命の重み
小林麻耶 妹でなく「私を召せば」発言を反省「書くことではなかった」
というニュースがあった。私も小林麻耶さんのブログの読者である。
「神様がいるならば、妹ではなく私を召せばよかったと思う」この投稿には心配の声が寄せられた。それにこたえ
「心の底の悲しい気持ちを書くことではなかったと、反省中です」
「そうですね」と賛同すべきことではないが、批判すべきことでもない。
わたしもそう、ブログを書くってことは、心情を吐露することで気持ち落ち着かせる。気持ちが楽になる。
まあ、私は知名度があるわけでもなく匿名だから、人に読んでもらってどうしようなどということはさらさらない。
話し戻って、
人は人の命と自分の命を天秤にかける。
特に縁も無ければ、平等に思う、
気に入らなければ、さげすみ、「憎まれっ子世に憚る」と皮肉の一つも思う。
しかし、肉親となれば、特に、自分のほうが年上だったりすると、自分が変わりにと思うのは当然あり得る。
親が子供お思う。兄弟を思う。など
その時、の命の重みの判断は、年齢だったり、世間的地位だったり、自分の置かれている身、立場の比較である。
わが子に対しては、年取った親からすれば、短い余生など、と、
社会的に地位もなく、役立つほどの人間でないと思えば、兄弟等で社会に必要とされる評価される人がいれば、
自分には、幼いこどもがいなければ、慕うこどもがいる親と比べる。
この命、召されることで、代わりにその人が生き返るなら、寿命が延びるならとおもうのは、当然のことである。
しかし、そんなことが起こることはありあない。
だからそのつらさを、どこかに吐き出すことしかない。
そうしないとやり切れないのだ。
そして、自分みたいな非力なものにできることは、ただ生きることだと思うのかもしれない。
それが、役に立たない神への当てつけなのだ。
桜は
世間の桜は、満開のようで、
発表の遅い、一曲が遂に、散った。
作曲に関する賞やコンクールは、賞金や分野で応募者数が変わる。
いま日本で定期的に公募している作曲賞で賞金が高いのは、朝日作曲賞だろう。
これには、合唱と吹奏楽がある。
作曲の技法のレベルは高くない。それだからこそ、応募者も多い。
賞金が高い、作曲に制約が多く、そのため、基本的なことを知っていれば、作曲を専門に習った人でなくとも作ることができる。
参加料も一般よりやすい。かつ、上位に該当者なしということはほぼない。だれかが、100万円取る。
そのうえ、コンクールの課題曲になる可能性も高く、知名度も上がる。
だから応募者数も多い。
しかし、民間の作曲コンクールは参加料が少々お高井。収支の問題もある成果、賞金の高い(民間では一位で30万くらいあれば高い)上位が該当者なしってことは多々ある。また、作曲コンクールで入賞したからといって、演奏されるとは限らないし、作曲コンクールの入賞者って世間でほとんど話題にもならない。
だから、応募者数は幾分少なくなる。
たんに、受賞すれば名誉というだけである。
なかなか花が咲かないねえ、、、
桜ははまだかいな
今年は例年になく桜の開花がはやいようで、、
しかし、まだ私のところは、まだのようで、あとすこし、、、
合格発表もほぼ終わり、卒業式もほぼ終わり、世間一般に、「サクラサク」
個人的には、、先日、桜散る
予選通過はならなかった。個人的には、いい出来とは思うんだけど、
どうも、審査員とは嗜好が合わないのだろう。
一度落選した作品をそのままでは、他には応募できない。あまり変えようのない作品だから、もったいない気もする。
で、その結果を聴き、昨日、同系の作品をまた応募。
いつもは、締め切り間際にしか応募しないけど、今回は、早めの。
さてどうなるか、
これから、ちょっと、応募先が無くなる。
何して生きていこう。
あとは、わたしにも、桜が咲きますように、と祈るだけ。