久々の
九月も終わるか?
たいして忙しくはない。テレビは、パワハラが終わったと思ったら、
樹木希林さんの御訃報。お悔やみ申し上げます。
樹木さんの生き方、大好きだった。
ああいう死に方ができたらと思う。
まあ、地位も身分も財力も違うから、そうはいかないだろう、たぶん、後悔の上に惨めな最期を送るんだろうな、わたしは。
さて、ひさびさに、曲作り。
田舎の実家の神社総代やってるから、神社のこと調べてたら、
いい題材がみっかった。
先日から一週間ほどで出来上がった。4分ほどの合唱曲。
テキストが決まれば、ほぼ、出来上がったも同然。
いい人生が送れればいいね。
八月も終わり
だらだらとした、八月がおわる。
何したんだろう。大したこともしていない。
世間ではまた、どっかのスポーツ教会のパワハラ。
いかにもやりそうな顔つきで。。。(笑)
一方で何かしなくちゃ、とおもって、本を読もうとする。
なっかなか、頭に入らない。
一応、日本音楽に関する資料は一通り目を通しておこうとおもって、
中国古典文学より、
『礼記』から「楽記」、『史記』から「楽書」、
墨子の『非楽』、荀子の『楽論』
日本では、
本居宣長『あしわけをぶね』『石上私淑言』
など引っ張り出して、目を通してみる。
先日、富永仲基の『楽律考』を書店で見つけたので、現在読んでいる。
これ、元々原文は漢文なんで、訳本を読むことになる。
漢訳本の特徴だろうが、ちょくちょく意味不明の訳がある。
だから、絶対に原文が付いているものを読む。
どうしても、意訳しなければ、ならない箇所がある。
直訳されると、意味不になる。どう解釈するかは読み手によって違う。
だから、訳本は一つの意見として読むが、絶対に原文を知ることも必要である。
こんなことしてるからなかなか、読みが進まない。
ほんと、世間で役に立たない、金にもならないことばかり、
そんな知識を詰め込むことが快楽なんだろう。学者なんて。
何が専門家だ?
教育上いいの? 「池の水ぜんぶ抜く」の“殺生正当化” 専門家が指摘
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180809-00546670-shincho-ent
この記事の中で、
>「外来種だからすべて駆除という考えは極端すぎる。いかがなものかと思います」
> とは、生態学の専門家で、『「自然」という幻想』の訳書がある慶應大学の岸由二名誉教授。
ある一つの池のブルーギルを駆除したからといって、ブルーギルをすべて駆除したわけではない。すべて駆除できないような今の状態を少しでも改善しようとする試みではないのか?これにケチ付けることこが極端すぎるのでありいかがなものかといわざるを得ない。
>ブルーギルを捕獲。殺生を禁ずる仏教の寺での大量駆除は、ブラックジョークと言うほかないが、
我々凡夫は、そうはいっても、色々なものを殺生しそれを食して生きている。
それは生きる上で仕方ないことだ。殺生をせずとも生活できるというなら、それはもう仏の域に達した人である。いわば仏陀である。
そうはなれないから、我々は、菩薩として、衆生を救済することで、仏となることを目指すのである。
また、浄土門から往生する浄土教の教えがあるのである。
決してブラックジョークではない。ただ、この記事の筆者が佛教を知らないだけだ。
>「仮にその動物が悪だとしても、子どもたちに乱暴に動物を抹殺させるのは、教育上、いいとは思えない。自然を守るためでも、動物の駆除は大人が行えばいいこと。市民参加でイベントのようにするものではないし、ましてやテレビで面白おかしく放送することでもありません」(同)
その動物が悪だとすれば、乱暴に動物を抹殺することはある。蚊、ハエ、蜂などの猛毒を持つ昆虫、多足類、爬虫類。勿論、生きていくうえで妨げになる害虫、生態系を乱す外来種を無残に抹消する行為は日常茶飯事である、小さい子供だからこそ、身を守る素手、他者を守る素手をしるべきだ。
外来種を放置した大人が何をきれいごとを言う。ましてや、生態学の専門家ならなおの事。
このもの教育からすれば、専門外だろう。単に専門家の責任を放棄したて、専門外に口出ししているに過ぎない。
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