おはようさんでございます!

 

いつまで続くのか自分でもわからなくなってきたイスラエル編の続きです。

 

9.キブツ内の恋愛事情

  まず欧米人はパーティー好きですね。金曜日と土曜日の夜はキブツ内のダンスホールでみなさん踊ってました。私もパーティーに参加することはありましたが、踊れないんでそんなに面白くなかったですね。海外生活長いけど、未だに踊れません。でも私のように「踊れるとか踊れない」とか考えてる欧米人はいないでしょうね。彼らは勝手に体が動いているというか・・・

 

  そんな週末のパーティーを挟むとすぐにカップルが出来ちゃいますね。リゾート気分の若者が集まってるんで当然です。でも、すぐ別れます。彼らには特定のパートナーに絞らないお試し期間「Dating」ってのがあるようです。また、「Dating」が終わってもカジュアルに付き合う「Casual relationship」とかいう期間があって、その後正式に「Boyfriend and Girlfriend」になるようです。

 

  そのあたりの区切りは曖昧で「Friend with benefits (FWB)」に途中から移行することもありますね。FWBは日本風に言うとセフレなんだけど、もっとオープンというかなんというか・・・

 

  キブツ内の恋愛事情と言いながら欧米一般の事情になっちゃいました。もちろん、欧米各国によって違うようですけど、イスラエルはアメリカと近しいのでおそらくアメリカ式なんだと思います。

 

 

10.私の経験(恋愛)

  興味ないでしょうが、キブツ内での私の恋愛も書こうかと・・・

   

  欧米人とは正直、デーティング(お試し期間)にも発展しませんでした・・・。私の後からキブツに入所して来たスウェーデン人のボランティアと一夜の「お試し」はありましたが、私では役不足だったんだと思います。彼女は次の日からパレスチナ人のマッチョとデーティングに進みました。当時の私はこんな欧米式の付き合い方も知らなくて、それなりに落ち込むこともありました。

 

  韓国人の女の子といい関係にもなりましたね!日焼けで真っ黒でしたが、目がクリっとしてアイドルみたいにかわいい子でした。いい感じのとこまで行ったんですが、「韓国に恋人がいて初めてはその人と」言って断られ続けました。いい思い出です。

 

11.キブツについての総評

  世界でもまれにみる成功している社会主義の組織体だと思います。キブツで育てた野菜やフルーツはヨーロッパで人気で結構な値段が付くようです。砂漠地帯で育ったそれらは甘さたっぷりです!また、工業製品を作っているキブツもありました。

   

  イスラエルの灌漑農業も世界中で注目されているとのことでした。日本から視察団も来るほど当時は先進的なものだったようです。砂漠で水が貴重なので注水システムもコンピューターで管理されてました。

 

  住民たちは質素ながらもおいしい食事が食べられ、住居も十分快適で、(見た目には)みなさん仲良くしていて、週末はいろんなイベントが開催されるような環境だったので幸せそうに見えました。でも退屈すぎると言ってキブツを出ていく若者が多いようです。

 

  今はどうなのかな?

 

キブツの中の共通語は英語という事で飛び込んだのですが、私の滞在したキブツはスペイン語話者が多く、なかなか苦労しました。でも、ユダヤ人やパレスチナ人、欧米・南米人や韓国人と4カ月間、一緒に暮らせたのは私の大きな財産です。

 

ここには書いてない苦労も、まあ色々ありましたが今となっては全ていい思い出ですね!!

 

明日からは歴史を書いてみましょうか。

 

ほなさいなら!

おはようさんでございます!

 

月初恒例のリタイヤ実現性について書きますね。

 

大前提として私にとっては以下がベストです。

 ① 円安×ドル高

 ② 円安×現地通貨高

 

5/31→6/28の推移は以下のとおりです。

 ① 円×ドル  :157→161

 ② 円×現地通貨:103→102

 

円×ドルがついに160円を突破して161円になりました。160円ラインで日銀が為替介入するかと言われてましたが、容認したようですね。あるいはできなかった?このラインを簡単に突破したので165円まで更に円安進むかと予想します。

5月同様、給料以外に国債の配当がありました。国債の価格は若干下落傾向で5月よりは含み損ですが、償還時まで得か損かはわからないですね。

 

6月は3泊4日のタイ旅行(バンコク&パタヤ)に行きました。旧友に会ったりで想定外に使いすぎました。まあ仕方ないでしょう!

 

パタヤに初めて行きましたが、物価が安くビーチとバー&レストランが充実してるので、移住先として魅力的です。ちなみに現在の移住先候補地はKL、バリ、ダナン、パタヤです!とはいうものの軽トラ一人旅を2年くらいする予定なんで、55歳くらいからですかね。

 

今月末で私の中での大台に資産が乗りました!もう二頑張りぐらい必要ですが。

 

リタイアまで残り1年と3か月!!なんかゴールが見えて来た感があります!

 

ほなさいなら!

おはようさんでございます!

 

今月52歳になりました!

 

53歳の9月末で引退しようと始めたブログです。引退まであと1年と3カ月です。

 

正直実感が湧きません。近づいてるんだけど、世の中の情勢や周りの状況によっても変わる可能性があります。

 

来年のいつかは未定ですが引退をカミングアウトすることによって周りの人から更に色々言われるでしょうが、老い先短い残りの人生を大いに楽しもうと思っています!

 

ブログの自己紹介も51歳→52歳に変更しました。

 

今後ともどうぞよろしくお願い致します。

 

ほなさいなら!

おはようさんでございます!

 

イスラエルシリーズの3回目はキブツについてです。

 

3.キブツとは

  説明するのがちょっと難しいんでググったんだけど、小難しいことが書いてあったので自分の言葉で説明しますね。

 

  簡単に言えば農業共同体。大勢(数十人から数百人)で集まり衣食住を共にし、そこで主に農作物を生産販売しています。キブツの構成員はキブツ内に住むことが原則です。ユダヤ人が経営してるんだけど、1999年当時はワーカーとしてパレスチナ人も働いていたし、日本人や韓国人を含む(おそらく)OECD各国からのボランティアもいました。

 

  で、面白いのがこのキブツ内においての所有という考えです。基本的に全てのものはみんなのものです。つまり、家や車やそして子供たちまでが構成員全員の所有物という考えです。平日子供たちは施設に預けられ、週末のみ家族の元に帰ります。朝昼晩の食事も大食堂で全員で取ります。

 

  さすがに結婚という観念はあったんで(残念ながら?)パートナーも構成員全員の所有物っていう訳ではなかったけど、ボランティアやユダヤ人の間では結構そのあたりが緩かったです。私も恩恵に預かったとかいないとか・・・

 

4.ヤマギシ会

  ある程度の年齢の人なら、大昔に社会問題となった「ヤマギシ会」って聞いたことあると思うんですが、キブツとヤマギシ会は理念や実践が似ているように思います。

 

  でもキブツはイスラエル国内でしっかりと認知されていて初代首相ダヴィド・ベン=グリオンや、第5代目の初の女性首相ゴルダ・メイアもキブツ出身です。一方、ヤマギシ会は現在、三重県津市と伊賀市に本拠地があり750人のメンバーが共同生活をしているが最盛期からはずいぶんと人が減っているようです。興味があったら調べてみてください。

 

 

5.ボランティア

  さっきも書いたけど、ヨーロッパ各国や南米から多くのボランティアが来ていました。特にヨーロッパの若者にキブツは人気で、太陽を求めて彼らはやって来ます。2・3カ月ボランティアをして、また国に戻るってスタイルです。まあ、リゾートに来てるって意識なんで彼らは明るいしテキトーですね。キブツに飽きたらエジプトやヨルダンに旅行に行くってスタイルの人もいましたね。

 

6.キブツの韓国人

  アジアでは日本と韓国からのみボランティアが来てました。韓国人はキリスト教徒が多いってのもあって結構いました。当時私は英語が全くしゃべれなかったんで、ストレスでふさぎ込んでた時期がありました。そんな中、いつも韓国人には助けられました。飲み会に誘ってもらったり、昼間でもよく声を掛けてもらったり。「私たちは日本語わからないけど、日本語が話したくなったら、私たちに日本語で話しかけてくれたらいいよ!」って言ってくれずいぶん救われました。すごく感謝しています!!

7.ボランティアの仕事内容

  ボランティアって呼ばれてるだけど、それなりに仕事してました。朝は5時開始で朝食を挟んで昼11時に終了でした。・・・たいして働いてないか。トマトやマンゴーの収穫でした。他には酪農や造園業に従事していた人もいましたし、洗濯や炊事、キブツの売店で働くと様々な仕事がありました。

 

8.キブツでの自由時間

  午前中の仕事が終わったら次の日の朝までずーっと自由時間です。プールに入ったり昼寝したり、ビール飲んだり、シーシャやったり。まあみんなそれぞれです。そして月5000円くらいのお小遣いももらえます。キブツから住居と食事(と古着)が提供されるんで、お小遣いのほとんどはビール代に消えてました。ご飯もすごくおいしかったので、酒以外に使うことありませんでしたね。

 

長くなりました。明日はお待ちかね(?)のキブツ内の恋愛事情です!

 

ほなさいなら! 

おはようさんでございます!

 

昨日に続いてイスラエルです。ここからはタイトルをつけて話していきたいと思います。

 

1.エルサレムの住民  

  まずは地図を見てください。エルサレムは1㎞四方の城壁都市です。その中は迷路のようになっていて、大まかにイスラム地区、キリスト地区、ユダヤ地区、アルメニア地区と別れてますが、それぞれの地区に壁はないので実際にはモザイク状に入り組んでいます。

Yahooニュースより

 

  昨日も説明した聖墳墓教会(キリストの墓があるところ)はキリスト教地区にありますが、巡礼の道の多くはイスラム地区を通ります。

 

  この地図では嘆きの壁と岩(黄金)のドームは少し離れてるように見えますが、実際は隣接しています。

 

  キリスト教の巡礼ツアーの人たちはライフル銃を持ったイスラエル警察の先導で巡礼してました。しかし、城壁内は当時危険な感じはなく、私自身も城壁内のホステルに宿泊しました。

 

2.アルメニア人

  そして、聞いたことも無いようなアルメニア人地区ってのもあります。アルメニア共和国ってのは現在この位置にありますが、彼らもユダヤ人やクルド人と同様、迫害の歴史を持っています。

 

  まず世界で初めてキリスト教を国家宗教としたのがアルメニア人です。だったら西欧諸国と仲がいいかって言ったらそうではなく、アルメニア教会という独自色の強い宗派です。つまりカトリックやプロテスタントや正教会とは違い異端とされています。おまけに現代においても楔型文字のような特殊な文字を使っています。

 

  古代にはローマ帝国に滅ぼされ、中世から近現代においてはオスマントルコに支配されています。しかし、その支配下でも独自の宗教であるキリスト教を守り、世界各地にアルメニア人居住区を作り暮らしてきました。多くはイスラム圏で交易や金融業に従事して多額の税金を納めることで信教の自由を守ってもらうというユダヤ人と共通した境遇であったと言えます。

 

  そして第一次世界大戦中にオスマン帝国の一体化を目指す方針によりアルメニア人の大虐殺が行われました。その数は数十万人とも数百万人とも言われているようです。実際は150万人くらいか。そして2021年にバイデン大統領はこの大虐殺を「ジェノサイド(集団虐殺)」と認めると宣言しました。穿った見方をすればアメリカは世界最大の在外アルメニア人が住む国なので、彼らの票が欲しかったのではないかとも思います。

 

明日は、私が4カ月間滞在したキブツについて書きたいと思います。

 

ほなさいなら!

おはようさんでございます!

 

今日から1999年7月~10月まで4カ月間滞在したイスラエルについて書きたいと思います。

 

ハマス・ガザ侵攻・中東戦争・パレスチナ・ユダヤ教・ユダヤ人・アラファト・ラビン・ネタニヤフ・嘆きの壁・三大宗教の聖地・ゴルゴタの丘・テルアビブ・エルサレム・死海・イエスキリスト・黄金ドーム・・・

 

日本人には馴染みの薄い国ですが、これらの言葉はイスラエルと関係します。意外にもニュースや教科書なんかで聞いたことがある言葉がほとんどだと思います。

 

でも、これらの言葉について(正確な)知識を持っていたり、映像(イメージ)が思い浮かぶ人は少ないですよね。ましてや行ったことがあるって人はほとんどゼロに近いと思います。

 

実際、4カ月の滞在中に日本人には一度も会いませんでした。なので日本語を一度も話しませんでした。それぐらい日本人には遠い存在の国だと思います。

 

1999年はザクっと1ドル110円くらいで日本人の海外旅行は盛んでした。また、中国マネーもこの頃はまだまだだったので、「海外旅行するアジア人=日本人」てのが一般的だったと思います。

 

そんな中、イスラエルでは「アンニョンハセヨ」とか「オパ」って声を掛けられます。なぜかって言うと韓国人の巡礼者がすごく多いんです。

 

ググると「韓国人の19.7%がプロテスタント、7.9%がカトリックで、キリスト教が第一宗教である」って書かれてました。

 

キリスト教徒である彼らは聖地である聖墳墓教会を目指すんです。イエスキリストが十字架を背負わされて歩いて登り、磔にされたゴルゴダの丘がエルサレムの街のほぼ中心にあり、その場所に聖墳墓教会が建てられ、そこにキリストの骨があるとされてるからなんです。

 

そのキリストが十字架を背負い歩いた道にもさまざまなポイントがあり、ここで聖母マリアに最後に会ったとか、ここで最初に倒れたとか、二度目に倒れたとか各所に説明が書かれています。

 

この道を(韓国人を含む)世界中のキリスト教徒が歩くわけですが、この道中の住民の多くはアラブ人(パレスチナ人?)です。

 

パレスチナ自治区に住んでるんでパレスチナ人なのか、聖書でこの場所がパレスチナと書かれている地に住んでるいるんでパレスチナ人なのか結構あいまいです。

 

なぜならエルサレムは国連で国際管理地区と定められているものの現在はイスラエルが実行支配しています。なのでエルサレムはパレスチナ自治区ではないので、ここに住んでいる人々は「エルサレムに住むアラブ人」ってのが現代においては実情に近いかと思います。

 

そしてキリスト教の巡礼地エルサレムに住んでいるアラブ人たちは土産物屋を経営していて、キリスト関連の絵や小物を売ってます。そしてそのお土産をキリスト教徒は普通に買ってます。変でしょ??

 

更に更に、ご存じのとおりエルサレムは三大宗教の聖地です。古い宗教から並べると、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教です。

 

ユダヤ教:嘆きの壁(紀元70年にローマ軍によって破壊され

     たエルサレム神殿唯一の遺構)

 

キリスト教:聖墳墓教会(イエスキリストの墓(骨?)がある)

 

イスラム教:黄金ドーム(ムハンマドが昇天した場所)

 

教祖(?)が死んだ場所とか今は亡き古代の神殿とか、どの場所もどの宗教にとっても重要過ぎん!?

 

特に黄金ドームはユダヤの神殿の跡地に建てられ、神殿で唯一残ってるのが嘆きの壁なんで、ユダヤ教の聖地とイスラム教の聖地は隣接しています。

 

そら、もめごとが解決しないわな・・・

 

話を広げすぎました。書きたいことは山のようにあるんで満足するまで、明日からも書き続けます!

 

ほなさいなら!

おはようさんでございます!

 

日本人の皆さんなら重要性がわかってる車間距離。さてこの国ではどうなんでしょうか?

以前、通勤時はドライバーの送迎があると書きましたが、先日高速道路で前の車に危うくぶつかりそうになりました。

 

最近、だんだん車間距離が近くなってきて急ブレーキも増えていたんで、先々週・先週と続けてやんわりと注意したばかりでした。(高速道路でも15mぐらいの車間距離で皆さん走行なさってます。彼だけじゃないです。)

 

今回は衝突を覚悟して身構えたくらいだったので、過去最大に危なかったです。

 

それで運転手を呼んで車間距離の重要性をとくとくと説明しました。レンタカー会社から派遣されてるプロのドライバーなので、運転講習は受けています(ということでした)。

 

講習受けてるなら確認の意味で、「80㎞で走っていたら停止距離(空走距離+制動距離)は76mだよ」って伝えると「わかりました」っていうんで、「じゃあ、ここからあの壁までの距離は何メートルくらいだと思う?」って聞いたら実際より2.5倍くらい長く答えました。

 

あーあ。

 

教育って大事だよね。日本人ならプールが25mとか、中学の時50mは8.3秒だったとか、長距離走3㎞が嫌だったなとかの身に沁みついた距離感覚があるんだよね。

 

でもこの国の人たちはアスリート以外そんなこと知りません。5教科は(それなりに)勉強してるんだろうけど、音楽・美術・体育等を学校で勉強してないんだよね。例えばPEという教科はあるんだろうけど、多分準備体操もしないで今日はバスケ・次の時はサッカー、以上!ってのが大半なんだろうなぁ。

運転手に説明するのがなんか面倒くさくなったので最後は「今の車間距離の倍を必ずキープするように」と伝えて終了しました。

 

今まで追突はなかったので倍の距離を取っておけば(少なくとも)死亡事故にはならないでしょう・・・

 

※名誉のために言っておきますが、運転技術は日本人よりよっぽど上です。特に車幅、車長の間隔は素晴らしいです!私も運転するのでよくわかってます。

 

ほなさいなら!

おはようさんでございます!

 

最近、現地語が更に下手になってると感じています。

 

いつか書きたいなと思ってるんだけど、英語や他の言語でもかなり苦労しています。

 

この国でも16年以上住んでるのに、現地語がたいして上手くありません。恥ずかしいので、次に会うことないだろうなと思う現地の人から「何年住んでるの?」って聞かれた時は「5年ぐらいだよ」って応えてます。そうすると「5年でそんなに話せるの?すごいね!」って褒められることが多いです。もし「17年目」って応えたら「えっ?!」ってなると思います。

 

この国で今の会社が2社目なんだけど、部下に日本語のかなりうまい係長が二人います。基本的にこの二人とコミュニケーションが取れれば仕事が回ります。もちろん他の部署とのやり取りもあるんだけど、他の部署のトップには日本人がいるんでその下の課長や係長たちとは(それほど)コミュニケーション取る必要はありません。

 

なので一日の内、仕事でほとんど現地語を話すことがないんですよね。話さないと衰えるのは当たり前で、ドンドン下手になっています。

 

もちろん曲がりなりにも16年以上住んでるんで、仕事でも日常生活でも旅行でも現地語で伝えたいことは最低限伝えられます。

 

でも。。。

 

かっこよく流ちょうに話せないんですよね。

 

特に来年引退してこの国を離れようとと思ってるので向上心が更に下がってます。

 

まあ仕方ないよね。。。

 

ほなさいなら!

おはようさんでございます!

 

有名ブロガーの「ちきりん」って知ってます。

 

「Chikirinの日記」ってブログを運営しているおばさんです。

 

 

2005年からブログを開始して、(まあまあ忙しめの)仕事してるのにすごい勢いで投稿していたんです。

 

でも、コロナ禍ぐらいからすごく減ってしまって、すごく残念です。ごくたまに投稿するんだけど、最近は旅行記が多くて昔のような鋭い考察はほとんどありません。

 

昔は「無料でこんなに情報や考察をもらっていいの?!」ってくらい充実してました。昔の記事も全然色あせてないんで皆さんにもぜひ見て欲しいんだけど、私もこれまでずいぶん影響を受けました。

 

私が今書いてるブログもかなり影響を受けています。足元にも及びませんが。。。

 

特徴としては写真が少ないこと。旅行記が多くなってからは多くなってきたけど、昔は文字だけで補助的に図や表を入れるっていうスタイルです。

 

また絵文字は全くないですね。ビックリマークやクエスチョンマークも極力避けているようです。

 

つまり内容だけで、読者を惹きつけるんですよね!!

(※ちなみに私も絵文字は使ってません。)

 

ほなさいなら!

おはようさんでございます!

 

デング熱って知ってます?日本でも最近は知っている人が多いのかな?

 

簡単に説明すると

1.蚊が媒介するウイルス感染症。
2.感染によりインフルエンザの様な症状が出る。まれに死に至ることもある。
3.世界的なデング熱の発生率は、ここ数十年で飛躍的に高まっている。
4.世界中の熱帯及び亜熱帯地域で見られる。
5.有効な治療法はなし。しかし、早期発見で適切に医療機関を受診すれば(ほとんど)死なない。最近、予防薬が発売されたとか・・・
6.予防と制御は媒介する蚊の駆除対策。

 

やっかいな病気で東南アジアの人なら誰もがかかったことがあるっていうくらいメジャーな感染症です。自覚してないのも含めてね。

 

日本人の間では「デング熱に2度かかると死ぬ!」ってのがまことしやかにささやかれています。

 

私は2回かかっています。ちゃんと生きています。ちゃんと病院に行って必要に応じて点滴打ったり入院すれば死にましぇん。現地の人の多くは(金銭的な理由で)病院に行かず、亡くなってしまうことがあるのかなと考えています。

 

でも、治ってからも1カ月間くらいは体に力が入らなかったです。インフルエンザと症状は似てて同じように辛いんですがインフルエンザは1週間すればウイルスが消えて楽になるんだけど、デング熱の場合は体内に1か月ぐらい少量のウイルスが残ってるんじゃないかなと勝手に考えています。

 

デング熱は4型(A・B・C・D)あります。A型にかかればA型の耐性がつき以後かかりません。でもB・C・D型にはかかります。

 

なのでデング熱は一生の内、4回かかる可能性があります。でも3回以上かかることはほとんどないそうです。詳しくわからないけど、例えばA型とC型にかかれば残りのB型とD型

にもかかりにくい耐性(体制)が構築されるんだろうね。

 

よく、「デング熱って2度目は死ぬんでしょ!?」→「いや死なないよ。なぜなら・・・」っていうやり取りが面倒くさいので説明しました。

 

私に聞いてくる人は誰もこの説明を読まないと思いますが・・・

 

ほなさいなら!