自分の持ってた吉川英治の『三国志』の帯に
ちょこちょこ抜粋されてた、
『現代青年道 酒に学ぶ』。


「何故子どもに酒を飲ませてはいけないかというと、
 酒というのは刀のようなもので、
 扱い方をしらなければ、
 自らを傷つけてしまうからだ」


というような、お酒にまつわるコラムがたくさんあり、
お酒に関して、全然違った見方を教えてくれたもの。


昨日はナイロビで働いてるおじさんに
中華料理、bar2店舗連れていってもらいました。


が、お酒の扱い方を知らない子どもになってしまいました。
こないだは中国の52度の白酒ガブガブ飲んでも平気だったのに。

そーいえば、3年前ぐらいに
真冬の旭川で、
急性アル中で救急車で運ばれたっけ。

お酒って飲み方と飲むコンディション次第なんだなと、
再認識した1日でした。気を付けないと。


そういえば、
昨日のおじさんの言葉がなんか印象に残った。

「お金を1円でも貰ったんなら、プロ意識もたないと。
 金額どうこうじゃなくてね。
 仕事ってそういうもんだと思うよ。
 お金でみてると、仕事がつまんなくなるかもね」



$5udaのブログ-collegue
いつもお酒の話で盛り上がる国内でも有名な建築家


2012.12.2
『罪と罰』とかで有名なドフトエフスキーさんは、
「習慣というものは、人間にどんなことでもさせるものだ」
と言ったとか。

可能性は才能ではなく、習慣で拓くと言いたかったんだろうか。

いい習慣は時間を創るんだろうけど、
よくない習慣は時間を奪っていくんだろう。

今年も残り1ヶ月。


$5udaのブログ-walk
歩くという習慣


2012.12.1
人はいくつのペルソナ(もう1つの顔)を持ってるんだろう。

本当は泣いてるのに笑ってる仮面をつけ、
真実を言うかのように嘘の仮面をつける。

いくつもの仮面をつけてる間に、
本当の顔を忘れ、
仮面が本当の顔になるんだろうか。

理想の仮面
過去の仮面
他人の仮面

どれをつけていくんだろう。

5udaのブログ-truth
真実の仮面

5udaのブログ-future
未来の仮面


2012.11.30
タバコの煙がゆらゆらと揺れるから、
そこに風があることがわかる。

なにかあるから、
心も笑ったり泣いたり喜んだり悲しんだりする。

みえるもののうしろにある、
みえないものをみていたい。


5udaのブログ-べいびー
みえない未来 みえる寝顔

5udaのブログ-sもーく
タバコの煙


2012.11.29
これまた教育実習のときに、
先生が生徒に話していたものです。

小林正観さんという人の
『100%幸せな1%の人々』
からの引用だったかと。


《私は三十歳で結婚しまして、なかなか子供ができなかったんですが、
 三年たってやっとできた子供が障害児でした。
 
 この子が小学校六年生のときにこういう事件があったんです。
 その日は運動会で、朝、その娘と母親が手をつないで出かけようとしていたときに、
 母親がとてもニコニコしてたものですから
 「なんか、えらくたのしそうだね」って声をかけました。
 私は、原稿を書かなくてはいけないので、一人家に残る。妻がこう答えました。
 「今日は、もしかするとうちの娘がビリじゃないかもしれない」って。
 どういうことかといいますと、娘は、染色体の異常で体の筋肉が人の半分しかなくて、
 基礎体力も筋肉も発達してないがゆえに、走らせると人の三倍から四倍かかるんですね。
 小学校一年生から四年生までは50メー走なんですけど、
 五年生から100メートル走になる。
 ずーっと八人で走って八番目。つまり、いつもビリだったんです。
 まあ、私も妻も、勝つ必要はないって思っているんですけど
 「今日は、もしかするとビリじゃないかもしれない」と、
 妻がニコニコしながら言っている。
 「どういうこと?」って聞くと、
 クラスの中に一週間前にケガをした女の子がいるんだそうで、
 足首に包帯をグルグル巻いて一週間通っている。
 「ケガをしているんだから、徒競争はやめたら」って先生が言ったら
 「いや、どうしても走りたい」ってその女の子が言ったんだそうです。
 で、その女の子と娘が最終組で走ることになった。
 もしかすると、はじめてうちの娘は七位になるかもしれない。
 七位になろうが八位になろうが,全然かまわないし、こだわってないんですけど、
 嫁さんがそんな話をしながら楽しそうに出かけて行きました。
 
 で、四時ぐらいに、またニコニコして帰ってきたんですね。
 「どうしたの。楽しそうだけど、七位だったの?」
 「それがね、やっぱり八位だったのよ」って言うんです。
 私はケガをしていた女の子はどうなったのか知りたかったので、
 「その子はどうなったの?」って聞きました。そうしたら、こういう状況だったそうです。
 ヨーイドンで走り出して、他の子供たち六人が50メートルぐらいの所にいたときに、
 娘は15メートル、ケガをしているので足をかばいながら走っていた
 その女の子は10メートルぐらいの所にいたらしい。
 娘の方が速かったらしいんですが、
 その10メートルぐらいの所でその女の子がケガのためやはり走りにくかったんでしょう。  「キャッ」と声を出して転んでしまった。
 その転んだのを見たうちの娘が、「どうしたの?」って足を止めて、
 トコトコと逆走しまして、その子を助けあげて、その子の腕を持って、
 ずっと残りの90メートル一緒に走って、ゴールの手前で女の子の背中をポンッと
 先に押してから自分がゴールに入ったそうです。
 でね、結局ビリだったんです。また。
 でも、ゴール手前10メートルぐらいの所で、
 もう一度テープが張りなおされて会場が割れんばかりの大拍手、
 大歓声に包まれたということなんです。
 「とても感動的なシーンだった」って嫁さんが言ってました。
 結果としてビリだったんですけど、
 うちの娘は帰ってきてもニコニコしながらテレビを見ているという状態だったんです。
 
 その話を聞いたとき、私は非常に衝撃を受けました。
 私たちは、小・中・高校と学校でも家庭でも社会でも
 「ヨーイドンって鳴ったら、必ず一位、二位へ飛び込め」って、
 そういう教育しか受けてきてないんですよね。
 わけがわからず、ただゴールに飛び込むことしか考えないでずっと走ってきました。
 人より抜きん出ること、人よりもたくさんの努力をしてその努力の結果が
 幸せになることの証であると信じ込まされてきました。
 それしか価値がない、それが当たり前だと思って生きてきたんです》


幸せの証、価値の在り方。
この話からはなんだか、
競争するのがいいとかわるいとか、
幸せの形がどうとかこうとかじゃなくて、
まわりの人と違う行動ができたんだからすごいんかなと。

いずれ彼女もなんらかの葛藤の末、
自分を優先することがあるかもしれない。

でも、それでいいんだと思う。

自分のためとか誰かのためとか極端じゃなくて、
どっちかがいいとかわるいとかじゃなくて、
そのとき思った行動ができれば。

どっちの自分も知って、
どっちの他人も知って、
好きな方を選んでいけばいいんじゃないかと。

それができたら、
ある意味それが幸せの形なんかな。

5udaのブログ-ムエンダも日々何かの選択をしている
ムエンダも日々何かを選択している

5udaのブログ-競争ではなく協力
競争ではなく協力


2012.11.28
いつも何をしてるだろう。

1時間ぐらいランニング。
寝る前には少しの読書。
ちょこっとだけ勉強。
明日の仕事の準備。

たまには掃除と料理。


スティーブン・キングは
学校の先生をやりながら、
帰宅してからとか、土日も小説に時間をこじ開けたんだとか。
きっと好きだったんだろうな。

ずっと昔母に
「時間とお金は命だから、
 何に使うかで自分の人格が決まるんじゃないの」
と言われた。
ツッコミどころ満載の発言だったけど、
印象に残った言葉だったから覚えてた。


1日4時間、帰宅してから時間があるのならば、
30歳まで約300日間の時間がある。

これから何をしよう。
それを少し考えた夜。


5udaのブログ-若人
若人

5udaのブログ-老人
老人


2012.11.27
自然の岩盤浴。
昼間の太陽光をしっかり食べてくれたせいなのか、
じわじわ身体から汗がでる。

あー、気持ちいい。
やっぱりお風呂が好きなんかなと思った瞬間。

顔を真っ青な空に見上げると、
いつの間にか目が閉じる。

ふと気づくと、
聞いたことのない
「ぽーちゃらぴーちゃらぴー」
という鳥の鳴き声。

遠い向こうからの、
むずんぐ(外国人)を不思議そうにみつめる子どもの視線。

一瞬どこにいるかわからなくなった。


そういえば昔、
北海道のトマムという田舎に住んでたとき、
よく友達と森のなかに探検しに行ったことを思い出した。

爆弾きのこをみつけては、
思いっきり踏んで、
そこから飛び出す胞子か何かを被って楽しんだ。

ターザンごっことか言って、
蔓に捕まって、森の神秘を身体で感じてた。
その蔓で、
木のかごを作ったもんなら、
家の庭で鳥がそこに巣をつくってた。
楽しくて毎日雛鳥に自分もえさを与えてた。

過去を思い出す不思議な岩盤。
意外に過去の記憶は、身体が覚えてるもんなんかな。

5udaのブログ-岩盤浴
岩盤浴

5udaのブログ-空
寝てた角度の空


2012.11.26
「立ち止まらない限り、どんなにゆっくり歩いてもいいのだ」
的なことを孔子は言ったとか。

立ち止まるってどういうことなんだろう。
諦めとか、絶望とか、考えすぎるとか、
どうせとか、もうとか言って、
あれこれ理由をつけて、やめてしまうことなんだろうか。

「言葉はその人の影のごとし」
とプラトンは言ったのだから、
これは憶測にしかすぎないのだけど、

考えるに、
とにもかくも、
歩き続けよう、そうしたら
そこに道は必ずできるんだから。
と、彼は言いたかったのだろうか。

そしたらきっとこういう言葉も付け加えても大丈夫なのかと。

「立ち止まらない限り、どんなにゆっくり歩いてもいいのだ。
ただ立ち止まってしまったら、一度ゆっくりまわりをみてみよう。
また歩きたくなるんだろうから」

5udaのブログ-流れ作業
5udaのブログ-くわ
1つ1つの作業が教室をつくってく


2012.11.25
同語反復と訳されるトートロジー。

同じことを表す同じ語の無意味な繰り返しなんだとか。

「馬から落ちて落馬した」
「正義は正しい」
「お腹が腹痛」


日常に当てはめられるなら、
トートロジーって同じ過ちの繰り返しになるのかも。
過ちに気づけないぐらいちょっとした、
しかもその過ちそれ自体に慣れてしまったとか。
だから、無意味に無意識にそれを繰り返しちゃうかと。
ちょっとしたことだから寝て流して、
毎日疲れちゃうからあんま気にしてないけど、
実はちゃんと向き合うと自分が嫌だと思ってることとか。


ただ、トートロジーを持続・反復って意味にできるんだったら、
そういうプラスのトートロジーの毎日でいたい。

無意味にみえることを淡々と。
無意味なことをバカみたいに。

無意味なことも繰り返したら、
きっと意味あることになるんだろう。

無意味って決めつけてるのも、
小さい自分の判断なんだから。

$5udaのブログ-トートロジー
過去の無意味な選択がみせてくれた今


2012.11.24
辺見庸の『ゆで卵』を読んだ。

ぽくぽくゆで卵を食べる男の話。
今この瞬間、世界中で何千万というゆで卵たちが
ぽくぽく人の口に入っていく。

どんなとき、ゆで卵を食べるのだろうか。
何を考えながら、食べているのだろうか。

サリンの朝、彼はそこにいた。
指先にこびりついたその匂いは、
ベトナムのニョクマムに似た匂いだったとか。
それはまた、ゆで卵の生臭いあれに似た匂いでもあったとか。

プリン、するめ、ほや、木苺、ステュウ、シリアルとか
たくさんの食べ物の名前が短編の題字になっているのだけれども、
どれもこれも、いろんな匂いのする本。

いつも彼の文章からは匂いがする。
そこにいないと感じられない、
雰囲気だとか、人の視線だとか、頭の中で考えてることとか、
そういった匂いが。

きっとぽくぽくゆで卵を食べるとき、
彼の本を思い出すんだろう。

$5udaのブログ-ゆで卵
ケニアのサラダ的ゆで卵

$5udaのブログ-egg
木材を運ぶ男たち 彼らもまたゆで卵を食べるんだろう


2012.11.23