連合国(国連)憲章敵国条項と憲法9条との関係を論じた本やWeb記事を見たことないのですが、どう考えても関係がないとは思えません。
連合国(United Nations≒国際連合 以下UNと略す)の成立がいつかというのは、連合国共同宣言が1942年1月に出されてますので、この時に対枢軸国軍事同盟として成立したと考えられます。
ドイツが降伏した後、主に日独を戦後も押さえつけておくために対枢軸国軍事同盟を継続し、その他戦争を防止する機構等を整備するべく作成された「UN憲章(日本では国連憲章という)」に1945年6月に51カ国が署名して戦後のUnited Nationsが発足したようです。
Wikipediaでは、ソ連の批准により、安保理常任理事国5ヶ国とその他の署名国の過半数の批准書が揃ったの1945年10月24日 で憲章第110条により効力発生したので成立日としてますが、全加盟国が調印した時点で成立したと考えるのが普通でしょう。
つまり、現在日本が戦後の国際体制と言い張っているUnited Nations(連合国≒国際連合)は日本降伏以前に、対日宣戦布告した51カ国が第一次大戦後にナチスドイツがリターンマッチを挑んだようなことを防止するために形成されたものです。
そのことが端的に表れているものが「敵国条項」であり、大日本帝国の降伏以前にすでに作られていました。
日本に無条件降伏(実際は天皇制の維持を認める条件付き降伏)を勧める全13か条で構成される 「ポツダム宣言」がUnited Nationsの代表としてイギリス、 アメリカ合衆国、中華民国の政府首脳の連名において日本に対して発されました。
大日本帝国は1945年9月2日の降伏文書調印で正式にポツダム宣言を受諾し降伏しましたが、これは、以後は連合国(米国だけではない)の言いなりになることを承服したわけです。
(Wikipediaの記事はかなり右傾化しているのでご注意を)
この記事を書いた輩は『戦勝国である連合国側の協定(国連憲章)』と、日本国政府(外務省)が隠蔽している秘密を暴露しています。
負けっぷりの良さを見せることにより、天皇制の存続を確実にし、また、賠償や戦犯裁判をなるべく緩やかにしてもらうなどの思惑があったとしか思えません。
なお、Wikipediaの記事では1995年以降「敵国条項」は「死文化」していると強調していますが、その後一国も削除を批准しないし今後もしないでしょうから「死文化」自体が「死文化」していますので「敵国条項」は生きています。
日本列島は、現実にはないはずのものがあちこちにたくさんあるので「ユートピア(どこにもないところ)」になっています。
たぶん、大部分の人は日本列島がそんな理想社会ではないと思うでしょうが、「ユートピア」は奴隷制社会ですから、人口の大部分を占める奴隷側(債務奴隷、賃金奴隷その他)から見れば地獄のような「ディストピア」でしょう。



