柔道家失格。
自分の柔道の歴史。
下の記事で書いてるから
続編。
下の記事どおり
あの激闘でなんだろな。
なんか自分の体の三分の一
なくなっちゃったなぁ。
っていう気持ちがあって。
高校行ったら
柔道やるのかね?
っていうとこまで考えてて。
迷ってて柔道着あんだから
迷ったらやっちまえ!
ってノリで高校も結局は柔道部。
高校は柔道で無名な自分の町の
学校に行ったねぇ。
本格的にやる!って
気持ちはもうなかったんじゃないかなぁ?
だから無名の普通の高校選んだんだと思う。
それに受験とかしたくなかったから、
推薦で入ったし、いっかって考えてた。
面接だけあってホラ吹き推薦入学。
ホラ吹きもいいとこだね。
「将来の夢は海外で活躍できる仕事です!」
とか
心の中では
「夢なんかなんにもねぇよ!」
って赤い舌だしてた。
ひでぇなぁ!(笑)
あと柔道の功績並べとけば通るなぁとか
「県大会でチームがベスト4
に入れたときは感動しました!」
とか。
ベスト4かけて戦って
負けてんだから
ベスト8だろ!(笑)
「県大会の個人戦はベスト8でした!」
これもうそじゃん!
ベスト8かけて負けたんだから
ベスト16じゃねぇか!
もう嘘つき人間通り越してたねぇ。
ひどいひどい。
おれより何倍も勉強の成績が
いいヤツでも推薦通らなかったから、
こりゃほとんどスポーツ推薦だねぇ。
しかもちょっといじっちゃってる。
最悪だぁ!
高校の柔道部はほんと最悪だったなぁ。
おれ自身が最悪なの。
一日目で温度差感じちゃったし。
「この先輩なんでおれより弱いの!」
って
しかも
「これって練習かよ!」とか。
「練習内容が薄すぎる!
おれがメニュー作ってやる!」
みたいな。
お前こんなこと言ってんだったら
春日部共栄でも入れよ!って感じだよねぇ。
自分でも今考えるとすげぇ嫌なやつだった。
「メインになったら主将だねぇ。」
とか言われてて
「当たり前じゃん。」みたいな。
高校1年で
地区の試合やっても
普通に2年生とか3年生に勝ってたから
温度差ってより
すげぇ天狗になってんの。
でもねぇ、不思議と天狗になってるのを
見てる人がいるんだねぇ。
結局、部の主将にも副主将にもなれなかった。
コイツをそういうまとめ役にしちゃうと
最悪なことになるって考えたんだろうね。
それ決めたのは
同じ中学だった先輩なの。
当時は
「この人見る目ないなぁ!」
「そんな肩書きはいらねぇから!」
とか全部その先輩のせいにしてた。
で、二年の後半から
三年生いなくなって
またおれらがメインの世代になって。
そっからまた異常な天狗になってたなぁ。
同年代は5人だったから
団体戦のレギュラー争いもなくて。
高校から柔道はじめたやつもいて
なんだこのレベルは!って。
先生も結構適当なとこあるから
自分達で団体戦の順番考えろ。
ってな感じで。
なんだそれ!ってなってた。
「じゃあ、おれが考える!」って
言ってたの覚えてる。
中学時代は先方でやってきたくせに
「副将やってやる!」って。
これきっと
中学んときの
副将ハってたカズヤの影があったんだと思う。
副将まで勝負決まってなかったら
何とかなるんだ!
みたいなことだったんだろうね。
おれらの世代で初めての団体戦があって
もうそこでも間違ったイケイケモード。
おれだけが。
でもなんか戦う前から
「負ける!」っていうヤツの神経疑ってた。
負けるんだったら家帰れよって。
あと、ひどいことも言うようになったね。
「相手弱いんだから
もっと動いて自分の組み手にしろ!」
とか。
露骨に相手チームに聞こえるくらい
怒鳴ってた。
その大会はボロボロだったね。
そんでなんとか次の大会くらいから
副将のおれにチームの勝ち負け
かかってくるレベルな感じになってきて。
そこで間違ったイケイケモードだったのに
それで勝っちゃうから
歯止めが利かない。
当時なんか知んないけど
緊張なんて言葉おれの中に全くなかった。
「どうしたらこのチームは
埼玉で認められんだ!」
とかなんか完全に
支配しようとしてたんだと思う。
だからもっと嫌なやつになっていって
「なんの技で勝って欲しい?」
とか言い出して
方向がおかしい無敵モード。
そのうち柔道部の主将になったやつは
あんまりおれと口利かなくなってて。
でも間違った中でも
高校から柔道始めたやつが
強くなっていくのはやっぱり嬉しかったねぇ。
部の主将は
先方でなかなか勝てるヤツで
おれの団体での副将ポジション
そこの間でポイントゲッターがでてきたことは
勝つチームとしては
おれの中ですごく重要なことで。
だから初心者のメンバーが
どんどん強くなっていくのが嬉しかったねぇ。
なんか地区大会でボロボロになることは
どんどんなくなってって。
楽しみはね、同じ地区に
あの中学で同年代だったメンバーに会えたり。
地区大会はそういうのも楽しかった。
シード権争いの大会もあって
そのときはチームがかたちになってきて
そこそこ勝てるようになったかなぁ。
結構くじ運も良くて
なんかシード権
取るためにみんな必死だった。
おれはこのモチベーションを待ってた!
みたいな。
あの大会は快感だったね。
1勝2敗とかで
まわってきて
副将のおれが負けたら終わるし、
そういうスリルをすごく楽しんでたねぇ。
もっと刺激をくれ!って。
完全にイッチャってた。
裏投げ(バックドロップ)で
瞬殺したときとか
絞め技で相手気絶させたり
一回も練習してない大技で
一本取ったり。
アドレナリンの量が半端じゃなかったね。
会場から
「お!相手が飛んだ!」って
いう声が聞こえたり
そういう衝撃与えたときも
異常な快感だった。
だって中学の杉戸戦は
引き分け狙いの柔道だったし
今はどんなスタイルでも何とかなっちゃうよ!
っていうのがあったなぁ。
なんだろな。
天狗が宇宙規模になった。みたいな。
このときはかなりの重症だったね。
「今おまえとやったら勝てない」って
中学の頃のメンバーに言わせたときは
「もっとおれの試合を見ろよ!」って
なんかあの頃の
中学時代のメンバーとの会話でも
天狗になりはじめた。
シード権も取って
その繋がりで二回くらい地区で勝てば
このチームで初めて県大会にいけるっていう
ところまできた。
地区大会はこれもまたくじ運が良くて
シードも取ったわけだし。
二回なんとか勝って県大会に出場きまって。
県でベスト8かけた試合で
1引き分け2敗でおれにまわってきて
もし同じ勝敗になったら
ポイント的に一本勝ちが
あるほうが勝ちだからなぁ。
先生が何故か知らないけどこの県大会で
気合入ってて
「お前は絶対に一本勝ちしてこい!」
って言うし。
相手見てこりゃ立ち技だと
あぶねぇなって思ったから
どんなかたちであれ倒して
押さえ込んじゃおうってイメージして。
そしたらイメージどおりなことになって
ものすごいアドレナリンが出て
全てイメージどおりっていう快感。
次の大将は頑張ってたけど
負けちゃったから
団体は埼玉県でベスト16。
今考えると
よくあのレベルで
県の16までいったなぁって思うよね。
あれは素直に嬉しかった。
だけどおれは
なんか遊びに走っちゃった頃の
県大会だったの。
でも自分自身のモチベーションは
まだ高いとこに少しあった。
チームは自信も付いてきたのか
すごくいいモチベーションになったし。
試合する前に
「負けるよ!」っていうヤツも減ってきたし。
最後のほうだねぇ
すごく統一されたモチベーション。
このときすごく
いい具合のチームになってたなぁ。
でもおれは夜通しマージャンやりだして
バイトも週五回入れちゃたし。
なんかもう
気付いたら
おれのモチベーションがなくなってた感じ。
トドメは地区大会の
春日部共栄戦。
0勝3敗で勝敗も決まってて
おれの試合も
もうあの快感は無理だねって。
だって消化試合なわけだし。
そんでなんかあっけなく負けちゃって
おれの柔道はここで終わり。
最後は
体で柔道してたけど
心で柔道してない。
ここで柔道家失格になったわけです。
下の記事で書いてるから
続編。
下の記事どおり
あの激闘でなんだろな。
なんか自分の体の三分の一
なくなっちゃったなぁ。
っていう気持ちがあって。
高校行ったら
柔道やるのかね?
っていうとこまで考えてて。
迷ってて柔道着あんだから
迷ったらやっちまえ!
ってノリで高校も結局は柔道部。
高校は柔道で無名な自分の町の
学校に行ったねぇ。
本格的にやる!って
気持ちはもうなかったんじゃないかなぁ?
だから無名の普通の高校選んだんだと思う。
それに受験とかしたくなかったから、
推薦で入ったし、いっかって考えてた。
面接だけあってホラ吹き推薦入学。
ホラ吹きもいいとこだね。
「将来の夢は海外で活躍できる仕事です!」
とか
心の中では
「夢なんかなんにもねぇよ!」
って赤い舌だしてた。
ひでぇなぁ!(笑)
あと柔道の功績並べとけば通るなぁとか
「県大会でチームがベスト4
に入れたときは感動しました!」
とか。
ベスト4かけて戦って
負けてんだから
ベスト8だろ!(笑)
「県大会の個人戦はベスト8でした!」
これもうそじゃん!
ベスト8かけて負けたんだから
ベスト16じゃねぇか!
もう嘘つき人間通り越してたねぇ。
ひどいひどい。
おれより何倍も勉強の成績が
いいヤツでも推薦通らなかったから、
こりゃほとんどスポーツ推薦だねぇ。
しかもちょっといじっちゃってる。
最悪だぁ!
高校の柔道部はほんと最悪だったなぁ。
おれ自身が最悪なの。
一日目で温度差感じちゃったし。
「この先輩なんでおれより弱いの!」
って
しかも
「これって練習かよ!」とか。
「練習内容が薄すぎる!
おれがメニュー作ってやる!」
みたいな。
お前こんなこと言ってんだったら
春日部共栄でも入れよ!って感じだよねぇ。
自分でも今考えるとすげぇ嫌なやつだった。
「メインになったら主将だねぇ。」
とか言われてて
「当たり前じゃん。」みたいな。
高校1年で
地区の試合やっても
普通に2年生とか3年生に勝ってたから
温度差ってより
すげぇ天狗になってんの。
でもねぇ、不思議と天狗になってるのを
見てる人がいるんだねぇ。
結局、部の主将にも副主将にもなれなかった。
コイツをそういうまとめ役にしちゃうと
最悪なことになるって考えたんだろうね。
それ決めたのは
同じ中学だった先輩なの。
当時は
「この人見る目ないなぁ!」
「そんな肩書きはいらねぇから!」
とか全部その先輩のせいにしてた。
で、二年の後半から
三年生いなくなって
またおれらがメインの世代になって。
そっからまた異常な天狗になってたなぁ。
同年代は5人だったから
団体戦のレギュラー争いもなくて。
高校から柔道はじめたやつもいて
なんだこのレベルは!って。
先生も結構適当なとこあるから
自分達で団体戦の順番考えろ。
ってな感じで。
なんだそれ!ってなってた。
「じゃあ、おれが考える!」って
言ってたの覚えてる。
中学時代は先方でやってきたくせに
「副将やってやる!」って。
これきっと
中学んときの
副将ハってたカズヤの影があったんだと思う。
副将まで勝負決まってなかったら
何とかなるんだ!
みたいなことだったんだろうね。
おれらの世代で初めての団体戦があって
もうそこでも間違ったイケイケモード。
おれだけが。
でもなんか戦う前から
「負ける!」っていうヤツの神経疑ってた。
負けるんだったら家帰れよって。
あと、ひどいことも言うようになったね。
「相手弱いんだから
もっと動いて自分の組み手にしろ!」
とか。
露骨に相手チームに聞こえるくらい
怒鳴ってた。
その大会はボロボロだったね。
そんでなんとか次の大会くらいから
副将のおれにチームの勝ち負け
かかってくるレベルな感じになってきて。
そこで間違ったイケイケモードだったのに
それで勝っちゃうから
歯止めが利かない。
当時なんか知んないけど
緊張なんて言葉おれの中に全くなかった。
「どうしたらこのチームは
埼玉で認められんだ!」
とかなんか完全に
支配しようとしてたんだと思う。
だからもっと嫌なやつになっていって
「なんの技で勝って欲しい?」
とか言い出して
方向がおかしい無敵モード。
そのうち柔道部の主将になったやつは
あんまりおれと口利かなくなってて。
でも間違った中でも
高校から柔道始めたやつが
強くなっていくのはやっぱり嬉しかったねぇ。
部の主将は
先方でなかなか勝てるヤツで
おれの団体での副将ポジション
そこの間でポイントゲッターがでてきたことは
勝つチームとしては
おれの中ですごく重要なことで。
だから初心者のメンバーが
どんどん強くなっていくのが嬉しかったねぇ。
なんか地区大会でボロボロになることは
どんどんなくなってって。
楽しみはね、同じ地区に
あの中学で同年代だったメンバーに会えたり。
地区大会はそういうのも楽しかった。
シード権争いの大会もあって
そのときはチームがかたちになってきて
そこそこ勝てるようになったかなぁ。
結構くじ運も良くて
なんかシード権
取るためにみんな必死だった。
おれはこのモチベーションを待ってた!
みたいな。
あの大会は快感だったね。
1勝2敗とかで
まわってきて
副将のおれが負けたら終わるし、
そういうスリルをすごく楽しんでたねぇ。
もっと刺激をくれ!って。
完全にイッチャってた。
裏投げ(バックドロップ)で
瞬殺したときとか
絞め技で相手気絶させたり
一回も練習してない大技で
一本取ったり。
アドレナリンの量が半端じゃなかったね。
会場から
「お!相手が飛んだ!」って
いう声が聞こえたり
そういう衝撃与えたときも
異常な快感だった。
だって中学の杉戸戦は
引き分け狙いの柔道だったし
今はどんなスタイルでも何とかなっちゃうよ!
っていうのがあったなぁ。
なんだろな。
天狗が宇宙規模になった。みたいな。
このときはかなりの重症だったね。
「今おまえとやったら勝てない」って
中学の頃のメンバーに言わせたときは
「もっとおれの試合を見ろよ!」って
なんかあの頃の
中学時代のメンバーとの会話でも
天狗になりはじめた。
シード権も取って
その繋がりで二回くらい地区で勝てば
このチームで初めて県大会にいけるっていう
ところまできた。
地区大会はこれもまたくじ運が良くて
シードも取ったわけだし。
二回なんとか勝って県大会に出場きまって。
県でベスト8かけた試合で
1引き分け2敗でおれにまわってきて
もし同じ勝敗になったら
ポイント的に一本勝ちが
あるほうが勝ちだからなぁ。
先生が何故か知らないけどこの県大会で
気合入ってて
「お前は絶対に一本勝ちしてこい!」
って言うし。
相手見てこりゃ立ち技だと
あぶねぇなって思ったから
どんなかたちであれ倒して
押さえ込んじゃおうってイメージして。
そしたらイメージどおりなことになって
ものすごいアドレナリンが出て
全てイメージどおりっていう快感。
次の大将は頑張ってたけど
負けちゃったから
団体は埼玉県でベスト16。
今考えると
よくあのレベルで
県の16までいったなぁって思うよね。
あれは素直に嬉しかった。
だけどおれは
なんか遊びに走っちゃった頃の
県大会だったの。
でも自分自身のモチベーションは
まだ高いとこに少しあった。
チームは自信も付いてきたのか
すごくいいモチベーションになったし。
試合する前に
「負けるよ!」っていうヤツも減ってきたし。
最後のほうだねぇ
すごく統一されたモチベーション。
このときすごく
いい具合のチームになってたなぁ。
でもおれは夜通しマージャンやりだして
バイトも週五回入れちゃたし。
なんかもう
気付いたら
おれのモチベーションがなくなってた感じ。
トドメは地区大会の
春日部共栄戦。
0勝3敗で勝敗も決まってて
おれの試合も
もうあの快感は無理だねって。
だって消化試合なわけだし。
そんでなんかあっけなく負けちゃって
おれの柔道はここで終わり。
最後は
体で柔道してたけど
心で柔道してない。
ここで柔道家失格になったわけです。