アフリカ史の入門書なるものとされてる一冊。

「浮遊するアイデンティティ」の可能性について、
様々な視点から、過去から未来までみていこうと。
むしろ、アイデンティティが浮遊してでもないと
互いに関わり合っていけないものか。


特に読み込んでしまったのは、
先進国の科学神話の起こしてしまった責任のようなもの。

80年代、アフリカではさまざまな国が
これは革新的な制度だ、方法だ、発明だ、旱魃で困らないようにと、
アフリカの地で開発を行っていた。

牧畜民に対しては、乾燥地帯に住んでいるということで、
井戸を掘り定住化をすすめるプロジェクトを推進した。

農耕民に対しては、彼らの伝統的焼畑農法は近代的ではないと、
化学肥料とハイブリッド種の導入による商品作物の生産が奨励された。


そして、事実旱魃が襲ってきた。

かつて定住する前のように、
井戸のまわりに住む牧畜民は家畜を減らすことなく、
周辺の草原を丸裸にし、結果自らの首を絞める形となってしまった。

遅れたアフリカ社会を立て直そうと農業にも力を入れていたが、
化学肥料やハイブリッド種はアフリカの土壌に合わなかった。
むしろ、侵食を産み、毎年酷使したために、土地は耕作不能となった。


中国の故事に「助長」という言葉があります。

育ててもなかなか生長しない作物の苗を、
「だから、少しずつ引っ張ってきた」
というお父さんの発言に驚いた息子が実際畑に行くと、
作物が全部本当に枯れてしまったというお話。

現在、意味には
1、助け育てること
2、成長を早めるつもりで、無理に力をくわえ、逆に害すること

の2つがあるそうですが、
最近では、1の意味を多く使うみたいなんだとか。


人をゆったりと健やかに育てるには、
その人の成長にあわせてじっくりと支えてあげることが大切だという、
孟子から弟子への教えだそうですが、
よかれと思って手を差し伸べるのは、
誰もがしてしまいそうな行いなのかと。

5udaのブログ-power
そんな助長なんかに負けない彼ら


2012.11.22
児童詩集『たいようのおなら』
その中に、次のような詩がありました。


「ゆき」

ふくのうえにとまって
なかにかくれて
ねてしもた



「たいようのおなら」

たいようがおならをしたので
ちきゅうがふっとびました
つきもふっとんだ
星もふっとんだ
なにもかもふっとんだ
でもうちゅうじんはいきていたので
おそうしきをはじめた


ゆきをみて、
今では雪としか思うことしかなく、

たいようをみても、
太陽があるとしか感じない今の自分にとって、

彼らの世界を知れることばは、
言葉以上の価値に感じました。



「間違って見るよりは、盲目であったほうがよい」
と、イギリスの詩人兼神学者のハーバードは言ったそうですが、

何かを外見だけでみたり、
自己勝手な判断は、
それだけで損しちゃうのかもしれないのかなと。


5udaのブログ-少女
少女

5udaのブログ-窓からみえた子どもたち
彼らはどんな世界をみてるのだろう


2012.11.21
すでに人格があるという三児。

教員の風邪を気遣って、
「あとは俺がやるから、大変だったら言ってな」という粋な男児。

明日6時発で東京に行くというと、
「何時何分にどこそこで乗り換えると、9時に着くよ」とある意味便利な子。
北海道までの道のりも頭に入ってるとか。

5年後の誕生日の曜日を瞬時に計算しちゃう子とかも。


その後久々に会っても、
その頃とあんま変わんないらしい。


三児。


そういえば、
その頃補助輪付きの自転車に乗って、
警察に捜索されるまで遠くまで行った気がする。
遠い記憶だけれども、なんだかわくわくした。
怒られたけれども、何故だか温かい記憶とともにある母の手。

三児といえども自分の意思で生きている。
何も知らないわけじゃない。
何も学んでないわけじゃない。
わかってないのは、保護している気でいる大人かもしれない。


5udaのブログ-泣く三児
泣く三児

5udaのブログ-考える三児
考える三児


2012.11.21
なんだかんだで日記を書き始めて10年になったことに気づいた。

途中で何どもやめそうになったけれども、
なんだかんだで続いてる。
やめないことのコツは単純にまた始めるということで、
ただ始めるのには結構体力と気力を使うし、しんどい。


振り返ると、
時間というのはあっという間ということ。

だから、今から何か新しいことをはじめるのもいいかもしれないと思った。
10年間て、あっという間。
2002年は最近に感じるし、
2022年はちょっと先に感じちゃうのは、
まだまだ時間を無駄にしてるのかも。

続けてきたことをまた始めるとき、
何か新しいことを始めるとき、
いずれにしても始めることはわくわくするかと。

5udaのブログ-学校にいた子ども
学校にいた子ども

5udaのブログ-座る子たち
座る子

5udaのブログ-教室の窓からの風景
教室の窓からの風景


2012.11.20
宮本輝の五千回の生死を読んだ。

すべて短編で内容というならば、
主人公は小さい子から老人、年齢不詳等なのだけど、

1日に五千回も死にたくなったり生きたくなったりする、
変な男との友情物語があったり、

トマトが食べたいと行って死んでった労働者の残した1通の手紙の話があった。


話は常に唐突に始まる。
何気ない日常の、
何気ない人々の生活が。
今過ごしているこの空間から何も変わらずに。
だからなのか、余計に身体にすーっぅと物語が入ってくる。
だからなのか、不思議と身近に感じる。

描かれているのは決して特別な人ではない。
強くもないし器用でないし、むしろ悩んで苦しんでもがいている。
なんだか、がむしゃらに生きてる。

あぁ、こういう本っていいなって思った。

5udaのブログ-身を乗り出す子ども 裏
身を乗り出す子ども 裏

5udaのブログ-身を乗り出す子供 表
身を乗り出す子供 表


2012.11.20
8月に知り合った友人から、1枚の絵が送られてきた。
彼は、お世話になった人・感謝したい人に自分の気持ちを伝えるために
絵を描き始めたそうで、
そのうち、ふと出会った人にも描くようになったんだとか。

まだ描き始めて数ヶ月の彼の瞳は、
絵に対する情熱それそのものが現れていて、
自由な時間全てを絵に捧げていました。

「始めることは半分を成し遂げたに等しい」
と誰かが言ってましたが、
熱意をもって何かに捧げるその時間が、
今の彼にとってとても大切で貴重なものだと感じたとき、
改めて時間の価値を感じさせてもらいました。

何かをはじめるのに遅すぎることはない。
むしろ、はじめないことの方が、
はるかに時間を有意義に使ってないのかと。

$5udaのブログ-絵
天と地を指す絵

2012.11.19
ここではどこを歩いても砂が舞う。
行く手を遮るように、ときには何かを導くように。

砂に包まれた生活に気づくのは、
大抵の人が洗濯をするときなのだろう。
茶色い彼らが洗っても洗っても、
変わることなく自分の色を出し続ける。
まるで自分の存在が今しか出せないかと思って焦っているように。

砂は舞う。
一気に車社会と化したこの地域で、
どすの効いた、日本では到底嗅ぐことのないような、
黒煙とともに。
そうして道沿いを歩く人々の頭の上に、
等しく降りかかる。

砂は舞う。
自分の意志とは無関係に。


5udaのブログ-amazing
今日会った子

5udaのブログ-child
近所のよく遊ぶ子ども

2012.11.19
本当の天使は、自分を悪魔と思っているかもしれない。
本当の悪魔は、自分を天使と思っているかもしれない。

他人の傷に気づけるのは悪魔だった天使かもしれないし、
他人をいつまでも傷つけるのは天使の顔した悪魔かもしれない。


$5udaのブログ-angel
無条件に天使な彼ら

2012.11.18
賃借の表だとか、支出・収入とかの
会計の勉強をしました。

なんだか会計の始まりは、
フェニスの商人だったとか。

借金をして沢山いろんなものを買い込んで、航海にでる。
航海から帰ったら、儲けているのかどうか監査する。

会計には継続性が大事なそうですから、
小さな1つ1つの品目の計算が、
必ず合わなければならないとか。

生活に当てはめれば、
時間とかお金とか努力の支出も、
何かの形で収入になっていけばいいのになと。

たまに監査してくれる友人は、
大切にしたいものです。

5udaのブログ
空をみるという支出

5udaのブログ-children
動くという支出と出会いという収入


2012.11.17
「boss,money. i want to eat」と差し出す手、
その手で得体の知れない黒いものを頬張り、
客の残した残飯をビニール袋に入れまくる。


声が聞こえないふりをした。
触られても無視をした。

裸足の彼ら。
ボロボロになった布切れの服。

今日はなんだか目を合わせられなかった。

$5udaのブログ-moon
月もなんだかどんより見えた

2012.11.16