昨日。
天気はあいにくの曇り。しかも風が強い。朝日を見てから港近くの公園でしばらく休憩していた。すると港に島の人が多く集まってきた。若い学生が多く,その親やおじぃ,おばぁをいてるよう。何か騒がしかった。何かの見送りだろう。後で話を聞いたところこの島には留学制度があるらしい。留学制度といっても外国からの学生を受け入れるのではなく,沖縄内の他島からの学生を受け入れるというものらしい。それは久高島だけでなくて,別の島でも行われているとのこと。
それをする理由はわからないけれど,おそらく過疎化が進む,島を活気づけたり,若者に沖縄の伝統なりを伝えるための制度だろう。
時間も9時くらいになったので昨日のレンタサイクルの店に行ってチャリを借りに行くことにした。昨日会話したのでもう顔なじみだ。
「昨日けっきょくどこ泊まったね?」
「野宿した」
ここのおばぁはあんまり笑顔を見せてくれない。僕が笑かそうとしても,大声で笑って,笑いを誘っても,口元が動く程度だ。ちょっと悔しい。でもだからと言っておばぁがそんな陰気な人というわけじゃない。ユーモアもあって温かい人だ。ただハッハッハーと笑わないだけだ。
3時間借りることにした。1時間300円だから900円のはずだけど,おばぁは700円にしてくれた。しかも背負っていた重いバックパックを預かっといてやると言ってくれた。もちろんそれに従った。
おばぁの優しさに触れ,気分良くスタートできた。まずはニライカナイからの来訪神の港とも言われているニシキ?イシキ?浜に来た。聖地なのでここは遊泳禁止らしい。聖地なので人工的なものは全くない。この島自体が聖域なので集落以外は,道も舗装されていないし,人工的なものと言えば,看板なり貯水地なり,必要最低限のものばかりである。
そんな砂利道を進みながら沖縄の伝説によくでてくるキジムナーが出てきたらどんな会話をしよう。といろいろ妄想していた。キジムナーは精霊でガジュマルの木に住んでいるとされている。
チャリをこいで,カベールという場所にきた。ここは島の最北端の岬で,そこにある浜にアマミキヨが到着したと言われている。また1年中の大漁祈願を行われる場所でもある。景色はまた抜群。
次にフーボー御嶽に向かった。御嶽とは聖地のことで本土でいう神社のようなものである。でも神社と違って,社もなくお賽銭箱なんてものもない。かつて沖縄は,まだ琉球王国の時代,日本政府によって日本化政策が行われた。それによって御嶽も神社にされ,同時に方言の禁止やユタと呼ばれる,民間宗教者も弾圧されたりと沖縄文化のなかに日本文化がそこでかなり入ってきた。韓国や東南アジアの各国でも行われたわけで,つまりは沖縄はやはり歴史的に見れば完全に外国なんだと改めて思った。
話はそれにそれたけど,そのフーボー御嶽は島に多くある御嶽の中でも最も重要な場所であってとても神聖な場所なのである。ここは今完全に入ることは禁じられている。
入り口には『ご協力ください!久高島フボー御嶽は,神代の昔から琉球王府と久高島の人々が大事に守ってきた聖地です。何人たりとも入ることを禁ずる』と看板に書かれてある。雑種的文化の日本の中にありながらも,今もこのような伝統が守られていることは喜ばしいことである。
僕はほぼ1周してしまって,また集落を拝徊することにした。途中で,ある建物の周りを掃除しているおいやんと話しをした。
「どっから来たね」
「和歌山」
「和歌山?大阪ね」
「ちがいますよー。大阪の南にある和歌山県!ですよ」
「あー。港は?」
「串本とかかな」
「あー」
あまり和歌山のことを知らないらしい。でもおいやんとの話は盛り上がった。聞くと奥さんはフィリピン人で港の待合室で働いてるらしい。そういえば日本語がナマってるなーと記憶していた。話はおいやんの仕事のこと,娘のこと,学校のこと。長い時間語り合った。
そうこうしている間に久高を発たなければいけない時間になった。風も強くて,波が高い。出港するやろうか。待合室のおいやんの奥さんに尋ねると出港できるようだ。さらば久高島!また来よう。
1日ぶりにバイクに股がって,次に平和祈念公園を目指した。安座間港から約20キロとわりと近い。すぐに着いた。さっそく資料館に入ることにした。資料館では,沖縄の歴史と合わせた,世界大戦のことを叙述,写真,映像,遺品によって生々しく伝えられていた。どんなに悲惨なものだったか。戦争どうこうより日本軍の戦い方,モラルの欠如に腹立だしさを覚えながら資料館を回った。戦争をなくそうとする前に,戦争のやり方を変えることが,順番やないかと,そう思えたりした。
資料館を出て,平和の碑を見てまわった。そこには僕が小さい頃写真で見ていたのは,ほんの一部だということに気付かされた。日本人もアメリカ人も合わせて被害者の数は,確か15万人とか。もっとやったかな。とにかくその黒い碑の数は凄まじくたくさんあった。それとは対照的にそらを見上げると二機の米軍飛行機が並んで上空を飛行していた。現実をそこに見た。
実は明日で沖縄を出る。いいものを見せてもらった。
それをする理由はわからないけれど,おそらく過疎化が進む,島を活気づけたり,若者に沖縄の伝統なりを伝えるための制度だろう。
時間も9時くらいになったので昨日のレンタサイクルの店に行ってチャリを借りに行くことにした。昨日会話したのでもう顔なじみだ。
「昨日けっきょくどこ泊まったね?」
「野宿した」
ここのおばぁはあんまり笑顔を見せてくれない。僕が笑かそうとしても,大声で笑って,笑いを誘っても,口元が動く程度だ。ちょっと悔しい。でもだからと言っておばぁがそんな陰気な人というわけじゃない。ユーモアもあって温かい人だ。ただハッハッハーと笑わないだけだ。
3時間借りることにした。1時間300円だから900円のはずだけど,おばぁは700円にしてくれた。しかも背負っていた重いバックパックを預かっといてやると言ってくれた。もちろんそれに従った。
おばぁの優しさに触れ,気分良くスタートできた。まずはニライカナイからの来訪神の港とも言われているニシキ?イシキ?浜に来た。聖地なのでここは遊泳禁止らしい。聖地なので人工的なものは全くない。この島自体が聖域なので集落以外は,道も舗装されていないし,人工的なものと言えば,看板なり貯水地なり,必要最低限のものばかりである。
そんな砂利道を進みながら沖縄の伝説によくでてくるキジムナーが出てきたらどんな会話をしよう。といろいろ妄想していた。キジムナーは精霊でガジュマルの木に住んでいるとされている。
チャリをこいで,カベールという場所にきた。ここは島の最北端の岬で,そこにある浜にアマミキヨが到着したと言われている。また1年中の大漁祈願を行われる場所でもある。景色はまた抜群。
次にフーボー御嶽に向かった。御嶽とは聖地のことで本土でいう神社のようなものである。でも神社と違って,社もなくお賽銭箱なんてものもない。かつて沖縄は,まだ琉球王国の時代,日本政府によって日本化政策が行われた。それによって御嶽も神社にされ,同時に方言の禁止やユタと呼ばれる,民間宗教者も弾圧されたりと沖縄文化のなかに日本文化がそこでかなり入ってきた。韓国や東南アジアの各国でも行われたわけで,つまりは沖縄はやはり歴史的に見れば完全に外国なんだと改めて思った。
話はそれにそれたけど,そのフーボー御嶽は島に多くある御嶽の中でも最も重要な場所であってとても神聖な場所なのである。ここは今完全に入ることは禁じられている。
入り口には『ご協力ください!久高島フボー御嶽は,神代の昔から琉球王府と久高島の人々が大事に守ってきた聖地です。何人たりとも入ることを禁ずる』と看板に書かれてある。雑種的文化の日本の中にありながらも,今もこのような伝統が守られていることは喜ばしいことである。
僕はほぼ1周してしまって,また集落を拝徊することにした。途中で,ある建物の周りを掃除しているおいやんと話しをした。
「どっから来たね」
「和歌山」
「和歌山?大阪ね」
「ちがいますよー。大阪の南にある和歌山県!ですよ」
「あー。港は?」
「串本とかかな」
「あー」
あまり和歌山のことを知らないらしい。でもおいやんとの話は盛り上がった。聞くと奥さんはフィリピン人で港の待合室で働いてるらしい。そういえば日本語がナマってるなーと記憶していた。話はおいやんの仕事のこと,娘のこと,学校のこと。長い時間語り合った。
そうこうしている間に久高を発たなければいけない時間になった。風も強くて,波が高い。出港するやろうか。待合室のおいやんの奥さんに尋ねると出港できるようだ。さらば久高島!また来よう。
1日ぶりにバイクに股がって,次に平和祈念公園を目指した。安座間港から約20キロとわりと近い。すぐに着いた。さっそく資料館に入ることにした。資料館では,沖縄の歴史と合わせた,世界大戦のことを叙述,写真,映像,遺品によって生々しく伝えられていた。どんなに悲惨なものだったか。戦争どうこうより日本軍の戦い方,モラルの欠如に腹立だしさを覚えながら資料館を回った。戦争をなくそうとする前に,戦争のやり方を変えることが,順番やないかと,そう思えたりした。
資料館を出て,平和の碑を見てまわった。そこには僕が小さい頃写真で見ていたのは,ほんの一部だということに気付かされた。日本人もアメリカ人も合わせて被害者の数は,確か15万人とか。もっとやったかな。とにかくその黒い碑の数は凄まじくたくさんあった。それとは対照的にそらを見上げると二機の米軍飛行機が並んで上空を飛行していた。現実をそこに見た。
実は明日で沖縄を出る。いいものを見せてもらった。
久高島
ニライカナイ。それは沖縄の人々が信仰する理想郷のことである。それは東の地もしくは海底にあるとされ,沖縄の最東端の地である久高島はニライカナイの対岸の地として聖地とされている。
WBCの興奮さまやらぬまま,僕はバイクを走らせ,安座間港に向かった。もちろん宿は島に着いてから探すつもりだ。15分前に船に着き,船の中で出発を待つことにした。乗客は三人の老人。高校生二人。おばさんとおねぇさんが一人ずつ。皆,島の人らしく知り合いのようである。老人は外国語で会話。高校生は,どこでもそうであるように携帯に夢中になり,おばさんは乗船チケットを切るのを手伝っている。船内では沖縄のローカルラジオが流れていて,時々方言も混ざっている。なんか素朴な映画のワンシーンのよう。
安座間港から久高島までは約15分ほどですぐ近くのところにある。ちょうど石垣島から竹富島までの距離くらいだ。着いてから,時間も夕方なので宿探しをすることにした。素泊まりでも3000円くらいするときいていたので慎重に調べることにした。まず自転車レンタル屋に行った。
「おばちゃん明日の昼ごろまで自転車貸してくれませんか」
「1日?高いからやめとけ」
「ほなやめとくわ」
「おばちゃん!ここらの安い宿知りませんか」
「向こうにあるさ」
そのおばぁが指差した方向に向かった。そこには宿が二つあった。値段を確認するため,とにかく電話番号を控え,かけることにした。しかし値段より前に部屋が満室だということを告げられた。宿は5つくらいあって,全部に連絡したが,どこも満室。
WBCに興奮しすぎて朝からおにぎり一つしか胃に入れてなかったので,『さばに』という食堂にはいることにした。ここで牛そばを注文した。800円と少々高い気もするが,牛肉たっぷりのそばとさらには刺身と白飯もつけてくれたおかげで腹も満たされた。食べたあと外にあるテラスで一息つくことにした。今日はその店の前方にある公園で野宿することを決意して。
休憩していると,一人のおっちゃんがやって来た。
「どっから来たね」
「和歌山です。大学に行ってて今は兵庫県に住んでるんですけど」
どきつい沖縄弁で,聞取りにくかったけど何とか会話した。
「おっちゃん仕事何やってんの」
「遊んどる。遊ぶのが仕事さー」
途中で店のおいやんも来て,オリオンビールを飲みながら二人で外国語を使って話をし始めた。聞き取れるのは,PTA,2年,前もって,くらいで内容は全くわからなかった。推測ではPTAの人事的な内容らしい。
「お前PTA入れ!子供はよ連れてこい」
「さきに嫁さん連れてきますわ」
と内容もわかってなかったけど会話は出来た。地元の人と話すると島の内情もなんとくかじれるから面白い。
それからお客さんのおいやんが帰った。店のおいやんと二人きりで話をすることになった。このおいやんはほりが深くて,肌もこげ縄文時代の人のような顔立ちをしている。口数も少なくてどこか威厳がある。
話の中で,祝女(ノロ)はまだいるんですがというありきたりの質問をした。祝女とは本土で言う巫女さんみたいな存在だ。久高島ではイザイホーという男人禁制の祭が12年に1度の牛年に行われてた。しかし後継者不足で1978年からは後継者不足で行われていない。
だからその質問で,おいやんは多弁になって,祭りのことをいろいろ語ってくれるだろうと内心思っていた。
「祝女はおらん。……。祝女がいなくなったことがいかに重大なことか。自分が話すことで,あんたが本気で聞いてるか,ただ聞いてるかなんてわからないさー。だから話しはせん。人によって感じ方も納得の仕方も全然違う。だから自分で勉強したほうがいいさ」
怒られたわけではない。おいやんは自分が語ったら偏見が出来るかもしれん。自分で学ぶことでありのままを理解してくれというようなことを言ってくれたんだと思う。
僕は安易だった。そして島の伝統は固く守られていると,そう感じた。
運良く,このおいやんとも仲良くなったおかげで,店のテラスのところで寝ていいとの了解をえた。屋根のない公園で寝ることをどうにか回避できた。仲良くなっても,沖縄人でもなかなか家には泊まらしてくれないようだ。
そして一夜ノラ人間となって,アラームを5時半に合わせ,沖縄最東端の朝日を見に来た。絶景だ。ニライカナイなんてのもあるのかもしれへんな。
WBCの興奮さまやらぬまま,僕はバイクを走らせ,安座間港に向かった。もちろん宿は島に着いてから探すつもりだ。15分前に船に着き,船の中で出発を待つことにした。乗客は三人の老人。高校生二人。おばさんとおねぇさんが一人ずつ。皆,島の人らしく知り合いのようである。老人は外国語で会話。高校生は,どこでもそうであるように携帯に夢中になり,おばさんは乗船チケットを切るのを手伝っている。船内では沖縄のローカルラジオが流れていて,時々方言も混ざっている。なんか素朴な映画のワンシーンのよう。
安座間港から久高島までは約15分ほどですぐ近くのところにある。ちょうど石垣島から竹富島までの距離くらいだ。着いてから,時間も夕方なので宿探しをすることにした。素泊まりでも3000円くらいするときいていたので慎重に調べることにした。まず自転車レンタル屋に行った。
「おばちゃん明日の昼ごろまで自転車貸してくれませんか」
「1日?高いからやめとけ」
「ほなやめとくわ」
「おばちゃん!ここらの安い宿知りませんか」
「向こうにあるさ」
そのおばぁが指差した方向に向かった。そこには宿が二つあった。値段を確認するため,とにかく電話番号を控え,かけることにした。しかし値段より前に部屋が満室だということを告げられた。宿は5つくらいあって,全部に連絡したが,どこも満室。
WBCに興奮しすぎて朝からおにぎり一つしか胃に入れてなかったので,『さばに』という食堂にはいることにした。ここで牛そばを注文した。800円と少々高い気もするが,牛肉たっぷりのそばとさらには刺身と白飯もつけてくれたおかげで腹も満たされた。食べたあと外にあるテラスで一息つくことにした。今日はその店の前方にある公園で野宿することを決意して。
休憩していると,一人のおっちゃんがやって来た。
「どっから来たね」
「和歌山です。大学に行ってて今は兵庫県に住んでるんですけど」
どきつい沖縄弁で,聞取りにくかったけど何とか会話した。
「おっちゃん仕事何やってんの」
「遊んどる。遊ぶのが仕事さー」
途中で店のおいやんも来て,オリオンビールを飲みながら二人で外国語を使って話をし始めた。聞き取れるのは,PTA,2年,前もって,くらいで内容は全くわからなかった。推測ではPTAの人事的な内容らしい。
「お前PTA入れ!子供はよ連れてこい」
「さきに嫁さん連れてきますわ」
と内容もわかってなかったけど会話は出来た。地元の人と話すると島の内情もなんとくかじれるから面白い。
それからお客さんのおいやんが帰った。店のおいやんと二人きりで話をすることになった。このおいやんはほりが深くて,肌もこげ縄文時代の人のような顔立ちをしている。口数も少なくてどこか威厳がある。
話の中で,祝女(ノロ)はまだいるんですがというありきたりの質問をした。祝女とは本土で言う巫女さんみたいな存在だ。久高島ではイザイホーという男人禁制の祭が12年に1度の牛年に行われてた。しかし後継者不足で1978年からは後継者不足で行われていない。
だからその質問で,おいやんは多弁になって,祭りのことをいろいろ語ってくれるだろうと内心思っていた。
「祝女はおらん。……。祝女がいなくなったことがいかに重大なことか。自分が話すことで,あんたが本気で聞いてるか,ただ聞いてるかなんてわからないさー。だから話しはせん。人によって感じ方も納得の仕方も全然違う。だから自分で勉強したほうがいいさ」
怒られたわけではない。おいやんは自分が語ったら偏見が出来るかもしれん。自分で学ぶことでありのままを理解してくれというようなことを言ってくれたんだと思う。
僕は安易だった。そして島の伝統は固く守られていると,そう感じた。
運良く,このおいやんとも仲良くなったおかげで,店のテラスのところで寝ていいとの了解をえた。屋根のない公園で寝ることをどうにか回避できた。仲良くなっても,沖縄人でもなかなか家には泊まらしてくれないようだ。
そして一夜ノラ人間となって,アラームを5時半に合わせ,沖縄最東端の朝日を見に来た。絶景だ。ニライカナイなんてのもあるのかもしれへんな。
