大衆受けする作品を書くのか
松本人志のさけのつまみになる話
にて、
大衆受けしたいか、わかる人にだけでいいのか。
作品を書くにあたり、募集内容によってことなるだろうが、
コンクールの課題曲のような作品募集は、大衆受けする作品でなければならない。
合唱コンクールや吹奏楽コンクールの課題曲は当にそれ。
その時代の人気や傾向を甘味し限られた技法で作曲しなければならない。
そりゃコンクールの課題曲にでもなれば一躍、作曲家として知名度も上がるだろう。そうすれば仕事も舞い込んで来るやも。
しかし、作曲なんぞ、そもそも自己主張。
どこかで、自身を主張したくなるもの。
大衆受けがしたいと、書いた作品が受賞
するとの
わかる人にだけ解ればいいと、書いた作品が受賞するのでは、
後者の方が、私は誇りだ。
大衆受けする作品は一時期の知名度は得られるだろうが、大衆の好みと共に忘れられていく。
私が生きた証になる作品を書きたいと思っている。
作曲家の休日
ルロイ・アンダーソンの「ラッパ吹きの休日」と言うのがあるが、
匿名、作曲家の今年初めの休日でも、
今年、4曲目のがほぼ出来た。まだ、急いで作れば、もう1曲間に合うかもしれないが、何かと私的な都合で作る時間が取れそうもない。
今までの結果、2曲陽の目を見ないままでおわりそうだ。
個人的には、私らしい作品だと思うが。
まあ、音楽なんて聞く人の好みだろうから、あわななったのだろう。
昔から芸大出身の作曲家とは作風があわない。
藁
いろいろ、考え悩むことが多い、先も見えない自身の今の生活。
WBCではないが何か楽しんですることを忘れないようにしよう。きっと、感動する結果があるに違いない。
春が来るのか?
些細なことに、一喜一憂する。
昼間外 出中に、
母の入っている福祉施設から電話があった。
「そんなこと、本人が決めればいい」
と思う、自分のことは自分で決めてもらいたい。という煩わしさ。
帰りに、Kittyちゃん新幹線を見た。
何かいいもの見た感じ。
しかし、朝から
大谷の昨日のホームランの話題
H3ロケット打ち上げ失敗
現場で一喜一憂するのも楽しいだろうな。
何処か行きたいな。コロナと母親の入退院の繰り返し、コロナ前に妻の実家へ行って以来、もう何年も県外へ出たことが無い。
意図としない引きこもり状態。
何かいいことないかな、と