負けるもんかSEVENTEEN'S MEMORY -17ページ目

愚痴る

大雨の中、介護の為に実家に帰り、

開口一番、母「施設へ戻りたい」と、


あん、

あれ程、施設は嫌だ、誰にも気兼ねしない自分の家がいい。


と、


だから、町内会の仕事も受けて、公民館の会合にも出るため、この警報下の大雨の中帰っ来た、息子に開口一番言うことか?


その上、通いで風呂に言ってそこで着替え預けてあり、洗濯もしてくれると言うのに、着替えの服が気に入らないとそのまま服を来て帰る。

洗濯代を払っているのに、なんで母親の下着を息子が持って帰って洗わなきゃいけないんだ。


認知症とウツがあるから、強く言うと泣く。

全部、こっちが悪いのか?

老々介護で殺人や心中が起こるのが解る。


そんな簡単なものではない。


老々介護

施設から家に帰りたいというから、

昔の家の土間をバリアフリーのフローリングにし、介護ベット、ポータブルトイレなど準備して、家に帰った途端、こんなはずじゃなかったといわれる。

そりゃ段差や薪で炊く台所、土間では車椅子でしか動けない要介護認定の年寄りが暮らせるわけがない。

その癖、施設にいる時は風呂は人に見られる、テレビも新聞をみるのも気兼ねする。と愚痴る。人付き合いが苦手な人には気苦労が多いだろう。

しかし、家に帰れば、それなりに、訪問介護に頼らざるを得ない。日頃の健康管理は気を遣う。

水分取れ、着替えろ、風呂に入れと訪問介護に頼らなければ、兄弟が少ない上、男ではとどかないことも多い。


いい、オッサンが女性物の服や下着を買わなければならない苦労を理解しないのか、下の世話に気を使う。


認知症に鬱が加わる母親の介護を息子がする難しさ。


親戚でそのケースがあった。

高齢の母を息子がみていた。嫁いだ妹さんが

「今晩は母を預かるから、たまには息抜きをして」

と、翌日、ヘルパーさんが訪ねて来たとき

トイレで倒れているのが見つかった。

少し認知症があった母親には息子が亡くなった事はわからないまま、一年程で亡くなった。


どこかの歌舞伎役者一家の心中?騒ぎがあったばかり。

誰かに相談と言うがそんなに簡単なものではない。




ボヘミアン・ラプソディー

クィーンの映画がテレビで流れている。


クィーンを聞いたのは、当時付き合っていた彼女の影響だ。

どんな曲聞くのかと尋ねたら、「クィーン」と返ってきた。

当時、そう、半世紀も昔の事。

早速、レコード店にクィーンのアルバムを買いに行った。

多分、二枚目のアルバムが出て間もない頃だったと。ファーストアルバムも一緒買った気がする。

私のなかで洋楽のロックで一番、確たる地位を占めている。

そして、別れたことが

私が音大に進む決心をさせた人でもある。


クィーンを聞くたびに私の人生の選択に戻る。


今でも音楽で食べていけないことは染々と痛感しているが、その選択に後悔しているわけではない。

私の心にとっては後悔のない選択をしたと思っている。


次の作品にとり掛かろうと思って構想は寝るが、中々進まない。

弦楽四重奏曲を書こうと思う。特段、特別な編成ではない。作曲としては基本だ、だからこそ難しい。


いま、クィーンが蘇って来ることが、何かの起点になるかな?