負けるもんかSEVENTEEN'S MEMORY -16ページ目

ボヘミアン・ラプソディー

クィーンの映画がテレビで流れている。


クィーンを聞いたのは、当時付き合っていた彼女の影響だ。

どんな曲聞くのかと尋ねたら、「クィーン」と返ってきた。

当時、そう、半世紀も昔の事。

早速、レコード店にクィーンのアルバムを買いに行った。

多分、二枚目のアルバムが出て間もない頃だったと。ファーストアルバムも一緒買った気がする。

私のなかで洋楽のロックで一番、確たる地位を占めている。

そして、別れたことが

私が音大に進む決心をさせた人でもある。


クィーンを聞くたびに私の人生の選択に戻る。


今でも音楽で食べていけないことは染々と痛感しているが、その選択に後悔しているわけではない。

私の心にとっては後悔のない選択をしたと思っている。


次の作品にとり掛かろうと思って構想は寝るが、中々進まない。

弦楽四重奏曲を書こうと思う。特段、特別な編成ではない。作曲としては基本だ、だからこそ難しい。


いま、クィーンが蘇って来ることが、何かの起点になるかな?



大衆受けする作品を書くのか

松本人志のさけのつまみになる話


にて、

大衆受けしたいか、わかる人にだけでいいのか。


作品を書くにあたり、募集内容によってことなるだろうが、

コンクールの課題曲のような作品募集は、大衆受けする作品でなければならない。

合唱コンクールや吹奏楽コンクールの課題曲は当にそれ。

その時代の人気や傾向を甘味し限られた技法で作曲しなければならない。

そりゃコンクールの課題曲にでもなれば一躍、作曲家として知名度も上がるだろう。そうすれば仕事も舞い込んで来るやも。


しかし、作曲なんぞ、そもそも自己主張。

どこかで、自身を主張したくなるもの。


大衆受けがしたいと、書いた作品が受賞

するとの

わかる人にだけ解ればいいと、書いた作品が受賞するのでは、


後者の方が、私は誇りだ。


大衆受けする作品は一時期の知名度は得られるだろうが、大衆の好みと共に忘れられていく。


私が生きた証になる作品を書きたいと思っている。





作曲家の休日

ルロイ・アンダーソンの「ラッパ吹きの休日」と言うのがあるが、


匿名、作曲家の今年初めの休日でも、


今年、4曲目のがほぼ出来た。まだ、急いで作れば、もう1曲間に合うかもしれないが、何かと私的な都合で作る時間が取れそうもない。


今までの結果、2曲陽の目を見ないままでおわりそうだ。

個人的には、私らしい作品だと思うが。


まあ、音楽なんて聞く人の好みだろうから、あわななったのだろう。


昔から芸大出身の作曲家とは作風があわない。



いろいろ、考え悩むことが多い、先も見えない自身の今の生活。


WBCではないが何か楽しんですることを忘れないようにしよう。きっと、感動する結果があるに違いない。