信州、室町時代では・・・の噺 | 面白きコトも無き世を面白く…するのは自分の心意気
~実田~

戦国時代最後の大きな戦
大坂夏の陣
この戦いで現代まで
日ノ本一の兵(モノノフ)
と伝わる


真田幸村(信繁)公
昨年の大河ドラマ真田丸の主人公でしたね。

その出身地となるのが現在の長野県上田市です。
真田丸を観ていた方ならお分かりいただけると思いますが、この真田家が領地としていた信州上田は戦国時代、三方を徳川・上杉・北条と言う戦国の雄が治める大国に囲まれた激戦地帯でした。
その大国と渡り合った真田幸村公の父、
真田昌之公
も現在ではその名を轟かせております。真田丸で昌之公役を演られた草刈正雄さんの名演もその理由のひとつかもしれませんね。

さてさて、そんな武勇名高い真田家ですが、その名前が歴史の表舞台に登場する一番最初が実は室町時代です。

真田家は元々、海野(うんの)、禰津(ねづ)、望月(もちづき)からなる滋野(しげの)三家と呼ばれる信濃東部に古くから栄えていた一族に属するごくごく小さな勢力でした。

応永七年、西暦1400年、信濃守護小笠原氏と信濃の有力な土豪達(村上氏・高梨氏・仁科氏など)の連合軍との間で大きな戦が起こります。

大塔合戦(おおとうかっせん)
と呼ばれるこの戦いについての書物に、連合軍側に参戦していた滋野三家の禰津家の家臣として記されている
実田(さなだ)
が真田家の事であり、歴史に真田家が登場した最初と言われています。

この大塔合戦の発端は守護職として来た小笠原氏の高圧的な態度に反発してだったと伝えられていますが、戦国時代の様子を見ても分かるように信州はそもそも権力に従わない猛者が点在する土地柄でした。

『信濃守護』と言う将軍から任命され、信濃一国を統治※する役職で来た小笠原氏に対して、古くから信濃に暮らしていた各地の豪族達がその統治に対してNOを突きつけ、結果的にそれが戦に発展した。
ざっくり言えばそんな構図かと思います。

※「統治」と言うのは多少語弊があるんですが、『守護』の役目は鎌倉時代では「県警所長」のような立場でしたが室町時代には本来の役割よりも力が増しており「県知事」のような立場になっていました。

現在の長野篠ノ井を中心地としこのた戦で4000弱の小笠原氏に対して信州土豪連合は10000を越える兵が集まり、連合軍の圧勝だったと言います。

この後、真田が表舞台に登場するのは幸村公のお爺ちゃんである真田幸隆(幸綱)公の頃です。

甲斐からやって来る武田家と言う戦国の嵐。
また大塔合戦では共に戦ったもののその後真田家最大のライバルとなり川中島の戦いのきっかけをつくる相手となる村上氏
再び対峙することになる信濃守護小笠原家

などなどここから更なる動乱の中で真田家はいくつもの窮地を乗り越えつつ大きくなっていくのですが、この時はまだ小さな勢力のさらに小さな存在でした。
そんな事を思いながら改めて真田丸を見直すとまた違った味わいがあるかも(*´∀`)

今回登場した信濃の土豪達の中にも「あれ?」と思うような名前があったり、また実際に上田など関連する土地に足を運べば「あれ!?」と思うような地名もあるはず。

信州そばにくるみおはぎがおすすめな上田に遊びに行く機会がありましたら、是非その辺も楽しんでみては如何でしょうか?

と言うわけで『信州、室町時代は・・・』の噺はこれにて。次は・・・どこにしようか現在検討中(笑)
次回に続く♪