成功も試練
「成功も試練」というお話です。
----------↓
稲盛和夫氏の心に響く言葉より…
人生を終えるときに、立派な人格者になった人もいれば、そうでない人もいます。
その違いは、人生を歩む中で、自らを磨き人格を高めることができたかどうか、ということにあると私は考えています。
このことは、次のように例えることができます…人間はこの世に生を受けたときは原石のようなものであり、後天的に磨き上げることではじめて、光り輝く宝石のような、素晴らしい人格者になることができる…。
では、どのようにして、自分を磨いていくのでしょうか。
私は「試練」を経験することが、人間を大きく成長させてくれるチャンスになると考えています。
実際、偉大なことを成し遂げた人で、試練に遭ったことがないという人はいません。
明治維新の功労者である西郷隆盛もそうです。
こどものころは「ウド」というあだ名の、目立たない子どもだったといいます。
ところが、後には勝海舟をはじめとする幕末の偉人たちを感嘆させたほどの人格者となり、明治維新の偉業を成し遂げています。
この西郷は、人生において様々な試練に遭遇しています。
例えば若いときには、親友であった僧月照(げっしょう)とともに、鹿児島の錦江湾(きんこうわん)に身を投げ、自分だけ蘇生(そせい)するという経験をしています。
親友を逝かせてしまった西郷の心痛はいかばかりであったでしょう。
また、遠島という不遇を二度も経験しています。
特に二度目は、島津久光の逆鱗に触れ、鹿児島から遠く離れた沖永良部島に流され、風雨が直接吹き込む狭い牢獄に閉じ込められるという悲惨な目に遭っています。
しかし、そのような逆境の中でも、西郷は東洋古典の耽読(たんどく)などを通じて、自分を高める努力を怠ることはありませんでした。
苦難に耐え、むしろ苦労を糧(かて)として、人格を磨く努力をひたむきに続けたのです。
その後、許されて島を出た西郷は、高潔な人格と識見を備えた人物として、人々の信望を集め、やがて明治維新の立役者となります。
苦難に直面したときに、打ち負かされて夢をあきらめてしまったり、いい加減なところで妥協してしまったりするのか、それとも西郷のように、苦労を苦労と思わず、ひたむきに努力を重ねることができるのか、ここに人間的に成長できるかどうか、その分岐点があるのです。
私は、その「試練」とは、一般的にいわれる苦難のことだけを指すのではないと考えています。
人間にとって、成功さえも試練なのです。
例えば、仕事で大成功を収め、地位や名声、財産を獲得したとします。
人はそれを見て、「なんと素晴らしい人生だろう」とうらやむことでしょう。
ところが実は、それさえも天が与えた厳しい「試練」なのです。
成功した結果、地位に驕(おご)り、名声に酔い、財に溺(おぼ)れ、努力を怠るようになっていくのか、それとも成功を糧に、さらに気高い目標を掲げ、謙虚に努力を重ねていくのかによって、その後の人生は、天と地ほどに変わってしまうのです。
つまり、天は成功という「試練」を人に与えることによって、その人を試しているのです。
『「成功」と「失敗」の法則』致知出版
----------↑
成功者も試されている。というところが、凄いお考えですね。
成功したいと思う人は多いですが、成功してしまったときのことまで考えている人は少ないと思います。
本当の成功とは、本当の幸せとは、それを実現したときに、如何に謙虚に、自分の環境に感謝し、努力を怠らないか、ということなのですね。
ありがとうございます。
感謝です。
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稲盛和夫氏の心に響く言葉より…
人生を終えるときに、立派な人格者になった人もいれば、そうでない人もいます。
その違いは、人生を歩む中で、自らを磨き人格を高めることができたかどうか、ということにあると私は考えています。
このことは、次のように例えることができます…人間はこの世に生を受けたときは原石のようなものであり、後天的に磨き上げることではじめて、光り輝く宝石のような、素晴らしい人格者になることができる…。
では、どのようにして、自分を磨いていくのでしょうか。
私は「試練」を経験することが、人間を大きく成長させてくれるチャンスになると考えています。
実際、偉大なことを成し遂げた人で、試練に遭ったことがないという人はいません。
明治維新の功労者である西郷隆盛もそうです。
こどものころは「ウド」というあだ名の、目立たない子どもだったといいます。
ところが、後には勝海舟をはじめとする幕末の偉人たちを感嘆させたほどの人格者となり、明治維新の偉業を成し遂げています。
この西郷は、人生において様々な試練に遭遇しています。
例えば若いときには、親友であった僧月照(げっしょう)とともに、鹿児島の錦江湾(きんこうわん)に身を投げ、自分だけ蘇生(そせい)するという経験をしています。
親友を逝かせてしまった西郷の心痛はいかばかりであったでしょう。
また、遠島という不遇を二度も経験しています。
特に二度目は、島津久光の逆鱗に触れ、鹿児島から遠く離れた沖永良部島に流され、風雨が直接吹き込む狭い牢獄に閉じ込められるという悲惨な目に遭っています。
しかし、そのような逆境の中でも、西郷は東洋古典の耽読(たんどく)などを通じて、自分を高める努力を怠ることはありませんでした。
苦難に耐え、むしろ苦労を糧(かて)として、人格を磨く努力をひたむきに続けたのです。
その後、許されて島を出た西郷は、高潔な人格と識見を備えた人物として、人々の信望を集め、やがて明治維新の立役者となります。
苦難に直面したときに、打ち負かされて夢をあきらめてしまったり、いい加減なところで妥協してしまったりするのか、それとも西郷のように、苦労を苦労と思わず、ひたむきに努力を重ねることができるのか、ここに人間的に成長できるかどうか、その分岐点があるのです。
私は、その「試練」とは、一般的にいわれる苦難のことだけを指すのではないと考えています。
人間にとって、成功さえも試練なのです。
例えば、仕事で大成功を収め、地位や名声、財産を獲得したとします。
人はそれを見て、「なんと素晴らしい人生だろう」とうらやむことでしょう。
ところが実は、それさえも天が与えた厳しい「試練」なのです。
成功した結果、地位に驕(おご)り、名声に酔い、財に溺(おぼ)れ、努力を怠るようになっていくのか、それとも成功を糧に、さらに気高い目標を掲げ、謙虚に努力を重ねていくのかによって、その後の人生は、天と地ほどに変わってしまうのです。
つまり、天は成功という「試練」を人に与えることによって、その人を試しているのです。
『「成功」と「失敗」の法則』致知出版
----------↑
成功者も試されている。というところが、凄いお考えですね。
成功したいと思う人は多いですが、成功してしまったときのことまで考えている人は少ないと思います。
本当の成功とは、本当の幸せとは、それを実現したときに、如何に謙虚に、自分の環境に感謝し、努力を怠らないか、ということなのですね。
ありがとうございます。
感謝です。
あなたが持っているものが与えられる
「あなたが持っているものが与えられる」というお話です。
----------↓
斎藤一人さんの心に響く言葉より…
運とはなんですかって言うと、ひとえに人の何倍も知恵を使い、人の何倍も気を使い、人の何倍も努力して、なおかつ顔に出ていない。
こういう人を“運がいい人”と呼ぶんです。
運がいい人は苦労に負けてないの。
苦労してないわけではないんです。
苦労というのは誰でもしてるんだよね。
ただ、苦労に負けてる人は、顔に出ちゃうんです。
言葉に出ちゃうんです。
でも、苦労に負けてない人は涼しい顔をしてるんだよ。
それに、苦しそうなことも言わないんです。
仕事やスポーツなんかでも、勝って、勝って、勝ち抜いてるような人に話を聞くと、「運がよかったんです」とか、「みんなのおかげです」とかって言うんだよ。
それで、運の悪い人はそれを真に受けちゃうんだよね。
筋肉隆々の人がいたら、その人は間違いなく鍛えてるの(笑)。
それを、「いや、大したことしてませんから」って言われて真に受けるほうがおかしいんです。
そんなことだから運が逃げていくんだよ。
努力なんて当たり前なんです。
成功してる人は努力もしてるし、知恵も使ってるんです。
なおかつ謙虚にものを語ってるから運がいいんです。
こういう人だからこそ、運がついてくるんです。
だから運って、「ものすごい努力家が、へりくだって言う言葉なんだ」っていうことなの。
運がいい人って、「私が運がいいんです」って言いながら努力するような人なんです。
そういう人はまた「運がいい」って波動を出してるから、神様は同じものを与えてくれるの。
「お金がほしい」と言っている人は、「お金がない」って天に向かって言ってるのと一緒なの。
そうすると、さらに“お金がない”っていう結果が起きてくるんだよ。
そしてさらにすごい人は、自分の努力を忘れちゃうんです。
それで、本気で運がいいって言ってるの。
こういう人には勝てないんです。
それで、ここまで来ると天が味方するんだよ。
神様は必ず、その人にあるものを与えてくれるんです。
ないからくれるんじゃないの。
神様はその人が努力して、努力して、さらに楽しく努力して、あり余るほど持ったとき、さらに与えてくれるんです。
だから望もうが望むまいが、望んだものを与えてくれるんじゃないの。
あなたが持っているものをくれるんだよ。
悲しみを持っている人には悲しみをくれるんだよ。
しあわせな人にはさらにしあわせが与えられるの。
なぜかって言うと、出した波動が返ってくるから。
『運』“斎藤一人・柴村恵美子”サンマーク出版
----------↑
自分が出した波動が自分に返ってくる。
だから、今、自分が持っているものが与えられる。
幸せになりたかったら、「ほんとに俺は幸せだなぁ~!」と心から、そう思えばいい。それだけ。
引き寄せの法則、原因と結果の法則、宇宙の法則、などなど、いろいろな表現をされることがあるけれど、みんな、同じことを示していると思います。
本気で夢をイメージできた人は、その夢が叶うわけです。
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斎藤一人さんの心に響く言葉より…
運とはなんですかって言うと、ひとえに人の何倍も知恵を使い、人の何倍も気を使い、人の何倍も努力して、なおかつ顔に出ていない。
こういう人を“運がいい人”と呼ぶんです。
運がいい人は苦労に負けてないの。
苦労してないわけではないんです。
苦労というのは誰でもしてるんだよね。
ただ、苦労に負けてる人は、顔に出ちゃうんです。
言葉に出ちゃうんです。
でも、苦労に負けてない人は涼しい顔をしてるんだよ。
それに、苦しそうなことも言わないんです。
仕事やスポーツなんかでも、勝って、勝って、勝ち抜いてるような人に話を聞くと、「運がよかったんです」とか、「みんなのおかげです」とかって言うんだよ。
それで、運の悪い人はそれを真に受けちゃうんだよね。
筋肉隆々の人がいたら、その人は間違いなく鍛えてるの(笑)。
それを、「いや、大したことしてませんから」って言われて真に受けるほうがおかしいんです。
そんなことだから運が逃げていくんだよ。
努力なんて当たり前なんです。
成功してる人は努力もしてるし、知恵も使ってるんです。
なおかつ謙虚にものを語ってるから運がいいんです。
こういう人だからこそ、運がついてくるんです。
だから運って、「ものすごい努力家が、へりくだって言う言葉なんだ」っていうことなの。
運がいい人って、「私が運がいいんです」って言いながら努力するような人なんです。
そういう人はまた「運がいい」って波動を出してるから、神様は同じものを与えてくれるの。
「お金がほしい」と言っている人は、「お金がない」って天に向かって言ってるのと一緒なの。
そうすると、さらに“お金がない”っていう結果が起きてくるんだよ。
そしてさらにすごい人は、自分の努力を忘れちゃうんです。
それで、本気で運がいいって言ってるの。
こういう人には勝てないんです。
それで、ここまで来ると天が味方するんだよ。
神様は必ず、その人にあるものを与えてくれるんです。
ないからくれるんじゃないの。
神様はその人が努力して、努力して、さらに楽しく努力して、あり余るほど持ったとき、さらに与えてくれるんです。
だから望もうが望むまいが、望んだものを与えてくれるんじゃないの。
あなたが持っているものをくれるんだよ。
悲しみを持っている人には悲しみをくれるんだよ。
しあわせな人にはさらにしあわせが与えられるの。
なぜかって言うと、出した波動が返ってくるから。
『運』“斎藤一人・柴村恵美子”サンマーク出版
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自分が出した波動が自分に返ってくる。
だから、今、自分が持っているものが与えられる。
幸せになりたかったら、「ほんとに俺は幸せだなぁ~!」と心から、そう思えばいい。それだけ。
引き寄せの法則、原因と結果の法則、宇宙の法則、などなど、いろいろな表現をされることがあるけれど、みんな、同じことを示していると思います。
本気で夢をイメージできた人は、その夢が叶うわけです。
やる気を出す前に、まず行動
「やる気を出す前に、まず行動」というお話です。
----------↓
面白い原則があります。
よく「やる気」が大切で成果に結びつくと言います。
それは真実だと思われがちです。
やる気があるほうが良いアイデアも出るし、営業の成約率も高くなります。
モチベーションが結果と正比例するのは間違いないことだと思います。
でも「だからまず、何はともあれ職場のモチベーションを高めましょう」
という人は、結果を出す人ではありません。
考え方が逆なのです。
例えば、営業マン向けに契約獲得数に比例して賞品を出すという企画がありました。
ひと月に10件獲得したら1万円の商品券、20件なら大型テレビでした。
しかし賞品の良し悪しにかかわらず、結果は大きく変わりませんでした。
結果は、もともと成績の良かった営業所が獲得件数を伸ばしてよい商品をもらい、
達成度合いが低かった営業所は、やはり下位のままでした。
ここで分かった真実の原則は、モチベーションが先ではなく、結果が先であることです。
販売数上位の営業所はみな売上を「見える化」していました。
彼らが共通して言うことは真実の原則を物語っています。
彼らは口を揃えて言いました。
「契約が取れると、やっぱりもっと契約を取りたいと思う気持ちが強くなります」
結果を出すことが先で、モチベーションはあとからついてくるのです。
やはり、結果を出すにはまず行動からしかありません。
そして、結果を出すということが、次の行動へのモチベーションにつながります。
この連鎖が良好なスパイラルを生み出すのです。
ちなみに、これは個人のモチベーションでも同じです。
よく、メルマガやブログを書き続けるモチベーションが高まらない、
という悩みを聴きます。
その場合は、とにかく何でもいいので、
毎日メルマガやブログを書くことをおススメします。
書き続けると、実際、読者も増え、アクセス数も上がってくると
自然とモチベーションも高まってきます。
田渕 裕哉
----------↑
私もこのブログを毎日欠かさず、約1,200日ほど、書き続けています。
まず行動! と信じて、続けています。
もう、習慣になってしまいましたので、そんなに苦しいわけではなく、楽しみになっています。
やる気を出すことばかりにフォーカスすると失敗しますね。
失敗しても改善して、やり直せばいいんだ! と割り切って、まず行動することがポイントです。
「やる気を出す前に、まず行動」です!
----------↓
面白い原則があります。
よく「やる気」が大切で成果に結びつくと言います。
それは真実だと思われがちです。
やる気があるほうが良いアイデアも出るし、営業の成約率も高くなります。
モチベーションが結果と正比例するのは間違いないことだと思います。
でも「だからまず、何はともあれ職場のモチベーションを高めましょう」
という人は、結果を出す人ではありません。
考え方が逆なのです。
例えば、営業マン向けに契約獲得数に比例して賞品を出すという企画がありました。
ひと月に10件獲得したら1万円の商品券、20件なら大型テレビでした。
しかし賞品の良し悪しにかかわらず、結果は大きく変わりませんでした。
結果は、もともと成績の良かった営業所が獲得件数を伸ばしてよい商品をもらい、
達成度合いが低かった営業所は、やはり下位のままでした。
ここで分かった真実の原則は、モチベーションが先ではなく、結果が先であることです。
販売数上位の営業所はみな売上を「見える化」していました。
彼らが共通して言うことは真実の原則を物語っています。
彼らは口を揃えて言いました。
「契約が取れると、やっぱりもっと契約を取りたいと思う気持ちが強くなります」
結果を出すことが先で、モチベーションはあとからついてくるのです。
やはり、結果を出すにはまず行動からしかありません。
そして、結果を出すということが、次の行動へのモチベーションにつながります。
この連鎖が良好なスパイラルを生み出すのです。
ちなみに、これは個人のモチベーションでも同じです。
よく、メルマガやブログを書き続けるモチベーションが高まらない、
という悩みを聴きます。
その場合は、とにかく何でもいいので、
毎日メルマガやブログを書くことをおススメします。
書き続けると、実際、読者も増え、アクセス数も上がってくると
自然とモチベーションも高まってきます。
田渕 裕哉
----------↑
私もこのブログを毎日欠かさず、約1,200日ほど、書き続けています。
まず行動! と信じて、続けています。
もう、習慣になってしまいましたので、そんなに苦しいわけではなく、楽しみになっています。
やる気を出すことばかりにフォーカスすると失敗しますね。
失敗しても改善して、やり直せばいいんだ! と割り切って、まず行動することがポイントです。
「やる気を出す前に、まず行動」です!
人生の"こく"
「人生の"こく"」というお話です。
----------↓
ひろさちや氏の心に響く言葉より…
若い時は二度ない…と言う。
だから、若い時代を大事にせよ、といった意味である。
なるほど、その通りである。
たしかに若い時は一度しかないが、中年だって、老年だって一度しかないのである。
われわれは若い時代を大事にすべきであるが、同様に中年を大事にすべきであるし、老年を大事にしなければならない。
若い時代だけを特別視する必要はないのである。
わたし自身はもうすでに73歳。
古希はとっくに過ぎた。
だから、ひがんで言っているのではない。
わたしは、老年には老年のよさがあると思っている。
若いころには味わえなかった人生の喜びと悲しみを、しみじみと噛みしめている最近である。
人生のそれぞれの段階には、それぞれに違った人生の「こく」がある。
わたしはそう思っている。
わたしたちは、それぞれの段階に特有な人生の喜びと悲しみを味わいながら生きたい。
にもかかわらず、どうして若い時代だけが特別視されるのか?
私には不思議である。
思うに、人々は若い時代を準備段階と考えているようだ。
若い時にしっかりと学問や体験の蓄積をしておかないと、後になって困る。
だから、若いうちから遊びほうけてはいけない。
と、そんな忠告は、若者に自制と禁欲を呼びかけているのである。
でも、わたしは、それはまちがいだと思う。
若い時代に特有の人生の喜び・悲しみを体験しておかないと、中年や老年になって、その段階での人生の喜び・悲しみが味わえない。
若い時代は決して準備段階ではない。
若者はそのことを銘記すべきである。
『のんびり生きて 気楽に死のう』PHP研究所
----------↑
どの年代でも、それぞれにその年代にふさわしい人生の"こく"がある。というお話しは、興味深かったです。
若い時だからこそ、やれることもあるし、その時しか味わえない人生の"こく"があるというわけです。
全ての人が、今、現在の年代を、その"こく"を味わいながら、生きていけたら、そういう心を持っていたら、幸せだろうなぁ~って、思います。
----------↓
ひろさちや氏の心に響く言葉より…
若い時は二度ない…と言う。
だから、若い時代を大事にせよ、といった意味である。
なるほど、その通りである。
たしかに若い時は一度しかないが、中年だって、老年だって一度しかないのである。
われわれは若い時代を大事にすべきであるが、同様に中年を大事にすべきであるし、老年を大事にしなければならない。
若い時代だけを特別視する必要はないのである。
わたし自身はもうすでに73歳。
古希はとっくに過ぎた。
だから、ひがんで言っているのではない。
わたしは、老年には老年のよさがあると思っている。
若いころには味わえなかった人生の喜びと悲しみを、しみじみと噛みしめている最近である。
人生のそれぞれの段階には、それぞれに違った人生の「こく」がある。
わたしはそう思っている。
わたしたちは、それぞれの段階に特有な人生の喜びと悲しみを味わいながら生きたい。
にもかかわらず、どうして若い時代だけが特別視されるのか?
私には不思議である。
思うに、人々は若い時代を準備段階と考えているようだ。
若い時にしっかりと学問や体験の蓄積をしておかないと、後になって困る。
だから、若いうちから遊びほうけてはいけない。
と、そんな忠告は、若者に自制と禁欲を呼びかけているのである。
でも、わたしは、それはまちがいだと思う。
若い時代に特有の人生の喜び・悲しみを体験しておかないと、中年や老年になって、その段階での人生の喜び・悲しみが味わえない。
若い時代は決して準備段階ではない。
若者はそのことを銘記すべきである。
『のんびり生きて 気楽に死のう』PHP研究所
----------↑
どの年代でも、それぞれにその年代にふさわしい人生の"こく"がある。というお話しは、興味深かったです。
若い時だからこそ、やれることもあるし、その時しか味わえない人生の"こく"があるというわけです。
全ての人が、今、現在の年代を、その"こく"を味わいながら、生きていけたら、そういう心を持っていたら、幸せだろうなぁ~って、思います。
あやまる=愛
「あやまる=愛」というお話です。
----------
アメリカのテキサス州に住む、
デビッド・ヒクソン氏の経験を、
ご紹介します。
彼が16歳のときのことです。
買って来たロックのアルバムを、
初めてかけてみたところ、
最後の歌に、
とても下品な言葉が出て来て、
がっかりしました。
自分の家族の標準からは、
随分はずれていたからです。
しかし、それ以外の歌は好きだったので、
その歌のときになると、
下品な言葉の手前で、
ボリュームを下げて、
聞いていたのだそうです。
お父さんがそれを知って、
「その不適切な言葉に、
心配をしている」
と言いました。
彼は、
いろいろな言い訳をしましたが、
お父さんは、
それを処分するように言いました。
彼はその言葉に怒って、
自分の部屋に入って、
ベッドに身を投げ出しました。
10分後に、
ノックをして、
お父さんが部屋に入ってきました。
お父さんは、
「怒ってしまって済まなかった。
許して欲しい」と言い、
自分がどんなに彼を愛しているか、
どんなに大切に思っているかを話して、
静かに部屋から出て行きました。
彼は、「謙遜」について、
千の説教をされたとしても、
これほど強い影響を、
受けることはなかったと、
言っています。
お父さんが、
たとえ自分の主張が正しいとしても、
自分のプライドよりも、
彼との関係の方を、
大切にしていることが、
良く分かったのです。
「あやまる」のは、
人間に取って、
なかなか簡単なことではありません。
「あやまる」という行為は、
「私はあなたのことを、
一人の人間として尊重していますよ」
というメッセージでもあります。
自分の非を認める勇気、
自分の正しさを手放す勇気、
が必要なのです。
その勇気の原動力になるのは、
「相手の受けた痛みを、
少しでもやわらげてあげたい」
という愛だと思います。
「あやまる」という行為は、
自分をいやして、
相手もいやす力が、
あるのだと思います。
私には、
まだまだ「あやまる」ことが、
難しいときがありますが、
心から、それを見習おうと、
決心しました。
育自コンサルタント
-自分を育てるお手伝い-
杉本恵洋(すぎもと しげひろ)
----------↑
あやまるということは、自分のプライドよりも相手を思いやる愛情を持つことだ、ということですね。
先日、「ために生きる」というお話をしましたが、あやまることも、同じ考え方から素直に導かれる行動だと思います。
素直にあやまれる、愛情深い人になりたいものです。
----------
アメリカのテキサス州に住む、
デビッド・ヒクソン氏の経験を、
ご紹介します。
彼が16歳のときのことです。
買って来たロックのアルバムを、
初めてかけてみたところ、
最後の歌に、
とても下品な言葉が出て来て、
がっかりしました。
自分の家族の標準からは、
随分はずれていたからです。
しかし、それ以外の歌は好きだったので、
その歌のときになると、
下品な言葉の手前で、
ボリュームを下げて、
聞いていたのだそうです。
お父さんがそれを知って、
「その不適切な言葉に、
心配をしている」
と言いました。
彼は、
いろいろな言い訳をしましたが、
お父さんは、
それを処分するように言いました。
彼はその言葉に怒って、
自分の部屋に入って、
ベッドに身を投げ出しました。
10分後に、
ノックをして、
お父さんが部屋に入ってきました。
お父さんは、
「怒ってしまって済まなかった。
許して欲しい」と言い、
自分がどんなに彼を愛しているか、
どんなに大切に思っているかを話して、
静かに部屋から出て行きました。
彼は、「謙遜」について、
千の説教をされたとしても、
これほど強い影響を、
受けることはなかったと、
言っています。
お父さんが、
たとえ自分の主張が正しいとしても、
自分のプライドよりも、
彼との関係の方を、
大切にしていることが、
良く分かったのです。
「あやまる」のは、
人間に取って、
なかなか簡単なことではありません。
「あやまる」という行為は、
「私はあなたのことを、
一人の人間として尊重していますよ」
というメッセージでもあります。
自分の非を認める勇気、
自分の正しさを手放す勇気、
が必要なのです。
その勇気の原動力になるのは、
「相手の受けた痛みを、
少しでもやわらげてあげたい」
という愛だと思います。
「あやまる」という行為は、
自分をいやして、
相手もいやす力が、
あるのだと思います。
私には、
まだまだ「あやまる」ことが、
難しいときがありますが、
心から、それを見習おうと、
決心しました。
育自コンサルタント
-自分を育てるお手伝い-
杉本恵洋(すぎもと しげひろ)
----------↑
あやまるということは、自分のプライドよりも相手を思いやる愛情を持つことだ、ということですね。
先日、「ために生きる」というお話をしましたが、あやまることも、同じ考え方から素直に導かれる行動だと思います。
素直にあやまれる、愛情深い人になりたいものです。