放浪旅2009春 -3ページ目

波照間一周

天気は曇り。風は強い。今日は波照間島をチャリで一周したんやけど,南風が強くてなかなか体力を消費した。

波照間島は島の中心ほどに約1,5平方キロメートルの集落がある。まずそこで昼飯を調達した。集落に5個くらいしかない商店の中で,僕は南共同売店に入って,パンとお茶漬けの素とお菓子を買った。ここの売店はちゃんとレジもあって計算してくれた。竹富島の売店なんか,2つ商品を買って,合計は電卓でしてくれるんやけど,僕がお金を出すと「おつりはいくら?」なんて言ってきて,全てそれを僕に任せる。計算が遅い(特に引き算)僕もじっくり考えて答えた。多分計算間違ってなかったやろう。とにかくほぼセルフサービスのような売店だった。儲けようなんて甚だ思ってないんやろう。

売店を後にして,オヤケアカハチという人の生誕の地に行ってみた。この人は琉球王国時代に赤蜂の乱という八重山諸島の反乱があったときの大将だ。この乱で八重山諸島一帯は実質的に琉球政府の支配下に入った。沖縄人は争いを嫌う気があるが,とくに先島(宮古諸島,八重山諸島)の人達はそうらしいが,この時ばかりは溜りにたまった不満と赤蜂という指導者によって反乱が起こったらしい。
そんな八重山諸島の,波照間島の英雄やろう人の生誕の地やから資料館があったり,大きなモニュメントがあるんやないかと期待していた。でもそこにはオケヤ赤蜂生誕の地と書かれた記念碑と,少ない文字で書かれた看板しかなかった。残念。

集落を出て,島を一周している環状線のような道路を突き進むことにした。波照間島は集落以外の場所はサトウキビ畑と牧場しかない。途中サトウキビ畑の間の砂利道に入って探険もしたけどやっぱり何もなかった。

島を約半分くらい回ったところでやっと日本最南端の碑なるものを発見。これは全国の青年らが石を集めてここに造ったらしい。

もうこの南方の海には,フィリピンしかないんや。この前和歌山の熊野参詣をしたときと同じような気持ちになった。ちなみに波照間島の名前の由来は名前の通り琉球王国の果ての島という意味らしい。

次にすぐ隣にある展望台に入って休憩をとることにした。波照間島は日本で唯一,南十字星なるものが見えるらしい。そこで受付のおいやんとちょっとしたバカ話をして,また進んだ。こぎ続けた。港が見えた。僕の泊まっている宿西浜荘は港にすぐある。ってことはもう1周したやないか。

結局ゆっくりこいで,寄り道をしまくって三時間程度で島を回れた。思ったより小さかったな。

でも多くの島唄もあるし,伝説なんてものもあるし,文化は魅力でいっぱい。羨ましい限りです!!

2009/03/19

今さっき僕が泊まっている西浜荘主催のオペラライブというか三線ライブというか,とりあえず宴会みたいなのが催された。

踊りに踊った。

地元のおじぃ達は自由に言葉を発してヤジりまくり。酔っぱらって沖縄の方言で話してくる。何て言うてるかわかるはずがない。八重山の各島でもそれぞれの部落でも全然方言が違うらしい。方言というよりかはむしろ外国語で,琉球語だった。
そんな酔っぱらいのおじぃも三線を手にして唄うと何と素晴らしいことか。八重山は琉球時代厳しい人頭税をしぼられた苦い歴史がある。それを唄にしたものが多いらしい。

最後の一曲を何回したやろうか。宴会はおじぃ達の舞台となって,おおいに盛り上がった。

沖縄の時間の速度は遅い。物理的に緯度が低いからやろーか。そんなわけはない。なんくるないさー(なんとかなるやろー)っていう精神のもと沖縄の人達は立派に生きている。

社会に出てありきたりの成功なんてって思ってしまった僕にはなんくるないさーという言葉は胸に響いた。
なんくるないさー。つまずいた時はぜひ使ってみよう。

波照間島やー

昨日の晩はゲストハウスの人たちと語り合った。
多くの旅人が集まるではいろんな人種に出会える。仕事を辞めて何かを求める人,写真家,歌手,絵描き,楽器製作者などなど。色んな目的で,多くの好奇心を持って皆旅をする。

旅をする中で出会った多くの人は社会に何らかの不満があったり,うまく適合出来ていない人が多いような気もする。今の社会に入りこむと堕落していくんやないか。そんな疑問さえ抱く。

さてさてそんな奇妙なことを思いながら,今日は日本最南端の島,波照間島に来た。やってきたのは昼過ぎで,まだ島の中心にある集落とニシ浜にしか行けていない。

明日は島をチャリで一周するつもり。いや三周くらいできるかも。劣った足と肺にムチ打って明日は波照間島の隅々まで見てやろう!!