初めまして。

 

今年60歳になる還暦マダムです。

 

 

本業は未来を視るスピリチュアルな仕事です。

 

まったく「宅建」とは関係ありません。

 

 

 

スピリチュアルな仕事をする前・・・

 

つまり独身時代は、ファッションアドバイザーとウェディングプランナーをしていました。

 

これらも、まったく「宅建」とは関係ありません。

 

 

まずは「宅建」に至るまでの、ちょっとだけ長い道のり。

 

よかったら、聞いて下さいな。

 

 

 

広島の片田舎で生まれ育ったので、都会の華やかで自由な生活にあこがれていました。

 

オシャレが好きだったので地元の短大を卒業後、大阪でファッションアドバイザーになりました。

 

ところがです・・・

 

なぜか行く先々で

 

店がクローズ

ブランドがなくなる

会社が倒産

 

という出来事が、次々起こるのです。

 

こ、これは、この仕事を辞めろ、ということかも・・・

 

と思い、この業界から足を洗ったのです。

 

 

 

そして29歳、神戸でウェディングプランナーの仕事につきました。


スタートしたばかりの会社は、社長と私の二人だけ。

 

毎日暇でしたが、ようやく大きな仕事が決まり、喜んでいました。

 

その翌日・・・

 

阪神大震災が起こったのです。

 

当時サロンのあったJR六甲駅界隈は、ゴジラが通り過ぎた後のように土煙とビルが倒壊した無残な姿に変わり果てていました。

 

前日、ご飯に連れて行ってもらった居酒屋さんは全壊。

 

美味しいご飯を出してくれたママさんも亡くなったことを、後日知りました。

 

 

 

阪神大震災で一時はサロンもクローズ。

 

大阪に支店ができ、三年年近くその支店を任されていました。

 

ようやく大阪の支店を閉鎖し、神戸の北野にサロンをオープンすることになりました。

 

チーフとして戻ってきたサロンには、すでに新しいスタッフがいました。

 

社長、なんと占いで新入社員を決めていました。

 

「ここ、よく当たるから君も行ってきたらええねん!」

 

そう言われたが、33歳。

 

 

占いで選ばれたスタッフと二人、恐るおそる当時神戸の南京町にあったサイコロ占いの扉を開きました。

 

 

人生の転機、それはさまざまなカタチでやってきます。

 

彼らはベストタイミングで「メンター」として役割を果たしてくれます。

 

この時のメンターは、このサイコロ占いの先生でした。

 

 

サイコロ占いの先生は、ごく普通の話しやすい年輩の女性でした。

 

ウェディングの仕事で、まったく出会いがなかった私が開口一番聞いたのは

 

「いつ結婚できますか?」

 

先生はコロコロッ、とサイコロを振りました。

 

「36歳だね」

 

え、まだ三年もある・・・

 

一瞬、目の前が真っ暗になりました。

 

あとは、どんな質問をしたのか覚えていません。

 

そして最後に、冗談交じりでこう言ったのです。

 

「実は、占い師にも興味があって!アハハ~~~」

 

先生は真面目な顔をして、サイコロを振りました。

 

「なれるわよ、あなた」

 

「えっ?!」

 

36歳、と言われた時とはちがう衝撃で固まりました。

 

「まずは、姓名判断から勉強してみるといいわよ」

 

そう言われたので、素直にそのまま本屋さんに行き、姓名判断の本を買って帰ったのです。

 

 

その後、取引先のウェディング関係の女社長さんに

 

「占いに行ってね、占い師さんに占い師になれる、て言われたんですよ~キャハハ!」

 

よくある仕事のついでの軽い世間話でした。

 

 

 

 

数日後、女社長さんから電話がありました。

 

「あのさ、友人の知り合いの知り合いの占い師さんがお弟子さん探してるんだって。

 連絡してみる?」

 

一瞬、固まった次の瞬間

 

「よろしくお願いします!」

 

と答えていました。

 

 

当時の私は、うまくいかない婚活と「店をつぶす女」と呼ばれた職歴がすごすぎて

 

「これは何かあるはず!」

 

と四柱推命を独学で勉強していたのです。

 

 

「準備ができたら師が現れる」

 

と言います。

 

その先生と面接し、すぐに弟子になりました。

 

師となった先生は同じ年の女性でしたが、当時全国展開していた占いの電話鑑定会社の社長でもありました。

 

その先生に半年間マンツーマンで四柱推命を深堀して学び、同時にタロットカードも学び、卒業試験を受けました。

 

無事合格し、34歳で先生の電話占いの会社で占い師としてデビューしました。

 

こうして昼間はウェディングプランナー、夜は電話での占い師として二足のわらじ生活が始まったのです。

 

この会社では、出張で大学祭の仕事もやらせていただきました。

 

だいたい3名の占い師が派遣されます。

 

仕事が終わった後、ベテランの先生たちとお茶に行き

 

「結婚したいんです~~~」

 

と話をすると、その先生たちが見てくれ

 

「36歳の4月に出会って、それで結婚するわよ!」

 

と断言されました。

 

 

またしても36歳か~

 

と思っていたのですが・・・

 

 

 

その後、本当に36歳の4月に出会い結婚したんです。

 

なんて、素直な私!

 

 

37歳で息子を出産した後も、細々と電話占いの仕事も続けていました。

 

それとは別に、どこでどう聞いたのか知らないけど、時折自宅にも鑑定のお客様が来てくれていました。

 

ところがお客様を鑑定していると、まったくタロットカードには出ていないメッセージを伝えていたことが多々出てきました。

 

それが、どこから来るのか正しいものなのか、当時の私にはまったくわかりません。

 

そしてお客様の心の傷、いわゆる「トラウマ」に触れた時、占いでは癒されない事にも気づきました。

 

 

どうしたらいいんだろう?

 

何を学べばお客様の心を癒すことができるのだろう?

 

二年間近く悩み続けました。

 

 

 

そんなある時、息子の幼稚園のママ友さんからある悩みを聞きました。
 

彼女には二人の娘がいました。

 

ですが、どうしても長女ちゃんにはつらく当たって愛せない、というのです。

 

自分が産んだ子だけど、愛せない・・・

 

この重い悩みは、占いでは解決できません。

 

 

その時、ふと目にした看板広告を思い出し彼女に伝えしました。

 

「催眠療法、て、どうかな?」

 

 

彼女は顔を曇らせ

 

「でも催眠療法、て怖くない?」

 

と言いました。

 

たしかに、怖そうです。

 

私も行きたくない。

 

もっと他に何かないのだろうか

 

私にも勉強できるものはないか、と調べました。

 

 

 

 

そして、見つけました。

 

「ヒプノセラピー」という催眠療法を。

 

 

ヒプノセラピーは心の90%を占める無意識であるお客様の潜在意識とつながり、幼い頃のトラウマを癒すというセラピーです。

 

この時、初めて「潜在意識」を知りました。

 

 

・自分の中に答えがある

 

・すべての体験には意味がある

 

・一つ一つの出来事は一見バラバラだが、すべてはつながっている

 

 

 

潜在意識に触れ、潜在意識を認知した時

 

「ああ、だからそうだったのか!」

 

固まった糸がほぐれるように、スルスルッ、とこれまでの人生の答え合わせができました。

 

タロットカードでカードの意味とはちがうメッセージを伝えていたのは、お客様の潜在意識からのメッセージだったんだ!

 

と気づいたのです。

 

これまで片目でしか人生が見えていなかったのに、しっかり両目が開き360度ワイドに世界が広がりました。

 

 

 

20代の時、何度もどん底に落ち人生を諦めかけた時、ずっと胸の奥から

 

「大丈夫、大丈夫」

 

という、かすかだけど力強い声が聞こえていました。

 

 

まだスピリチュアル、という言葉も知らなかった頃。

 

勝手に、神様からのエールだと思い込んでいました。

 

 

 

潜在意識を学んだ時、それはある意味正解だと気づきます。

 

潜在意識は自分の中の神様だから。

 

潜在意識には過去だけでなく、未来の記憶、胎児の時の記憶、前世の記録も刻まれています。

 

その声は、自分の潜在意識にある未来の自分からのエールだとわかりました。

 

「負けないで!

 大丈夫、あなたはちゃんと未来で幸せになっているから!」

 

それを知った時、自分への深い愛に涙が出そうになりました。

 

 

 

ヒプノセラピストとなった二年後、リーディング・セラピストにもなりました。

 

ヒプノセラピーは、セラピストがお客様を誘導しお客様自身が自分の潜在意識とつながるサポートをして、自信のトラウマを癒し元気になるセラピー。

 

リーディングは、セラピストがダイレクトにお客様の潜在意識につながり、そこにある答えを視ていくセラピー。

 

 

自宅サロンからスタートした「心星ポラリス」

 

 

この頃、遠い遠い場所にある「宅建」に挑むことになろうとは、夢にも思っていませんでした。

 

 

でも私の潜在意識は、すべてを知っていました。

 

人は必要ではない体験は、させられません。

 

そしてその芽は、過去のどこかで触れています。

 

ただ気づかないだけなのです。

 

 

 

私の場合も、布石はずっとずっと昔に打たれていました。

 

それを知るには、16年もの歳月が必要だったのです。

 

 

「まだ開いてはいけない」

 

潜在意識は、こう命令していたのでしょう。

 

 

それにもちゃんと意味があることがわかったのは、ごく最近です。

 

 

 

さて、長くなりましたね。

 

「宅建」に行きつくまでの自己紹介のような話

 

もう少し次回に続きます。

 

 

読んでくださって、ありがとうございます。