100nights+ & music

100nights+ & music

2020年の1年間に好きな音楽を紹介していました。2023年になっても見てくれる人がいたので、また書こうかと思います。
気に入ったら紹介した音楽を聴いてもらえると嬉しい、よろしく!


 

ピーター・ペレットの50年

 The Only Onesは、1976年にロンドンで結成されたイギリスのグループ。
 もろパンク時代に、ミンク・デヴィル、ジョニーサンダース、ルー・リード的なサウンドを出していて、ロンドン・パンクよりニューヨーク・パンクに近い。
 パブロックとニューヨーク・パンクが混ざった、どこか影のあるシンプルで独特にポップなロックンロールバンドという感じで、昔から気に入っている。

 いつ最初に聞いたのかは忘れたがリアルタイムではなく、何かの雑誌で名前を知ってベスト盤を買ったのが最初だった。
 やる気なさげで態度の悪いロックバンド。でもバカな感じはしない。独特のポップさと、ルー・リードみたいな、マーク・ボランみたいな、へなへなボーカルがとても良い。


 1977年の「Lovers of Today」が、最初のシングル。


Lovers Of Today 

 

 バンドメンバーはボーカル&ギターのピーター・ペレット、ギターのジョン・ペリー、ベースのマイク・ケリー、ドラムのアラン・メアーという4人組で、解散まで変わることはなかった。
 曲を作っているピーター・ペレットは、15歳と16歳のときに素行不良で2つの学校を退学になり、直後に彼女と家出してからずっと音楽を続けているそうだ。

 1978年にリリースされた最初のアルバム『The Only Ones』に入っている「Another Girl, Another Planet」は、ヘロインについての曲という話もあれば、別の女の子とのセックスについて曲という話もある。


 Another Girl, Another Planet


 1979年には、セカンドアルバム『Even Serpents Shine』をリリースした。アルバムとしては、これが一番いいと思う。

 シンプルなロックナンバーが多い中で、「Someone Who Cares」は聞きやすいミドルナンバーになっている。

俺たちは永遠に幸せになれたかもしれないが
俺は一人ぼっち
運命が俺たちを引き寄せたことを忘れないでくれ
砕けた夢はお前に直せない傷を残してしまった
お前を気にかけてくれる誰かに出会うことを願っている


Someone Who Cares

 

 1980年の『Baby's Got a Gun』が最後のアルバムになった。ちょっとだけ売れ線に走っていて、悪くはないけどいま一つかな。でも彼らのアルバムは3枚ともそう違いはない。この少しダウナーなへろへろボーカルがあればOK。

 The Only Onesは、1982年に解散した。理由はいろいろあるが、ピーター・ペレットのドラッグ問題も大きかったらしい。バンドのリーダーだったピーターは、自身のキャリアをドラッグで棒に振ってしまったようだ。

 その後のピーター・ペレットは12年後の1994年に新バンド、The Oneで1枚だけアルバムをリリースしたがすぐ解散し、初のソロ・アルバムを出したのは、そこからさらに23年後の2017年だった。
 この頃に10代の頃からのドラッグ問題からようやく抜け出したらしいピーターは、2019年、2024年にもソロ・アルバムをリリースしている。

 2024年の『The Cleansing(浄化)』に入っている「Fountain Of You」は、16歳で家出をしてからずっと一緒にいる奥さんのジーナのことを歌っているようだ。

Fountain Of You

 

 最近のニュースによると、2025年8月にピーターはロンドン中心部でパレスチナ・アクションの抗議活動(イスラエルのジェノサイドに反対する運動)に参加して逮捕された。
 彼の父親は戦後のパレスチナで警察官をしていて、母親はオーストリア系ユダヤ人だという。

 セカンドアルバムに入っている「Out There In The Night」は、女性に対するラブソングかと思いきや、家出してしまった猫のことを歌っているらしい。
 ピーター・ペレットは、声だけを聴くとドラッグ中毒の変な奴にしか聞こえないけれど、彼のキャリアや歌詞をよく見てみると、とても良い奴でもあることが分かる。

 The Only Onesの音は、当時のイギリスの音楽シーンとは少し離れていて大きく売れることはなかったが、忘れ去られることもなかった。
 それは彼らの曲の人懐っこさと、どこか信用できる感じが理由の一つだったのかもしれない。

あの朝、お前は出ていった
俺に何の前触れもくれなかった
お前は俺の親友だった
お前なしでは生きていけないよ


Out There In The Night 

 

 

 

 

 

 

 

イーシャー・デモ

 

 数年前にホワイト・アルバムのオマケで初めて正式にリリースされた「イーシャー・デモ」の27曲は、ビートルズを聞き返すきっかけになった。
 イーシャー・デモというのは、1968年5月にジョージの家に集まって制作されたデモ音源のことで、4人が友人として仲良く音楽をつくった最後の記録になっている。

 この頃の彼らは、1966年にライブツアーを終了、1967年にライブで再現する予定のない『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』を制作、そして彼らを唯一コントロールできたマネジャーのブライアン・エプスタインの急死など、大きな変化の時期にあった。


 4人は1968年2月にインドのリシケシュにある寺院に家族と滞在し、瞑想をしながら曲を創ったという。ただ、リンゴは虫にうんざりして10日で帰国、ポールは1か月、ジョンは2か月、ジョージは2か月半と滞在期間はバラバラだったらしい。

 そのインドで書いた曲がイーシャー・デモになった。このデモテープはソロのようでビートルズのような、アコースティックで演奏されたリラックスした雰囲気がとてもいい。

 ジョン・レノンが書いた「Dear Prudence」は、インド滞在中に部屋に引きこもって瞑想に集中しすぎていたプルーデンス・ファロー(女優のミア・ファローの妹)に向けて「自然は素晴らしいし、きみも素晴らしい、外に出てきなよ」と歌う曲。
 イーシャー・デモのバージョンでは、曲の最後で「周りのみんなが正気を失っていくこの娘を心配していた… そしてぼくらは彼女に歌いかけた」とジョンが語っている。

Dear Prudence



 ここでのポール・マッカートニーの曲はどれも完成度が高く、用意された曲は1つを除いてホワイト・アルバムに入っている。

 唯一アルバムに入らなかった「Junk」は、イーシャー・デモの時点ではまだ歌詞も未完成でスケッチのような状態だが、ゴミみたいに捨てられた想い出とジャンクについて歌われたこの曲は、ポールの最高傑作だと思っている。
 ビートルズとしての録音はされることなく、ポールの最初のソロアルバムではじめてリリースされた。

「買ってよ、買ってよ」と
ショップ・ウインドウの看板が話しかけ
「どうして、どうして」と
庭のガラクタが話しかける


Junk


 このデモテープでは、特にジョンが独特の無茶なセンスで大活躍し、ポールは最高のメロディを持つ名曲ばかりを用意して、ジョージはその後の飛躍の第一歩という感じだと思う。

 ジョージ・ハリソンの最初の傑作「While My Guitar Gently Weeps」のアコースティック・バージョンを初めて聞いたときには驚いた。ポールのピアノとエリック・クラプトンのギターが入らないバージョンは、ほとんど別の曲のように聞こえる。
 「While My Guitar Gently Weeps」は、シンプルなこのバージョンでもジョンとポールの最高の曲と同じクオリティを持っているし、ジョージ独特の内省的なところは、こちらの方がより強く感じることができる。

 ジョージのライブには一度行ったことがある。1991年にエリック・クラプトンのバンドと一緒に演奏したコンサートでは、アンコールでこの曲が演奏されていた。

While My Guitar Gently Weeps

 

 ジョンは、ごつごつした独特のグルーブというか、人間的な感覚をそのまま曲に仕上げることができる。
 「I’m so tired」は、インドで1日中瞑想をしていて夜眠れなくなってしまい、疲れ果てたことをきっかけに作られたらしい。
 気怠いなかで「ここにいない女性」に救いを求めている曲は、世界最高のスターだったジョン・レノンの誰とも変わらない人間性がとてもよく出ている。

 とてもシンプルだけど、こんな曲はジョン以外の人には作れないだろう。

ひどく疲れた、一睡もしていない
ひどく疲れた、頭が働かない
起き上がって何か一杯作ろうか
いや、出来そうにないな

俺の持っているものすべてを君にあげるよ
俺の心の小さな安らぎのために


I’m so tired

 

 この頃のポールは、ほとんど神の領域に入っているくらい名曲をつくり続けている。その上、イーシャー・デモの何曲かは自分で演奏も完成させてしまい、そこにアルバムのレコーディングで加えるパートがほとんどない。

 この「Blackbird」はイーシャー・デモの録音ではなく、その翌月に行われたホワイト・アルバムのレコーディング映像になっている。
 アビーロード・スタジオで、ポールとジョージ・マーティンが一緒に曲を録音する映像を見るなんて、長生きはするもんだなぁとつい年寄りみたいに思ったりする。

夜の闇の中で鳴いている黒い鳥
その折れた翼で飛ぼうとしている
生まれてからずっと
きみはこの瞬間だけを待ち望んでいた

 

Blackbird

 

 イーシャー・デモのために集まったとき、ジョンは28歳、ポールは26歳、ジョージは25歳、リンゴは28歳だった。

 そしていつも一緒にいた10代の頃からの仲間たちが、それぞれ個性を強めていき、バラバラになる直前のドキュメントが残っている。

 イーシャー・デモでは、特にジョンが自由に羽ばたき始めている。
 「Child of Nature」は、後に歌詞を変えてソロアルバムでリリースした「Jealous Guy」の原曲になった。そのイーシャー・デモのジョンの曲の中で最もメロディアスだった「Child of Nature」は、なぜかビートルズとして録音されることがなかった。


 もし何かのタイミングが違って「Child of Nature」や「Junk」を完成させ、ホワイト・アルバムに入れていたらビートルズの中でも最高のアルバムが出来ていたんだろうな、と妄想する。

リシケシュに向かう道で
俺はほとんど夢を見ていた
そしてその夢は本当だった

俺はただの自然の子どもさ
自由になるために多くは必要ない
俺は自然の子どもの一人なのさ


Child Of Nature

 

 

もっこり半兵衛、John Lennon と Bob Marly 

 

 

 

 


ポピュラーミュージックの冒険家

 リンダ・ロンシュタットは、1970年代のアメリカを代表するスーパースターとして有名だと思うが、ただの商業的な歌手じゃないことはみんな知っているだろうか?
 リンダは自分ではほぼ曲は作らず、音楽のスタイル、選曲、ボーカル・アレンジなどを自分ですることによって、作品自体で言いたいことを表現するタイプのアーチストだ。

 彼女には音楽で時代を切り開いていく冒険家のようなところがあり、同時にサウンドにはただ音楽が好きなだけという気持ちが込められていると思う。

 大学時代に友人とつくった3人組のバンドでデビューしたリンダが、ソロデビューしたのは1969年だった。
 1969年にニューヨークの小さなライブハウスでゲイリー・ホワイトという無名のミュージシャンが演奏していた「Long Long Time」という曲を聴いたリンダは、1970年のセカンドアルバムでその曲を録音した。


 「Long Long Time」は、リンダの最初のヒット曲になった。

Long Long Time


 リンダは保守的なカントリーをベースにしながら、ルーツであるメキシコのリズム、フォーク、ロックンロール、ソウルミュージックなどをミックスして、かなり意識的にこれまでにない新しい音楽を創ろうとしていた。

 

 その結果、彼女の音楽は『ロックを流すラジオ局にはカントリーすぎて、カントリーを流すラジオ局にはロックすぎる』と言われたらしい。
 初期のリンダのバックバンドのメンバーは、彼女のツアー中に新しくバンドを結成することを決めた。そのバンド、イーグルスのことは説明しなくても分かるだろう。

 1974年にリリースした5枚目のアルバム『Heart Like a Wheel』は、ビルボードのトップになり、リンダはアメリカのスーパースターになった。
 そのアルバムに入っている「You're No Good」は、1963年にソウルシンガーのベティ・エヴェレットがヒットさせた曲で、この動画でも昔のブラックミュージック風のコーラスが付いている。


You're No Good 

 

 『Heart Like a Wheel』から4枚のアルバムは、すべて時代を代表する名作ばかりだと思う。
 同時代性の強いニール・ヤング、ジェームス・テイラー、ドリー・パートン、JDサウザー、カーラ・ボノフ、ウォーレン・ジヴォンなどリンダの友人たちの曲や、伝統的な曲、彼女が好きだったロックンロールなどなど名曲揃いのアルバムばかりなので、ぜひ聞いてみて欲しい。

 大好きなウォーレン・ジヴォンの曲を紹介しようかとも思ったのだが、ここでは1977年の『Simple Dreams』に入っている「Blue Bayou」を紹介したい。
 この曲は以前にここでも紹介したロイ・オービソンが1961年にリリースしたヒット曲のカバーで、リンダのバージョンが大ヒットした頃、ロイは忘れられた存在になっていた。

Blue Bayou

 

 1980年代に入ると、リンダは少しだけパンクの要素を入れたアルバムを出したりしたが、同時代の他のミュージシャンと同じように一時期の勢いはなくなっていった。

 と思っていたら、1980年代の中頃に音楽のスタイルを大きく変えてしまった。どう変えたかというと、大昔のポピュラー/ジャズミュージックのカバーアルバムを発表し、その路線で続けて3枚アルバムをリリースした。
 レコード会社やプロデューサーが反対する中で、ロックや現代的なポピュラー音楽から離れた理由は『同じことをするのに飽きた』ということらしい。

 そして、1987年には完成に10年かかった最高のアルバム『Torio』を、ドリー・パートン、エミル―・ハリスと3人で制作し、大ヒットさせた。

 『Torio』のことは、以前に書いたので関心があったら読んでもらえると嬉しい。

 同じ年には、彼女のルーツであるメキシコの伝統的な音楽、マリアッチのスタイルでスペイン語のアルバム『Canciones de mi padre』を発表した。
 このアルバムは世界的に大ヒットし、アメリカ音楽史上最も売れた英語以外のアルバムになったそうだ。


La Cigarra

 

 非白人系のアルバムを当事者としてリリースすることは、おそらくスタンダードのアルバムを出すよりもレーベルからの反対が大きかったと思う。


 リンダは、『売れるレコードを作り続けてきた私は、実験する権利を得たのよ』とコメントしている。

 ただ、アメリカの国民的スターというキャリアを終わらせかねないくらいのリスクを取って、自分のルーツに忠実なアルバムを制作し、それを成功させる実力と勇気を持っている人は、そういないと思う。

 その後のリンダは、マリアッチのスタイル、ロックやポップスのスタイル、Torioの2枚目など、自由にアルバムを制作し続けた。


 2011年に彼女はパーキンソン病による音楽業界からの引退を発表した。音楽活動は終えてしまったが、白髪になったリンダはいまも環境問題や社会問題などに関与し続けている。

 リンダ・ロンシュタットは、一人で圧倒的な歌唱力で歌うことが多いけれど、Torioのようなデリケートなハーモニーもとても良い。そういえばリンダはブライアン・ウイルソンとも友人だったようだ。
 作者のケイト&アンナ・マッギャリグルのライブで共演した「Heart Like a Wheel」は、曲も歌もハーモニーも素晴らしい。

Heart Like a Wheel


 リンダの豊かな感性と知性、自由を求める勇気、前向きなユーモアは、彼女の音楽そのものに表れていると思う。

 自分が子供の頃はシンプルに顔と声が好きだったんだけど、ファンになったのはやっぱり間違えていなかったな。

 

 

Dolly,Linda & Emmylou -アメリカの豊かなハーモニー

 

Dolly Parton -ファニーなアイコンと一人の女性

Roy Orbison -ロックスターの憧れだった男

Warren Zevon   ‐輝かしい孤独 

Brian Wilson -ラッキー オールド マン 

 

 

 

 

 

 

 

 

ショービジネスの中のワイルドフラワー

 ドリー・パートンが先日、80歳で亡くなった。世界中のメディアやSNSで追悼されていたので、「そんなに凄かったんだ」と思っている人も多いんじゃないかな。
 ドリーは1970年代にカントリーの世界で成功し、その枠に留まらずにポップミュージックやロックのフィールドでも大成功した。生涯に3,000以上の曲を作曲し、保守的な地域から出たとても派手で静かでリベラルなオピニオンリーダーでもあった。

 ドリー・パートンを知ったきっかけは、子どもの頃にオリビア・ニュートン・ジョンが歌った「Jolene」を聞いたことだった。
 何年か経って何か面白い音楽がないか探しているとき、ドリー・パートンがその作曲者で他にも良い曲がたくさんあるらしいと知って関心を持った。

Jolene


 最初に彼女の凄さに気付いた曲は、「Coat of Many Colors」だった。
 テネシー州の田舎にある農家の12人兄弟の4人目として生まれたドリーは、少女時代は経済的には厳しい状況で育ったという。その頃の思い出を描いたこの曲の美しさを分かる人は、世界中にいるだろうと思う。

 端切れをもらった母親が、それを集めてコートを作ってくれた。嬉しい気持ちでそれを着て学校に行ったら、みんなにバカにされたけれど、母親が話をしながら作ってくれた色がバラバラなこのコートは、みんなが着ている立派なコートなんかよりもずっと価値があるんだというお話し。
 ストーリー仕立てになっているので、できればぜひ歌詞を全部見て欲しい。

いまだったら私たちにはお金がなかったことが分かる
でも私は自分のできる最高に豊かな生活をしていた
私の色とりどりのコートの中で

だってそれはママが私につくってくれたんだから
私だけのために


Coat of Many Colors


 誰でも思うだろうけれど、ドリーは安っぽくて大げさな見かけと繊細な曲が遠すぎて、何だろうこの人?というのが最初の印象だった。
 まるで大昔のクラシックの作曲家みたいなでかいブロンドのカツラ、巨大な胸、陽気なユーモアと親しみやすさで作ったパブリックイメージは意識的だったようで、「こんなにも安っぽく見えるためには、かなりのお金が必要なのよ」とよくジョークを言っていたらしい。

 彼女の生まれたテネシーをテーマにした「My Tennessee Mountain」は、カントリーやブルーグラスの感じが強い名曲。まるでフォスターが作ったようなこの曲は、いまではテネシー州の州歌にもなっている。

私のテネシーの山にある家では
人生がまるで赤ちゃんの息づかいのように平和で
私のテネシーの山にある家では
すぐ近くの野原でコウロギが鳴いているの


My Tennessee Mountain Home

 

 ドリーは、ロックやポップスなどを含むいろいろな音楽的な冒険をしながらも、ベースとなる部分がしっかりしているからか、生涯にわたってエンターテイナーであると同時に音楽家として素晴らしい作品を作り続けた。
 ここでは個人的に好きなメロディアスでアコースティックな曲を紹介しているが、ドリーにはいろいろな顔があるので関心をもったら探ってみて欲しい。

 2001年にリリースした38枚目!の『Little Sparrow』も、カントリーやフォークっぽさが感じられる内省的でとても良いアルバムだと思う。(その後も10枚くらい新譜をリリースしている)

 「Little Sparrow」は、若い女性を小さな雀に喩えて「嘘をつく男を信じちゃいけない」と警告している曲。

 

Little Sparrow

 

 ドリー・パートンは、ショービジネスの世界に入ったときのデフォルメされたキャラクターを最後まで続けながら、父親は読み書きができなかったという理由からか、0歳から5歳までの子どもに毎月1冊の本を郵送するプログラム「イマジネーション・ライブラリー」を長く続けてきた。そのプログラムは、今では世界中で毎月約85万人の子どもたちに本を送っているそうだ。
 ほかにも保守的なカントリーの世界で、最初にLGBTを支援した一人だったらしい。


 ドリーには、現在は見出しにくくなっているアメリカの最も良い部分、緩やかなリベラルさ、明るいユーモア、真実を求める優しい心、不正と戦う強い意志と勇気があったと思う。

 彼女のことは、以前にも『Torio』というドリー、エミル―・ハリスとリンダ・ロンシュタットの3人で組んだアルバムの紹介で書いたことがある。このアルバムは大好きだった。
 そこでも紹介したけれど、ドリーが書いた「Wildflowers」という曲を最後に聞いて欲しい。ドリー・パートンのことはあまり知らないのだが、この曲は最も彼女自身に近いような印象を持っている。

丘には野の花が一面に咲いていた

花たちはただ、太陽の下で枯れていくしかない
私は、その場所で枯れていくなんて嫌だった

自由に育つことが必要な野バラのように

どこへ行くのかも恐れず私は走り出した


野生に育った花は、どこだって生き残れる
野生の花は、どこでだって育っていく


Wildflowers

 

 

 

ドリー・パートン、エミル―・ハリス、リンダ・ロンシュタットについて書いています

Dolly,Linda & Emmylou -アメリカの豊かなハーモニー 

 



世界最高のバンドのひとつ

 Melt-Bananaは1993年に結成された日本のバンド。日本ではあまり有名ではないかもしれないが、海外での人気はとても高い。
 最初は、女性2人、男性2人の4人組だった。音はポストパンクというか、ポストノイズ&ポストロックンロールみたいな感じだと思う。
 英語の歌詞でメロディはほぼなく、不協和音だらけで爆発力があってハイテンションなのに、どこかポップで暴力性の感じられない不思議なサウンドを持っている。

 初めて聞いたのは、2001年にヒカシューをはじめとする日本のバンドがクラフトワークの曲をカバーしたアルバムに入っていた「Showroom Dummies」だった。
 「何だか分からないけど、かっこいいぞ」と思って、そこからファンになった。


Showroom Dummies

 

 彼らは初期のアルバムから自分たちでプロデュースをしていて、スティーブ・アルビニ、ジム・オルークというアンダーグラウンドシーンの大物がエンジニアなどで協力するなど、ずっと世界レベルでの独特のサウンドを作っている。
 有名なDJジョン・ピールは、「世界で最高のバンドのひとつ」と絶賛してイギリスのBBCで何度も彼らの曲を流していた。

 2003年にリリースされた5枚目のアルバム『CELL-SCAPE』に入っている「Chain-Shot to Have Some Fun」などは、独特のポップな疾走感とグルーブが最高に気分をあげてくれる。

Chain-Shot to Have Some Fun

 

 Melt-Bananaはアルバムの完成度が高くて、同じくらいライブも良い(と思うが実は行ったことはない)。
 2005年のアメリカでのライブ映像を見れば、最高のライブバンドでもあるMelt-Bananaが海外で人気がある理由が分かるだろう。

 彼らは2026年9月にもアメリカツアーを予定している。

Shield For Your Eyes

 

 2010年代に入ってから、ベースとドラムが抜けてYakoとAgataの2人編成になった。バンドというよりもユニットという感じになったが、変わらずにクオリティの高い音楽を作り続けている。

 Melt-Bananaは聞きにくいけれど、聞きやすい。

 多くの人が最初は違和感を持つかもしれないが、パンクバンドが好きなら、少し聞き慣れるとその良さが分かると思う。
 2013年のアルバム『Fetch』に入っている「My Missing Link」は、ポップに走り抜けていくところが、どこか清々しささえあって気に入っている。

My Missing Link

 

 Melt-Bananaは日本のメディアにほぼ載らないので、ずっと情報が少なかった。まともな記事は数年前の小野島大氏のインタビューくらいだと思う。


 もし関心を持ったら、彼らのサイトでアルバム丸ごと聞いてみて欲しい。あとはライブか…、今度行かないと。
 みんな、もっとこういうのを聞こうぜ!

Candy Gun!

 

 

MELT-BANANA CHANNEL - YouTube

MELT-BANANAインタビュー 小野島大

 

MELT-BANANA Official Web-Site