「ピスターリ」
とは、ネパール語で「ゆっくり・ゆとり」という意味があるそうで。

ラオスに居た頃、よく
ເວົ້າຊ້າຊ້າ ワオサーサー
(ゆっくり話して)
と使っていたことを思い出しました。

インドネシア語では、
pelan-pelan。プランプラン

どうしてアジア語圏は2回繰り返すことが多いんだろうといつも疑問になるけれども、
どの言語の響きも何故か心地よく胸に響くのでした。


ピスターリ
孔子は、
『歩くことを止めなければ、どんなにゆっくり歩いてもいいのだ』
と言ったそうで。
ゆっくりしてみるから、ゆとりが生まれる所以なのかも。
言い方は違えど、昔から【ゆっくり】する大切さは文化が知っていたのかもしれない。


2015.9.7
コーヒーのみながら 
このコーヒーいくらなんだろうと 考えている
コーヒーのみながら
紅茶にすればよかったと 考えている
コーヒーのみながら コーヒーなんかのんで 
よる眠れないのではないかと 考えている
コーヒーのみながら コーヒーのむ時間があれば
ほかのことができたのにと  考えている

コーヒーかわいそう
           ~『カウンセリング詩』(六浦基著、星雲社)より~



コーヒーが可哀想と思いながらも、
コーヒーのおかげでなにかをできている。

何気ない日常のひと時が、
大事な事だってある。


「自由」 エチュアール 安東次男訳


ぼくの生徒の日のノートの上に
ぼくの学校机と樹々の上に
砂の上に 雪の上に
ぼくは書く おまえの名を

読まれた 全ての頁の上に
書かれてない 全ての頁の上に
石 血 紙あるいは灰に
ぼくは書く おまえの名を

金色に塗られた絵本の上に
騎士たちの甲冑の上に
王たちの冠の上に
ぼくは書く おまえの名を

密林の 砂漠の 上に
巣の上に えにしだの上に
ぼくの幼年の日のこだまの上に
ぼくは書く おまえの名を

夜々の奇蹟の上に
日々の白いパンの上に
婚約の季節の上に
ぼくは書く おまえの名を

青空のようなぼくの襤褸の上に
くすんだ日の映える 池の上に
月のかがやく 湖の上に
ぼくは書く おまえの名を

野の上に 地平線に
小鳥たちの翼の上に
影たちの粉挽き場の上に
ぼくは書く おまえの名を

夜明けの一息ごとの息吹の上に
海の上に そこに浮ぶ船の上に
そびえる山の上に
ぼくは書く おまえの名を

雲たちの泡立てクリームの上に
嵐の汗たちの上に
垂れこめる気抜け雨の上に
ぼくは書く おまえの名を

きらめく形象の上に
色彩のクローシュの上に
物理の真理の上に
ぼくは書く おまえの名を

めざめた森の小路の上に
展開する道路の上に
あふれる広場の上に
ぼくは書く おまえの名を

点くともし灯の上に
消えるともし灯の上に
集められたぼくの家たちの上に
ぼくは書く おまえの名を

二つに切られたくだもののような
ぼくの部屋のひらき鏡の上に
虚ろな貝殻であるぼくのベットの上に
ぼくは書く おまえの名を

大食いでやさしいぼくの犬の上に
そのぴんと立てた耳の上に
ぶきっちょな脚の上に
ぼくは書く おまえの名を

扉のトランプの上に
家具たちの上に
祝福された焔の上に
ぼくは書く おまえの名を

とけあった肉体の上に
友だちの額の上に
差し伸べられる手のそれぞれに
ぼくは書く おまえの名を

驚いた女たちの顔が映る窓硝子の上に
沈黙の向こうに
待ち受ける彼女たちの唇の上に
ぼくは書く おまえの名を

破壊された ぼくの隠れ家たちの上に
崩れ落ちた ぼくの灯台たちの上に
ぼくの無聊の壁たちの上に
ぼくは書く おまえの名を

欲望もない不在の上に
裸の孤独の上に
子の足取りの上に
ぼくは書く おまえの名を

戻ってきた健康の上に
消え去った危険の上に
記憶のない希望の上に
ぼくは おまえの 名を書く

そしてただ一つの語の力をかりて
ぼくはもう一度人生を始める
ぼくは生まれた おまえを知るために
おまえに名づけるために

自由 と。


自由
自由とは選択できることとある人は言っていた
この場に選択して彼らはやってきた


2014.7.23
「ミラボー橋」 アポリネール  堀口大學訳


ミラボー橋の下をセーヌ河が流れ
   われ等の恋が流れる
 わたしは思い出す
悩みのあとには楽しみが来ると。


   日も暮れよ 鐘も鳴れ
   月日は流れ わたしは残る


手と手をつなぎ 顔と顔を向け合おう。

   こうしていると
 二人の腕の橋の下を
疲れた無窮の時が流れる


   日も暮れよ 鐘も鳴れ
   月日は流れ わたしは残る


流れる水のように恋もまた死んでゆく
   恋もまた死んでゆく
  命ばかりが長く
希望ばかりが大きい


   日も暮れよ 鐘も鳴れ
   月日は流れ わたしは残る


日が去り、月がゆく
   過ぎた時も
  昔の恋も 二度とまた帰って来ない
ミラボー橋の下をセーヌ河が流れ


   日も暮れよ 鐘も鳴れ
   月日は流れ わたしは残る


ミラボー
ミラボー橋は彼のさまざまな感情を色濃く残している



2014.7.22
「輪舞(ロンド)」 ポール・フォール  村上菊一郎訳


世界中の娘たちが、みんな手に手をとるならば、
海をぐるりととりまいて、輪舞おどりができるでしょ。

世界中の若者たちが、みんな水夫になるならば、
舟を並べて、波の上に見事な橋ができるでしょ。

だから世界中の人々が、みんな手をつなぐなら、
地球をぐるりとひとまわり、輪舞おどりができようもの。


ロンド
才能や能力に恵まれているかということ以上に、
自分も知らない何かを触発され磨いて外へ出してくれる出会いは、
ふと手をとってロンドを踊った瞬間にうまれているのかも


2014.7.21
少年マーニは自転車のかごに月を入れて,
毎日東の空から西の空へと走って行きます。
ある日やせ細った月が、
マーニに自分を照らす、暑くまぶしい太陽を取ってくれと言います。

マーニが言います。
「だめだよ太陽を取ったら困っちゃうよ」

「誰が?」

「僕だよ」

「どうして?」

「だって太陽を取ったら君がいなくなってしまうから」

「大切なのは、君が照らされて、君が照らしていることなんだよ」


中秋の名月
誰もが誰かのためにいるんだと本は伝えているけど、
一人だったら誰も傷つかないし傷つけられない。
ただ月のまわりには星がたくさんいつもかわらずに光っている


2014.7.20
「ある四月から」 リルケ  藤原定訳


ふたたび森がにおう。
ぼくらの肩に重かった空を
ヒバリたちが 羽ばたきながらおしあげる。
枝々をすかして見る日の光は まだむなしかったのに、
午後には雨がふる日がつづいたあと、
金色の光をあびる。

あたらしい時間にめぐまれ、
そんな時間から逃れようとして
遠くの家々の前面では
すべての傷ついた窓が
こわがっているように 羽ばたく。

それからひっそりとしずかになる。
雨さえもひそやかに
しき石のしずかに暮れてゆくかがやきをぬらしてゆき
ありとあらゆる物音は ひそみ入る、
若枝の かがやいている蕾の中へ。


ある四月
なんだかふとこの景色の中に春を感じた
匂いだろうかなんだろうか
冬のなかにも春があることを感じた
それは冬がくることを知っているからなんだろう


2014.7.19
「ためいき」 モルゲンシュテルン  藤原定訳


ひとつのためいきが 夜の氷の上でスケートしながら
愛とよろこびを 夢みていました。
町の城壁のあたりのところで 城壁の建物は
まっ白にかがやいていた。

ためいきは ひとりの少女のことを思いつめ
熱くなって 立ちどまったのです。

すると――足もとのスケートリングがとけて
彼が落ちこみ――もう見えなくなりました。


グラフ
ためいきは城へむかっていきました
なんだかここからは城も間近に感じられ
ただとどまることの知らないそれは
いつまでも城へむかって流れるのでした



2014.7.18
「きびしい時間」 リルケ  藤原定訳


だれかがいま泣いている 世界のどこかで。
この世の中で理由(わけ)もなく泣いている、
わたしのことを泣いている。

だれかがいまわらっている 世界のどこかで。
この夜中に理由もなくわらっている、
わたしのことをわらっている。

だれかがいま歩いている 世界のどこかを。
この世の中を理由もなく歩いている
わたしにむかって歩いてくる。

だれかがいま死んでゆく 世界のどこかで。
この世の中で理由もなく死んでゆく、
わたしを見つめて。

少女
少女はわたしを見つめている
理由もなくただ一点を見つめて
いや、むしろ
わたしのうしろにあった大きな世界を
見つめていただけかもしれない



2014.7.17
「ある子に」カロッサ  藤原定訳


君のお母さんの家に 雪が降っていた、
お母さんは君のことは なんにも知らなかった、
まだなんにも、どんな眼をして君が
お母さんを見あげるのかも。

星の日なかをお母さんはよく 不安そうに歩いたものだ、
まるで君がくるしめ おどかしているように。
それでもかよわい両手を あてていた
君の血行をまもろうとして。

朝の嵐が 雲の中から太陽をとり出すように
お母さんは暗やみの中から 君の運命をとりだしたのだ。
君はまだ この地上におらず
しかもすでにどこにでもいた。


ある子に
ラオスの諺に、
人は風から生まれ風に戻る
というものがあったような。
風を感じたとき、
それは生命の息吹を感じているのと似ているのかも。


2014.7.16