時間が止まったように感じた時、
あなたは人生の決定的瞬間を経験する!
プロロ-グ
日本のあるテレビクル-が、南米の奥地のとある村に
取材に訪れた時のお話です。
そこの村は、自給自足で村人が平和に暮らしていました。
テレビクル-の取材班の目的は、私たち日本人と全く異なる
異空間ともいうべき、村人の生活を伝えることにあったようです。
取材班が、ある一人の老人に通訳を交えて話を訊いた時の一こま。
「一人暮らしなので寂しくありませんか?」
「孤独ではありませんか?」・・・と訊ねたところ、
返事が返って来なかったそうです。
幾ら、説明しても意味が通じなかったそうです。
「孤独・・・何だね、それは?」
驚いた事に、その村には孤独に該当する言葉は無かったのです。
つまり、孤独という現実は存在せず、その概念も無く、だから、
その言葉さえも無かったという訳です。
その村では、皆が協力しあいながら、助け合って生活していて、
老人などのお年寄りも見捨てることなく面倒を見ていたのです。
私は、本来の人間のあるべき姿を垣間見た思いがしました。
世界中のほとんどの国に存在する言葉・・・孤独。
説明しなくとも直ぐにイメ-ジ出来る現実も存在します。
現実→学習=概念=言葉=認識として頭に刻まれる。
私たちはあらゆるものを現実として捉え、それを元に
あらゆる思考回路を働かせて人生を送る訳ですが、
その現実というものが、如何にあやふやなものであるか。
時として、人間が勝手に創りあげたものも多々あるようです。
いや、ほとんど全てがそのようなものかもしれません。
「所詮、この世の中、お金が全てさ、奇麗事なんて言うな!
それが、この世の中の現実なんだ」・・・と。
しかし、このお金さえもが、こういった村にいきますと、ほとんど
何の意味も持たない事になってしまいます。
そのお金で、外から何か買い物して持っていった時にのみ、
意味が発生するという事になりそうです。
まして、紙幣や硬貨など、犬や猫たちの動物には無用の長物。
しかし、今の世の中、私たちが価値があると信じ込んでいる
紙幣さえもが、ただの紙屑になる恐れが出て来ています。
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ところで、私たちが信じているものに、時間というものがあります。
これなどは、我々に最も現実を感じさせてくれるものです。
この時間によって、生活の全てが仕切られている訳ですから、
まさに、現実の最たるものと言って良いでしょう。
今日まで、何度も目にした言葉が頭に浮かんでいます。
『 時間は存在しない 』
去年、記事にした臨死体験の話から引用します。
http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/1740960.html
全体意識には すべてがある。
全体意識には過去現在未来のすべての出来事
すべての 記憶がある。
過去の記憶 現在の出来事 だけでなく
未来の記憶もある。
ここには 過去現在未来という
・・・ 時間の流れも無い 。
例えるならば すべて現在である。
時間は意識の中に認識としてだけ存在する。
━─━─━─━─━─ 引用終わり
ここでも、認識という言葉が出て来ました。
時間は、現実には存在しないけど、意識の中にだけ存在し、
それを現実と信じきって生きているという事になります。
真実の領域では、時間は存在しないけど、時間があると
錯覚させて、それを現実として認識させることによって、
初めて、現実世界を体感出来ることになります。
その現実世界が、いわゆる魂の修練の場であると・・・
臨死体験したら、我々の現実世界は、過去・現在・未来が
全てつながった一つの曼荼羅の絵のように見えるそうです。
絵・・・ですか。
そういえば、車のレ-スの車体を撮影する時には、大抵、
車体の後に残像のようなものが映しだされてぼやけてしまいます。
ああいった感じで、ずっとつながって見えるのかもしれませんね。
まるで、金太郎飴のように・・・
しかし、少しづつ変化をしている訳です。
その僅かな変化を時間として認識するようにプログラムされて
いるとしたら、全てに説明がつく事になりそうです。
過去・現在・未来が同時に存在するという臨死体験者の仮説に
従うと、そのようにしか理解出来ないのです。
神との対話の一節より引用します。
動いているのはあなたであって、時間ではない
時間は動かない。 ひとつの時があるだけだ。
あるレベルでは、あなたはそのことを深く理解している。
だから、人生で何か素晴らしいこと、意義があることが起こると、
まるで 「時間が止まった」 ようだ、と言う。
時間は止まっている。
そしてあなたも止まると、
人生の決定的瞬間を経験する。
『 神との対話 』 より
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以下 『 神との対話 』 より 抜粋・・・・
...中略....
宇宙飛行士はそれを感じた。
彼等はロケットで宇宙にのぼっていくのだと思ったが、
宇宙で気づいて見れば、地球を見上げていた。
それとも、地球を見下ろしていたのかもしれない !
それでは、太陽はどちらにあっただろう。
上か、下か ? そうではない ! 左側にあったのだ。
そこで、ものごとは突然に、上でも下でもなくて、
横になった・・・・全ての定義が消えたのだ。
それが私の世界 ― 私たちの世界 ― 真実の領域だ。
...中略....
息子よ 進化論者は正しくない。
わたしはすべてを-何もかもを― 一瞬のうちに創った。
聖なる一瞬に ― 天地創造論者の言うように。
そして・・・・あなたがたの言う歳月でいえば
何十億年もかかって進化の過程をたどってきた。
進化論者が主張するように。
彼らはどちらも 『 正しい 』 。
聖なる一瞬 何十億年 ・・・・どんな違いがあるのか ?