世界で永続する平和で義に満ちた御国を創るのが神の御計画ではありません。預言書は勿論、聖書の詩編やペトロの手紙等でこの世や人生を「仮の宿」「仮の世」と言い表していることからも明らかです。この世で素晴らしい世界が実現しないからといって、投げやりになって限られた生涯を自分の欲望を満たす為に使わないでください。あくまで後の世こそ希望人間の生まれつきの罪に弱い性質上、神を真心から信じて従わない限り神の律法、掟、戒めを守ることは不可能です(確かな信仰が無いなら、たとえ守っているつもりでも虚しい律法主義に陥る)。聖書を無視して生きるのであれば当然神の律法を守れず、罪を悔い改めることが出来ず、高慢になって罪を犯した天使が堕ちて悪魔となって地獄行きの運命が決定付けられたように、神に逆らう人間も悪魔の仲間として同じ運命が待っています。世の権威に盲従する多数派を見て「自分は彼らとは違う」と考えて優越感に浸っているだけなら、遅かれ早かれ完全に多数派側に取り込まれるようになります。この世は、最終的に少数の真のキリスト者とそれ以外の二種類に分かれてしまいます。どのような考えを持つかは人それぞれの自由ではあるので強要はしませんが、すぐにでも聖書を手に取って必死に聖書全体(パウロの書簡以外)を理解して従わない限り、完全に良心を失って生き延びるために悪魔崇拝者どもに屈するのも時間の問題であることは申し上げておきたいです。日本に限らず世界の絶望的な数々の問題点の解消は全く期待できず、自浄作用なんぞ微塵も残ってないのでしょう。だからこそ世の悪に染まらず賢明に備えられるように、「神は光であり、神には闇が全く無い」(ヨハネの手紙一 一章五節参照)とあるように、悪とは無縁で悪を完全に滅ぼす御方、唯一の創造主として魂までも滅ぼすことのできる御方である主なる神の秩序の偉大さを理解し、ご自分の品性、生き方を聖書どおりに変えていっては如何でしょうか。

 

このように聖書を学ぶ意義等を真剣に伝えるわしも、最初から律法に対して正しく捉えていたわけではなかったと振り返っています。以前も何度か申し上げたように、わしはかつて世間で広くは言われていない世の悪や真相を知った最初は恐ろしかったものの、しばらくして聖書に出会い、神の御計画、憐れみ深さ、厳格さに心打たれました。それまでは、単純に聖書=キリスト教の聖典という認識で、そんなに関心があったわけではなかったのに。ただ、最初は神への愛というよりは、世間の法律と同様に「守らなければならない」「律法を守って罪を悔い改めなければ地獄行きって怖い…」と後ろ向きに考えていたと思います。聖書には地獄の様相も簡潔に書かれているのですが、地獄なんて想像しただけで恐ろしいですし、地獄行きは嫌だという思いは誰しもあると思います。ただ、自分の保身目的になると、「神に従ったらこんな良いことがないかな~」といった利益信仰や「律法を守ることで、自力で救いを得たい」みたいな律法主義に陥る場合がほとんどです。最初は守っても、心から喜んで守っているわけではない故に、苦行かのように捉えて段々嫌になることも考えられます。わしはそこまでじゃないですが、律法の中でも非常に重要な掟の一つである安息日に関して以前「安息日が終わったら、~がしたいなぁー」と考えることがあった気がします。当然、安息日は決して人間の行動を制限する厳しい戒律なんかではなくて、詳細は「安息日の重要性とモーセの律法〔真の聖書福音と預言 (ameblo.jp)〕にあるように、掛け替えの無い神と神の民との間のしるしである偉大なものです。そんな数々の律法の意義をあまり理解せずに、どこか義務的だった恥ずかしい自分ですが、わしが所属する教会(神のイスラエル教会)での学びを通して神の掟が各々どのような意味が込められているか真剣に考え、その重要性をより深く知るに至りました。

(自分だけでは気づけないことって本当に沢山あるので、主イエス・キリストが福音書にてお命じになった「信仰の兄弟間の慈愛と交流」がどれ程必要かも、強く実感できています)

 

貴方の掟は我に敵対する者らよりも我を賢明にします。それ(律法)は永遠に我のだからです。

全ての我が教師よりも我は理解力があった。貴方の戒めを、我は熟慮します。

旧約聖書 詩編 百十九編九十八節~九十九節(拙訳)

 

信仰による神の律法、掟、戒めの遵守が、上記の詩編の言葉のように、人間を必ず良い方向に変え、全ての汚れから逃れて神に認めていただけるようになります。詩編の百十九編では、何回も「律法は楽しみ、喜び」という内容が記されており、下心も損得勘定も一切無く心からこの境地になれば最適だと思います。

 

これらのことをあんた方に話したんは、あんた方が我によって平穏を得るためである。あんた方には世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。我は世に打ち勝った。

新約聖書 ヨハネによる福音書 十六章三十三節

【聖句引用元:支配層に取り込まれるな〔真の聖書福音と預言 (ameblo.jp)〕

 

イエス・キリストは神の御計画を果たすのは勿論のこと、肉なる人間には神の律法や掟は守り切れないという反キリストの主張を打ち壊し、全人類の救い主であり模範となる為に、生涯罪を犯さず(神の律法に違反することを一切せず)神の御意志を貫きました。そんなキリストは、世のあらゆる誘惑や惑わしにも人間の肉なる性質にも勝利しました。キリストから直々に指導を受けた十二使徒達(イスカリオテのユダの死後はマティア)や熱心なキリスト者達も同じだったと思います。それより昔の義人達も。この世では、一般庶民が悪魔崇拝者である支配層らに力で及ぶことはありません。恣意的に法令を変えられてしまえば、彼らに従わない者は死刑という流れも十分考えられます。しかし、聖書から学び、主イエス・キリストを信仰し、それ故に神の律法、掟、戒めを生涯守り通し、善い行いを弛まず継続し、最期まで忍耐してキリストに近づくなら、同じように我々も悪とは無縁で悪い世に屈さずにいられるでしょう。この世での命が終わったら、物は何一つ持って行けないけど、生前に築き上げた品性、生前の行いによって、主なる神から裁かれることになります。最期まで信仰を貫けば、たとえ人間に殺されようとも復活をし、魂の救いに与り、神が悪魔とそれに従う人間を丸ごと滅ぼして再創造される後の天地(イザヤ書やヨハネの黙示録等に書かれている)で憩うことができます。絶対的に義である神、神の御言葉こそ永続するに相応しく、これらは揺るぎない希望です

 

◆「神のイスラエル教会」について。

こちらに所属し学ばせていただいてからの感想や変化を率直にまとめた過去記事「神のイスラエル教会」での学びも良ければご覧になってください。

この場では、下心や醜悪な欲もやましさも無く、ただ誠実に聖書の御言葉に向き合い実践していく信仰の兄弟たちが集まります。皆が互いの霊的成長を喜び合い、相談も気軽に出来ます。兄弟との定期的なやり取りによる気づき、学び、発見。励まし合いがあります。物理的距離や各々の都合もあって基本的には文字でのやり取りではあるものの、対面交流も可能な限り行ってきました。キリスト者として成長していきたいと真剣にお考えになっている方がいらしたら、要項をよく読み、「明日は無いかもしれないから」ぐらいに思って早急に準備してください。