感動日記 四二三八 人間疎外と将来  令和六年六月十二日 | 雨にも負けず菩薩道

雨にも負けず菩薩道

菩薩の心で人生を生きる。

人間疎外とは、人間が機械の部品のように扱われ、人間らしさが無視され、社会が巨大化し複雑化するにつれて、人の幸せの為という本来の目的を外れ、人間性を失っていくことへの警告として生まれた言葉だそうです。

役所が生成AIを利用して文書を作成する時代になりました。

大手の会社がITなどの機械化により職員を大幅に削減しています。

当然、少数精鋭の集団となり、振り落とされた職員は転職を余儀なくされます。

少数の言わばエリートのみしか企業はいらなくなってしまうのです。

今の内は大手のみでしょうが、この動きは急速に早まります。

一部のエリートと脱落者に分けられてしまうのです。

中間のいない社会になってしまうのです。

金持と貧乏人しかいない社会になってしまうのです。

金持は益々金持になり、貧乏人は益々貧乏になっていく社会が既にきているのです。

しかし将来においては人が働かなくてもAIが普及し稼いでくれる企業などが生まれてきます。

囲碁の世界では、すでに人工知能のアルファ碁なるものが今までの棋士たちのデーターを全く無視し、AI同志の知能から人には絶対負けない囲碁世界が生み出されている様です。

複雑な囲碁勝負において既に完成しているのです。

役所が企業や個人住宅のキラクターを作ったり、観光事業で経営したり、国家全体の利益を分配する業務を行ったりする様な社会であり、国民が遊びながら、暮らす様な社会が到来するかも知れません。

これから10年位は、それまでの過渡期となり色んな問題が起こる事でしょう。

もしかすると貧富の差などから暴動がおこることも考えられます。

しかしながら確実に、急速にAIが企業に入り込んできます。

この様に急速にいわば発展する社会においては人間が着いて行けないのです。

最近は自殺や精神疾患、鬱病の患者が急増しています。

孤独、貧困など様々な原因が重なり合っての事でしょう。

しかし総合的に考えると人間疎外という問題ではないでしょうか。

自信がない、この世に私などいらない、だとするならば、と考えてしまうのでしょう。

政府、国民全体がこの問題の根本を洗い出し人が如何にすれば幸せになるか、人の幸せとは何かを鮮明にしなければならないのではないでしょうか。

切羽詰まった今こそが人間の生き方の進路が求められているのではないでしょうか。

インチキ宗教などに、引っかからないで戴きたいものです。