100nights+ & music

100nights+ & music

2020年の1年間に好きな音楽を紹介していました。2023年になっても見てくれる人がいたので、また書こうかと思います。
気に入ったら紹介した音楽を聴いてもらえると嬉しい、よろしく!

 

最初の音楽体験のひとつ

 

 思い返すと、カーペンターズ、サイモン&ガーファンクル、ビートルズから洋楽を聞き始め、子供からティーンエイジャーになる時期にドアーズとデヴィッド・ボウイを偶然知ったことのすべてが、ぼくの生き方に大きく影響を与えたと思う。


 デヴィッド・ボウイを初めて聞いたのは、“Heroes”だった。夜のFMラジオから流れてきたその音が部屋の雰囲気を急に変えたことは忘れられない。

 デヴィッド・ボウイがベルリンで録音した3つの作品、1977年の『Low』、『"Heroes"』、1979年の『Lodger』は3部作と言われることが多いが、3部作としてカウントするんだったら1976年にリリースした『Station to Station』を入れて、『Lodger』は抜いた方がいいと思う。


 『Station to Station』は、イギリス出身のボウイがヨーロッパ大陸の退廃的な雰囲気にアメリカのファンク・ミュージックを混ぜたアルバムだった。
 薬物中毒になったキリストのようなシン・ホワイト・デューク(痩せた白い公爵)というペルソナを演じながら、本人もコカインで危機的な状況にあったらしい。

 

 「Station to Station」は、ドラッグ中毒の殉教者といった感じの名曲。

Station To Station

 

 アメリカで成功した代償としてドラッグでボロボロになったデヴィッド・ボウイは、同じくドラッグ中毒のイギー・ポップとアメリカを離れ、1976年に西ベルリンに移住した。
 そこで制作したアルバムが、イギーの『The Idiot』と『Lust for Life』、ボウイの『Low』、『"Heroes"』だった。この最高の4枚は、1976年と1977年に続けて制作されている。

 これらのアルバムは、イギー・ポップの暴力的で内向的な感じ、デヴィッド・ボウイの観念的でアーチステックな感じに、アメリカのファンクとドイツの実験的なエレクトロ・ミュージックの要素が加わって、「それまでに聞いたことのない音」が創りだされている。

 『Low』は、ジギー・スターダストが好きな人はそう思わないかもしれないが、アルバムとしてはボウイの最高傑作だと思う。
 『Station to Station』との大きな違いは、ロサンジェルスではなくベルリンで録音され、プロデュースをボウイとトニー・ヴィスコンティが担当し、ブライアン・イーノが協力しているところになる。

 一足先にドイツのクラウトロックの影響を直接受けていたイーノと共作したダークなWarszawaは、1978年のワールドツアーの1曲目で、ジョイ・ディビジョンがバンドを結成したときの最初のバンド名だったそうだ。

Warszawa

 

 『Low』は録音方法を含めて、インダストリアル・ミュージックのはしりみたいなサウンドになった。

 レコード会社からは発売を反対され、まともな宣伝もなかったらしいが、イギリスではアルバムチャートの2位まで上がっている。


 パンクロックが世の中に出た1976年に、すでに1980年代のポスト・パンクの音を創り出していたところにボウイやイーノの凄さがあるんだけど、そのサウンドは当時のメジャーなポップシーンとはかけ離れたものになった。

 アルバム1曲目のSpeed of Lifeは、明るめの曲調のインストゥルメンタル。

Speed of Life

 

 1977年にリリースされたアルバム『“Heroes”』を買ったのは、学校嫌いの中学生だった1978年だった。
 レコードのA面にはボーカル入りの多少なりともポップな曲が入っていたが、B面のほとんどは超陰気なインストで、「他のアルバムを買えばよかった」と大ショックを受けながらも、無理をして何回も聞いたことを覚えている。
 いま思うと、だんだん音楽に馴染んできたのは良かったが、自分の性格もかなり暗くなったかもしれない笑

 1978年のボウイは、『Low』と『"Heroes"』の曲を中心としたワールド・ツアーを行った。ここでは、すべてその年のライブから曲を紹介している。

Blackout

 

 1978年3月にアメリカで始まったワールド・ツアーは、12月に日本で終了した。その日本公演は、翌年の3月にNHKの番組『ヤング・ミュージック・ショー』でテレビ中継されている。

 この番組をテレビで見た影響は、少年時代が終わりつつあった自分にとってとても大きかった。

 そのすぐ後にテレビジョンやパティ・スミスのようなニューヨークパンクが好きになり、シンプルなパンクロックを一瞬で通り過ぎてポスト・パンクやニューウエイブにハマったのは、この頃の体験があったからだと思う。


 “Heroes”に代表されるデヴィッド・ボウイの影響、例えば「ヒーローなんてただ一瞬の存在で、それはそれだけのこと」のような感覚は、今に至る自分自身のベースの一つになった。

“Heroes”

 

 デヴィッド・ボウイは、時代によって音楽性が変化していくタイプのアーチストだが、この頃のボウイはその中でも特別な音楽的ピークにあった。
 1970年代後半から1980年代最初の頃に、この音に大きな影響を受けたティーンエイジャーは世界中にいるような気がする。
 それはパンクとはまた違う、ただ同じくらい大きなものだった。似た感覚を持っている人は他にもいるだろうか。

 

 

Stones, Young, Bowie ‐パンク前夜 

Iggy Pop  -ただ名前だけが残った 

Cluster、Harmonia、Eno ‐永遠に新鮮な音楽 

 

 

 

 

 


重く、自由なロック・サウンド

 モーフィンは、さまざまなバンドを経たメンバーで1989年にアメリカで結成され、1999年に解散した3人組のバンド。
 バンド編成が変わっていて、ボーカルと2弦ベースのマーク・サンドマン、バリトン・サックスのダナ・コリー、ドラムスのジェローム・デュプリ(ビリー・コンウェイと変わる時もある)と、ギターもキーボードもない3人組になっている。

 彼らはブルースやジャズの影響下にあるハードボイルドな感じのロックを演奏する。低音の楽器による、バンド名のような深く沈み込む感覚が特徴的だ。
 メロディは希薄でミドルテンポの曲も多いが、まぎれもないロックバンドで、まるでレイモンド・チャンドラーのような雰囲気は最高だと思う。

Come Over


 モーフィンは、1991年にアルバム『Good』でデビューした。
 マークは最初に1弦ベースを試してみて、その後に弦を2本にしてスライドで演奏したという。そこにバリトン・サックスの音が重なって、彼ら独特のサウンドが出来上がっている。

 モーフィンのサウンドは明らかに都市の裏町的な音楽なのだが、ルー・リードのようなダークサイドに堕ちる感じはない。マークの書く歌詞には、ハードな都市生活を送る一般の男性という雰囲気がある。

 1993年のセカンド・アルバム『Cure for Pain』でモーフィンのことを知った。このアルバムは日本版も発売されていて、買ってみてすぐ気に入った。

Buena


 モーフィンは、オルタナ・ロックバンドと言われることが多かった。
 ジャズやブルースの影響を受けていても、それ以上にパンクの影響が強い感じがする部分が、他のオルタナ・バンドとは大きく個性が違ってもそう言われる理由だったんだろうし、俺が聞いて一発で好きになった理由でもあるんだろう。

 あと音楽スタイルを「Low Rock」と呼んでいたな。「ギターを使わないミニマムで重低音なロック」という意味では、その通りだと思う。

 1994年には、前作よりも少しポップさを抜いたサード・アルバム『Yes』をリリースした。

Honey White

 

 その後にバンドは2年間のツアーを続けた。
 そして、1997年にはメジャーレーベルから4枚目のアルバム『Like Swimming』をリリースしている。ミドルテンポの曲が多いせいか少し地味だが良いアルバムだと思う。

 1999年には、5枚目のアルバム『The Night』をこれまでバンドに関係してきた4人全員で録音し、モーフィンは4人組(ドラムが2人)になった。
 そして7月3日に、マーク・サンドマンがイタリアで行われたロックフェスのステージの途中で心臓発作を起こして倒れ、直後に死亡して、モーフィンは解散した。

 翌2000年にリリースされた最後のアルバム『The Night』は、完成度の高い最高の作品になった。
 オリジナリティが高い一方でワンパターンになりがちな彼らの音を、独自性を失わなずに意識的に超えた、多彩な内容となっている。
 タイトル曲の「The Night」は、メロディアスな名曲。

暗すぎて 道しるべも見えない
俺はお前の幸運のお守りなんて欲しくはない
星のカーペットの向こう側で待っていてくれていると良いんだが
お前は夜だ ライラ
俺たちが見ることのできないすべて
ライラ お前が可能性なんだ


The Night

 

 10年間活動したモーフィンは、誰もが知るビッグなバンドになることはなかったが、ごく一部かもしれないが世界中にファンを残していった。
 オリジナリティが高くて古くならない彼らの音楽を定期的に聴く人は、現在も多いんじゃないかと思う。

Have A Lucky Day 

 

 

 

 

 

 

 

ソロ・スタートまでの充実期

 

 浅井健一(ベンジー)がBLANKEY JET CITYを解散したのは、2000年だった。

 ここでは、バンド解散から初めてのソロアルバムをリリースする前年の2005年までのベンジーについて書いてみたい。

 バンドを解散するあたりから、ベンジーは信じられないくらい多作になった。
 2000年5月にはBLANKEY JET CITYの最後のアルバムを、そして12月には前年に再編したSHERBETSのアルバム『AURORA』をリリースしている。

 SHERBETSは現在までメンバーが変わらずに続いている4人組のバンドで、男性的だったBLANKEY JET CITYから、女性メンバーがいるからかベンジーの抒情的な部分が強く出た音作りになっている。
 『AURORA』は、彼のロッカーとしての静けさが表現された、とても良いアルバムだと思う。

何もない荒れた荒野を 歩いてくトカゲの赤ちゃん
白い砂 体をくねらせ 何気ない模様を残して

太陽に焼かれてもいいさ ひとりぼっち それは世界さ


トカゲの赤ちゃん

 

 2001年には、SHERBETのアルバム『VIETNAM 1964』に加えて、UAをメインボーカルにした4人組のバンド、AJICOのアルバムをリリースしている。

 2022年にベンジーはまた新しいバンドを結成した。
JUDE(ユダ)というその3人組のバンドは、ベースにHEAT WAVEの渡辺圭一、ドラムは2回変わったが最初のドラマーはルースターズの池畑潤二だった。

 JUDEは、2022年10月に『Charming Bloody Tuesday』と、『DIRTY ANIMAL』という2枚のアルバムを同時にリリースした。
 日本最高のドラマーだと思っている池畑潤二は、後にJUDEを抜けてしまったんだけれど、ライブバージョンが残っているので3人の演奏をぜひ見て欲しい。

 

 まずは、『DIRTY ANIMAL』に入っている「カリブの海賊の宴会」。半分インストの曲で、ブランキーとは違うJUDEのグルーブが良く分かる。


カリブの海賊の宴会

 

 『Charming Bloody Tuesday』に入っている「シルベット」は、ベンジーのもう一つの側面が出ている、メロディがきれいな女性と旅のうた。

シルベット 夢を見るのさ
心はずっと このまま
旅の途中さ


シルベット

 

 JUDEは、2003年に『Highway Child』、2004年に『ZHIVAGO』というアルバムをリリースした。
 『ZHIVAGO』は、良い曲が多くて特に好きなアルバムだ。その中でも「宇宙的迷子」という曲が一番気に入っている。

 ベンジー独特の声とギターサウンドは、彼の書く曲と同じように、クリアーな純粋さと,ノイジーな混沌が同居している。
 この曲は、部屋の中と宇宙空間、自分と彼女、見えるものと見えないものなど、ベンジーらしい歌詞も特に素晴らしい。

想い出は 想い出は この部屋に置いてゆこう
ベッドの上で2人 体を合わせて
どうにだってなれるんだね 気持ちさえ持てれば
忘れるなよ 忘れるなよ 目に見えるものが全てなんだ


宇宙的迷子

 

 2005年のベンジーは、JUDEの最終作『Electric Rainbow』、久しぶりのSHERBETSの新作「Natural」に加えて、新曲やニューレコーディングを含むSHERBETSのベストアルバムをリリースした。

 会心の曲だけを入れてアルバムの完成度を上げるだとか、ポップな売れる曲を入れてみようだとか、そんな気分になったらそういうこともするかもしれないが、別にそう思わなければそうしない。
 そんな彼は、ミュージシャンやバンドマンというより、気ままな芸術家といった方が合っているようだ。

 SHERBETSのベストアルバムに入っている「Black Butterfly」は、1996年にメンバーの少し違う最初のSHERBETでリリースした曲の再録になっている。

Black Butterfly

 

 BLANKEY JET CITYを解散した2000~2005年までの6年間に、ベンジーはBLANKEY JET CITYで1枚、JUDEで5枚、SHERBETSで3枚、AJICOで1枚と実に10枚のアルバムをリリースし、たくさんのLPやシングルにしか入っていない曲も残している。

 ベンジーは翌2006年にJUDEのベストアルバムと、初めてのソロアルバムをリリースした。
 そして彼は変わらず多作のまま、2026年現在も第一線で活動を続けている。

 

 

The Roosters - グッド・ドリームス 

 

 

 

 

 

革新と伝統を持った特別なミュージシャン

 

 リチャード・トンプソンは、1960年代の終わりごろに伝統的なイギリスの音楽とロックを組み合わせた草分けのバンド、フェアポート・コンベンションでデビューし、現在も第一線で活躍しているミュージシャン。
 最初は、独特のイギリスっぽさを持った凄いギタリストとして現れ、名曲を連発する凄いソングライターとなり、とてもいいシンガーにもなった。というか、現存している最高の音楽家の一人だと思う。

 リチャードは、聞けばすぐわかる凄いギタリストだが、イギリスに多いブルースをベースにしたギターではなくて、ジャンゴ・ラインハルトみたいだったりバグパイプのような音を出したりする。
 表現が変かもしれないがペコペコした感じのギターサウンドは、ダイア・ストレイツのマーク・ノップラーも影響を受けているんじゃないかな。

 フェアポート・コンベンションの時代は、史上最高の女性シンガーだったサンディ・ディニーを中心にいつか書くかもしれないので、ここでは触れないでおく。
 バンドを脱退して、当時の奥さんと始めたグループ、リチャード&リンダ・トンプソンの1974年の最初のアルバム『I Want to See the Bright Lights Tonight』は、歴史に残るくらいの名作だった。
 とてもイギリス的な名曲がたくさん入っているのだが、まずはタイトルにもなっている少し明るめの曲を紹介したい。

I Want To See The Bright Lights Tonight

 

 リチャード&リンダ・トンプソンは、2人が別れるまでの約10年の間に6枚のアルバムをリリースした。最初のアルバムは別格だが、他のアルバムも、特にハードな音になっている6枚目は素晴らしいと思う。

 この時代が暗い曲ばかりという訳ではないが、いい意味で重くて湿った感じは、とてもイギリス風のダークさと重厚さがある。
ファーストアルバムの最後に入っている曲「The Great Valerio」はただの名曲の域を超えてすでに古典だ。
 歌詞では、サーカスの綱渡りをする名人ヴァレリオと、どこかで転落を期待しながら見る地上で見る観客、そしてサーカスを出て日常に戻る人々、一転して自分を支えてくれる人へのモノローグが語られている。

私たちは、偉大なヴァレリオを見つめている
彼が綱の上を歩く姿を
彼は決して、下で見上げる人々を見ようとはしない
どこか、バランスを崩して落下しないかと熱望する人々を

私はあなたのために綱の上を歩こう
もしもあなたがネットを支えてくれるのなら
この道のりにはいくつものつまずきがある
まだ私は首の骨を折ってはいないけれど

だけど降りておいで、降りておいでヴァレリオ
風が激しく吹き荒れ、そして綱はゆるみ下がり始めている
あなたはもう地面からすぐのところにいるのだから


The Great Valerio


 リンダと別れたリチャードは、1983年にすぐ新しいアルバム『Hand of Kindness』をリリースした。
 このアルバムは、これまでの重苦しい感じがなく、最初と最後に勢いのあるポップチューンが2曲入っている。やっぱり離婚する時期っていうのは、気が重くて大変なんだろうなぁ。

 ただここまで雰囲気が変わるのは、自分自身でも心機一転という気持ちが強かったんだろうと思う。

 このライブでの、アコーディオンやサックスが入ったバンドの演奏も最高だ。

Tear Stained Letter


 その後のリチャードは、ほとんど休むことなくアルバムリリースとコンサートを続け、1999年にメジャーレーベルとの契約を切ってからも、コンスタントにアルバムを出し続け、ライブでの演奏も続けている。

 ソロになってからの彼はずっと年寄りっぽかったので、年齢を経ても印象はあまり変わらない。
 20、30代の頃は、青年期の感覚を残した求道的な印象が強かったが、年を取って明るくなったようにも見える。でもそうではなくて本当の意味で成熟したんだろうと思う。

 1991年にリリースした『Rumor and Sigh』に入っている「1952  Vincent Black Lightning」は、ジェームス・ディーン的な古典的なストーリーの名曲。
 古いオートバイを愛する不良とその彼女の話で、強盗をした男が撃たれ、その死に際に彼女にオートバイのキーを委ねるという内容になっている。

1952 Vincent Black Lightning

 

 時代も変わり、自主制作で大物ミュージシャンがアルバムをリリースすることも珍しくなくなった中で、リチャードの音楽活動は変わらず順調だ。
 爆発的な売り上げは望めないとしても、十分以上の音楽的な評価を受け、2015年にはイギリスではアルバムチャートのトップ10にも入っている。

 アルバム単位では、1996年の集大成的な2枚組のアルバム『You? Me? Us?』や、メジャーレーベルからの最後のアルバムで自分の人生を振り返ったような『Mock Tudor』など素晴らしい。
 2024年には、変わらず良質なニューアルバムをリリースしている。

 ただ、ここで紹介したいと思うのは、どうしても彼の初期の特別な傑作になってしまう。
 ネット上に、誰かが『I Want to See the Bright Lights Tonight』に入っている「Calvary Cross」へ、映画『Buffalo '66』の映像を合わせた動画を上げていた。そのうち消えるかもしれないが、とても合っていたのでぜひ見て欲しい。

The Calvary Cross

 

 リチャード&リンダ・トンプソンの最後のアルバム『Shoot Out the Lights』に入っている「Wall Of Death」も、彼の傑作のひとつ。
 ウォール・オブ・デスというのは、大きな樽の中をオートバイが垂直に走るカーニバルの出し物のことらしい。退屈なメリーゴーランドや観覧車などではなくて、ウォール・オブ・デスに乗せてくれという内容になっている。

ウォール・オブ・デスの上では世界のすべてが生きている
おまえは少しの失敗で落下するかもしれない
でもそれこそが、おまえの見つけたもののなかで
いちばん生きているっていうことに近いんだ
俺をもう一度、ウォール・オブ・デスに乗せてくれ


Wall Of Death

 

 もしかすると日本ではあまり知られていないのかもしれないが、リチャード・トンプソンはボブ・ディラン、レナード・コーエン、ニール・ヤングなどと同じレベル(つまり最高の中での最高)のミュージシャンだ。

 気になったら、まずはネットでいろいろ探してみて欲しい。

 

 

 

 

 

 

 

西アフリカのカンカン・ブルース

 

 今日は、アフリカ、ギニアのギタリストであるカンテ・マンフィーラについて書いてみたい。

 カンテ・マンフィーラのことを好きになったのは、彼が世界的に有名になった後に、故郷に戻りアコースティックで制作した「カンカン・ブルース」という一連の作品がきっかけだった。


 そのシリーズ最終作『back to farabanah』に入っている、1曲目の「relaxin' at moribaya」は、ゆったりしてどこか物悲しいインストルメンタルの曲で、とても西アフリカ的だと思う。

 アフリカのイメージは人それぞれだろうが、珍しい西アフリカの曲ということでなく、伝統的な音楽をベースにした現代的な音楽としても、好きになる人は世界中にいるんじゃないかな。

relaxin' at moribaya

 

 カンテ・マンフィーラは1947年に伝統を音楽で伝えるグリオの家系に生まれ、ギニア東部のカンカンという場所で育った。
 プロの演奏家になったカンテは、マリに移って1970年代に「レ・アンバサドゥール」というバンドのリーダーとなり、西アフリカで大成功した。
 そのバンドのボーカルであり、後にアフリカ音楽の最大のスターになったサリフ・ケイタとは、何曲も共作している。

 2005年に、サリフ・ケイタ&カンテ・マンフィーラ名義で1970年代末だろうか、彼らのバンド時代に録音された未発表アルバムがリリースされた。その『The Lost Album』は、その頃の流行りに合わないという理由で発売されなかったらしい。
 そのアルバムは、全編が当時にしては珍しくアコースティック・タッチで演奏されている。「Djigui」などの曲では、盟友2人を中心にしたリラックスしたバンドの演奏がとても良いと思う。

Djigui

 

 1980年代以降のカンテ・マンフィーラは、ソロミュージシャンとして世界的に流行したワールドミュージックのフィールドでも何枚かのアルバムをリリースしている。

 1994年に現地カセットリリースされた曲に何曲かを加えて、その翌年にワールド・リリースされた『Ni Kanu』は、全体としては当時の音を加えすぎていて、あまり好みではない。
 ただ「Koufenko」という曲は、誰より強い声を持つサリフとは違う、カンテの穏やかな個性が出ていて気に入っている。

Koufenko

 

 2011年に亡くなったカンテは、1987年から数年ごとに「カンカン・ブルース」という、自分の生まれ故郷で友人や家族たちと録音したアフリカ・スタイルのアコースティックのアルバムを3枚リリースしている。

 カンテのギタースタイルは、マンデ・ギターと言うらしい。

 コラ、ンゴニ、バラフォンなど、西アフリカの伝統的な楽器の演奏を、欧米のギターを使って奏でることで、欧米のギタリストとはかなり感じの違う、どこか豊かな響きのするサウンドが特徴になっている。
 「カンカン・ブルース」は、その特徴が最もよく出ていると思う。

 シリーズ2作目の『N'na Niwale』は1994年にリリースされた。温かみのある落ち着いた雰囲気が特徴的だ。このアルバムは、特に聞く人の気持ちを穏やかにしてくれる。

Thienta

 

 ぼくが聞いたことのある彼のアルバムの中では、1998年にリリースされたシリーズ最終作『back to farabanah』が最も気に入っている。
 このアルバムは、カンテ・マンフィーラ with ファミリー&フレンズ名義となっていて、タイトルのファラバナというのはカンテが生まれた村だそうだ。

 「tougnatai」などの何曲かは、舗装されていないどころか、泥の道を歩行速度の車で移動しないと着かないというファラバナ村にある円形小屋で録音されている。

tougnatai

 


 カンテ・マンフィーラのことは、「スーパースターになる前のサリフ・ケイタと一緒にバンドを組んでいた人」というくらいしか最初は知らなかった。
 今でもあまり知っているわけではないのだが、彼の音楽はとても好きなので、ちょっとだけ曲を紹介してみた。気に入ってくれると嬉しい。

 

 

Salif Keita - アフリカの貴種流離譚