カラオケのルール
忘年会シーズンにそろそろ突入する。2次会にカラオケに行く方も多いのではないだろうか。カラオケにはその組織特有のルールがあるので、初めて参加する場合は結構気を使うものだ。自分の好きな歌ばかり歌っていると、「勝手なやつ」との烙印も押されかねない。
大学時代に所属していた部では、男ばかりの暑苦しい部だったので、時折受け狙いで女性歌手の曲をいれると結構乗り切れた。五輪真弓さんの「恋人よ」の達人(といっても歌がうまいと言うわけではなく、受け狙いのなりきり度と言う意味で)が先輩にいたので、かぶらないように、小泉今日子さんの「あなたに会えてよかった」をよく歌っていた。
もうひとつ所属していたサークルでは、商業主義に走りすぎた曲を真剣に歌うことはご法度だった。真剣に歌うなら、フリッパーズ・ギター、ピチカート・ファイブやオリジナル・ラブでアイドルやビーイング系の曲は茶化して歌うのがルールだった。もっともこのルールは僕個人の嗜好にも合っていたのでそれほど苦痛ではなかった。
組織特有のルールの最たるものは「締めの曲」ではないだろうか。前述した男ばかりの部ではラストは必ず、ブルーハーツの「トレイントレイン」を歌いながらみんなで飛び跳ねた。最も苦痛だったのが、入社2年目に所属した組織で、締めは大事マンブラザーズバンドの「それが大事」を1フレーズずつ回して歌う。僕にとっては悪魔に魂を売り渡すくらいの苦行だったが、これも立派な組織人となるための通過儀礼と受け止めた。
さて、今年の対策だが、ここまで国民的大ヒットがない状況だと選曲もなかなか難しい。「たらこ~たらこ~」とおっさんが歌うのはかなり寒い気もするし、「目を閉じれば億千の星~」とラップを決めながら歌っても、年配の方々には伝わらない。例年通り、小坂明子さんの「あなた」など、中途半端に懐かしい女性歌手の歌でしのぐことになりそうだ。
- Flipper's Guitar
- カメラ・トーク
- pizzicato five, 小西康陽, 野宮真貴, 高浪敬太郎
- ボサ・ノヴァ2001
- ORIGINAL LOVE, 田島貴男
- 風の歌を聴け
家族の風景
「バグダッド・カフェは家族を描いた映画だ」と予備校の小論文の授業で講師が言っていた。学校の授業、特に予備校での授業内容なんてほとんど覚えていないのだが、この言葉は妙に印象に残っている。今となっては、目を引く小論文を書くにはこの程度のひねりが必要だということの例示だったのだとわかるが、血縁関係のある登場人物は誰もいないのに、「家族」の映画と言ってのける発想に当時は結構感心した。
この映画は情感たっぷりにジュベッタ・スティールが歌う挿入歌の「コーリング・ユー」の方が、ホリー・コールがカバーしたこともあり、有名になったきらいもあるが、独特のテイストを持ったいい映画だ。なんといっても主人公を演じるマリアンネ・ゼーゲブレヒトのリアルなブスさ加減がいい。ハリウッド映画のように本当は美しい人が賞狙いで不細工にメークをしているのとは逆に、本当は太ったブスだけど、愛らしさがにじみ出ていてなぜか魅力的なところに説得力がある。監督のパーシー・アドロンは本作を含め3作連続でこの女優さんと組んでいるが、このなんともいえない存在感に魅かれたのかもしれない。
さまざまな国籍、バックグラウンドを持つ少し傷ついた人々が、砂漠のモーテルで共同生活を送るうちに絆が生まれ癒されていくという映画だが、登場人物それぞれが自分の役割を見つけて助け合っているところは確かに「家族」的だ。このモーテルが次第に落ち着ける家庭(最近は家庭が必ずしも落ち着ける場所ではないが)のような場所になっていく。
逆に考えると法的に家族であっても、絆を確かなものとする日々の努力を怠ると家族的関係は簡単に喪失するのだろう。映画の前半で日々の生活に疲れて気がたっていた「バグダッド・カフェ」の女主人(ちなみにこの女優さんも名演)の顔と子育てに追われる僕の奥さんの表情が少し似てきているので、一層そのような思いを強くした次第である。
- 紀伊國屋書店
- バグダッド・カフェ 完全版
- ホリー・コール・トリオ, ホリー・コール, デビッド・ピルチ, アローン・デイビス, ジョニー・フリゴ
- コーリング・ユー
キレる
小学6年生の時に、高校生7人にたこ殴りされて、あごの骨にひびが入ったことがある。
ソフトボールの練習中に、高校生が邪魔しにきたので「キレて」文句をいったら、囲まれて殴られた。殴られている間悔しかったので、ずっと金属バットを握り締めていたが、「これで殴っちゃダメ、これで殴っちゃダメ」と自分に言い聞かせていた。高校生もバットを取り上げて「これで殴ったろか」と脅したが殴りはしなかった。あの時、僕が金属バットで殴っていたり、殴られたりしていたらきっと違う人生になっていただろう。
最近の若者は「キレやすい」と言われて久しいが、若者とはそもそもキレるものだと、キレやすい僕は思う。ただ、昔と今で異なるのは、キレたあとの「安全弁」(僕と高校生が金属バットは使わなかったように)が簡単に吹っ飛びやすくなったことだと思う。金属バットで殴ったら相手や自分の人生がどうなるかという想像力が欠けてきたのかもしれない。
クエンティン・タランティーノという監督は「キレる」をエンターテインメントにするという離れ業をやってのけた監督だと思う。この人はいかにかっこよくかつ面白く、「キレる」かを描くことのみを追求しているといっても過言ではない。「キル・ビル」に至っては、主人公がいかに美しく「キレる」かを追求するあまり、ストーリーのリアリティを一切捨て去って、ありえない設定になっている。
初監督作品の「レザボア・ドックス」は「キレる」美学の追求と作品の完成度のバランスが絶妙に取れた映画だ。クールな登場人物が、緊張感の中でぎりぎりの駆け引きをしているかと思えば、突然「キレて」銃をぶちかます。以降の作品で発砲することの必然性がだんだんと希薄になるのに対し、この作品ではまだ発砲する登場人物に感情移入することができる。かすかに「キレた」あとの安全弁の存在が感じ取れるからかもしれない。
- ジェネオン エンタテインメント
- レザボア・ドッグス デラックス版
- ユニバーサル・ピクチャーズ / ジェネオン エンタテインメント
- キル・ビル Vol.1
- ユニバーサル・ピクチャーズ / ジェネオン エンタテインメント
- キル・ビル Vol.2