訳し方が違うかもですが、
物事(テーゼ<正>)には、必ず問題点や矛盾(アンチテーゼ<反>)があって、
それを乗り越えた先には、解決策(ジンテーゼ<合>)があるのでは、
というヘーゲルさんの弁証法の考え方です。

解決策を生み出すには、
アウフヘーベン(止揚、揚棄とか、矛盾を解決するとか)
という、過程を通ります。

アウフヘーベンとは、元々ドイツ語で
「廃棄する、否定する」という意味で使われているそうですが、
「保存する、高める」という意味ももつそうで、
それをあえてヘーゲルさんは使ったそうです。

チーム内においてどうしても気の合わない人といるとき、
将来の進路の過程でどちらかを諦めざるを得ないとき、
前に進むためには何かを犠牲にしなきゃいけないかもしれないけど、
一歩立ち止まってアウフヘーベンすることで、
よりよい何かを生み出すことも。

昔先輩に
「相談出来る人が相談される人になる」
と言われました。

最近進路をよく考えます。
アウフヘーベンは、なかなか1人じゃできないだろうから、
誰かとあったり、
本を読んだり、
自然と触れたりして、
考えていこうと思います。


5udaのブログ-seeing
じっくり見てる子

5udaのブログ-way
今日歩いた道

5udaのブログ-digging
用水桶用の穴を掘る女性

2012.11.15
「げーげー」

と、今日は訪問した学校の子どもたちが
「あくしゅ、あくしゅ」
と寄ってきました。

ここでは握手は挨拶に必ず必要で、
毎日朝から夜まで、どこでも見かけます。
1日に何回会ってもするものだし、
その瞬間、みんな嬉しそうな顔をしながらするもんだから、
握手って大事なんだな、と伝わってきます。

普段は、むずんぐー(外国人)と言って寄ってこない子たちですが、
今日は誰かが握手しているのをみて不安がなくなったのか、
次々と手をさし伸ばし、嬉しそうに手を握ってきました。

小さなこの手が、
いつか大きな夢を掴んで欲しいなと思いました。

5udaのブログ-hand
あくしゅ

5udaのブログ-ecd
子どもたち

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泣く子

5udaのブログ-road
今日歩いてた道


2012.11.14
松下幸之助は、誰よりも先に会社に出てトイレ掃除をしていたとか。
本田宗一郎は、会社のど真ん中にトイレをおいて、みんなできれいにしようとしたそうです。
タモリもお師匠さんに、どこに行ってもトイレ掃除をしろ、と言われたから実践したと。

掃除にどんな意味があるのかはわからないけど、
誰もやりたくないことをやるのだから、
それで誰かが助かってるなら意味はあるのかと。


何かをきれいにするとき、
それは何かをはじめるきっかけをつくっているのかもしれません。

みえるとこをきれいにしていくから、
みえないところも整えていけるのかもしれません。

時間があるからきれいにできるのではなくて、
きれいにするから何だかゆとりが生まれてくるのかも。

もちろん自分のスペースはきれいな方が気持ちいいけど、
誰かがいるところをきれいにすることは、
相手のゆとりも作っていることになるのかもしれません。

誰かが今までそうしてくれてきたんだろうから、
これからはそこに気づきたいし、
自分がそうできるようになったらなと。

2012.11.9
『星とたんぽぽ』 金子みすゞ

 青いお空のそこふかく
 海の小石のそのように
 夜がくるまでしずんでる
 昼のお星はめにみえぬ
         
 見えぬけれどもあるんだよ
 見えぬものでもあるんだよ

 ちってすがれたたんぽぽの
 かわらのすきにだァまって
 春のくるまでかくれてる
 つよいその根はめにみえぬ
    
 見えぬけれどもあるんだよ
 見えぬものでもあるんだよ



停電というスイッチが入ると、
目の前には満天の星空が広がります。
停電は自然の断りというか、どんな感情よりも
一種の諦めのような感覚を運んでくれます。
停電がなければ、
今日あんなにたくさんの流れ星を
ゆっくりみることはできなかったんだと思います。
みえなかったものをみせてくれる停電は、
たまにはいいもんだなと思った夜でした。

$5udaのブログ-停電の日の昼間
停電の日の昼間


2012.11.6
教育実習のときの先生が、生徒にどっかの高校生が書いた新聞の記事を紹介してました。


『私は歩いて十五分ぐらいの駅まで行こうとタクシーをとめました。
運転手さんが「どこまで行くの?」と聞いたので「駅までお願いします。」と答えると
「それだったら降りてください。」というのです。
そして運転手さんは
「乗車拒否してるんじゃないんだよ。私にもね、あなたくらいの一人娘がいます。
若い人は歩くべきです。そんな近い所、タクシーを使ってはいけません。」
「でも友達と約束した時間に遅れそうなんです。」
「それだったら走っていきなさい。きっと間に合うから。」

私は仕方なく「すみません。」といって走り出しました。
恥ずかしさと何とも納得できない気持ちで走りました。
でも駅について息苦しさと汗とともになぜか涙が出てきました。
そして運転手さんに言い忘れた言葉があるのに気がつきました。
それは運転手さんにお礼を言わなくてはならなかったことです。
私は自分の「甘え」を教えられたのです。
右を向いても左をみても、もうけ主義の世の中で、
あんなに若者の将来を考えてくれる人がいたのです。
運転手のおじさん、よいお勉強をさせてもらってありがとう。
心から反省しました。無事故とご健康を心から祈っています。お宅のお嬢さんにもよろしくね』


この話を元に先生は、損得勘定でものごとを考えたらもったいない、
本当のやさしさってなんだろう、と生徒に語りかけていました。

何か自分の想いを伝えるとき、
自分ではない第3者の言葉というのは、
自分の言葉以上に相手に伝わることもあるんだなと、思った記憶があります。

見ず知らずの人に叱られたことはありますか。
叱ったことはありますか。
そんなことを振り返えれたお話でした。


2012.10.14
「リード大学は当時、calligraphy(装飾文字)では国内で最高峰だった。
 僕はクラスをとって描き方を学ぶことにした。
 それは美しく、歴史の重みと、科学では計れない芸術的な繊細さがあった。
 僕は心から夢中になった。
 ただそのときは、これが人生において何の役に立つのかわからなかった。
 しかし、10年後、最初のMacをデザインしているときに、
 ふいに、当時のことがよみがえってきたんだ」

これは、スティーブン・ジョブスがスタンフォード大学で行なったスピーチの一部です。


今取り組んでいることの意味なんて、考えてもしょうがない。
振り返ってそれが今とつながるとき、
何かのかたちに生まれ変わるのかもしれません。

でも夢中になったという記憶が、
手や足に残っている人は、
その記憶を思い出しやすいのかもしれません。

$5udaのブログ
出会いも1つの点


2012.10.13
ギリシャの哲学者ヘラクレイトスは、
「万物は流転する」(パンタ・レイ)
と言ったとか。

同じようにみえる川も、
同じ水が1滴もないように、
同じ日々は決してないんだろう。

何もないようにみえるところにも、
いつか水が流れるんだろう。


雨季が近づいているのか、
音のないかみなりがたくさんみえました。

今は音のないかみなりが、
そのうち、大きな音になって、
この地に大きな恵みをもたらすんだと思いました。


5udaのブログ-river
水のない川
5udaのブログ-road

5udaのブログ-sky
かみなりの前の空

2012.10.11
いろんな村の学校に行くのに拠点にしてるボンドニという場所で、
カボという男の子と出会いました。

彼は耳が聴こえないのですが、
いつも笑顔で弟の世話をしています。

お父さんお母さんは、お食事処を営んでいるので、
そのお手伝いもしています。

身体を使った会話しかできませんが、
一緒に絵を描いたり、お手玉を教えたり、踊りながら、
笑い合ってます。

彼と出会って、昔誰かが教えてくれた3つの幸せの話を思い出しました。

これはその時とは違う話ですが、
鍵山秀三郎さんというイエローハットの創業者が言ってたことです。


『人間はひとりの例外もなく、幸せに生きたいという願望を持っています。
 ところが、どうしたら幸せな生き方ができるのか、
 具体的にわからない人も多いのではないではないかと思います。
 幸せには三つあるといわれます。
 ひとつ目の幸せは「してもらう幸せ」。
 赤ちゃんのとき誰もが、お腹がすけば泣いたし、オムツが濡れれば泣きました。
 するとお母さんが飛んできて、おっぱいを含ましたりして、オムツを替えてくれました。
 そのとき私たちは幸せでした。これが「してもらう幸せ」です。
 二つ目は、自分で「できる幸せ」。
 字が書けるようになった。ひとりで自転車に乗れるようになった。サッカーがうまくなった。 何でも自分でできるようになると、偉くなった気がしてうれしいものです。
 これが「できる幸せ」です。
 そして最後は、人に「してあげる幸せ」。      
 人に物を差し上げる、何かをして差し上げる、相手の喜びをわが喜びとする。
 そんな人は、人から好かれ頼りにされます。
 「してあげる幸せ」は三つの幸せの中でも最高のの幸せです。
 私たちも「してもらう幸せ」から「できる幸せ」へと進み、そして「してあげる幸せ」を味わ える人生を送りたいものです。』


《日本を美しくする会》の会長を務めたり、
世界に「トイレ掃除」の活動を広め、
荒れた学校や暴走族の青年を掃除を通じて立て直した実績をもつ人の言葉には、
なんだか重みを感じました。

ただ、してあげる、というのはなんだか烏滸がましい表現なような気もするけど、
カボからはそんな幸せを受け取ったような気がします。
なんとか伝えよう
なんとか笑って欲しい、喜んで欲しい
と手を取られるたびに、
自分は今どんな幸せなんかなと思いました。


5udaのブログ-face
カボという男の子

5udaのブログ-eat
食事する瞬間

5udaのブログ-with father
カボとお父さん

2012.9.24
2012.9.17
6:00-8:45 ナイロビから事務所に移動
9:00-13:00 中間報告と今後の予定についての話し合い

2012.9.18
8:30-9:00 学習会前の話し合い
9:00-9:40 小学校に移動
10:00-13:00 学習会
13:00-13:20 移動
13:25-14:00 反省会
14:10-14:45 事務所に移動

2012.9.19
8:30-9:05 小学校に移動
9:15-9:45 学習会前の話し合い
11:00-14:20 学習会
14:25-15:00 事務所に移動
15:30-16:00 反省会

2012.9.20
8:30-9:20 学習会前の話し合い
9:25-10:25 小学校へ移動
10:30-11:00 校内の視察
11:00-15:00 振り返りと学習会
15:05-16:00 事務所へ移動
16:00-16:30 反省会

2012.9.21
8:10-8:30 事務所に移動
9:00-13:00 週例会議

2012.9.22
9:00-12:00 週例会議(日本人のみ)


ここにきて2週間が終了。
主に建設に携わることになって、
いろんな学校の教室建設と補修の管理をすることに。

国の支援には限度があります。
それを知ってか、保護者はみんなで力を合わせて
教室建設や元々ある教室の補修に取り組んでいます。

そーした保護者の労働力を左右させてしまうのが
今のやっていることだし、
雨季に入って彼らの生活が困窮してしまえば、
1年間の努力も形としては残らなくなってしまうかもしれません。

学校訪問の度に会う子どもたちが、
新しくできる教室や補修によって生まれ変わる教室で
清々しく学べる環境ができたらいいなと思った1週間でした。
ただ本当に彼らが何で困っているかが分からないので、
そうしたことにもアンテナが広がっていけばいいのに、と思います。

5uda@kenya-kids
校庭を歩く児童

5uda@kenya-sand
教室建設に必要な砂作り

5uda@kenya-mtg
保護者を交えた会議

2012.9.22
乾燥している世界では水というのは大切なもので、
じゃんじゃんいつでも蛇口から出るものではありません。

ただ、おふろというのは日本人というか、自分にとっては、
水の温もりを感じるところで、包まれるものだったですが、
それは国が変われば、体を清めること以上に必要なものに使われます。

ここでは川や井戸からひいた水を汲みにいき、
多くの場合はロバや馬が6つぐらいのタンクをひいたりしてます。
家畜がいない場合は、その役を女性が担います。それが家事だからです。

そして、トイレはいたってシンプルなぼっとんです。
ただトイレの空間に対して、ぼっとん空間が変なところにあるだけです。

おふろやトイレにとって、
空間の癒しはとてつもなく安らぎの効果があったんだと思いました。
とともに、1回のおふろに使う水の重さを直に感じることができてよかったと思いました。

5uda@kenya
黄色い水タンクとおけ

5uda@kenya
お風呂場。夜は電気がつきません。寒からランニングをしてから入ってます。ここを使うのは村への出張のときだけ。

5uda@kenya
不思議な場所にぼっとんなトイレ

5uda@kenya
ちゃんと真ん中にぼっとんなトイレ

2012.9.15