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100nights+ & music

2020年の1年間に好きな音楽を100回紹介していました。
追記)2023年になっても見てくれる人がいて驚きました、感謝を込めて?気が向いた時にときどきまた書こうかと思います、よろしく!

 

知的な絞首人たち

 

 1977年にレコードデビューしたストラングラーズはパンクロックのオリジネーターの一つだが、マルコム・マクラレン的なファッション重視の若いスタイルとは違って、近寄るとヤバそうな大人たちという感じのバンドだった。

 サウンドもパブロック由来な感じがしない、ギターよりもキーボードとベースが目立つ部分が特徴で、いま聞くとドアーズのレイ・マンザレクと、ニューオーダーのピーター・フックが一緒に演奏しているような印象を受けるかもしれない。

 

 1979年の最初の日本公演では、大人しい客に怒って「Something Better Change」を3回繰り返して演奏したらしい。最初は気が付かなかった客が、だんだんザワザワして不穏な空気になったようなことが音楽雑誌に書いてあったことを覚えている。

 その歌詞にはこんなフレーズが入っている、「何かが起きていて、それはいま起きていることなんだぜ」、「お前は盲目すぎてそれを見ていない」。

 

 初期のストラングラーズは、「No More Heroes/ヒーローはもういらない」というとてもパンクロック的なメッセージを出していたように、政治的で知的なバンドでもあった。

 「No More Heroes」では、ロシア革命家のトロツキー、コメディアンのレニー・ブルース、贋作画家のエルミア・デ・ホーリー、ドン・キホーテの従者のサンチョ・パンサなど、悲惨な情況に陥ったヒーローたちを並べながらこう歌っている。

 

ヒーローたちに一体何が起こったんだ?

もうヒーローなんて二度と必要ない

 

No More Heroes & Something Better Change

 

 最初の4枚のアルバムは、独得のシンプルかつ攻撃的でありながらどこか聞きやすいサウンドだったのだが、4枚目の『レイブン』あたりからポップな部分に加えてダークな部分も強まってきた。

 このアルバムはリアルタイムで買ったので思い入れがある。パンクロックからはどこか離れているとも感じたが、ジャケットの一部が3Dのミラーになっていたことも、小遣いを溜めて買った立場としてはコレクター心が満足して嬉しかった笑。

 

 このアルバムの中に「Meninblack」という変な曲が入っていた。頭のいかれた妖精のようなエフェクトをかけまくった声に不安を煽るスローなバックが付いた曲で、何だこれ?と強く思いながらも案外嫌いではなかった。

 

 その変な曲のタイトルが5枚目のアルバム名についていた。大丈夫か?と思いながら聞いたそのアルバムは、キリスト教批判やオカルトっぽい感じのトータルアルバムで全然大丈夫じゃなかった笑。

 特に日本ではこのアルバムで人気が急降下して、2度と戻ることはなかったそうだ。

 

 中でも、1曲目の「Waltzinblack」は邪悪でユーモラスなインスト曲?で、初めて聞いたときはそのイカレ具合に衝撃を受けた(でも何回も聞いているうちに大好きになった)。

 当時、周りのロックに関心がない友人に無理やり聞かせまくって、大変に嫌がられたことを懐かしく思い出すな。

 

Waltzinblack

 

 その次のアルバムあたりから音楽性はかなり変わった。オリジナル・パンクのラジカルな部分はほぼ無くなり、内向的な感覚とヨーロッパ色が強まり、聞きやすくもなった。

 

 1983年にリリースされた7枚目の『Feline』は、とても好きなアルバムだった。その中の、ヒューが歌う「Midnight Summer Dream」とジャンが歌う「European Female」は、ライブでよくメドレーで演奏されていたようだ。

 ヒュー・コーンウェルとジャン・ジャック・バーネルには、どこかスタイリッシュで伝統的な歌手みたいな部分があり、それはモリッシーにも似た印象を受ける。ただ全員が嫌がるかもしれない。

 

ある良い日に目覚めた

そして世界は素晴らしかった

真夜中の夏の夢が、俺を魔法にかけた

 

Midnight Summer Dream & European Female

 

 ストラングラーズはジャン・ジャック・バーネルを中心に現在も続いているが、ギターのヒュー・コーンウェルは「やり尽くした」という理由で1990年の10枚目のアルバムの後に脱退している。

 2020年代に入ってから、オリジナルメンバーのデイヴ・グリーンフィールド(キーボード)とジェット・ブラック(ドラム)が続けて亡くなったことは、パンクロックムーブメントからの長い時間を自分自身のこととして感じさせるニュースだった(単に自分が歳をとったというだけの話)。

 

 ストラングラーズは、自分の信念で変わり続け、一方で変わることなく続いてきた。オリジナルメンバーの4人は全員が人相は悪かったが、大した奴らだったと思う。

 

俺が犯した最悪の罪はロックンロールを演奏したことさ

だけど金にはならないぜ、自分自身をグリップするんだな

 

Get A Grip  On Yourself

 

 

 

 

 

心に残るヴォーカリスト

 

 石川セリは、1970年代から活躍している女性シンガーで、一部の歌詞を除くと自分で曲は書かないが、彼女のために日本で最高のソングライターたちが最高の曲を書いている。

 特に1980年代直前からのアルバムは、曲を提供したパンタ、大貫妙子、あがた森魚、ムーンライダーズ、加藤和彦、松任谷由実、坂本龍一、矢野顕子などなど、リアルタイムで好きなミュージシャンがそれぞれベストの曲を書いていたので、とても思い入れがある。

 

 良いアルバムは何枚もあって、最初の名盤は1977年に出た『気まぐれ』だと思う。

 ラジカルなロッカー時代のパンタが書いた「Moonlight Surfer」、井上陽水が自分でも歌った「ダンスはうまく踊れない」を筆頭に、矢野顕子と共作した「昨日はもう」など、いくつも名曲が入っている。

 

 「Moonlight Surfer」は、頭脳警察を解散してばかりのパンタが作詞作曲をしていている。あのパンタがこんなメロディアスでデリケートな曲を書くとは当時誰も思わなかっただろう。曲を依頼した人は凄いな。

 

Moonlight Surfer

 

 1981年の『星くずの街で』はリアルタイムで聞いたこともあってか、今でも一番好きなアルバムだ。

 松任谷由実やブレッド&バターの提供曲はもちろん良いが、パンタの「真珠星(Pearl Star)」「SNOW CANDLE」、あがた森魚の「バイ・バイ・オートバイ」「ROSE BUD」、大貫妙子の「星くずの街で抱きしめて」など、いまでも大好きな曲が入っている。

 

 あがた森魚は個性が強すぎて、あまり人に曲を書いたりしなそうだが、この2曲はとても石川セリに合っていると思う。

 あがたがメロディを書いて石川セリが歌詞を付けた「ROSE BUD」は、矢野誠がクリスマスっぽいアレンジを加えた可愛い感じの曲になっている。

 

ROSE BUD

 

 1982年の『MÖBIUS』から、はっきり1980年代のサウンドになった。

 アルバムの完成度は前の2枚に敵わないが、どこかヨーロッパっぽい感覚が打ち込みの音と混じっていて、シュガーベイブともかかわりがあったらしい小宮康裕の「ヘルミーネ」や、松任谷由実の彼女のアルバムとはまったく違うアレンジの「川景色」などが入っている。

 

ヘルミーネ

 

 1983年の『BOY』は、一般受けしそうなポップアルバムだった。

 前のアルバムのニュアンスを残した小宮康裕が書いた「地下室のビーナス」や「SISTER MOON」が好きだったが、何と言ってもタイトルの名曲「BOY」をムーンライダーズのかしぶち哲郎が書いている。

 

 1984年の『FEMME FATALE』は、他のアルバムと大きく感じが違う。かしぶち哲郎がプロデュースとアレンジをしたコンセプトアルバムになっていて、ヨーロッパの映画のような格調高い雰囲気で統一されている。

 ほとんどの曲をかしぶち哲郎が書き下ろし、他に大貫妙子、加藤和彦、坂本龍一が一曲ずつ参加している。バックは鈴木慶一を除くムーンライダーズが演奏していて、歌謡曲的なポップスとは大きく違っている。

 

 1981年の『星くずの街で』から1985年の『楽園』まで、5年間のあいだに5枚のアルバムを出して、彼女は音楽活動を一度ストップした。

 その『楽園』は、かしぶち哲郎や坂本龍一に加えて、大沢誉志幸、玉置浩二、そして友部正人まで参加した打ち込み中心のポップアルバムになっている。ただアルバムとしては他の方が好きかな。

 

 かしぶち哲郎の曲はたくさんあって、どれにしようか考えたのだがうまく決められなかった。彼が石川セリに書いた最後の曲、「いろ,なつ,ゆめ ~彩・夏・夢」にしよう。

 

いろ、なつ、ゆめ (彩・夏・夢)

 

 石川セリは、この10年後に現代音楽の武満徹が書いたポップソングのアルバムで音楽シーンに戻ってきた。その後も時たま音楽活動を行っている。

 

 アルバムに入っている多くのソングライターの手による名曲は、他の歌手の曲のカバーではなくほとんどが石川セリのために書かれている。雰囲気だけではない本当の彼女の魅力を、周りにいたすごいミュージシャンが一番わかっていたんだろうと思う。

 

SEXY

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アイスランドの不思議な世界


 シガーロスの音楽にはドローンの上に乗った優しいノイズミュージックのような印象を持っている。
 1997年のファーストアルバムは、何曲かを除くとほとんどアンビエントだった。教会のような声と静かなノイズをベースとしたポストロック。
 セカンドアルバムは歌寄りになり、その後は少しずつ歌ものの比重が増えたり減ったりしながら、ある意味で安定したオリジナリティのある音楽を作り続けている。

 シガーロスに対する世間の評価についてはよく知らないのだが、とても複雑につくりあげたアルバムはもちろんとても良いけれど、それよりもライブ音源のほうが良いと個人的には思っている。
 演奏は独得だがジャムバンドみたいな感じがするし、音楽がダークになりすぎないところが良い。

 その中でも自然の中で演奏している音と映像が気に入っている。牧歌的なのかエコロジーなのか実験的なのか、アンビエントなのかポストロックなのか。ポップだがポップスではない音楽という感じ。


 この映像では、いろいろな楽器といろいろな属性の人たちの、ピクニックみたいなライブ映像が幸せな雰囲気を醸し出している。アイスランドは不思議な国だな。

Hoppípolla & Með blóðnasir


 シガーロスのアルバムは聞いたことはあったのだが、その本当の良さに気が付いたのはヴォーカルのヨンシーが2010年に出した最初のソロアルバム「Go」を聞いた後だった。
 正直に言うとシガーロスのどの録音されたアルバムよりも、ヨンシーの最初のソロは好みに合う。とても分かりやすく、実験的で、個人的な精神性が宿っている。

 シガーロスのアルバムの多くは、英語でないどころか一般的に理解でない言語?だったり、アイスランド語で歌われているのだが、このアルバムでは多くの曲に英語の歌詞が付いている。

きみは生き残れるし、驚くことを止めたりしない
きみと夜明けは、決して沈んだりはしない
ぼくたちは、いつだって何だってできるさ
やってみようよ!


Go Do

 

 もう1曲、そのアルバムから聞いてほしい。シガーロスの感覚に近い曲で、これもライブバージョン。

 最初にオルゴールや鉄琴みたいな音をメンバー皆で出して始まり、感情的だがどこか無機質な盛り上がりとクールダウンが繰り返され、最後はヨンシーの静かな声で終わる。 

Tornado


 彼らの音楽は、人工的な印象と同時に何か自然さを感じるのが不思議だと思う。実験的な軽やかさと、ノイズを含むシンプルな音と、人間的な静かな温かさが共存しているところが、そう思わせるのかもしれない。
 このシガーロスのライブは、2006年7月アイスランドのイーサフィヨルズゥルで行われたものらしい。アルバム作品としてはヨンシーのファーストアルバムが好きだが、このバンドのライブはもっと好きだな。

Sé Lest


 2つのシガーロスの映像は、2006年のアイスランドツアーでの演奏を収めたライブDVD『Heima』からのものになっている。この作品を見ると、何かの奇跡を体感しているような気分になる。

 

 それはバンドの個性なのか、それともビョークにもあるアイスランドの個性なんだろうか。もしかするとシガーロスにとっても純粋でいることができた最後の時代だったからなのかもしれない。
 こんな感覚にどこまで馴染めるかどうか自信がないのだが、一生に一度だけでもアイスランドでシガーロスのライブを体験してみたいと思う。

 

 

 
 

 

 

 

静けさと情熱を持った音楽

 

 カウボーイ・ジャンキーズは、1986年代の後半にレコードデビューしたカントリー、ブルース、ロック、フォークなどを内省的な独得の感覚でミックスしているカナダのバンド。どんなに音が大きくなっても残る静けさと、どこかデリケートでストイックな感じがとてもカナダらしいと思う。

 4人のメンバーのうち3人は兄妹で、デビューから現在までメンバーが変わることなく、音楽と同様に地味だが確実に、長く充実した活動を続けている。

 

 世界中の多くの人と同じように、このグループのことを知ったのは1989年の『The Trinity Session』だった。カナダの教会で一本のマイクを使ってライブ録音されたこのセカンドアルバムは、とてもスローでダウナーな雰囲気が、まるでブルースとアンビエントを混ぜたような感じでとても衝撃的だった(妖気が漂っているともいう笑)。

 ここでは、オリジナルに加えてハンク・ウイリアムス、エルビス・プレスリー、ルー・リードなどの曲をカバーしている。他のどこにもない特別な雰囲気を持つこの作品は、長く残り続けるだろう。

 

 エルビスも歌った古い歌「Blue Moon」の一節を引用した「Blue Moon Revisited」には、このグループの良さがすべて入っている。

 

Blue Moon Revisited

 

 

 カウボーイ・ジャンキーズは1990年と2017年に来日したことがある。1990年のコンサートで、ヴォーカルのマーゴ・ティミンズは花と花瓶がある小さな机を前に置いて、少し高い椅子に軽く座って歌っていた。

 どこかアマチュアのような素朴な感じがするマーゴが、遠くを見るように歌い始めると、儚くて力強いヴォーカリストに一転したことはいまもよく覚えている。

 

 この時のコンサートのことが、その年の終わりに出たサードアルバム『the caution horses』のライナーノートで書かれていて、カウボーイ・ジャンキーズのことを何だか身近な人たちのバンドような気持ちがした。

「1989年は、私たちにとってかなり壮観な年でした。私たちはその年をトロントの小さなローカル・バーでスタートして、東京の中心にあるコンサートホールで終えました。」

 

 『the caution horses』はダークさが薄まり、フォークっぽい感じが増していて、自作、カバーともに聞きやすい曲が多い。

 「Rock and Bird」のプロモーションビデオは、寂れたオーディションに自信のない歌手と上手く引けないピアニストが登場し、自動ピアノが動き出すという内容になっている。この映像は、カウボーイ・ジャンキーズの音楽を聞くと感じる周りとの微妙な違和感や、もの悲しい感じが出ていてけっこう好きだった。

 

翼のない鳥は消え去って

重い心を持つ岩は戻ってきた

岩は彼女の力になって

そして鳥は彼女の夢になった

 

Rock and Bird

 

 1996年にリリースされた『Lay It Down』に入っている「Angel Mine」という曲も映像を含めて気に入っていた。

穏やかで地味な曲なのだが、メロディも歌詞も素晴らしい。

 

彼はむかし知った翼を探していた

それは天使みたいな彼女の背中にあったもの

それが見つからなかったとしても、彼は別に気にしない

だってそれはまた生えてくることを知っていたから

 

私にはその翼が生えてきたり

光を失った光輪が輝き続けるという約束はできないよ

でも私はあなたの信頼を裏切ることは決してない

エンジェルマイン

 

Angel mine

 

 カウボーイ・ジャンキーズは、『The Trinity Session』の20年後の2007年に同じ場所で同じ曲を何人かのゲストと一緒に演奏した『Trinity Revisited』というアルバムを出した。

 

 そして2010年から2012年までの18か月に、「ノマド・シリーズ」と題した4枚のアルバムを連続してリリースしている。

 安定志向のベテラングループだったら絶対にしないだろうことをするところが、伝統的な音楽をベースにしていても、決して保守的なグループではないカウボーイ・ジャンキーズらしいと思う。

 

 その意欲的なシリーズは4枚とも感じが違うが、1枚目の『Renmin Park』はバンドの中心人物であるギターのマイケル・ティミンズが滞在した中国のいろいろな音を散りばめるなど、実験的なサウンドが入っていて、オルタナ・ロックバンドのサウンドみたいにも聞こえてとても良い。

 

[You've Got to Get] A Good Heart

 

 カウボーイ・ジャンキーズの音楽は今でもよく聞いている。彼らの音楽には、どこか心の深いところに差し込む淡い光みたいなところがある。

 

 もう30年以上も前になるなんて信じられないが、『the caution horses』の最後に入っている、とても個性的なシンガー&ソングライター、マリー・マーガレット・オハラの曲「You Will Be Loved Again」のカバーが、とても好きだった。

 こんな風にデリケートな静けさと緊張感を持っていて、どこかに温かさもある曲はめったにない。

 

You Will Be Loved Again

 

 

 

 

 

 

 

 

環境音楽にならないミニマル・ミュージック

 

 フィリップ・グラスは1937年生まれの現代音楽家の作曲家で、この原稿を書いている時点で86歳になる。クラシックを学んだあとにインドに行き、帰国してニューヨークでタクシー運転手をしながら、ビートルズで有名になったラヴィ・シャンカールとも音楽を作っていたらしい。

 彼には現代音楽のアウトサイダー的な巨匠という、ルー・リードのような印象を持っている。でも単に顔が似ていて、緊張感を持ったラジカルなニューヨーカーという部分が共通しているだけかもしれない。

 

 ダライ・ラマがアメリカで初めて公の場で演説した夜のために書かれた「Mad Rush」は、あまり長くなくて(それでも15分だが)聞きやすい。

 彼の音楽は、同じシンプルなパターンを繰り返すミニマリズムのスタイルで、万人受けするだろうメロディアスさを持っているのだが、決してイージーリスニングにならないところが良いと思う。

 

Mad Rush

 

 フィリップ・グラスの名前を知ったのは、1987年のドキュメンタリー映画「コヤニスカッティ」だった。この映画は主人公がいないどころかナレーションすらない映像だけの内容で、ずっとフィリップ・グラスの音楽だけが流れ続けていた。

 「コヤニスカッティ」とは、アメリカのホピ族の言葉で「常軌を逸し、混乱した生活。平衡を失った世界」という意味。映画は現代文明のいろいろな姿の断片からなる内容で、最後に1960年代の無人ロケットが打ち上げ直後に爆発するシーンで終わる。当時は文明の終末のように見えた映像も、いまは日常の世界に見えるかもしれない。

 

 トレイラーを紹介しようかと思ったのだが、今の社会状況で見るには陰気過ぎて気が滅入るので、代わりにニューヨークの若い音楽家たち、Bang on a Can All-Starsによる「Closing」という曲の演奏を聞いてほしい。

 

Bang on a Can All-Stars Closing

 

 フィリップ・グラスは、いわゆるクラシック畑の巨匠ではあるが、デヴィッド・ボウイ、パティ・スミス、ルー・リード、ローリー・アンダーソンなどとも仲がいいようで、どこかニューウエイブに影響を与えた前衛的なロッカーみたいな印象がある。

 それは、インドやチベットの影響を受けたり、ニューヨークに住んでいたり、子どもの頃に古いポップミュージックやラジカルなジャズを一緒に聴いていたことなど、バックボーンから来る価値観がみんな似ているからなのかもしれない。

 

 フィリップ・グラスが、ベルリン時代のデヴィッド・ボウイがイーノとつくった「ロウ」と「ヒーローズ」を下敷きにしてつくった交響曲がある。

 すべての出来がいいとは思わないが、「Warszawa」はひたすら暗いオリジナルより聞きやすく作られていて、作品としてとても良く出来ていると思う。

 

Warszawa

 

 フィリップ・グラスはミニマリズムの代表的な音楽家だと言われがちだが、本人はそれが気に入らないらしい。詳しくないので偉そうには言えないが、ミニマリズムという狭い枠にとらわれない強い意思を持った音楽家という感じはする。

 

 彼のとても好きな曲が、「メタモルフォ―ゼズ」という曲。30分以上あるピアノのソロで、静かな中に生気がある感じが気に入っている。

 その曲の一部を、Louis L. がハンドパンで演奏している映像を見て欲しい。同じ曲なのにとても印象が違うが、短めなので聞きやすいと思う。

 

Louis L. Handpan Metamorphosis II

 

 この曲の全体をピアノで演奏している映像がこれになる。ちょっと長いかもしれないが一度通して聴いてもらえると嬉しい。

 

Metamorphosis

 

 フィリップ・グラスの作る曲は、ぬるいイージーリスニングにも、ニューエイジみたいなつまらないスピリチュアル系の音楽にもならず、静寂、精神性、生命力が感じられてとても好きだな。

 

※アルバムを紹介する知識はないので、気に入ったら探してみてください