こんにちは
還暦マダムです。
還暦マダムがスピリチュアル宅建士になるまでの自己紹介のような話、続きます。
まだ開いてはいけない
見えないご縁をつむいで、つなぐ
未来を思い出す不動産とのご縁、そしてタイミング
大変、の意味がわかると、道が開く
サロンオープンの日は、宣言した通り私の誕生日。
友人をたくさん呼んで、お披露目パーティーをしました。
新しいサロンでは、自宅サロンでは出来なかったこれまでイベントやコラボ、セミナーを開催しました。
「今、この世にないもの」を企画し、開催することが楽しかったです。
新しいお客様とのご縁、仕事でのご縁が広がりました。
たくさんのセラピストさんも育成させてもらいました。
そうやって瞬く間に三年が過ぎました。
ところで私の実家は新幹線と電車を使い、door-to-doorで三時間かかる所にあります。
一年に三度くらい、お正月、お盆、ゴールデンウィークと息子を連れて帰っていました。
実家は母はすでに亡くなり、父と弟の二人暮らしでした。
父はまだ元気だったのですが、少しずつ色あせていくように年を取り弱っていくのを感じました。
80歳を超えたあたりから、何となく本当になんとなく言葉に出来ない違和感を持つようになりました。
父と同居している弟はうつ病をわずらっていたので、正直あまり頼りにできません。
父と弟のこと
家のこと
など今後のことをいろいろ考えました。
そして結論を出しました。
このサロンでやるべきことをやった、という達成感
そして、サロンを持っていたら自由に動けない
なので、サロンを手放すことに決めました。
どんなことでも、自分が決めると道はどんどん開きます。
サロンを閉じる、と決めると、サロンにあったたくさんのテーブルや椅子、いろんな持ち物がすいすい新しい持ち主のところに行く事が決まりました。
そして三年間、お世話になったサロンを閉じました。
その後は、ホテルでセミナーやセッションをする形にしました。
今現在に近い形です。
サロンを手放して以来、三ヶ月に一度は実家に帰ることにしました。
父や弟、少しずつ実家のことを把握するように努力しました。
ところで、父は小さな商売をしていました。
その中に、不動産の仕事もありました。
最初に父が不動産の仕事を立ち上げた時、従姉が宅建を取り手伝っていました。
その後、弟が宅建を取り、契約の時に立ち会っていました。
同級生で昔から努力家の従姉は、妊娠中で臨月にも関わらず一発で宅建に合格。
弟は一度目は不合格で二度目は合格。
それらを聞いた時
「へ~~~~~」
と思ったくらいで、何の感慨もありません。
他人事です。
なんか知らんけど、難しい国家資格・・・
「宅建」は遠い遠い場所にある、まったく無関係な資格でした。
不動産業に関しても、まったく無関心でした。
無関心、というよりも・・・
近づきたくない、というのが本音でした。
絶対に関わりたくない。
関わってはいけない。
無意識のプログラミングが私を覆っていました。
それは、子どもころから組み込まれていたプログラミングだったのです。
「宅建」に行きつくまでの自己紹介のような話
ようやく「宅建」が出てきました。
今日も読んでくださって、ありがとうございました。
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