日本の謎① 日本語の謎 現在の日本語は「ピジン・クレオール語」のようなものらしい | 鳥頭三太郎の生活と意見と愚痴とぼやき及び鳥頭日記あるいはオポッサムの遠吠え且つ懺悔録または自己批判文及び居酒屋談義あるいは備忘録

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 私の日々思うことや、見た映画や読んだ本の感想や、ネットで見つけた情報なんかを皆様にお知らせしようと思います。
 なお、私のいうことにはいろいろ間違いもあると思いますので、100%信用してしまわないよう気を付けてください。

 日本語の系統論は結局よくわからないというのが現在の結論らしいです。

 

 

 

 

 

 現在の日本語を他の言語と比較してもわからないでしょうけど、最も近いと言われている朝鮮語も古代以前にさかのぼる資料が乏しいのであまり決定的な説はないみたいです。

 

 

 

 

 

 おそらく、上掲の日本語の起源のWikipedia記事にもありますが、現在の日本語というのはピジン・クレオール言語或いは混合言語のようなものではないかと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 ピジン言語というのは、ジャニー喜多川氏やルー大柴氏のしゃべっていた英語交じりの日本語のようなものを言うみたいですが、現在の日本語は和語と漢語と西欧語とのピジン言語のようなものです。

 

 

 

 

 よく考えてみると、カタカナは漢字の一部を取り出したもの(つまり簡体字)ですし、平仮名は漢字の草書体をさらに簡略化した一種の簡体字なので両者とも「ガラパゴス漢字」であり、漢字かな交じり文は、実は全部漢字ということになります。

 

 

 

 

 ですので、日本語にはハングルのような純粋にオリジナルな文字はありませんから、漢字文化圏≒中国文化圏ということになり、日本人は辺境の中国人ということになってしまいます。

 

 

 

 

 

 北朝鮮や韓国が漢字を使いたがらない理由がわからなかったのですが、中国文化圏のままでいると、陸続きでもありますし、中国に併呑される恐れがあるからかもしれません。

 

 

 

 

 韓国でアメリカニゼーションがかなり極端なのもそういうことが一つの理由なのかもしれません。

 

 

 

 

 日本人の多くは、日本列島が太平洋に浮かぶ孤島のような感覚でいますし、日本語の壁で国外の情報をほとんど知らないし、アジアより欧米の方が近いような錯覚をしているので、そういう点に鈍感なのではないかと思います。 

 

 

 

 

 私も実際に福岡空港から上海へ行くまで、福岡ー東京間と同じくらいの距離だということを知りませんでした。

 

 

 

 

 また、テレビで入ってくる情報がほとんど欧米経由の情報なので、文化的な距離感が狂ってしまっているのでしょう。

 

 

 

 

 現在の日本語では、日常会話でも文字にすれば漢字かな交じり文になりますし、欧米系のカタカナ語も混じりますから、和語・漢語にさらに西欧語の混じったピジン・クレオール言語だと言えるでしょう。

 

 

 

 

 

 現在の日本語では文法もあるのかないのかよくわからないくらい適当ですし、そもそも奈良~平安時代ごろの古文などはほとんど外国語ですので、学校で習わないと分かりません。

 

 

 

 

 

 5世紀ごろの鉄剣銘文などの文字資料はありますが、文章が文字資料で遡れるのは奈良時代まででしょう。

 

 

 

 

 

 弥生時代の水稲耕作を中心とする文化複合は縄文時代晩期に北西九州に渡来した外来文化が、日本列島に拡大するとともに次第にローカライズ(ガラパゴス化)されたものであって、おそらく言語的にもピジン⇒クレオール⇒混合言語化したでしょう。

 

 

 

 

 

 その後も大陸のハイカルチャーを渡来人がもたらすとともに、遣隋使や遣唐使の派遣等で積極的に吸収していましたので、ピジン⇒クレオール⇒混合文化現象が継続したでしょうし、そういうことを普通とかんじるのが「日本人」なのでしょう。

 

 

 

 

 

 日本の仏教は中国仏教経由で渡来した大乗仏教で、仏教由来の語彙や慣用句が日常使われていますが、私もそうですけど、ほとんどの日本人はその由来とかを知らずに使っています。

 

 

 

 

 

 古典落語に出てくる庶民の言葉では、漢語は仏教用語くらいしかないと思いますが、明治以降近代化(≒西欧化)を進めるうえで西欧語の単語を翻訳した和製漢語(ベースボール→野球など)が大量に作られたので、漢字の多い文章が増えたみたいです。

 

 

 

 

 また、現在の標準語は江戸の山の手言葉をもとに明治期に人為的に作られたらしいのですが、日常は方言を使うのが普通であり、ほとんどの日本人は標準語と方言のバイリンガルです。

 

 

 

 

 明治以降の漢語・和語・西欧語が入り混じるという言語の構成自体がかなり複雑で、また、日常会話では主語や目的語を省略したりすることは頻繁に行われていたりしますし、日本語は論理的思考には向いてないように思います。

 

 

 

 

 高級官僚やマスメディアなどは、日本語の非論理性を利用しますが、自分が自分のまやかしでまやかされるというような○○な現象さえ起こってしまって、結局、何がなんだか訳が分からないということになってしまうようです。

 

 

 

 

 また、山本七平氏は日本語には「空体語」と「実体語」の二種類があると主張してますが、「デジタル田園都市国家構想」のような、ほとんど空体語(≒美辞麗句)で書かれる美しい「霞が関文学」が日本政府のWebサイトに氾濫しています。

 

 

 

 

 

 

 

 山本氏の説に従えば「経済崩壊」とか「第三次世界大戦による破滅」とかの「実体語」の重みが次第に増してきているのを「霞が関文学」の空体語でバランスをとっているのかもしれません。

 

 

 

 

 マスメディアはそういう「美しい文学作品」を一般大衆に垂れ流していますが、単に右から左へと通過させているだけなので全然責任を感じていません。

 

 

 

 

 そういうのを「まやかし」というのではないかと思うのですが、日本語には論理性が乏しいので、いくらでもまやかせるところが「霞が関文学」の量産及びマスメディアによる拡散を許しているのではないかと思います。

 

  (宙に浮いていることはわかっているみたいですが・・・)

 

 

 

 

 現実にはないもの(ユートピアなど)が法律上には存在し、現実にあるもの(国連憲章敵国条項や軍隊(自衛隊)など)が法律上には存在しない・或いはないと言い張るという、現実からの乖離(或いは現実逃避)が戦後ずっと進行していたようです。

 

 

 

 

 とにかく、日本文化は混合文化の極致の「何がなんだか訳が分からない文化」になってしまっており、高齢者には理解不能な状況になっています。

 

 

 

 

 

 結局、国民の大部分が○○か、自分の仕事や周囲の世間以外のことに無関心なので、支配層が「脳死状態の動く死体・しゃべる死体」だらけになってしまって、日本国としてはどうしようもなくなっているのがわからないだけのようです。

 

 

 

 

 

 最近、日本列島では地震が頻発しており、沈没するのではないかと不安ですが、円安も止まりませんし、経済的にも沈没するかもしれないという不安もありますが、政府は全く無策・無能の「動く死体・しゃべる死体」で頼りになりそうにありません。

 

 

 

 

 国会中継とかは、粗忽長屋の粗忽者が、かんかんのうを踊らされているらくだの死体のような連中を見させられているようなものではないかと・・・。

 

 

 

 

 

 

                ありがとうございます