「長調は明るくて短調は暗い」というあほなピアニスト
先日、関ジャニ∞がMCをつとめる番組に、「長調は明るくて短調は暗い」という、あほな、西洋音楽優位を刷り込まれた、近代日本の音楽教育を悪しき風潮を妄信する非科学的な理論を鼻高々に説明する、ピアニストを見た(笑)=清塚信也とかいうやつ。
勿論、長調が明るくて短調が暗いなどというのは根拠のない嘘である。
彼は、この番組でハ長調の音階とハ短調の音階。つまり、同主調の音階を弾いていた。それも、ハ短調の旋律短音階。
ハ長調の音階は、一般に言われる、ドレミファソラシド。ピアノの白鍵のみの音階。
方や、ハ短調の旋律短音階は、ドレミ♭ファソラシド。
つまり、ミの音だけ半音違うかどうかだけである。
この違いを音楽経験、つまり、楽譜を読んだり、楽器できちんと音階を意識して弾く訓練をしていない人に判断させるのは無理である。
この、ミとミの♭を意識して聞かない限り、あとはみな一緒なんだから、違いがわからなくて当然。ふつう、一般の人は、絶対音感も対比する音感も持ち合わせていないし、音階を意識して音楽なんぞ聞いているはずもない。
また、旋律はいつもオクターブの音階が全て含まれているとは限らない。
日本音階の多くは五音階。よく、ヨナ抜きなどといわれる。
つまり、「ひい・ふう・みい・いつ・むう・な」の「よ」と「な」の四番目の音と七番目の音。
へ長調ならみミとシ♭がなくなるから、ファソラドレとなる。
先に述べたように、ハ短調のミ♭を飛ばして弾くと違いがわからない。
また、ハ長調の並行調のイ短調の自然短音階はラシドレミファソラだから、
以上のように、開始音が違ったり、音階を構成する全部の音を引かないと短調か長調かの区別がつかない。つまり、短調が暗いとか、長調が明るいという根拠がない。
短調が暗い、長調が明るいとというのは、短調は、mol,l、英語でminor、長調は、dur,英語でmajorということから、西洋音楽優位をうたう昔の文明開化からの妄信からくる、近代音楽教育の弊害だ。
かたや、音楽経験のある人、特にピアノを習っている人に特質して多いのが、
個人的認識、感覚を強制的に短調は暗い、長調は明るくと刷り込まれながら、訓練した人は、西洋音楽かぶれのええとこの、お坊ちゃまが知ったかぶりで、短調は暗い、長調は明るいという評価をする。
そもそも日本伝統音楽の中で、短調、長調という区別はない。
日本人はそういう耳で音楽を聴いていない。
風の音も水の音も川のせせらぎも音楽として聞く。
梵鐘のように周波数の違いから起こる揺らぎもここと落ち着く。
外国人が騒音としか理解しない自然の音を楽しむ。
何調でもない、笙の音の非和声音も、平均律から外れた音も中間音も、
楽しむ民族である。
もっと、日本人の音楽観を学んでもらいたいものだ。
こういう根拠のないことを平気で講義するあほがいるから、クラシックがお高く留まっているとみられるんだ。
音楽が明るいとか暗いとかは、音楽以外の他の条件による印象操作に過ぎない。
音楽は音以外の名にも表現しない。
たとへ、長音階であっても、暗い内容の歌詞が付けば、明るいとは感じない。
たとへ、内容がハッピーで長調の歌でも、その音楽の思い出が悪ければ明るい曲とは感じない。
人それぞれ、印象は違う。
ニコるんの答えがニコるんにとって正解なんだ。
こういうあほ男が、モーツァルトの音楽を聴くと勉強ができるとかを信じるんだろうね。
次作
今月半ばから作り始めた。
締め切りまでまだ先だがと作り始めた。
えらく時間がかかる。
ピアノ曲ってこんなに労力がいったっけ?
細かい音符ばかりなことは確かだが、今月中には書き終えると思っていたが、まだ半分。
一日、一ページの予定だったけど、一日に反ページほどしか進まない。
並行して、本読みながら、といってもこれは息抜きだが、、、
合わせて、実家の田畑の仕事が本格的に、
さらに合わせて、
実家の町内会で、神社総代になって、実家近所の神社巡りや、調べ事。
なにせ、こどものころ以来、40年ぶりくらいに、訪れる神社がほとんど、
神社といっても、ほとんど祠。
意外に面白いから、まとめて見ている。
暑いね、もう初夏。農作業が思いやられる。