追憶について三島さんはこんなことを。

「追憶はありし日の生活のぬけがらにすぎぬではないか、
 よしそれが未来への果実のやくめをする場合があったにせよ、
 それはもう現在をうしなったおとろえた人のためのものだけではないか、などと。

 熱病のような若さは、ああした考えに、むやみと肯定をみいだしたりしがちのものである。

 けれどもしばらくたつうちに、
 わたしはそれとは別な考えのほうへ楽に移っていった。

 追憶は《現在》のもっとも清純な証なのだ。

 愛だとかそれから献身だとか、
 そんな現実におくためにはあまりに清純すぎるような感情は、
 追憶なしにはそれを占ったり、それに正しい意味を索めたりすることはできはしないのだ。
 
 それは落葉をかきわけてさがした泉が、
 はじめて青空をうつすようなものである。
 泉の上におちちらばっておたところで、
 落葉たちは決して空を映すことはできないのだから」


追憶
追憶は人によってカタチも違うし見せ方も変える


2015.10.13
麻雀牌は、大きく分けて数牌(シューパイ)と字牌(ツーパイ)の2種類がある。
更にそれらは全部で34種類かつそれぞれ4枚づつ、合計で136枚、ということに。

変じて、この世に地の奥深くには2種類の地獄もあるそうで。

8つの熱地獄と8つの寒地獄。
合わせて16の地獄が更に枝分かれし、136地獄と称されるとか。


136
暑いのか寒いのか、人によっては幸せとも不幸せとも。
現実にだって136ぐらいの地獄はあるはず。

2015.10.7
かつてあるバレリーナがこう語ったそうで。

「どんな人間にもそれぞれの天分というものが与えられていると思う。
 私は、その天分を伸ばしていこうと努力することが、生きるということだと思う」と。

どんな芽でもよく育つ土がある。
ただその土壌に出会うまでに枯れることはよくある話。


芽
日によって風が吹く日もそうでない日もある


2015.9.30
添え木がしっかりしていればオリーブは千年生きるとも。

かつて東北では成らないといわれたオリーブは福島のその地に今しっかりと根付いた。


酒やワインもしこみをしっかり行うことで、やがて発酵しいい酒にかわる。


添え木とは「待つ」という言葉の異名でもあり、
添え木の存在に気づいた人はいつかは自分もその添え木になり、
なにかの成長を待てる人なのかもしれない。


オリーブ
待て、しかして希望せよ

『モンテクリスト伯』最後の言葉


2015.9.28
運の悪い人は運の悪い人と出会い、
性根のいい人はそうした人と出会っていくこの不思議さ。

先日、肢体不自由の子たちと出会った。

かつて、
「選択が出来ることが自由なのよ」
とそのネイティブの先生は自由について教えてくれた。

彼らに選択の余地はあるのだろうか。

そもそも選択する自由こそ、
自分たちの何かを不自由にさせているのではないんだろうか。

目には見えない基底部では、
人と人、人と環境、すべての出会いを左右するなにかがあり、
その器ともいうべきものは決して単純ではないものなような気がする。

その一人ひとりがもつ器というものは、
運命という名で本人に気づかれないようにひっそりと生き続けているのかも。
当人が死して尚、その器は壊れることがないものなのかも。


器
三色の蒼い器にはすべての感情や歴史がすべて凝縮しているような。
だから、みる人によってそれはそのままの器で返ってくる


2015.9.26
かつて三島さんは、

「もし忙しい人が、三島の小説の中から一編だけ、三島のよいところ悪いところすべてを凝縮したエキスのような小説を読みたいと求めたら、『憂国』の一編を読んでもらえばよい、と書いたことがあるが、この気持ちに今も変わりない」

と語ったそうで。


武山中尉とその麗子夫人の2.26事件の背景に纏わる話になっているけど、
色にたとえるならグレーのような、
天気でいうなら曇り空のようなトーンで進んでいく内容だった。


人はなにに生きがいを感じ、遂行するのだろう。
死を通しても得たい欲求は、からだのどこの欲望なんだろう。


憂国
《迷う、ということは一種の欲望からきているように思う。ああもなりたい、こうもなりたい、こういうふうに出世したい、という欲望から迷いがでてくる。それを捨て去れば問題はなくなる》
とは、松下幸之助さんの言葉。

中尉と麗子夫人には迷いはなかったんだろうか。


2015.9.22
フランス南西部ボルドーは月の港という異名が。

今でこそワインの名産地。巡礼地の寄り道としても名高いとか。


ここでは3人の偉人が生まれ育ったことでも有名だそうで。


『エセー』のモンテーニュは、

《目指す港がないような航海をしていたら、どんな風が吹いても助けにならない》
《世の中には、勝利よりももっと勝ち誇るに足る敗北があるものだ》

と。

『法の精神』のモンテスキューは、

《愚か者は、まじめさを盾にする》
《幸福を数えたら、すぐ幸福になれる》
《少しをするために多く学んでおかねばならぬ》

と。

そして、ノーベル文学賞作家のモーリアックは、

《パリは人間のいっぱい住んでいる孤独である。田舎の都会は孤独のない砂漠である》
《君が幸福である限り、君は多くの友達を数えることができよう。だが、形勢が悪化した時には、君は独りぼっちになるだろう》

と語っていたそうで。


ボルドー
流れる水が一滴たりとも同じではないのに常にそこにあるように、
ここボルドーの港にも多くの人が行き交う


2015.9.21
生も愛もうら若き頃を、いのちより奪われて、ここに殉教のいとわかきものよこたわる


ワイルドはこう言い、詩を書く少年は予定調和を信じた。


《花火みたいに生きよう。一瞬のうちに精一杯夜空をいろどって、すぐ消えてしまおう》


彼はこうも強く思ったそうで。


墓
花火は一瞬の花。海は永遠の流れ。
どちらがいいとも限らないけれど、そのときの気持ちでどちらがいいかが偏ってしまうんだろう。


2015.9.19
ハンティングの際、姿をみせない獲物がその存在を、
例えば排泄物や足跡、折れた枝で示すとき、
それを新鮮な道しるべであることから【フレッシュ・サイン】というそうで。


村上龍著『愛と幻想のファシズム』を読んだ。

よくみてみれば自分が生まれた年の発行だった。


主人公はハンターの青年。
この世のすべてが真実ではなく、
虚構でつくりあげられている事実にヒューマニズムの抜け殻を感じる。

政治、経済、法律、教育、金融あらゆる接点がリアルに描かれ、
すべての大きな壁として存在していた世界でその脆さがあった。

ガンジー・キング・ヒトラーはそれぞれの【正義】を掲げ、
人々に支援されながらその【正義】を実行した。

【正義】は力の象徴だし、勢いがある。軸となり、回転する。


日々の生活で、どこに【フレッシュ・サイン】を見つけるだろう。
なにをみて【フレッシュ・サイン】とうけとるだろう。

何を手にするかで、次のサインも出方をかえてくるのかもしれない。


フレッシュサイン
犬にとってここは天国かゴミ山か。


2015.9.11
ジョン・マロリーとは世界の著名な登山家。

彼が生きていた当時、1920年代、まだ未踏で神々の領域とされていたエベレストへ試みたそうで。


1923年、ニューヨーク・タイムズ紙のインタビューで
「なぜエベレストに登るのか」
という質問に対して、
《Because it is there》(そこにそれがあるから)
と答えた言葉は彼の名よりも有名だとか。


それは無謀だ、
と多くの人が問いかけたところで、
何かを成し遂げたときに背中にズドンと突き抜ける快感がどうしても忘れられないのかも。
誰しもが経験できるわけではない最高の快楽を。


富士

吉川英二は『宮本武蔵』の中で、
【あれになろう、これになろうと考えるよりも、あの富士のようにどっしりした人間になれ】
と言ってたような。

山をみて、山を学ぶ。
山は山に入るものに対して平等に、均等に、何かを分け与えてくれているのかも。


2015.9.8