負けるもんかSEVENTEEN'S MEMORY -13ページ目

大学受験案内と同窓会案内

実家に帰ると、出身大学のパンフレットと同窓会の案内が来ていた。

届け出の住所がずっと実家のままで変更届け出などだしていないから、ずっと実家に案内がとどく。

同窓会案内の中に住所不明者の一覧がある。殆どが女性だ。結婚して名前が変わって、そこまでは家族が知らせたのだろうが、そこから転居してしまうと、大学にいちいち転居届けなど出さないひともいるだろう。また、実家の住所も変わったり無くなれば、住所不明になるのも当然。私の専攻の同期生、半分な住所不明者。笑う。多分、私のように実家で止まっている人も多いだろうから、不明者はもっと多いw

どんなに卒業生から嫌われたいるんだろうw

私がいた頃は、音楽の単科大学だったけど、大学も生き残りを賭け、短大を四年制大学に格上げし、訳のわからない学科が出来、昔からの音楽学部の学生は4分の1程度。もう、中身が違うし大学名も違う。今の大学に誇りも何もない。

で、寄付だけは求めてくる。

誰が住所おしえるか!wwwて思われてるんだろうね。


私なんか音楽関係の略歴には、大学名は旧音楽大学名を書いている。大学院は必要があれば書く程度。

で、一般には大学院の大学名だけ言ったりする。「⚪️○大学卒です」とだけ。

以前、保育士募集で最終学歴を聞かれて、嘘もつけないから「院卒」といったら、嫌そうな対応力された。保育の現場って、男性、高齢だけでも敬遠されるのに、四大卒も歓迎されないようだった。院卒なら尚更だろうなと思った。

それ以後、聞かれもしないし、必要ないなら、「○○大学卒です」ということにした。


如何にもおっさんという見掛けの人柄で必要もないのに、

「音楽大学卒です、保育士資格を独学で取りました」


って言われりゃ妖しいこの上ない。


所謂、学歴ロンダリング




新作

朝の占いは良いことで、

こう言う日に限ってろくなことはない。

昨日、新作をかきおえた。締切間近、必着に間に合うだろうか?


作品の出来に自信があるわけではない。

日本語の歌詞と音を楽譜に表すことの難しさ。

日本語にほそれ事態に独自のアクセントや音の高低やリズムがある。

雨と飴ではメロディやアクセントは異なる。

「知って」は「っ」に休符がはいる。

「~のようで」は「よう」にある程度の長さの音符がいる。「ようで」は♩♪となるが♪♩とはならない。

日本語である限り、言葉を聞き取り安くメロディを付けるならかなりの制限が係る。

メロ先で歌詞を付けるとき付ける歌詞に合わせ多少メロディを変えないと伝わらない。

歌詞も曲も歌も一人でやるならこの不具合は自身の裁量で堂とでもなる。すり合わせが出来る。

しかし、作曲と作詞が異なるとこのすり合わせをしないと、聞きにくい所が出来る。

秋元康の作品がまさにそれ。まあ、あれだけ詞を書いて他にも仕事していちゃ作曲者とすり合わせをする時間なんてないだろうね。力関係だろうね、レコーディングに立ち会って細かい訂正や作曲者に変更させたり、歌手との調整もしていないだろう。現場に任せっきりだけど、大先生に詞を変えろとは言えないだろう。

ま、下手な鉄砲も数打ちゃ当たる。


愚痴はここまで


日本語の音楽は楽譜だけで伝えることが難しいと言うことだ。

勿論、そのメロディは独特の障りやこぶし、しゃくり、溜めなど表現がある。そもそもが西洋音楽とは違い、平均律ではないし、西洋音楽にはない中間音が多。とても五線譜に表しきれるものではない。言葉や手本で説明する必要が多い。

日本音楽で記譜法が発達しなかった訳がそこにある。

西洋のクラシックは楽譜に書いてあることをいかに忠実に表現するか?だが、

楽譜に書き切れない日本音楽は楽譜に書ける限度がある。そこに、いつも悔いがのこる。

でも楽譜に書ききれなければそれは後世には残らない。

口伝ではどうしても少しずつ歪んでいく。


あとは、運に任すのみ。

当たらない、占いに一喜一憂するしかないのか?



書き直し

久しぶりのブログ


そう言えば、先日、葉加瀬太郎が短調、長調の違いを、暗い、明るいと、

先般の清塚信也も同じだが、基本的に、調性、和音、旋律の基本を知らないようだ。

楽典の基本を知らない。また、知らなくても音楽を演奏することは誰にでも出来るのだから。


長調だから、短調だから、旋律に七音使うとは限らない。

たとへば、ドレファソラミラシドと弾いた場合、これは、ハ長調の旋律かハ短調な旋律的音階か区別できない。第三音のミが♭が付くかの違いで見極められない。使われていないのだから。また、

長調だから長三和音、短調だから短三和音が付けられるとは限らない。


つまり、短調が暗い、長調が明るいなどとは何の根拠も無い主観しかない。

こう言うふうに、さも、理論的かのように音楽を語る人にピアノやバイオリンのように小さいころから感情論で音楽を習った人が多いように思える。


吹奏楽やオーケストラの奏者がこの曲は長調だから明るく演奏しょうなんて思ってない。伴奏でトロンボーン奏者が♪「ンパンパ」♪と、これは、長三和音だから明るく、短三和音だから暗くなんて感情入れて吹くわけがない。


こんなアホがテレビで知ったかぶりして音楽語ってるんだから。


音楽は音以外何も表さない

byストラヴィンスキー


哲学的する芸術家は大馬鹿者である

by逢坂剛(小説家)



ゴタクはここまで、

資格試験の勉強もほっときぱなしで、曲かいていたが、楽譜の見映えが悪いと、初めから書き直し。半分までかいてたのに。

なにやってんだか?