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無言の復讐劇場。

すんごい復讐劇が

中学の柔道部であったなぁ。


おれらの上の先輩達がマジでひどくて。

あんまり強くはないくせに

いじめは上々っていう。

もう最低な人たちの集まりで。

一人か二人は

ちゃんとした先輩はいたけど。


大会の会場まで

すごい人数のカバンもたせたり

しかも夏!

このあと試合ですが

体力なくなります!ってくらい。

ジャイアントスイングで

壁に投げつけて

怪我させたり。

ボンタン買わされたり、

お前の金で

おれらのジュース勝ってこい!

とかね。

帰れないじゃん!って。

はは。もう最悪だった。


あとは

ある日救急箱がなくなって。

「ふざけんな!」

みたく先輩達がなってて。

そのときちょうど

一年生も入ってきたときだね。

三年生が一番偉ぶるときで。

おれらが二年生で。


一年生が救急箱を管理してて

なんか

「二年が殴って来い!」って言われて。

「は?おれら?」

みたいな感じで

なんかおれが殴る役になっちゃったの!

一年生10人くらい並べて

一人一人殴ってって。

もう家帰ったら最悪な気分だよ。

はは。いやほんとにもう嫌だったね。


まぁいかにも体育会系だよね。

理不尽で無法地帯のたて社会。

法律なんかありません。みたいな。

だから未だに体育会系が大嫌いなんだと思う。

礼ではじまって礼で終わるのに

無法地帯。


またある日

おれすごく髪長かったから

結構目つけられてて。

なんか

受身取れない状態にされて

二人がかりで叩き落とすっていう。

息ができなくなることされたの。

マジで死ぬかと思ったし。

最悪な先輩は

「俺らなんか

もっとひどいことされたんだぞ!」

とかいってて

なんだこいつら!って

きれそうになった。

ひどいことされた合戦で

おれらはもっとひどいことされた!

ってなんかいばってんの。


そんで

サカパンとササとおれで

暗い道帰ってて

おれが

「次やられたら殴り返すわ。」

って復讐する状態になってて。

なんかねあの二人は

すごいことを言い出したね。

今考えるとすごい考えの持ち主だった。

「おれたちの代でそういうのやめよう!」

みたいな話になってたね。

おれたちが腐った伝統をなくすって。

自分達が上になったら

後輩にそういうことするのをやめるっていう。


二年になってたサカパンとササって

すんげぇ強くなって

ちょうど頭角を現してた時期で。

あの二人は

一年ちょっとしか柔道してないのに

いかにも柔道家の思考してた。

勉強だけじゃなくて

本物の柔道家の思考で

かのうじごろうの本でも

読みあさったのか?ってくらい。

きっと彼らは

そういう柔道とか

「道」って意味を

すごく理解してたんだと思う。

文武両道って

あの二人のために作られた言葉みたいだったなぁ。


彼らが道場に入るときは

背中伸ばして深々と礼をして

また

背中伸ばして深々と礼して帰る。


最悪な先輩とかは

礼はするけど

適当な礼なの。


礼ではじまってて礼で終わるのに

礼と礼の間に理不尽な暴力が入ってて

帰りの礼は

礼儀のカケラもない腐った礼をして帰るから

もうそこで柔道じゃないっていう。

はじめに礼で道場に入ってるんだから

道場で休憩のときも柔道なんだよねぇ。

最後の礼をするまでが柔道。

帰るまでが遠足です!っていう感じで。


サカパンとかササは未経験だったけど

彼らなりの柔道論ってのが

もうできてたんじゃないかな?

柔道思想から入って

それができてるから

吸収力もすごいし、

教えられたことを頭が理解したら

もう体で表現できる状態。

自分の柔道スタイルを

すごいレベルで作っちゃってる感じで。


その根本には

礼ではじまり礼で終わるって

いうのがちゃんとあって。

だってあの二人

試合の前は瞑想してんだから。

修行僧みたいだった。

それに絶対

人を殴るってことをしなかったな。

罵声とかそういうのもなかった。

精神が研ぎ澄まされちゃってるから

後は体と一致させるだけの

作業だったんじゃないかな。


てか

普通に考えて

あんだけの短期で

あのレベルまで強くなるのって

ありえないよ。

すごい柔道思想が確立されてないと

まじであの成長はありえない。

人の悪口とか一切言わなかった。


それで三年生が引退する最後の日。

なんか

腐った伝統と

新しい世界を作る勢力図が

なんかおれの頭の中にあって。

あの先生だったら

最後に試合させるだろうって少し感じてた。

最悪な三年生と新しい柔道の二年生の。


あの日はすごい日だったね。

おれなんかすげぇ憎しみでそこにいるの。

この最悪な三年生を

ボコボコに潰せば

この人たちは

もうこの道場にくることはないって。


どうしても体育会系の先輩ってのは

OBになっても

道場に来るの。

後輩を倒して気持ちよくなって

帰っちゃうっていう。


だからそういうこともさせたくなかった。

ここにくることが

すごく苦痛になるような

完全な勝利が必要な状態になってる感じ。


汚い虫が湧いた棺おけが

最悪な先輩の後ろにあるイメージ。

あとは放り込むだけだ!みたいに。

すごい憎しみだねぇ。

今思うと

おれもちゃんと柔道してないじゃん!

って思うかも。


で、案の定試合になったわけです。

結果は

最悪な三年生が

四人棺おけに放り込まれて

おれら二年生が勝っちゃって。


おまえらは柔道の基礎から

しっかり学んで来い!

ニセモノの柔道してたねぇ!

みたいな無言の復讐だったねぇ。

腐った伝統が終わった瞬間って

あんなことやってたから

こうなったんだよ!

ってすげぇ快感の絶頂。


おれはこんな感じだったけど

まぁあの二人は

無心でやってたんじゃないかな?

憎しみとか邪念みたいなものは

感じられなかったし。


でもおれは

高校にあがると

すごくひどくなっていったわけで。


最悪な人たちを

柔道家失格させたはいいけど

自分もその後

柔道家失格になるわけで。


今考えると目くそ鼻くそだなぁ。

柔道家失格。

自分の柔道の歴史。

下の記事で書いてるから

続編。


下の記事どおり

あの激闘でなんだろな。

なんか自分の体の三分の一

なくなっちゃったなぁ。

っていう気持ちがあって。


高校行ったら

柔道やるのかね?

っていうとこまで考えてて。


迷ってて柔道着あんだから

迷ったらやっちまえ!

ってノリで高校も結局は柔道部。


高校は柔道で無名な自分の町の

学校に行ったねぇ。


本格的にやる!って

気持ちはもうなかったんじゃないかなぁ?

だから無名の普通の高校選んだんだと思う。


それに受験とかしたくなかったから、

推薦で入ったし、いっかって考えてた。

面接だけあってホラ吹き推薦入学。


ホラ吹きもいいとこだね。

「将来の夢は海外で活躍できる仕事です!」

とか

心の中では

「夢なんかなんにもねぇよ!」

って赤い舌だしてた。

ひでぇなぁ!(笑)

あと柔道の功績並べとけば通るなぁとか

「県大会でチームがベスト4

に入れたときは感動しました!」

とか。

ベスト4かけて戦って

負けてんだから

ベスト8だろ!(笑)

「県大会の個人戦はベスト8でした!」

これもうそじゃん!

ベスト8かけて負けたんだから

ベスト16じゃねぇか!

もう嘘つき人間通り越してたねぇ。

ひどいひどい。


おれより何倍も勉強の成績が

いいヤツでも推薦通らなかったから、

こりゃほとんどスポーツ推薦だねぇ。

しかもちょっといじっちゃってる。

最悪だぁ!


高校の柔道部はほんと最悪だったなぁ。

おれ自身が最悪なの。

一日目で温度差感じちゃったし。

「この先輩なんでおれより弱いの!」

って

しかも

「これって練習かよ!」とか。

「練習内容が薄すぎる!

おれがメニュー作ってやる!」

みたいな。

お前こんなこと言ってんだったら

春日部共栄でも入れよ!って感じだよねぇ。

自分でも今考えるとすげぇ嫌なやつだった。


「メインになったら主将だねぇ。」

とか言われてて

「当たり前じゃん。」みたいな。


高校1年で

地区の試合やっても

普通に2年生とか3年生に勝ってたから

温度差ってより

すげぇ天狗になってんの。


でもねぇ、不思議と天狗になってるのを

見てる人がいるんだねぇ。

結局、部の主将にも副主将にもなれなかった。

コイツをそういうまとめ役にしちゃうと

最悪なことになるって考えたんだろうね。

それ決めたのは

同じ中学だった先輩なの。

当時は

「この人見る目ないなぁ!」

「そんな肩書きはいらねぇから!」

とか全部その先輩のせいにしてた。


で、二年の後半から

三年生いなくなって

またおれらがメインの世代になって。

そっからまた異常な天狗になってたなぁ。


同年代は5人だったから

団体戦のレギュラー争いもなくて。

高校から柔道はじめたやつもいて

なんだこのレベルは!って。


先生も結構適当なとこあるから

自分達で団体戦の順番考えろ。

ってな感じで。

なんだそれ!ってなってた。

「じゃあ、おれが考える!」って

言ってたの覚えてる。


中学時代は先方でやってきたくせに

「副将やってやる!」って。

これきっと

中学んときの

副将ハってたカズヤの影があったんだと思う。

副将まで勝負決まってなかったら

何とかなるんだ!

みたいなことだったんだろうね。


おれらの世代で初めての団体戦があって

もうそこでも間違ったイケイケモード。

おれだけが。

でもなんか戦う前から

「負ける!」っていうヤツの神経疑ってた。

負けるんだったら家帰れよって。


あと、ひどいことも言うようになったね。

「相手弱いんだから

もっと動いて自分の組み手にしろ!」

とか。

露骨に相手チームに聞こえるくらい

怒鳴ってた。

その大会はボロボロだったね。


そんでなんとか次の大会くらいから

副将のおれにチームの勝ち負け

かかってくるレベルな感じになってきて。

そこで間違ったイケイケモードだったのに

それで勝っちゃうから

歯止めが利かない。


当時なんか知んないけど

緊張なんて言葉おれの中に全くなかった。

「どうしたらこのチームは

埼玉で認められんだ!」

とかなんか完全に

支配しようとしてたんだと思う。


だからもっと嫌なやつになっていって

「なんの技で勝って欲しい?」

とか言い出して

方向がおかしい無敵モード。


そのうち柔道部の主将になったやつは

あんまりおれと口利かなくなってて。


でも間違った中でも

高校から柔道始めたやつが

強くなっていくのはやっぱり嬉しかったねぇ。


部の主将は

先方でなかなか勝てるヤツで

おれの団体での副将ポジション

そこの間でポイントゲッターがでてきたことは

勝つチームとしては

おれの中ですごく重要なことで。

だから初心者のメンバーが

どんどん強くなっていくのが嬉しかったねぇ。

なんか地区大会でボロボロになることは

どんどんなくなってって。


楽しみはね、同じ地区に

あの中学で同年代だったメンバーに会えたり。

地区大会はそういうのも楽しかった。


シード権争いの大会もあって

そのときはチームがかたちになってきて

そこそこ勝てるようになったかなぁ。

結構くじ運も良くて

なんかシード権

取るためにみんな必死だった。

おれはこのモチベーションを待ってた!

みたいな。

あの大会は快感だったね。


1勝2敗とかで

まわってきて

副将のおれが負けたら終わるし、

そういうスリルをすごく楽しんでたねぇ。

もっと刺激をくれ!って。

完全にイッチャってた。


裏投げ(バックドロップ)で

瞬殺したときとか

絞め技で相手気絶させたり

一回も練習してない大技で

一本取ったり。

アドレナリンの量が半端じゃなかったね。

会場から

「お!相手が飛んだ!」って

いう声が聞こえたり

そういう衝撃与えたときも

異常な快感だった。


だって中学の杉戸戦は

引き分け狙いの柔道だったし

今はどんなスタイルでも何とかなっちゃうよ!

っていうのがあったなぁ。

なんだろな。

天狗が宇宙規模になった。みたいな。

このときはかなりの重症だったね。


「今おまえとやったら勝てない」って

中学の頃のメンバーに言わせたときは

「もっとおれの試合を見ろよ!」って

なんかあの頃の

中学時代のメンバーとの会話でも

天狗になりはじめた。


シード権も取って

その繋がりで二回くらい地区で勝てば

このチームで初めて県大会にいけるっていう

ところまできた。


地区大会はこれもまたくじ運が良くて

シードも取ったわけだし。

二回なんとか勝って県大会に出場きまって。

県でベスト8かけた試合で

1引き分け2敗でおれにまわってきて

もし同じ勝敗になったら

ポイント的に一本勝ちが

あるほうが勝ちだからなぁ。

先生が何故か知らないけどこの県大会で

気合入ってて

「お前は絶対に一本勝ちしてこい!」

って言うし。

相手見てこりゃ立ち技だと

あぶねぇなって思ったから

どんなかたちであれ倒して

押さえ込んじゃおうってイメージして。


そしたらイメージどおりなことになって

ものすごいアドレナリンが出て

全てイメージどおりっていう快感。

次の大将は頑張ってたけど

負けちゃったから

団体は埼玉県でベスト16。


今考えると

よくあのレベルで

県の16までいったなぁって思うよね。

あれは素直に嬉しかった。

だけどおれは

なんか遊びに走っちゃった頃の

県大会だったの。

でも自分自身のモチベーションは

まだ高いとこに少しあった。

チームは自信も付いてきたのか

すごくいいモチベーションになったし。

試合する前に

「負けるよ!」っていうヤツも減ってきたし。


最後のほうだねぇ

すごく統一されたモチベーション。

このときすごく

いい具合のチームになってたなぁ。


でもおれは夜通しマージャンやりだして

バイトも週五回入れちゃたし。

なんかもう

気付いたら

おれのモチベーションがなくなってた感じ。


トドメは地区大会の

春日部共栄戦。

0勝3敗で勝敗も決まってて

おれの試合も

もうあの快感は無理だねって。

だって消化試合なわけだし。

そんでなんかあっけなく負けちゃって


おれの柔道はここで終わり。

最後は

体で柔道してたけど

心で柔道してない。


ここで柔道家失格になったわけです。

おれ達の柔道。

ああ!もう今日は寝れない!

頭ん中で柔道やってんだもん。

寝れるわけねぇし。


北京の柔道も終わったし

おれの柔道の歴史でも書こうかなぁ。


昔々この辺の柔道やってるやつで

柔道大会小学生の部ってのがあって。

町が主催だったのかなぁ?

おれは幼稚園で柔道始めてたから

なんていうか

簡単に金メダルが取れちゃうっていう。


小さな町の大会だけどね。

でも結構な回数勝たないと

金メダルじゃなかったから

それなりによくやったねぇ。


で、埼玉のいろんな地域から

三位以内なのかな?

そういうヤツラが集まって試合する

警察署長杯ってのが

あったんだけど

小学生のナンバーワン決めましょう!

ってやつだと思う。


おれは準決勝で負けちゃって、

結局、銅メダルだったんだけど

すげぇ悔しかった。


父親も母親も当時はちょっと

なんていうか、壮絶な時代だったから

見に来てなくて。

なんかこう

銅メダル片手にちょっと孤独みたいな。

で、他のお母さんがおにぎりくれたんだけど、

それが生たらこのおにぎりだったの。

ありがとうって気持ちと

生たらこ食えない!

って気持ちが交差してたのよく覚えてる。

だから今でも生たらこが食えないんだと思う。


「柔道!」っていったら

やっぱり中学の柔道部。

あの四人の顔が浮かぶねぇ。

五人の団体戦のメンバー。


サカパンってのがいて

結構太ってて

小学校からつるんでるヤツがいたんだけど。

とにかくサカパンは頭がよかった。

彼の将来の夢は「首相」だからねぇ。

小学生のときよくおれの家に来て。

帰るまでずっとお菓子食ってんの!

ひとのうちで!!(笑)

とにかくでかくて憎めなくて

すごく優しいやつだったな。


ササってやつは

サカパンと同じく小学校でつるんでで。

頭がよくてメガネかけてて

すごく器用なやつだった。

笑うと顔がパンパンになって

少し太ってて

でも走るのはやいっていう。


小学校の運動会で撮った

おれとサカパンとササが三人で写ってる

写真をこないだ発見して。

もう三人は出会ってたんだねぇって。


カズヤってやつは

中学で初めて出会うんだけど

小学校のとき

強いのがいる!って噂はきいてたかな。

どんなヤツだ!って思ってた。


ジュンペーってヤツは

小学校は別だったんだけど

柔道大会小学生の部から

ライバルで

よく

「なんでお前が優勝してたんだ!」

ってよく言ってたな。

でも町の柔道大会小学校の部では

おれが金メダルで

ジュンペーは銅メダルだったけど、

署長杯の準決勝で負けた相手って

実は

ジュンペーなの。

ジュンペーが金メダル。おれは銅メダル。

だからあのときすごく悔しかったんだろうね。

生たらこだったし!(笑)


中学でレギュラーメンバーが出会うんだけど

おれらは埼玉で半分から右側かな。

団体戦では完全無敵の中学だったの。

おれらの世代になったときは

埼玉の右側で一回も負けたことなかったねぇ。

それがまぁなんでなのかよくわかんない。


だって

サカパンとササは

小学校でおれの柔道話を聞いてただけの

素人なわけで。

でもこの二人は中学入って

おれらの世代になったときは

埼玉の右側の中量級で1位、2位争ってた。

すごく器用な二人だった。


ジュンペーとカズヤは

重量級で1位、2位争ってて。

この二人はとにかく柔道で育ったから

怖いものなしな感じだった。

カズヤなんかは

関東でベスト8くらいまでいっちゃったし。


おれはというと

なんかひどかったね。

中学1、2年の時は

とにかく勝てない!

ポンポコ勝ってたやつが勝てなくなると

自信を喪失してしまうという。

負のスパイラルに入っちゃってて

どうにもならなかった。

まだ茶色い帯してたしね。

体重も身長も伸びなくて

159センチの54キロとかだったんじゃないかな。


先輩がいなくなって

おれらの世代に入ったときは

軽量級で銅メダルとるまでにはなったけど。

その軽量級ってすごく残酷な階級なの。

70人くらいでトーナメントしてんだから!

トーナメント表がクモの巣に見えた。

今考えると中学生は半分近く軽量だから

仕方ないんだけど、

勝っても勝っても

メダルが見えてこないみたいな。

三位決定戦とかすごく必死だったね。

負けたらレギュラーメンバーで

ひとりだけ県大会いけないわけだから。


あと中三ではじめて黒帯になったときは

なんかすげぇ嬉しかった。

小さくても黒帯になれんだぞ!見たか!!って。

家でも柔道着来てたね。黒帯締めて。

はは。バカだ。まじで(笑)


そんで先輩いなくなって

団体戦のレギュラーも決まってきて

・先方 「おれ」…(軽量級三位)
・次方 「サカパン」…(中量級1位)
・中堅 「ササ」…(中量級2位)
・副将 「カズヤ」…(重量級1位)
・大将 「ジュンペー」…(重量級2位)

こんな感じで

もう埼玉の右では完全無敵だったわけです。

おらおら!って。

おらおら!って時はとにかく試合がしたかった。

5-0とか。完璧な勝ち方で。


でも顧問の先生は鬼だったね。

だらしない試合をしたりすると

思い切りビンタを連発するんだよ。

ジュンペーなんかいつもビンタされてた。

自信過剰になってるから。

もちろん強いんだけど。

相手を舐めて試合してると

必ずビンタが飛んでくる。


あとはとにかくアウェイで

いろんな中学校行ったなぁ。

それこそ私立の結構強いとこも行ったし、

ちょっとあそこの中学が力付けて来たって

どっかで鬼先生が聞けば

もうすぐに道場破りみたくなぎ倒しに行ったの。

ビンタお土産に持って帰ってきて。


やっぱり中学生って自信が付くと

天狗になっちゃうよね。

そうすると不思議と危うくなってくるもんで

やっぱり研究してくる中学もあって。

埼玉の右側で杉戸中学が結構力付けてきて

おれらメンバーも順番も変えないから

すごく研究されてた。


団体の決勝戦は

杉戸中学とおれらの中学。

あれは死闘だった。


だって

先方のおれのところに

階級が上でメダル争いしてる

デカイ、オオタくんってのを持ってきてるわけだから。

最初は必ず勝つって作戦で

ササとジュンペーも少し怪我とか

そういうのもあって

メダル取ってるやつを当ててきてた。

すごく研究されてる。

捨て試合と勝ち試合を決めてきてるなって。


でも鬼先生は冷静で

「お前とお前とお前で相手は取りにくるから。」

って

おれとササとジュンペーが指差された。

あれで心決めたね。

「なんとかすりゃいいんだろ!

負けなきゃいいんだろ!」って。


先方戦はどう見てもおれが負けるだろうって

そんな空気が館内に流れてるの。

決勝だから他の中学も見てて

何百人の沈黙で。

それがすげぇ腹たって

「てめぇらしっかり見てろよ!」

って。

こりゃ体で柔道しちゃだめだと思って

とにかく頭使おうと。


おれの先方戦が始まって

まず奇襲攻撃したの。

ほぼ組み手で決まっちゃうわけだから

相手の右足に

自分の体重乗せて小内狩りで倒れながら

っていう。

「小内巻き込み」って技なんだけど。

それで相手はバランス崩して

寝技になって。あれで20秒ちょっと時間使えた。

そのあとはとにかく組み手切って

指導もらう寸前に大技を外にかける。

かけ逃げっていうやつで

場外なら大技返されてもポイントにならないし。

それも指導すれすれでやらなきゃいけないから、

すごく頭使った。

その後はとにかく小技の応酬で

右足払うフェイント何度かしてると

相手がだんだん左に重心を移すから

すぐ左払って。

それと同時に相手の下半身が崩れてるから

自分の組み手になれたなぁ。

かけ逃げがまだ相手の頭の中にあるだろうから、

逆をついて奇襲で使った

小内巻き込みをして。

奇襲で奇襲するっていう。

あと少しでポイントだったけど

そこから寝技で時間潰してたら

「ビー!」って試合が終わった。

引き分けを前提にしたら

これは体で負けても頭で勝ったぜ!

みたいな。だから引き分けだぜ!

とか言ってた。


次方のサカパンとすれ違いに気合いれてやって。

なんかすごく

おれら側のムードがあの完璧なモードに切り替わった。

天狗じゃなくて完全無敵なモード。

何百人て見物人が沈黙してたから

すげぇ快感だった。

柔道はデカサじゃねぇぞ!!って。


自分の試合終わったら

先生のところに行くのが決まりで

正座して。

「あれでいい。いい試合だった。」っていってくれてね。

もうそこでおれたち勝てるなって思ったなぁ。


サカパンかササが引き分けで

でもいい柔道して。

カズヤでもうこの試合決まっちゃった感じ。

大将のジュンペーもすごくいい試合してたし。

あのときのジュンペーは天狗になってなかったね。


あの鬼先生じゃなかったら

あの沈黙の快感って味わえてなかったと思う。

その完璧なモードで

県大会に挑んだわけです。


なんかあの杉戸との試合で

五人がひとつになった感じがして仕方がなかった。


県大会はとにかくすごかった。

っていうか修羅場だった。

埼玉のちょいと左側ってのは

強豪がたくさんいるの。

浦和だ、川越だってもうね

あなた大学生ですか?っていう感じ。


さすがにおれはひどく負けまくって

迷惑かけちゃった感じで。

それでも

あの埼玉県ベスト4を争う試合は

なんだろ。これ一生心に残ると思う。


あれは先方でもうなんかすげぇデカイヤツで。

おれはもうどうにもならないから、

あの杉戸の作戦でいったの。

体じゃもうやられてるわけだから。

ここは杉戸のときの

何倍の頭脳戦をしなきゃいけないって。


とにかく組み手は切って切って切りまくった。

小技で足払って

結構粘って時間見て計算して。

でもなんか足りない気がした。

どうも相手が重心を崩さないヤツみたいで。

やばいって思った瞬間投げられちゃったし。

しかも一本負け。最悪。

頭でも体でも負けた。完敗。


何発でも殴れ!って先生のとこ行って

正座して。

小さな沈黙があってなんかいつもと違うなと。

「いいんだ。もういいんだ。」

って

え?みたいな。

殴れよ先生よぉ!って感じで。

なんか殴られないのが嫌だみたくなっちゃって。

大宮体育館の周りの音とか聞こえないの。

なんで?って。


でも団体戦は進んでて

ササとサカパンが健闘して

カズヤがなんとか大将のジュンペーにまわして。

ジュンペーは怪我してたのかな。

先方って大将にツケまわしちゃうんだなぁって

でも頭の中がポカーンとしてた。

ジュンぺーが負けた瞬間が

なんかスローモーションで残ってて

おれ達の柔道終わったんだなぁ。

今までの完全無敵の柔道が終わった瞬間。


なぜかその団体戦だけ先生は誰も殴らなかった。

きっと分かってたんじゃないかな。

おれ達の柔道が終わるのを。


それで

大会が終わると先生中心に囲んで

反省会なんだけど。

なんかずーっとみんな黙ってて

すごい長い沈黙。なんにも聞こえない。

先生が沈黙破ったんだけど

「お前たちは今までで一番強いいいチームだった。

本当にいいチームだったよな。」

って。

先生泣いちゃったの。

やばい。っておれもなっちゃって。

なんかみんな泣いてた。


おれはなんかは

負けて泣いてるんじゃない気がして。

やっぱりガキの頃からつるんでて

ササとかサカパンとか初心者だったのに

すごく成長してたの見てきたし、

ジュンペーは

柔道始めて小1の頃からのライバルだったし

カズヤはコイツにとにかく勝ちたいと思って

追いかけてた存在だったから。

この五人で試合することないんだな…。

とか、もういろんな光景がバーって浮かんできて

それが終わった寂しさがおれの中にはあったな。


今思うと

集まるべくして集まった五人

だったんじゃないのかな。

先方でムード作って

次方で取って

中堅がまわして

副将がしっかりしてて

大将で倒す

っていう。


何年かして一回みんなで試合したな。

団体戦じゃなかったけど。

町の体育館で。

あの時とみんな全然変わってなくてね。

ただおれ達の柔道はもうない

っていう現実だけみんな受け止めてて。

「あのときよ~」とか話してたら

中三に戻っちゃったもん。


すごく楽しい時代だったね。