おれ達の柔道。
ああ!もう今日は寝れない!
頭ん中で柔道やってんだもん。
寝れるわけねぇし。
北京の柔道も終わったし
おれの柔道の歴史でも書こうかなぁ。
昔々この辺の柔道やってるやつで
柔道大会小学生の部ってのがあって。
町が主催だったのかなぁ?
おれは幼稚園で柔道始めてたから
なんていうか
簡単に金メダルが取れちゃうっていう。
小さな町の大会だけどね。
でも結構な回数勝たないと
金メダルじゃなかったから
それなりによくやったねぇ。
で、埼玉のいろんな地域から
三位以内なのかな?
そういうヤツラが集まって試合する
警察署長杯ってのが
あったんだけど
小学生のナンバーワン決めましょう!
ってやつだと思う。
おれは準決勝で負けちゃって、
結局、銅メダルだったんだけど
すげぇ悔しかった。
父親も母親も当時はちょっと
なんていうか、壮絶な時代だったから
見に来てなくて。
なんかこう
銅メダル片手にちょっと孤独みたいな。
で、他のお母さんがおにぎりくれたんだけど、
それが生たらこのおにぎりだったの。
ありがとうって気持ちと
生たらこ食えない!
って気持ちが交差してたのよく覚えてる。
だから今でも生たらこが食えないんだと思う。
「柔道!」っていったら
やっぱり中学の柔道部。
あの四人の顔が浮かぶねぇ。
五人の団体戦のメンバー。
サカパンってのがいて
結構太ってて
小学校からつるんでるヤツがいたんだけど。
とにかくサカパンは頭がよかった。
彼の将来の夢は「首相」だからねぇ。
小学生のときよくおれの家に来て。
帰るまでずっとお菓子食ってんの!
ひとのうちで!!(笑)
とにかくでかくて憎めなくて
すごく優しいやつだったな。
ササってやつは
サカパンと同じく小学校でつるんでで。
頭がよくてメガネかけてて
すごく器用なやつだった。
笑うと顔がパンパンになって
少し太ってて
でも走るのはやいっていう。
小学校の運動会で撮った
おれとサカパンとササが三人で写ってる
写真をこないだ発見して。
もう三人は出会ってたんだねぇって。
カズヤってやつは
中学で初めて出会うんだけど
小学校のとき
強いのがいる!って噂はきいてたかな。
どんなヤツだ!って思ってた。
ジュンペーってヤツは
小学校は別だったんだけど
柔道大会小学生の部から
ライバルで
よく
「なんでお前が優勝してたんだ!」
ってよく言ってたな。
でも町の柔道大会小学校の部では
おれが金メダルで
ジュンペーは銅メダルだったけど、
署長杯の準決勝で負けた相手って
実は
ジュンペーなの。
ジュンペーが金メダル。おれは銅メダル。
だからあのときすごく悔しかったんだろうね。
生たらこだったし!(笑)
中学でレギュラーメンバーが出会うんだけど
おれらは埼玉で半分から右側かな。
団体戦では完全無敵の中学だったの。
おれらの世代になったときは
埼玉の右側で一回も負けたことなかったねぇ。
それがまぁなんでなのかよくわかんない。
だって
サカパンとササは
小学校でおれの柔道話を聞いてただけの
素人なわけで。
でもこの二人は中学入って
おれらの世代になったときは
埼玉の右側の中量級で1位、2位争ってた。
すごく器用な二人だった。
ジュンペーとカズヤは
重量級で1位、2位争ってて。
この二人はとにかく柔道で育ったから
怖いものなしな感じだった。
カズヤなんかは
関東でベスト8くらいまでいっちゃったし。
おれはというと
なんかひどかったね。
中学1、2年の時は
とにかく勝てない!
ポンポコ勝ってたやつが勝てなくなると
自信を喪失してしまうという。
負のスパイラルに入っちゃってて
どうにもならなかった。
まだ茶色い帯してたしね。
体重も身長も伸びなくて
159センチの54キロとかだったんじゃないかな。
先輩がいなくなって
おれらの世代に入ったときは
軽量級で銅メダルとるまでにはなったけど。
その軽量級ってすごく残酷な階級なの。
70人くらいでトーナメントしてんだから!
トーナメント表がクモの巣に見えた。
今考えると中学生は半分近く軽量だから
仕方ないんだけど、
勝っても勝っても
メダルが見えてこないみたいな。
三位決定戦とかすごく必死だったね。
負けたらレギュラーメンバーで
ひとりだけ県大会いけないわけだから。
あと中三ではじめて黒帯になったときは
なんかすげぇ嬉しかった。
小さくても黒帯になれんだぞ!見たか!!って。
家でも柔道着来てたね。黒帯締めて。
はは。バカだ。まじで(笑)
そんで先輩いなくなって
団体戦のレギュラーも決まってきて
・先方 「おれ」…(軽量級三位)
・次方 「サカパン」…(中量級1位)
・中堅 「ササ」…(中量級2位)
・副将 「カズヤ」…(重量級1位)
・大将 「ジュンペー」…(重量級2位)
こんな感じで
もう埼玉の右では完全無敵だったわけです。
おらおら!って。
おらおら!って時はとにかく試合がしたかった。
5-0とか。完璧な勝ち方で。
でも顧問の先生は鬼だったね。
だらしない試合をしたりすると
思い切りビンタを連発するんだよ。
ジュンペーなんかいつもビンタされてた。
自信過剰になってるから。
もちろん強いんだけど。
相手を舐めて試合してると
必ずビンタが飛んでくる。
あとはとにかくアウェイで
いろんな中学校行ったなぁ。
それこそ私立の結構強いとこも行ったし、
ちょっとあそこの中学が力付けて来たって
どっかで鬼先生が聞けば
もうすぐに道場破りみたくなぎ倒しに行ったの。
ビンタお土産に持って帰ってきて。
やっぱり中学生って自信が付くと
天狗になっちゃうよね。
そうすると不思議と危うくなってくるもんで
やっぱり研究してくる中学もあって。
埼玉の右側で杉戸中学が結構力付けてきて
おれらメンバーも順番も変えないから
すごく研究されてた。
団体の決勝戦は
杉戸中学とおれらの中学。
あれは死闘だった。
だって
先方のおれのところに
階級が上でメダル争いしてる
デカイ、オオタくんってのを持ってきてるわけだから。
最初は必ず勝つって作戦で
ササとジュンペーも少し怪我とか
そういうのもあって
メダル取ってるやつを当ててきてた。
すごく研究されてる。
捨て試合と勝ち試合を決めてきてるなって。
でも鬼先生は冷静で
「お前とお前とお前で相手は取りにくるから。」
って
おれとササとジュンペーが指差された。
あれで心決めたね。
「なんとかすりゃいいんだろ!
負けなきゃいいんだろ!」って。
先方戦はどう見てもおれが負けるだろうって
そんな空気が館内に流れてるの。
決勝だから他の中学も見てて
何百人の沈黙で。
それがすげぇ腹たって
「てめぇらしっかり見てろよ!」
って。
こりゃ体で柔道しちゃだめだと思って
とにかく頭使おうと。
おれの先方戦が始まって
まず奇襲攻撃したの。
ほぼ組み手で決まっちゃうわけだから
相手の右足に
自分の体重乗せて小内狩りで倒れながら
っていう。
「小内巻き込み」って技なんだけど。
それで相手はバランス崩して
寝技になって。あれで20秒ちょっと時間使えた。
そのあとはとにかく組み手切って
指導もらう寸前に大技を外にかける。
かけ逃げっていうやつで
場外なら大技返されてもポイントにならないし。
それも指導すれすれでやらなきゃいけないから、
すごく頭使った。
その後はとにかく小技の応酬で
右足払うフェイント何度かしてると
相手がだんだん左に重心を移すから
すぐ左払って。
それと同時に相手の下半身が崩れてるから
自分の組み手になれたなぁ。
かけ逃げがまだ相手の頭の中にあるだろうから、
逆をついて奇襲で使った
小内巻き込みをして。
奇襲で奇襲するっていう。
あと少しでポイントだったけど
そこから寝技で時間潰してたら
「ビー!」って試合が終わった。
引き分けを前提にしたら
これは体で負けても頭で勝ったぜ!
みたいな。だから引き分けだぜ!
とか言ってた。
次方のサカパンとすれ違いに気合いれてやって。
なんかすごく
おれら側のムードがあの完璧なモードに切り替わった。
天狗じゃなくて完全無敵なモード。
何百人て見物人が沈黙してたから
すげぇ快感だった。
柔道はデカサじゃねぇぞ!!って。
自分の試合終わったら
先生のところに行くのが決まりで
正座して。
「あれでいい。いい試合だった。」っていってくれてね。
もうそこでおれたち勝てるなって思ったなぁ。
サカパンかササが引き分けで
でもいい柔道して。
カズヤでもうこの試合決まっちゃった感じ。
大将のジュンペーもすごくいい試合してたし。
あのときのジュンペーは天狗になってなかったね。
あの鬼先生じゃなかったら
あの沈黙の快感って味わえてなかったと思う。
その完璧なモードで
県大会に挑んだわけです。
なんかあの杉戸との試合で
五人がひとつになった感じがして仕方がなかった。
県大会はとにかくすごかった。
っていうか修羅場だった。
埼玉のちょいと左側ってのは
強豪がたくさんいるの。
浦和だ、川越だってもうね
あなた大学生ですか?っていう感じ。
さすがにおれはひどく負けまくって
迷惑かけちゃった感じで。
それでも
あの埼玉県ベスト4を争う試合は
なんだろ。これ一生心に残ると思う。
あれは先方でもうなんかすげぇデカイヤツで。
おれはもうどうにもならないから、
あの杉戸の作戦でいったの。
体じゃもうやられてるわけだから。
ここは杉戸のときの
何倍の頭脳戦をしなきゃいけないって。
とにかく組み手は切って切って切りまくった。
小技で足払って
結構粘って時間見て計算して。
でもなんか足りない気がした。
どうも相手が重心を崩さないヤツみたいで。
やばいって思った瞬間投げられちゃったし。
しかも一本負け。最悪。
頭でも体でも負けた。完敗。
何発でも殴れ!って先生のとこ行って
正座して。
小さな沈黙があってなんかいつもと違うなと。
「いいんだ。もういいんだ。」
って
え?みたいな。
殴れよ先生よぉ!って感じで。
なんか殴られないのが嫌だみたくなっちゃって。
大宮体育館の周りの音とか聞こえないの。
なんで?って。
でも団体戦は進んでて
ササとサカパンが健闘して
カズヤがなんとか大将のジュンペーにまわして。
ジュンペーは怪我してたのかな。
先方って大将にツケまわしちゃうんだなぁって
でも頭の中がポカーンとしてた。
ジュンぺーが負けた瞬間が
なんかスローモーションで残ってて
おれ達の柔道終わったんだなぁ。
今までの完全無敵の柔道が終わった瞬間。
なぜかその団体戦だけ先生は誰も殴らなかった。
きっと分かってたんじゃないかな。
おれ達の柔道が終わるのを。
それで
大会が終わると先生中心に囲んで
反省会なんだけど。
なんかずーっとみんな黙ってて
すごい長い沈黙。なんにも聞こえない。
先生が沈黙破ったんだけど
「お前たちは今までで一番強いいいチームだった。
本当にいいチームだったよな。」
って。
先生泣いちゃったの。
やばい。っておれもなっちゃって。
なんかみんな泣いてた。
おれはなんかは
負けて泣いてるんじゃない気がして。
やっぱりガキの頃からつるんでて
ササとかサカパンとか初心者だったのに
すごく成長してたの見てきたし、
ジュンペーは
柔道始めて小1の頃からのライバルだったし
カズヤはコイツにとにかく勝ちたいと思って
追いかけてた存在だったから。
この五人で試合することないんだな…。
とか、もういろんな光景がバーって浮かんできて
それが終わった寂しさがおれの中にはあったな。
今思うと
集まるべくして集まった五人
だったんじゃないのかな。
先方でムード作って
次方で取って
中堅がまわして
副将がしっかりしてて
大将で倒す
っていう。
何年かして一回みんなで試合したな。
団体戦じゃなかったけど。
町の体育館で。
あの時とみんな全然変わってなくてね。
ただおれ達の柔道はもうない
っていう現実だけみんな受け止めてて。
「あのときよ~」とか話してたら
中三に戻っちゃったもん。
すごく楽しい時代だったね。
頭ん中で柔道やってんだもん。
寝れるわけねぇし。
北京の柔道も終わったし
おれの柔道の歴史でも書こうかなぁ。
昔々この辺の柔道やってるやつで
柔道大会小学生の部ってのがあって。
町が主催だったのかなぁ?
おれは幼稚園で柔道始めてたから
なんていうか
簡単に金メダルが取れちゃうっていう。
小さな町の大会だけどね。
でも結構な回数勝たないと
金メダルじゃなかったから
それなりによくやったねぇ。
で、埼玉のいろんな地域から
三位以内なのかな?
そういうヤツラが集まって試合する
警察署長杯ってのが
あったんだけど
小学生のナンバーワン決めましょう!
ってやつだと思う。
おれは準決勝で負けちゃって、
結局、銅メダルだったんだけど
すげぇ悔しかった。
父親も母親も当時はちょっと
なんていうか、壮絶な時代だったから
見に来てなくて。
なんかこう
銅メダル片手にちょっと孤独みたいな。
で、他のお母さんがおにぎりくれたんだけど、
それが生たらこのおにぎりだったの。
ありがとうって気持ちと
生たらこ食えない!
って気持ちが交差してたのよく覚えてる。
だから今でも生たらこが食えないんだと思う。
「柔道!」っていったら
やっぱり中学の柔道部。
あの四人の顔が浮かぶねぇ。
五人の団体戦のメンバー。
サカパンってのがいて
結構太ってて
小学校からつるんでるヤツがいたんだけど。
とにかくサカパンは頭がよかった。
彼の将来の夢は「首相」だからねぇ。
小学生のときよくおれの家に来て。
帰るまでずっとお菓子食ってんの!
ひとのうちで!!(笑)
とにかくでかくて憎めなくて
すごく優しいやつだったな。
ササってやつは
サカパンと同じく小学校でつるんでで。
頭がよくてメガネかけてて
すごく器用なやつだった。
笑うと顔がパンパンになって
少し太ってて
でも走るのはやいっていう。
小学校の運動会で撮った
おれとサカパンとササが三人で写ってる
写真をこないだ発見して。
もう三人は出会ってたんだねぇって。
カズヤってやつは
中学で初めて出会うんだけど
小学校のとき
強いのがいる!って噂はきいてたかな。
どんなヤツだ!って思ってた。
ジュンペーってヤツは
小学校は別だったんだけど
柔道大会小学生の部から
ライバルで
よく
「なんでお前が優勝してたんだ!」
ってよく言ってたな。
でも町の柔道大会小学校の部では
おれが金メダルで
ジュンペーは銅メダルだったけど、
署長杯の準決勝で負けた相手って
実は
ジュンペーなの。
ジュンペーが金メダル。おれは銅メダル。
だからあのときすごく悔しかったんだろうね。
生たらこだったし!(笑)
中学でレギュラーメンバーが出会うんだけど
おれらは埼玉で半分から右側かな。
団体戦では完全無敵の中学だったの。
おれらの世代になったときは
埼玉の右側で一回も負けたことなかったねぇ。
それがまぁなんでなのかよくわかんない。
だって
サカパンとササは
小学校でおれの柔道話を聞いてただけの
素人なわけで。
でもこの二人は中学入って
おれらの世代になったときは
埼玉の右側の中量級で1位、2位争ってた。
すごく器用な二人だった。
ジュンペーとカズヤは
重量級で1位、2位争ってて。
この二人はとにかく柔道で育ったから
怖いものなしな感じだった。
カズヤなんかは
関東でベスト8くらいまでいっちゃったし。
おれはというと
なんかひどかったね。
中学1、2年の時は
とにかく勝てない!
ポンポコ勝ってたやつが勝てなくなると
自信を喪失してしまうという。
負のスパイラルに入っちゃってて
どうにもならなかった。
まだ茶色い帯してたしね。
体重も身長も伸びなくて
159センチの54キロとかだったんじゃないかな。
先輩がいなくなって
おれらの世代に入ったときは
軽量級で銅メダルとるまでにはなったけど。
その軽量級ってすごく残酷な階級なの。
70人くらいでトーナメントしてんだから!
トーナメント表がクモの巣に見えた。
今考えると中学生は半分近く軽量だから
仕方ないんだけど、
勝っても勝っても
メダルが見えてこないみたいな。
三位決定戦とかすごく必死だったね。
負けたらレギュラーメンバーで
ひとりだけ県大会いけないわけだから。
あと中三ではじめて黒帯になったときは
なんかすげぇ嬉しかった。
小さくても黒帯になれんだぞ!見たか!!って。
家でも柔道着来てたね。黒帯締めて。
はは。バカだ。まじで(笑)
そんで先輩いなくなって
団体戦のレギュラーも決まってきて
・先方 「おれ」…(軽量級三位)
・次方 「サカパン」…(中量級1位)
・中堅 「ササ」…(中量級2位)
・副将 「カズヤ」…(重量級1位)
・大将 「ジュンペー」…(重量級2位)
こんな感じで
もう埼玉の右では完全無敵だったわけです。
おらおら!って。
おらおら!って時はとにかく試合がしたかった。
5-0とか。完璧な勝ち方で。
でも顧問の先生は鬼だったね。
だらしない試合をしたりすると
思い切りビンタを連発するんだよ。
ジュンペーなんかいつもビンタされてた。
自信過剰になってるから。
もちろん強いんだけど。
相手を舐めて試合してると
必ずビンタが飛んでくる。
あとはとにかくアウェイで
いろんな中学校行ったなぁ。
それこそ私立の結構強いとこも行ったし、
ちょっとあそこの中学が力付けて来たって
どっかで鬼先生が聞けば
もうすぐに道場破りみたくなぎ倒しに行ったの。
ビンタお土産に持って帰ってきて。
やっぱり中学生って自信が付くと
天狗になっちゃうよね。
そうすると不思議と危うくなってくるもんで
やっぱり研究してくる中学もあって。
埼玉の右側で杉戸中学が結構力付けてきて
おれらメンバーも順番も変えないから
すごく研究されてた。
団体の決勝戦は
杉戸中学とおれらの中学。
あれは死闘だった。
だって
先方のおれのところに
階級が上でメダル争いしてる
デカイ、オオタくんってのを持ってきてるわけだから。
最初は必ず勝つって作戦で
ササとジュンペーも少し怪我とか
そういうのもあって
メダル取ってるやつを当ててきてた。
すごく研究されてる。
捨て試合と勝ち試合を決めてきてるなって。
でも鬼先生は冷静で
「お前とお前とお前で相手は取りにくるから。」
って
おれとササとジュンペーが指差された。
あれで心決めたね。
「なんとかすりゃいいんだろ!
負けなきゃいいんだろ!」って。
先方戦はどう見てもおれが負けるだろうって
そんな空気が館内に流れてるの。
決勝だから他の中学も見てて
何百人の沈黙で。
それがすげぇ腹たって
「てめぇらしっかり見てろよ!」
って。
こりゃ体で柔道しちゃだめだと思って
とにかく頭使おうと。
おれの先方戦が始まって
まず奇襲攻撃したの。
ほぼ組み手で決まっちゃうわけだから
相手の右足に
自分の体重乗せて小内狩りで倒れながら
っていう。
「小内巻き込み」って技なんだけど。
それで相手はバランス崩して
寝技になって。あれで20秒ちょっと時間使えた。
そのあとはとにかく組み手切って
指導もらう寸前に大技を外にかける。
かけ逃げっていうやつで
場外なら大技返されてもポイントにならないし。
それも指導すれすれでやらなきゃいけないから、
すごく頭使った。
その後はとにかく小技の応酬で
右足払うフェイント何度かしてると
相手がだんだん左に重心を移すから
すぐ左払って。
それと同時に相手の下半身が崩れてるから
自分の組み手になれたなぁ。
かけ逃げがまだ相手の頭の中にあるだろうから、
逆をついて奇襲で使った
小内巻き込みをして。
奇襲で奇襲するっていう。
あと少しでポイントだったけど
そこから寝技で時間潰してたら
「ビー!」って試合が終わった。
引き分けを前提にしたら
これは体で負けても頭で勝ったぜ!
みたいな。だから引き分けだぜ!
とか言ってた。
次方のサカパンとすれ違いに気合いれてやって。
なんかすごく
おれら側のムードがあの完璧なモードに切り替わった。
天狗じゃなくて完全無敵なモード。
何百人て見物人が沈黙してたから
すげぇ快感だった。
柔道はデカサじゃねぇぞ!!って。
自分の試合終わったら
先生のところに行くのが決まりで
正座して。
「あれでいい。いい試合だった。」っていってくれてね。
もうそこでおれたち勝てるなって思ったなぁ。
サカパンかササが引き分けで
でもいい柔道して。
カズヤでもうこの試合決まっちゃった感じ。
大将のジュンペーもすごくいい試合してたし。
あのときのジュンペーは天狗になってなかったね。
あの鬼先生じゃなかったら
あの沈黙の快感って味わえてなかったと思う。
その完璧なモードで
県大会に挑んだわけです。
なんかあの杉戸との試合で
五人がひとつになった感じがして仕方がなかった。
県大会はとにかくすごかった。
っていうか修羅場だった。
埼玉のちょいと左側ってのは
強豪がたくさんいるの。
浦和だ、川越だってもうね
あなた大学生ですか?っていう感じ。
さすがにおれはひどく負けまくって
迷惑かけちゃった感じで。
それでも
あの埼玉県ベスト4を争う試合は
なんだろ。これ一生心に残ると思う。
あれは先方でもうなんかすげぇデカイヤツで。
おれはもうどうにもならないから、
あの杉戸の作戦でいったの。
体じゃもうやられてるわけだから。
ここは杉戸のときの
何倍の頭脳戦をしなきゃいけないって。
とにかく組み手は切って切って切りまくった。
小技で足払って
結構粘って時間見て計算して。
でもなんか足りない気がした。
どうも相手が重心を崩さないヤツみたいで。
やばいって思った瞬間投げられちゃったし。
しかも一本負け。最悪。
頭でも体でも負けた。完敗。
何発でも殴れ!って先生のとこ行って
正座して。
小さな沈黙があってなんかいつもと違うなと。
「いいんだ。もういいんだ。」
って
え?みたいな。
殴れよ先生よぉ!って感じで。
なんか殴られないのが嫌だみたくなっちゃって。
大宮体育館の周りの音とか聞こえないの。
なんで?って。
でも団体戦は進んでて
ササとサカパンが健闘して
カズヤがなんとか大将のジュンペーにまわして。
ジュンペーは怪我してたのかな。
先方って大将にツケまわしちゃうんだなぁって
でも頭の中がポカーンとしてた。
ジュンぺーが負けた瞬間が
なんかスローモーションで残ってて
おれ達の柔道終わったんだなぁ。
今までの完全無敵の柔道が終わった瞬間。
なぜかその団体戦だけ先生は誰も殴らなかった。
きっと分かってたんじゃないかな。
おれ達の柔道が終わるのを。
それで
大会が終わると先生中心に囲んで
反省会なんだけど。
なんかずーっとみんな黙ってて
すごい長い沈黙。なんにも聞こえない。
先生が沈黙破ったんだけど
「お前たちは今までで一番強いいいチームだった。
本当にいいチームだったよな。」
って。
先生泣いちゃったの。
やばい。っておれもなっちゃって。
なんかみんな泣いてた。
おれはなんかは
負けて泣いてるんじゃない気がして。
やっぱりガキの頃からつるんでて
ササとかサカパンとか初心者だったのに
すごく成長してたの見てきたし、
ジュンペーは
柔道始めて小1の頃からのライバルだったし
カズヤはコイツにとにかく勝ちたいと思って
追いかけてた存在だったから。
この五人で試合することないんだな…。
とか、もういろんな光景がバーって浮かんできて
それが終わった寂しさがおれの中にはあったな。
今思うと
集まるべくして集まった五人
だったんじゃないのかな。
先方でムード作って
次方で取って
中堅がまわして
副将がしっかりしてて
大将で倒す
っていう。
何年かして一回みんなで試合したな。
団体戦じゃなかったけど。
町の体育館で。
あの時とみんな全然変わってなくてね。
ただおれ達の柔道はもうない
っていう現実だけみんな受け止めてて。
「あのときよ~」とか話してたら
中三に戻っちゃったもん。
すごく楽しい時代だったね。